はてなキーワード: 謝罪と賠償とは
<=(´∀`)>本当にそのとおりだよね。俺も日本人だけど、日本って本当に韓国に何一つ勝てなくて何これって感じ。
それなのに現実を認めたくなくて韓国に噛み付いてくるって感じ。
まるで童貞がひねくれてネットで女を罵倒していたり、低学歴が嫉妬で高学歴を自称してホルホルしてるみたいでダッセ。
あとはニート?あいつら日本の駄目なところの象徴だよね。それに比べて韓国にはニートなんて一人もいない。
国際的に見ても日本人男性の評価って低いよね。出っ歯の低身長東洋人なんて誰も相手にしないレベル。
それに比べて韓国人男性は格好いい。悔しいけどこれは認めざるをえない。
韓国人男性といったら世界中の処女の憧れの的だよね。日本人男性は中古の使い古しで満足するしかないニダ。
ああやだやだ。自分の国なのにほめるところが一つもないなんて。
やっぱり日本民族が取るに足らない劣等民族なことを認めて、韓国に過去の歴史の謝罪と賠償をして教え導いてもらうしかないのかなあ。
朝鮮人は素晴らしい民族だ。彼らは日本人に対して、既に戦後60年もたったにも関わらず、過去の侵略行為に荷担していない戦後の人間に対しても「謝罪と賠償」を追求しようとしている。実に素晴らしい発想である。朝鮮人の明晰な頭脳がなければ出てこない考えだろう。
ならばこそ、誇り高い朝鮮人には、自らの発言に責任を持ち、実戦して貰いたい。
戦後生まれの日本人にも、直接は行為に荷担していない戦前の日本の行いに責任があるという理論に立てば、日本生まれの朝鮮人にも、直接は行為に荷担していなくても北朝鮮が犯した罪である日本人・韓国人の拉致問題、そして核問題に対する責任が発生するのである。言うまでもないことだ。
優秀な朝鮮人諸君! 貴方たちは、この理論を完全に理解できることだろう。清廉潔白な貴方たちは、まさしくこの理論に基づいて、日本人に対して徹底的かつ半永久的な「謝罪と賠償」を実践し、愚かな日本人の目を覚まさせてくれるだろうと信じている。
どのような「謝罪と賠償」をしていただけるのか、今から待ち遠しくて堪らない。「謝罪と賠償」は、貴方たちが60年も言い続けてきたことなのだから、貴方たちはどのように行動すればいいのか、完全かつ完璧な回答を持っているはずだ。是非とも、日本人全体に対して徹底的な謝罪をしていただきたい。
DELLは確かに安いかもしれない。
だが、送料でぼったくって安く見せてる部分がある事を知っておこう。送料は、最後の最後にならないと出てこない
今回、職場のPCを更新する際にまとめてDELLから購入したのだが、送料に関して、やけに高いと感じた。
ネットブック3500円・17インチノート3500円・デスクトップ4000円・デスクトップと液晶のセット(2個口)5000円・一体型デスクトップは5000円
それぞれについて2台ずつ購入、送料の複数割引等は一切ありませんでした。
さすがに高いと思ったので、運送会社の料金で調べてみたところ、正規の料金は以下の通りでした。
ネットブック950円・17インチノート1160円・デスクトップ1260円・デスクトップと液晶のセット(2個口)2420円・一体型デスクトップは1260円
上記は持込割引や複数個割引は適用しない金額です。
怪しいと思ったものの、その送料を了承して購入したのは確かに私。
だが、いくらなんでもほぼ3倍の額、ものによっては4倍近いの金額をふっかけているDELL、こういった商行為というものは許されるのだろうか。
これまで使っていてDELLの対応は悪くないと思っているが、この送料ボッタクリに関しては非常に残念に思った。
どうせ運送会社とは、一個500円以下の契約で送っているんだろうから、せめて、正規の送料を請求すべきだと思います。
追記します。
短い時間にこれだけ反応があるとは思いませんでした。
まず、保険の話がありましたが、個人でも法人契約の場合でも、保険料は送料に含まれるのが一般的です。
保険の対象額は30万円までが多く、それ以上は追加料金がかかりますが、微々たる額ですね。例としては佐川急便の場合、1万円の増額に付き10円程度の保険料ですね。
今回購入したPCはどれも30万円以内、近年では30万円超えるPCなんてそうありません。
もしも、DELLが運送料を保険料抜きで安く契約するとしたら、保険代と送料あわせて、保険込の一般契約送料よりもさらに安くなる場合でもなければ、メリットはないでしょうね。
法人向けと言っても、送料において運送会社は発送物自体の金額以外の補償はしないはずです。
納期遅れて仕事がダメになったから謝罪と賠償、的な保険が別にかけられていたとしても高すぎますし、そういう保険が必要な場合、購入する企業側で掛けるのが一般的でしょう。
個人で購入する場合だって、そういうことはありえます。法人が個人向けPCを買うのも珍しいことではありませんよ。
前に書いた通り、記載された送料であることを了承して注文したのは確かです。
送料で嵩上げして本体を安く見せてるのでしょうけど、その送料を含めてもDELLはもともと安いと思っていますし仕方ありません。
ただ、送料調整額分の税金、誤魔化していないか気になりますね、誤魔化せる可能性も無きにしもあらず。
どちらにせよ、そこは税務署が目を光らせてるはずです、そういえばアマゾンの脱税の件は結局どうなったんでしょうね。
まさか、デルもアマゾンみたいなことやってるから、こういう送料になる?外資とはいえ防衛省にも納入している企業ですから、そういうことは無いと思いたいですが。
個人向けの送料は
http://www1.jp.dell.com/content/topics/segtopic.aspx/misc/shipping_pricelist?c=jp&cs=jpdhs1&l=jp&s=dhs&~ck=anavml
以上のようになっているようです。法人向け送料よりは安いようですが、きめ細かいBTO注文で売りのDELLの割には、ずいぶんザルなんですね。
個人向けは送料無料の時もありますね。確かに法人より安い。法人と個人で価格差があるのは理解に苦しみますが、価格調整の為かもしれません。
DELLの送料が国際運送料なのだとしたら、国際運送会社(FEDEXとかDHL,UPSとか)か、郵便局(国際郵便扱)が持ってくるのなら少しは仕方ないと思えますが、
普通に国内の運送会社が、それも国内発送元(空港でも港でもありません)の送り状シール付きで持って来ています。
注文時、しっかり見えるところに(送料は製造国からの国際運送料と国内運送料の合計です)とでも書いてあれば、まだ少しは納得できるかもしれません。できないけど。
ヤフオクで出品手数料が掛からないように1円で出品して、本来より高い送料と、さらに梱包料とっているようなあこぎな業者ならともかく、
国内に現地法人を持っているような大企業が、国際運送料を取るのはおかしくありませんか?中国のDELLから直接買ってるとか、フリーオじゃあるまいし。
2010/9 追記
http://www1.jp.dell.com/content/topics/segtopic.aspx/misc/shipping_pricelist?c=jp&l=ja&cs=jpdhs1
DELLも少し改心したのか、送料が少し安くなったようです。まだ一部高いけどね。ボッタクリ送料だったのを認めたということとも言える?
以前のあからさまなボッタ価格よりは安くはなったが、まだまだ充分ボッタクリっぽい、
せめて佐川急便やヤマト運輸のほぼ横並びの正規料金レベルまで下げるか、着払を選べるようにするかしたらどうかと。
ヤフオクの悪徳業者じゃあるまいし。
どうやら初めてご近所トラブルらしきものに巻き込まれてしまった。
我が家は一軒屋、裏庭に小さな小屋を置いて犬を1匹飼っている。
裏庭は少し広めの駐車場に面していて、その向こうには5階建てのマンションがある。
そのマンションのベランダは裏庭とは別の方向、南の方角に向けて設置してある。
しかし、端の部屋はベランダとはまた別に窓を持っており、その窓は駐車場の方に向かって設置してある。
変なものを置いていたりはせず、犬と犬小屋、それから物置が置いてあるだけの裏庭なので、別に見られても恥ずかしくはない。
これまで特にトラブルになったことはなかった。
3,4ヶ月前になるだろうか。それまで2ヶ月間ほど空き部屋だった4階の部屋に、新たな一家が越して来た。
隣と言えども駐車場を挟んだマンションである。あー、新しい人たちが来たんだな、と私を含め家族はその事実を大して気に留めなかった。
ところがある日のこと。散歩にはもう行った、ご飯まではまだ早い、なのに犬がきゃんきゃん喚いている。
何事かと思って兄が裏庭に行くと、そこには多数のBB弾が落ちていた。
エアガンなんて家族の誰も持ってない。不審に思った兄がふとマンションを見上げると、マンションの窓から裏庭を見ている男子が2人。
その手にはエアガンのようなもの。隣のマンションに住む男子が犬を撃っていたというわけだ。
兄は怒りに怒り、マンションの4階からこちらを見ている男子に向かって怒鳴り散らした。
その後、しばらくは犬が撃たれるということはなかったが、男子が謝りに来るということもなかった。
兄は相当厳しく激しく怒鳴ったのだが、男子2人は全く懲りなかったらしい。
こちらが忘れた頃にまた同じ騒ぎを起こした。同じく兄がまた怒鳴り散らして、またしばらくは何も起きなかった。
だが、二度あることは三度あるというべきなのか。
冬休みの暇を持て余した男の子たちは、今日、また我が家の犬を撃った。
多少やんちゃなところはあるけれども、他人を噛んだりなどはしたことがない、我が家の犬が何故撃たれなければならんのだ。
今日、事に最初に気づいたのは父であった。
兄よりも数段勝る迫力で怒鳴るも、男子たちは撃つのをやめただけだった。
流石に3度目ということもあり、父は男子たちに降りてくることを要求。BB弾の片付けを命じた後、ペンを持たせ、住所と名前を紙に書かせた。
(名前はともかく、住所に関しては隣に住んでいるのでそれほど意味がないことのようにも思うが)
家の中で対応を見守っていた私までも竦み上がる凄まじい怒鳴り方だったのに、その子たちは実にふてぶてしい態度で反省の色はなかったそうだ。
中学生にはまだ善悪の判断はつかないのだろうか。それとも他人の家の犬などただの標的としか思えないのだろうか。
そして、もう一つ気になるのが、同じような騒動がこうやって3回起こっているのに、兄弟の両親が姿も現さないことだ。
最初の騒動が起こって4ヶ月くらい経つが、謝罪の言葉の一つもない。
謝罪と賠償を請求する!という図々しい考えは持っていないが、どうもすっきりとしない。
昼間忙しい仕事で、その間、子どもが何をしているかは知らないのかもしれない。
または、子どものことなど我関せず、何をやろうが知ったことではないという考えなのかも知れない。
どちらも私の想像の域を出ない。もし後者であれば物凄く腹の立つことだと、勝手に想像して勝手に憤っている。
相手の事情も知らず決め付けてああだのこうだの言うのは失礼なことなので、両親に対する非難はしないが、
しかし兄弟が我が家の犬を3回撃った(もしかしたら家の誰もいない間に同じことをしていたのかもしれない)のは事実である。
さて、先に述べた通り、兄弟2人には反省の態度は見受けられなかった。
3度あるこどは4度ある、ということわざはないが、また同じことが起こるかもしれない。
相手の本拠に直接文句を言いに行く、マンションの大家さんに苦情を言う、あるいは中学校を通すなど、色んな意見が出たけれど、
とりあえずは今後一切何も起きないことをまずは祈るばかりである。
それ、速攻別れたほうがいいよ。
>怒鳴り、物を投げ、家具を蹴り破損させる。
いやいや、ありえんって。謝罪と賠償もんだろ、コレ。
料理の件は、マジで鬱陶しいな。言うとおり一緒にいたらずっと言われ続けるぞ。
>「家の肉じゃがはね~」
こんなん言うやつは確実に無理。マザコンだろ、一生実家の飯食ってろ。
>そして喧嘩になり、彼は台所の食器棚に穴をあけて帰っていった。
だから、謝罪と賠償をしっかりと要求しとけ。
>彼の態度はどの成人男性でもあることなのか?
ないない。彼は幼稚だな。まず、フツーの男は話し合って解決するよ。興奮したとしても壁は殴らないし、物とか投げない。
一旦気持ち落ち着かせる為にその場を離れて冷静になってからまた話し合いに臨む。それがフツーなんだよ。
つーか、どこ好きになったんだ?駄目要素多すぎるぞ。
原爆は空から一つ原子爆弾を落としたらその結果何十万人?が死んだんでしょ。
対して南京大虐殺とやらがもし本当にあったとしたなら、数日間ないし数十日間地上に人がとどまって人を殺していたわけでしょ。
軍は何をしてたかって、まぁそりゃ占拠されてる時に軍が何ができるんだって話もあるけど、上からポーンと突然なんか落とされたら軍とはいえ何もしようがないよなぁ。
それよりも、南京大虐殺があったってことで謝罪と賠償を要求するのに正当性があるというのなら、東京大空襲とか大阪大空襲とかはどうして謝罪と賠償を要求しないのかなー。いくら軍事拠点を狙ったとは言っても民間人何十?万人巻き込んでるんだから、今だったら各国から非難ごうごうだよね。敗戦国だから何も言ってはいけないのだろうか。アメリカの民間人はたぶん大空襲のこと知らないんじゃないかな。まぁもう昔の話だからみんな全部忘れて仲良くしようぜってかんじだけど。
ああ「日本人が極悪だから」の部分に引っかかってたのか。それは例えば記事の文末の「日本全体にそういう風潮があるとは言えないだろうか」とか「日本には未だに根強く差別感が残っているのである」とかそういうお決まりのフレーズが繰り返し多様されることによって刷り込まれることを端的に「日本人が極悪だから」っていう言葉に置き換えてみたってだけ。その言葉そのもので書いてあるわけはないじゃん。
ちなみにウトロ問題も日立就職差別事件も書いてあった内容としては全然事実じゃないんだけどね。最近じゃ積水ハウス?
そしてなぜかその特定個人としてのある日本人たちが悪いことになってる。
こういう風に例え特定にしろ、それが連発されるとどうしても特定ではないのではないかという印象になるでしょ普通。
あと「軍部の暴走」が、対外的な釈明に使われたことはそれこそ一度もなかったと思う。あくまで、内省として、理由を探るときに登場するものであって。
ただ、世代が違う問題は連帯責任としての子孫の責任を問う場合には反論として使われることもある。ただそれと密入国の子孫の問題は同列には語れない。それはまだ進行形だから。帰ってもなお彼らを責めるような言論があれば反論としては有効だと思う。
あと「先人の負債」はすでに先人が清算してるという事実もあんまり語られないよな。本来なら向こうの大統領なりこっちの圧力団体なりが「謝罪と賠償」を口に出したニュースを報じるたびに、参考資料としての清算した事実をいうべきなのに。それこそ事実なのであって、そこを刷り込まないでそうするっていう。ウソを刷り込むよりは事実を刷り込んだ方がマシなのに。
友達が彼氏と別れて泣いた。ほんと突然、彼氏にまつわる話題をしてたわけでもないのに、みんなのふとした沈黙の間に涙がつーって。会話が途切れた合間に色々考えてしまったのかもしれない。こんないいこ泣かした元彼氏はしねって思った。二股するぐらいならせめて先に別れてからしろよと。こっちまで胸が痛くなってくる。泣きそう。
恋とかよくわかんないね。
ああでも好きな人にぎゅーってできたら嬉しいだろうなあ。抱き枕の代わりになってほしいね。
そんな風に思える人に浮気されたりしたらショックなんだろうな。
恋ってどんなもんなのかな。まあいわゆる非モテでブスの自分には縁の無い世界だけど。
みんなが幸せになれればいいのにね。ほんとあの子の元彼氏はタンスの角に足の小指でもぶつけてしまえばいい。あの子を傷つけて私の胸を痛ませた謝罪と賠償を(ry
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm
しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、
http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm
とおっしゃっておられるようであり、
「近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm
という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。
見出しの引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。
古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫、山室信一編、吉川弘文館、2001年、をPDF・HTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html
まず、日露戦争後の日本の中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。
日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年(大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年(昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。
清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。
後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。
それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊が存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約はロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。
先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。
このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。
日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者は日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道を商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春・旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。
実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年(明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本の警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月に陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実を押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。
上記のような「条約よりも既成事実を押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。
軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。
軍だけに責任を負わせることはできません。
安奉線が朝鮮半島と満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本の希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道を建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。
つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権の拡張を図ることは不可能になっていたと言える。
ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。
つづいて、中華民国期に入ります。
ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注:辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見を外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国の首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日的地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部や関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝粛親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。
ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。
この間〔引用者注:革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍の威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・
漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。
まず、陸軍少尉が中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。
軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償と利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。
古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍の威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。
交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。
つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。
第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属地経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動を組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注:内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社の経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツの軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。
ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣が採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国はベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。
そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。
対中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約に規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。
このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。
しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係を確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。
それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制的意識が形成され、大衆を呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権の独立と、国内における大衆的中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。
ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本の大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。
さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史の勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実は小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。
ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆的中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見は百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。
その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。
しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本のマスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動の対象であったわれわれ外国の研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか
(江田憲治「民衆運動とナショナリズム―1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf)
私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。
またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。
中学生の頃,死角から飛び出して来た4歳児に衝突したことがある.
命に何ら別状は無かったしわたし自身も負傷したのだが,その後の謝罪と賠償がそれはそれは苦痛だった.警察沙汰にはならなかったが心の中では前科1犯である.
自転車は殺しもすれば殺されもする乗り物である.ところが免許が要らない.こうした危険の自覚なく乗っている奴が多過ぎる.特に車の免許を持っていないであろう母子!
坂道の多い街で,救急の看護師をしている.雨の日とか,傘をさしながら下り坂をぶっ飛ばして立ち木やガードレールに自爆テロして運ばれてくる人が必ず出る.
壮年男性だと首の骨が折れて,その後の人生を棒に振る人もいる.まあこういう人たちは酔っぱらって階段から落ちて同じ状況に陥る人の方が遥かに多いが.
しかし最悪なのはやはり,渋谷の道玄坂で起きたように「下り坂でぶっ飛ばして人をひき殺す事故」だ.
クルマから見て自転車がどんな存在であるか.それはやはり路上教習を受けなくては分からないだろう.教官同乗の元でそう言う経験をすると言うのは,一度はやっておくべきだ.
そしてまた,「自分が加害者になる怖さ」.
この増田主も,クルマは運転できないと言いつつ自転車くらいは乗るであろう.しかしそれに付随するリスク,そして自転車にも適用される道路交通法と言う者を理解できただけでも,教習所の月謝を補ってあまりある利益だったのではないかと思う.
いやさ、南京事件は政治的には東京裁判で決着ついてるし、中国政府もそれに加えて
謝罪と賠償を求めたことは一度もないよ。
こういうツッコミどころ満載の、その辺のサヨクブログを読んで知った気になっている
痛い増田が増えてきたね。劣化が激し過ぎ。
いやさ、南京事件は政治的には東京裁判で決着ついてるし、中国政府もそれに加えて
謝罪と賠償を求めたことは一度もないよ。
えーと、東京裁判ですら、30万の人間を虐殺したなどして判決を下してませんが。
そもそも、その東京裁判そのものに対して、正式で公正な裁判と認めない人達も
私のようにいるわけですし。
Q:日本政府が認めているだろ?
A:そうですね、認めてますね。だから、そのような日本政府の見解そのものに反対してるんです。
A:なんですか、この国には政府への反対意見を言う事も、言論の自由すら無いんですか?
それは一体どこの収容所群島ですか?
http://anond.hatelabo.jp/20080104195742
いやさ、南京事件は政治的には東京裁判で決着ついてるし、中国政府もそれに加えて
謝罪と賠償を求めたことは一度もないよ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html
Q.8 「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
1. 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2. しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
3. 日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。