はてなキーワード: 教会とは
キリスト教史やキリスト教神学の主要な文献とかヨーロッパが主体となっていると思うけども。
そもそも歴史的にイエスがヨーロッパに来ていないことと、キリスト教がヨーロッパで広まっていることとは関係ないでしょう。
キリスト教神学が深まったのは宗教改革によるものでしょうし(そういえば今年はカルバン生誕500年ですね)、主要な信仰告白はヨーロッパの教会での会議の結果であるわけで、ヨーロッパが本場といってかまわないと思いますが。
http://anond.hatelabo.jp/20090910014230
僕も、中・高校生のころ、キリスト教を信じてしかるべきか?と悩んだときがある
キリストは、踏み絵を踏んだ人の痛みに涙するだろう、ということを言っていた。人の弱さに寄り添う存在だと思う。それが、「心貧しき人は幸いである」ということだと思う。
カトリックの話が続くので恐縮だが(なんとなく、あなたはプロテスタント、のような気がする)、僕の行っている教会の、ヨーロッパ人の神父さんと、日本人たる僕の信じているものが、違うものじゃないかと感じた時もある。だけど、教会にはヨーロッパ人だけでなく、フィリピン人も沢山来たり、ベトナム人も沢山来ている。キリスト教はやっぱりヨーロッパが本場だけど、だけどフィリピン人のキリスト教も、ベトナム人のキリスト教も、もちろん、日本人のキリスト教も、それぞれ、別なんじゃないかな。それはそれで良いんじゃないかなあ、と思います。それは、遠藤周作の「深い河」を読んで感じました。
いろいろなキリスト教の姿がある、と分かると、まあ、カトリックでもいいんじゃないのかなあ、という余裕が生まれました。最近では、プロテスタントとカトリック間の対話(エキュメニズム)をやっている人達もいるので、そのあたりも調べてみるとおもしろいのかもしれません。
僕は幼児洗礼なので、いわば親から信仰を押しつけられた面があります。
だから、神の存在を「肯定」するか「否定」するかの二つしかない。だけど、もし、信者でなければ、特に日本にいれば、「神」を意識することすら無かったんじゃないかと思います。
靖国に代わる国立追悼施設建設へ 民主政権発足後に有識者懇を設置
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090813/elc0908132359017-n1.htm
なぜ「追悼施設」というものが必要なのか?
と感じる私は別に「靖国神社があるからそこに参拝するべき」だなんてことをいいたいわけではない。どうして追悼するために新しい「追悼施設」というものが必要なのか、ということに疑問を感じるのだ。
そもそも「追悼施設」とはなんのための施設なのか。
「国家として死者の霊を祭祀する」ための施設だとすれば、そのような「国家的祭祀」が現代において必要だとは思われない。「死者の祭祀」ではなくて「追悼のための儀式祭典」を行なうためならば、千鳥が淵だっていいし、あるいは武道館みたいな別の広い施設でもいい。既存の施設を儀式祭典ごとに使えばいい話で、専用の施設を作る必要性はあまりない。
靖国神社のように個人が集って参拝するような施設を作るのならば、そのような施設を国家が用意する意味が分らない。個人としての「追悼」をするのならば、神社でも教会でも心の中ででも、個々人の好きなところで好きな形で追悼すればいいわけだから。
そうだとすれば、どうして特別な「追悼施設」というものが必要なのだろう。
新しい追悼施設の話がいつも出てくるけれども、私にはどうしてそれが必要なのかよく分らない。
靖国神社だっていまでは国営でもない一宗教法人にすぎない。どうして国家がいまさら国立の特別の追悼施設を作る必要があるのだろう?
もう既に情報出回ってるだろうから、既知の方も多いと思いますが、せっかくなので増田でまとめてみようかと思います。一応ネタバレは最小限に留めて書いてあります。
アイテムコンプだとかクエストコンプ、称号コンプあたりは難しそう、でもモンスターを全種類倒す程度なら簡単そう!と思ってコンプを目指すと……、ソロプレーではほぼ確実に氷・水あたりの宝の地図の深層にしか出てこないモンスターで詰まる。
「大いなる」だとか「残された」だとかをDSと宝の地図表を見比べながら探して、ようやく入り口を見つけた中身がだいたい「洞窟」か「遺跡」。これはちゃんと偏る仕様になっていて、氷か水の出る確率はそれぞれ10%程度らしい。
水か氷のマップを見つけても、1階にいる雑魚モンスターのレベルが低いと深いところまで進んでも目当てのモンスターは出てこない。
1階から強力なモンスターが出てきても、途中で終わってしまうマップが多く、小躍りしてドキドキしながら進んでも、階段を下りた瞬間に音楽が消えてボス階、ということも。
名前だけで深層モンスターが出る可能性があると判別できる地図もあまり出てこないし、地図を1つ手に入れるのにも地図のボスを倒さないといけないし。頑張っても1周10分くらいかかる。
しかも、配信ボスとか出てこないと100%にならないしね。チートで出された地図もらってクリアすれば別だけど。
討伐コンプは、すれ違い通信で地図をもらえばリストを埋めることはできる。
ソロプレーでは困難だけど、結構モンスターリスト用の地図配ってる人もいるし、難易度はまだ低いほう。
8でも集めたし、9はレシピから錬金できて楽だからこっちもやってみよう、とか安易に思うなかれ。
それはあのポットによるハニートラップだから。
錬金の元となる武器・防具を集める作業が鬼。
武器は、まだ易しいほう、といっても宝の地図の深層でしか出ない特定の宝箱から低確率で出現する元武器を、剣からハンマーだとかまで全部そろえないといけないんだけどね。
それでも、中断技や神地図の解析でコンプリートはしやすくなってきている。
問題は防具のほう。
黒龍丸やイデアラゴンなど、宝の地図のボスモンスターがそれぞれわずか2%の確率で落とすレア防具を、ひたすら狙い続ける。その数10個。
だから、意外とスライムジェネラルが出て、しかも浅い階で早くボス階層までたどり着ける地図とかが、今人気があったりする。
深い階層まで行って、ボスを倒して、地図をセットし直して再挑戦、そのループをひたすら繰り返してレアドロップを待つ。マジマゾ。
魔法戦士の超必殺を利用して1回の戦闘でレアドロップを狙う手法も確立されているけれど、必殺の扇(レア武器)を4つ用意して魔法戦士の転生証を手に入れて、など開始するまでに手間がかかる。まあ、錬金コンプしようというのに比べれば、魔法戦士の転生にかかる手間なんて屁みたいなものなんだけど。この方法も、全員の必殺が出揃うまで待ったり、超必殺出してもレアドロップ確定メッセージが出るまで繰り返さないといけなかったり、忍耐力が必要。ちなみにレアドロップ確定率は10%。
最強武器・防具は、元素材にオーブとしんかのひせきを錬金することにより、作れる。
だから元素材となる武器・防具が集まったら、次はオーブを集める。
シルバー、イエロー、グリーン、パープル、ブルー、レッドの6種類。これは「魔王」と呼ばれている地図から出るボスモンスターが低確率(5%~)でドロップする。
あとは、天使のソーマを2つ・げんませきを2つ・ときのすいしょうを錬金して作成する「しんかのひせき」を集めればOK。
オーケー、なんだけれども、元素材を錬金する時に極悪な仕様が仕込まれている。
例えば、元素材・グリンガムのムチから最強のムチを作ろうとする。
第一段階の強化に、グリーンオーブとしんかのひせきが1つずつ。これで「続グリンガムのムチ」が完成。
第二段階の強化に、グリーンオーブとしんかのひせきが3つずつ。これで「超グリンガムのムチ」が完成……、するとは限らない。
「錬金大成功」とならないと、「超」グリンガムのムチじゃなくて「真」グリンガムのムチに変化する。ちなみに、成功率はデフォルトで10%程度。
「真」ができてしまってもご安心ください、リサイクルストーンと「真」を錬金することで、「続」に戻すことができます。――つまり、「真」から「続」に戻す錬金も通らないとコンプリートにならないわけなんだけれども。
元素材ひとつにつき、最低でもオーブとしんかのひせきが7つずつ必要。
武器は剣、槍、短剣、杖、ムチ、棍、ツメ、扇、オノ、ハンマー、ブーメラン、弓の12種類。
防具は盾、頭、体(上)、トーガ、ローブ、小手、手袋、体(下)、ブーツ、サンダルの10種類。
合計22種類、最低でも22×7で154個のオーブとしんかのひせきが必要。錬金失敗するとそれぞれ3つ分が無駄になるので、実際はもっと多量に必要。
セーブ・ロードすればいいじゃない?それくらいは錬金の直前に強制セーブという対策がとられてますよ。
魔王のレベルが高いとドロップ率も上がるけれど、その分スペックも上がるので強すぎず、弱すぎずのちょうどいいところを狙って連戦し続ける。
そのため、宿屋・教会が近い船着場近くに出現する地図なんかが人気。
まず、錬金素材の「ときのすいしょう」が50000Gと非常に高価。
これを最低154個、金額にすると770万Gが必要。
オーブのために魔王を狩っていれば金なんてすぐたまるんだけど、770万となるとちょっと……。
ほしのカケラ×2、けんじゃのせいすい×2、天使のはね×2を錬金して作る。
つまり、それぞれ308個が必要になる。
「ほしのカケラ」はひかりの石×3、よるのとばり×3、それぞれ924個ずつ。もしくはドロップ、宝の地図の宝箱にも一応含まれる。
「けんじゃのせいすい」は、まほうのせいすい、まりょくの土、花のみつ×3。宝の地図の宝箱からは若干出やすい。
「天使のはね」は、錬金よりも宝箱と宿屋の泉で集めたほうが早い。
せいれいせき、超ばんのうぐすり、あやかしそう×2を錬金して作る。
ここは天使のソーマほど難しくないけれども、やはり数が……。
天使のソーマもげんませきも、両方とも地図の宝箱に含まれているので、中断技使えば採取できるんだけれど、それを外法とし使わずに集めるとなると……、気が遠くなる。
オンゲーが廃人専用とか言われてる中で、ドラクエのナンバリングタイトルにこんな廃人仕様を仕込んでるスクエニ怖いです。
確かに「オンラインゲームと比べたらたいしたことないよ」という意見はよく目にするけど、果たして同じ土俵に上げていいものなのかどうか。
対人の縛りがないってのが救いなのかもしれないね、PSゼロみたくオンライン連携機能があって、かつそれによる恩恵がデカいとかだと……。
いやまあ、コンプを目指さない人にとってはエンディングまで遊んで、ちょろっと「おまけ」を遊ぶくらいの楽しみ方でいいと思うよ?ただね、エンディングまでだと明らかに物足りない作りになっていて、じゃあと泥沼に足を踏み入れたくなるように仕組まれているのが……、非常に危険です。
すでにかなり話題になったCDで、今更の感はあるんだけど、パーテルノストロ指揮のブルックナー交響曲全集。
0番から9番、それに『テ・デウム』が入って11枚組。
それで、このお値段。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3599098
現在の販売価格だとCD1枚が缶コーヒーよりちょっと高くて、ペットボトルのお茶よりちょっと安いくらいか。
もちろん演奏も値段抜きに考えても良くて、これ、ライブで聴いていたら泣くんじゃないだろうか。
ブルックナーを聴いたことが無い人はとりあえず持っておいて損はしないと思う。
ブルオタな人はもう既に買ってるでしょう。
ちなみにこういう建物。
http://www.88250weingarten.de/cam/cam01/image.jpg
http://www.weingarten-online.de/servlet/PB/menu/1117537_l1/index.html
教会で結婚式をして、そこから離れたレストランで披露宴があって、教会からレストランまでのタクシーの準備も配慮も全くなくて、レストランでの披露宴なのに会費制じゃなくて、しかもそこで出た料理が「あ、最低ランクの肉だな」と明らかに分かり半分以上食べることができないほど不味かったときには、「確かにこの人は他人に対する配慮がない人だったな」と深く頷きました。
せめて料理の不味いレストランで披露宴するなら会費制にしてくださいよ。一万円でいいからさ。一万円でもお釣りくるだろ、あそこ。それをご祝儀3万円とるってどんだけ披露宴で儲けようとしてるんだよ。
欧米の人たちは、もめ事になってもなかなか謝らないと言われる。
.
だが、それは、裁判で不利を被らないために、
謝ることはしない、というだけの話であって、
そうでない場合には、ちゃんと彼らは謝る。
つまり、
のである。
というか、神に向かっては、むしろ日本人以上に謝る。びっくりするほどに。
これには、キリスト教文化圏独自の「懺悔」の考え方が、背景にある。
.
俺はこの懺悔の考え方が気にくわない。
キリスト教の教会に行って、いろいろと話を聴いたことがあるのだが、
何かにつけて懺悔するように言われた。
「あのー俺、信者ではないのに懺悔しないといけないんすかー?」
って訊いたら、
「懺悔しないと神罰がくだる」
だってさ。
.
たしかに、悪い事をした時に悔い改めることは大切かもしれないけど、
キリスト教の人たちは、ちょっと懺悔しすぎで、その点では卑屈な感じがする。
また、人に謝るのなら分かるが、神に謝る必要性もまったく理解できない。
.
この懺悔の思想の極端な例が、モルモン教(カトリックなどからは異端とされるキリスト教の一派)である。
詳しくは知らないのだが、モルモンの人たちは、人生全体が懺悔みたいなものであるようだ。
「そんなに懺悔して何が美味しいの?」
とモルモンの人に質問したことがあるが、
「死んだあとで救われ、最高の幸せを味わえる」
というような答えが返ってきた。
そもそも死語の生や生まれ変わりがあるかどうかも分からないというのに、
そんなことのために人生全部を棒に振るとは、見上げた根性である。
http://anond.hatelabo.jp/rynoath/20080930
を、以前に書いた増田です。
あまり知られてないようだけど、エホバの証人は、家を訪問したら、名前や住所などを記録し、信者同士で共有し合ってます。
で、「不在」だったら時間や曜日をずらして訪問したり、雑誌や書籍を受け取ったり少しでも好意的な記録を見せれば、やはり、それは記録され信者内で共有されます。
どんな資料なのか、籍だけ信者として置いている方のブログにあるのを今日偶然見つけたので紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/laodicea/e/e3bca597c12d93e025c939e4fcafee91
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/7e/cb16a2a3396532c6fffe6a02d25cd315.png
http://www.tanteifile.com/diary/2008/11/18_02/
信者に犯罪者気質な人がいるとして、その人が利用する可能性はありますね。
また、このドキュメントがこうして流失していることからも明白ですが、管理はズサンです。
ちなみにこの訪問リストは実際にはもっと細かい資料が別にあり、地図を独自の区分け方法で分類して、訪問スケジュールを組んでいます。
同じ地域ばかり訪問するのではなく、ローテーションでぐるぐるまんべんなく訪問するためです。
ちなみにこの活動は国とか県レベルではなく、その町にある教会(エホバの証人では会衆と呼ぶ)内レベルで管理されていて、横の繋がりはありません。
教会ごとに訪問してもいい地域エリアが厳密に決められていて、他地域の状況を把握したり共有する必要が無いからです。
なので、教会ごとでこの訪問記録リストの管理方法は様々で、老人の多い教会なら紙ベースで頑張っていたりもします。
恥ずかしながら、プログラム知識のあるおいらはその昔、在籍する会衆でExcelVBAで管理システムの開発を手伝ったという汚点があります。
今もそのシステムは動いて活躍しているでしょう。(噂によると他の人がバージョンアップさせたりしているようですが)
一つだけ、覚えておけば良いのは、あなたの家にエホバの証人がきた時、エホバの証人はあなたの家の状況を見て観察し、後で記録しているということです。
例えば自宅に三輪車が置いてあれば「子供のいる家」とマークされますし、植木や盆栽に凝っているようなら「植物が趣味」と書かれるかも知れません。
あなたが主婦で旦那が居るシーンで、エホバの証人が訪問してきて、旦那が冷たく対応した場合は「夫婦。夫は否定的。奥さんだけがいる時間に訪問すると良い」と記録されているのです。
ちなみに私自身は、昔の匿名ダイアリーで彼女と入籍するよーと書いた(http://anond.hatelabo.jp/20080723032424)通り入籍はしましたが、エホバの証人の籍を外してません。
エホバの証人は、正式な離脱届けを出すと「断絶した」という判断を下され、口を聞くのを一切禁止という規律があり、取引先に信者がいて支障をきたすから、止むを得ず、です。
ただし、信者たちには一切居場所を知らせず新居に引っ越したのですが、なんと1ヶ月ぐらいに「兄弟こんにちは」(信者同士では男性を兄弟、女性を姉妹と呼ぶ)と、信者が
カムバックしないかというありがたくないお誘いのためにやってきたのです。
誰にも言ってない、そもそも信者だけでなく、リアル友達ですらまだ知らない人も多いのに・・・・?
と、ちょっとゾッとしました。その夜は今さながら(親からの強制で嫌々ながらも)関わっていたこの宗教が恐ろしくなり寝れませんでした。
何はともあれ、面白半分でも関わらない方がいいよ、ほんと。
組織的に個人情報をかき集めて情報共有しているけど、信者が絶対にそれを悪用しない、という保証なんてどこにもないのに、
真の宗教組織にそのようなことは起きないという前提で(起きた場合も闇に葬られて。実際事件は起きたという不確かな噂は耳にしたことがある)活動しているんだから。
とにかく、玄関は絶対に開けない方がいい。
インターフォンで済ませるのが最善だ。
表札も支障ないなら外した方がいいよ。
地図上の名前と表札が違っていたらわざわざ、表札の名前で地図を修正するという、変なところで頑張る人たちなので。
まぁ、これはエホバの証人に限らず、訪問系全てに言えるんだろうけどね。
また気が向いたらちょくちょくエホバの証人ネタを書こうと思います。
ここに書いているのは本当に事実だよ。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
我々規制反対派が使うマルティン・ニーメラーの詞だ。
このように、一度規制への動きを許すとどんどん新たな規制を許すというのが我々の考えだ。
ただ、このロジックは反対派の結束を高めるには有効だが、
反対の声を広めるにはあまり有効ではないと思う。
「Aが起こればBが起こり、Bが起こればCが起こる…」というのは代表的なドミノ理論だからだ。
ドミノ理論という物は、どれだけの確率で起こりうるのかに言及しない限り、詭弁とみなされかねないものだ。
「ベトナム全土が共産化すれば、東南アジア全土が共産化する」というのが詭弁だったのかは
解釈が分かれるところだが、「風が吹けば桶屋が儲かる」は明らかに詭弁だ。
規制反対の声を上げるときにはロジックに気を付ける必要がある。
この理論は反対派の結束を高めるには有効だが、反対の声を広めるには有効ではない。
物事の相似形を探すのは面白い.
身近な具体的な出来事と絡めて,トレースができるほど
それの文章は汎用的だと言えるのではないだろうか.
屍鬼という小説の作中,静信というお坊さんが書く小説が面白い.キリスト教の7つの大罪の一つ.憤怒を象徴する,カインとアベルのお話がベースになっているのだが,彼自身,自分の身の回りの村や寺,そしてその中にいる住職としての自分や父,村人との関係性となぞらえて,小説を書き出している.
彼には何故,と考え続けていることがある.
私にもなぜ,と考え続けていることがある.
そこに私もトレースしてしまうのだろう.
このところ,このテーマとなってる話ばかり見ている気がする.
・ザ クイズショウ:番組司会者とそのプロデューサーの関係が物語のキーとなっているのだが,そこにあるのが「憤怒」だった.これを見て私は,怒りすぎるのも考え物だと思った.
・ストレイトストーリー:主人公は,危篤の兄の知らせを受け,トラクターに乗って兄に会いに行くのだが,道中立ち寄った教会で,カインとアベルの話に自分と兄の関係をなぞらえていた.きっと,カインがアベルに抱いた怒りに近いものを持ってしまった(怒りすぎるのも考え物だ)という罪として主人公にひっかかりがあったのではないかと思う.最後は兄と和解したようだった.
そう,それでカインとアベルの関係について調べていくと,ヤフーの知恵袋で屍鬼についても触れられていたため,あの分厚いハードカバー2段組み 2冊を読むことにした.もともと屍鬼自体はジャンプで連載されている漫画を友人から借りて4巻まで読んだことがあったため,ひぐらしやバトロワなどの村での惨劇物語として認識していた.ブログでの評価を読むと,カインとアベルについての新解釈だと書いてあるものもあった.
さて,静信の書く小説と静信自身については本を読んでもらうとして,私自身に起きたごく個人的なことについて話を進める.
ありきたりな人間関係についての話だ.
自分に好意をもった男性がいて,それに絡まれた私はどうしようもなく絶望的な気持ちになり追い返してしまった.その後それを仕組んだ友人からなぜ断ったのか責めるような目で見られ,とても悲しい気持ちになった.もう5年も前の話だ.
なぜ,私は絶望的な気持ちになったのか.
なぜ,悲しい気持ちになったのか.
この出来事の直後,私は精神体力ともに虚脱してしまい,このような状況整理も問題把握もできずに,ぐるぐると悩んでは泣き悩んでは泣き悩みすぎたことにまた悩んでいた.
あとから考えると抽象的で荒唐無稽な話ほど,自分の周りの具体的な事象に重ね合わせてしまいやすのかもしれない.
結局私は彼をねたんでたんだと思う.
仕組んだ友達は私に対して親切というわけではなかったけれど,
彼に対しては親切にしていた.
それを私はねたんでたんだと思う.
今思い出すと,彼に対してしたことは後悔している.
つきあう付き合わないは別にして,私の話も聞いてもらえばよかった.
話した後はそれでお開きになっても,その後会えば何かしら話すこともあったかもしれない.
ねたんでしまってごめんなさい.
それにしても自分を好きだと言ってくれる人を妬んで嫌がらせするなんてどうかしてる。
悪化させないようにしなきゃ…。
子供のころからなんやかやで周りにキリスト系の人やら集団があって、
一緒におやつ作ったり、バザーでお店役させてもらったり、
お金を取るわけでもないのに、見も知らぬ子供の面倒を見てくれる、
なんかいい人ばっかり、というイメージがあった。
高校になって、家で自分だけがプロテスタントという知り合いができた。
生まれて初めて聖書を読めと勧められた。
しかも、あげると。
子供のころ周りがそんなんだったから、図書館で関連の物語やら、聖書やらをを読んだ事はあって、
折角の機会だからと借りた聖書を再読。
気になっていた部分を聞いてみた。
聖書って、真面目に読めば読むほど、比喩的な表現ばっかりだから、
途端に知人の顔が曇った。
「なんで信者でもないあなたに、聖書の説明しなきゃいけないの?
あなたにはなんの関係もない事なんだから、興味なんて示さないで」
じゃ、なんで本くれたのよ?
と思ってたら、何故か住所を聞かれ、
近くの教会を「私の紹介だって言えば、お説教が聴けるから」と紹介された。
(そこは定期的に礼拝やっていて、何時でも誰でも来て、って教会)
それ以来、キリスト教が途端に胡散臭くなった。
私が寮生活をしている頃、スウェーデン人の友人がある雑誌の記事を持ってきて私に噛み付いてきたの。そこには、六本木で売春するスウェーデン人女性のインタビュ―が載っていてね、“1ヶ月で1年分の稼ぎが入るからやめないけれど、こんなに自分が安っぽく扱われた事はない。”ってその女性が証言しているのに激怒してるんだ、その私の友人は。『どうして日本人は売春を容認するの!?そのスウェーデン人を安っぽく扱うことに日本人として恥って観念を覚えないの!?』ってね。
“売春は法律で禁止されてるよ、日本でも。たとえばそれがフィリピン人の売春婦だったら、ブロ―カ―に騙されたってケ―スが考えられるから同情するけどさ、そのスウェーデン人は稼ぎがいいから 安っぽく扱われるのを承知で自ら売春してるわけじゃん。なんで日本人として恥を覚えなきゃならんのよ?”
周りにいた他のスウェーデン人も中に入ってきて一斉に私を非難しはじめたじょ。
『日本人は人種差別主義だ、スウェーデン人を安っぽく扱って平気でいる!』
わたしゃ慣れっこだったから、みんなのように取り乱すことなく、冷静でかつイヤミたっぷりに反撃したよ。
“じゃあさ、みんなに聞くけど、みんなロンドンやパリで売春するスウェーデン人について、どう思う?ストックホルムの売春婦はどう?みんな売春婦に対して軽蔑するか、さもなければ無関心でしょ?ところが、体を売る相手が日本人やアラブ人の男だったら なぜ急に態度が一変してスウェ― デン人売春婦に同情するの?”
一同、気まずい顔をして黙り込む。“普段内緒にしていた あなたたちスウェーデン人の潜在意識がここで顔を出していると私は感じるよ。つまり、あなたたちはスウェーデン人で白人、黄色ヤロ―(=gulingar)やアラブヤロ―(=blattar)よりも優位な人種だと信じている。それなのに、下等な人種に仕えるスウェーデン人の存在が許せない、黄色ヤロ―のクセに高慢だって思っているんでしょ?私はあなたたちこそ、立派な人種差別主義者だと言いきれるわね。どう考えているのか、私に説明しなくてもいいのよ、ただ、あなたたちの心に尋ねてみて、あなたたちは私達黄色ヤロ―を低く見ているから、そこまでヒステリックに反応するんでしょ?”
し~~~ん!(笑)
気まずい沈黙の後、言い出しっぺのスウェーデン人の友人が口を開いた。
『ごめんなさい。私は当然のようにスウェーデン人は有色人種よりも優性だと思っていた。そんな絶対条件があったからこそ、優性な私達を買う 下等な劣等人種が憎かった、プライドが許されなかった。普段、教会で人類平等とか、人種差別反対とか言っておきながら恥かしいわ。』
今思えば、何もこの善良な友人をここまで問い詰めることはなかったよな。私もかなり苛々していたんだろうね、普段はめちゃトロいのにさ。彼女、涙目になっていた。彼女は偉いよ、とても素直で自分で一番認めたくない部分をちゃんと認めたからね。きっと自分が知らないうちに差別していたという事実がショックだったんだろうな。でも、そこでショックを受けるスウェーデン人には救いがあるよ。それを恥としているんだからね。ほとんどの国の人は、自分がどこの誰よりも優れている、他は下等だって思っていることに恥なんか感じないもんね。
神対個人ってのはプロテスタントでは?カトリックは間に教会入れる。イスラムは聖職者なしというのが基本のはず。だから法学者が出てくる。
あの国は、どんな凶悪犯罪やらかしても日曜に教会で懺悔すればノーカウント!みたいな国だけどな。
あと、ファベーラのヤバさはちょっと洒落にならんな。物盗んだり人殺したりしても「警官さえ追っ払えば別に問題なくね?」というのばっかりだし。
宗教を信じられるのって、人を愛せることは根本は同じだと思う。私はいつも人の言葉の裏に悪意を勝手に読みとったりと、人を信じることができず、また「誰かを愛する」経験を持ち合せていなかった。親すら見くびっていたので。誰かのために何かをしてあげたいって思ったこともなく、このまま人格的欠落を抱えたまま死にたいとばっか思ってた時間の倍以上をすごすことになることを想像すると怖くなって泣きだしてしまった。
で、なんでもいいから信じる体験をしてみようと思って近所のミサに参加した。途中参加なので流れもわからず、みんなが何歌ってるのかもさっぱりわからない。とりあえず、まわりの気が散らないように浮かない努力だけはした。
中途半端な理解ではキリスト教は死んだ人間の蘇生を信じている。なわけねーよwと思うところだが、教会にいる時間だけはそうなんだ!人間て何があるかわからないんだね!と思い込むことにした。20年来のひねくれが、一瞬だけど素直な性格に更生できたような、そんな心が軽くなる体験だった。それにこの場にいる人は同じもん信じてて、偽善だろうが私が死んだ時も心を痛めるくらいはしてくれるんだと思った。そしたらちょっと孤独感も埋まった。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
俺は、昔ブラジルの日系人コミュニティーで生活してたんだけど、在日と同じだな。
日系人は移民から100年以上たったけど、今も全国各地に日系人会を作って日本の伝統文化を受け継いでいる。子どもが生まれると日本の名前を付けるが、名前の知識が古いもんだから懐かしい名前が多いのも在日と似ているかも。
移民当時の日本の伝統が今も残っているので、俺なんかよりもよっぽど日本人らしかった。目上の人が通ると若い衆は頭をさげるし、俺が何か重い物運んでると「運びますよ!」と助けてくれる。隣近所の助け合い精神も旺盛で、夏になると食べきれないぐらいのマンゴーとかいただいた。
いい面もあれば悪い面もあって、終戦後、日本の敗戦を信じない人たち(=勝ち組)と日本の敗戦を受け入れた人たち(=負け組)に別れて血で血を洗う抗争が行われたこともあり、ブラジルでも大きな問題になった。
おもしろいのは日系人たちは日系人以外の地元民のことを、今でも「ブラジル人」って言ってるんだよね。で、頑固な親御さんは娘が「ブラジル人」と結婚しようとすると反対することもある。さすがにこのご時世だから声高に叫ぶことはないけど、やっぱり「日本人(=日系人)」と結婚してほしいと願っている人も少なくない。
一方で、多くの若い日系人が「今時日本語?ここはブラジルだよ、プッ」と思っているのも事実。そういった人たちは意識して日系人社会から離れ、決して日本語を話すことはない。でも彼らの根底には自分は日系人であるという意識が横たわっているあたり、増田に似ているなと感じた。
通名があるのも同じだな。幸いブラジルにはミドルネームがあるから日本名とブラジル名を持っていることが多い。人によって日本名を名乗ってたり、ブラジル名を名乗ってたりいろいろ。
概して日系人は教育熱心。移民時代からそうで「欧州移民は最初に教会を作る。日系移民は最初に学校を作る」って言われていたぐらい。大学進学率も高く、ブラジル版東大のサンパウロ大学には人種比率以上の日系人がいて、「サンパウロ大学に入りたいなら勉強するよりも日系人を殺したほうがいい」ってブラックジョークもあった。
それからみんなブラジル国籍は持っている。属地主義だからブラジルで生まれれば自動的にブラジル国籍取得。2重国籍として日本国籍を維持するには日本国籍を持つ親が、領事館まで出向いて手続きをしないといけない。遠路はるばる領事館に来ても、あの書類がない、この書類がない、と突き返されることもしばしば。領事館もあちこちにはないので、東京大阪ぐらいの距離だったら近い方だった。
差別意識について質問があったので書いてみた
世界的な金融危機の荒波をかぶって、ポーランド経済がふたたび窒息死直前にある。
ブームだった不動産投資が裏目にでて、市場が頓挫したのは、各国共通だが、ポーランドの相違点は、なぜか多くが、スイス・フラン建てで住宅ローンを組んでいるために、為替相場の変動で、二重の苦しみなのである。
もともと異様な投資境遇にあった。
ソ連崩壊後、いち早く投資が集中したのはポーランドで、米国にはブレジンスキーなどポーランド系の移民が多く、またカソリック教会のネットワークもあった。
筆者が最初にポーランドへ行ったのは90年だった。ワルシャワ駅前の(昔の)一流ホテルに宿泊、ジャガイモのサラダがいっぱいのったステーキが「一万ズローチ」と言われ、目を白黒させた。
すごいインフレだった。
ポーランド通貨は「ズローチ」。当時、一ドルが一万ズローチだった。ハイヤー(ベンツ)を雇ってグダンスク(グダニスク)を日帰り往復。高速道路をぶっ飛ばした。朝九時にでて、ワルシャワへ戻ったのは午後九時ごろ。途中、高速道路にドライブインが一軒しかなかった。
ハイヤーが往復わずか百ドルだった。グダニスクが「連帯」発祥の地、議長のワレサは、そのご、ポーランド大統領になった。
それから二年ほどして、再訪したら、はやくも証券会社が乱立し、株式市場が盛況を極めていた。
このときはワルシャワのホテルに一週間ほどいて、ヤルゼルスキー元大統領に会見したり、南のクラコウにも足を伸ばした。
ポーランド政府の招待で共同通信、日経、産経の記者と同じ政府系のボロ・ホテルが宿舎だった(招待と言ってもポーランド政府が出してくれたのは、このホテル代だけ)。近くの豪華ホテルには朝日、読売の記者もいた。
外国との合弁アパレル工場を見学し、社長とあったり、忙しかった。その時のルポは『財界』に連載し、なにかの単行本に収録した。
王宮跡の広場にあった有名なレストランへ行くと、素晴らしい鹿肉料理、音楽隊の伴奏もあった(余談だが、そのとき一週間隣室だったのが当時の産経ボン特派員の前田徹氏。その後かれはワシントン支局長から上海へ飛んで、先日まで上海からの特電を産経に書いていましたっけ。上海時代には二回あった)。
閑話休題。ワルシャワにはショパンの記念館もあり、昔の栄華の面影が甦った感覚があった。
駅前にはマリオット・ホテルの偉容が輝き、発展は約束されていた。駅裏にはホリディ・イン・ホテルもできていて、なんと日本経済新聞がデュッセルドルフから空輸されて読めた。
実際にポーランドは急激に発展したのだ。
西側から奢侈品が入り、ドイツや日本のクルマが疾駆し、レストランは満員。人々はスイスフランに投機を始める。
▲ドイツマルクにもユーロにも見放され? スイス通貨に依存した
ポーランドはドイツを憎み、ロシアを憎むが、それゆえにスイスが投資の的になるのか、或いはポーランド人というのは、もともとがギャンブル好きなのか。
スキームはこうだ。住宅ローンをスイスフランで借りると、金利が低い。
それを進めるファインス会社がたくさん出来た。またポーランドの輸出が好調だったので、通貨ズローチが切り上げになったことも大きな理由だった。
住宅ローンの60-70%がポーランドではスイスフラン建てである(ワシントンポスト、3月15日付け)。
欧米の銀行が機能しなくなって、突然ポーランド通貨ズローチが崩落、対スイスフランで半値、いや半値以下となる。
ズローチ建てに換算すると「天文学的な借金」が目の前に現出した。
つまり、日本で喩えると3000万円のマンションが、6000万円にいきなり化けたことになる。値上がりではない。債務が膨張するのだ。同様にフラン建てで不動産を借りている企業もオフィスレンタル急騰に悲鳴を挙げる。
同時期、ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアなどの通貨も暴落を始めた。
他方、EU加盟を認められて以来、ポーランドからおよそ百万人がイギリスなどへ出稼ぎにでた。
レスゼク・ザルニッキという不動産王がいた。銀行も経営していた。いや、両方とも倒産の危機には至っていないが、このレスゼクが、スイスフラン建て不動産ビジネスとファイナンスをポーランド全土に広めてビリオネアになった張本人である。
「スイスフラン建てビジネスは失敗だった。しかしもっと悪いのは格付け機関と外国銀行だ。外国銀行は投資家に向かって東欧から資金を引き揚げろとアドバイスしているし、格付け機関はどんどんと投資不的確マークを東欧企業に打っているではないか」。
自分のブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。
その日のことは今も鮮明に覚えている。
その日は朝から「ちょっとおかしなこと」が立て続けに起こった。まず、3月上旬とはとても思えない暖かさだった。湿気があったので、生ぬるかったと言うほうが正確かもしれない。その生ぬるい気候を伝えようと、サンデージャポンが「靖国神社で桜が開花したこと」をトップでとりあげた。サンデージャポンのような(良い意味で)ふざけた番組が真面目なノリで桜の開花を伝えるなんて、それもなかなか奇妙に思えた。
それから、ジョギングおじさんがジョギングをしなかった。毎週日曜日の11時に僕のマンションの前をジョギングするおじさんがいて、そのおじさんがジョギングを休んだのを僕はそれまで見たことがなかった。僕はそのおじさんを「ジョギングおじさん」と呼んでいた。そのジョギングおじさんを見ると、僕はとてもほのぼのとした気持ちになれた。日曜の朝は、当時の僕にとって1週間で最ものんびりした時間だった。ジョギングおじさんは、その日曜日の朝の象徴だった。
しかし、その日はジョギングおじさんは来なかった。表へ出て、ジョギングおじさんを見ながらタバコに火をつけるのが当時の習慣になっていたんだけれど、その日は待てど暮らせどおじさんがこなかった。これは本当に驚きだった。このことを何人かの友人に話しても、僕の驚きの1%も驚いてもらえなくて、そのうち友人に話すのはやめてしまった。でもとにかく僕は驚いた。おじさん無しで火をつけたタバコを吸いながら、なんか調子が狂うな、と考えていた。
その後も、遅い朝食を食べようといつもの定食屋に行ったのに臨時休業だったり、花粉の季節なのに間違えて洗濯物を外に干してしまったり、なんだかいつまでたっても落ち着かない変な日だった。
そして、その日の夜、僕は彼女と19年ぶりの再会をした。
彼女はいちおう幼なじみで、僕の実家から200メートルくらい離れたところに住んでいた。なぜ「いちおう」かと言うと、それまで僕と彼女はほとんど口を聞いたことがなかったのだ。なにかの具合で僕と彼女の家のあいだに学区の境目があって、違う小学校に通っていた。親同士の仲が良いということも特になかった。そんなわけで、通りでたまたますれ違っても、ろくに挨拶もしなかった。大人になれば、「軽い会釈」という便利なものを覚えるが、当時の僕らはそんな便利なものは知らなくて、何も言わず、視線も交わさずにすれ違った。
そして、気づいたら彼女の家の表札は違う名字になっていて、僕は彼女が引っ越したんだと知った。
今さっき書いたばかりで申し訳ないが、その日、つまりはジョギングおじさんが来なかった日に19年ぶりの再会をしたというのは、ちょっと正確ではない。実は、その日からさかのぼること2週間前、僕は彼女が「サンマルク・カフェ」で働いているのをたまたま目にし、思わず声をかけたのだ。レジでお客さんの対応をしているときには全く気づかなかったのだが、ホールに出て、テーブルを黙々とふく顔を見てすぐに彼女だとわかった。
驚くべきことに彼女も僕を覚えていてくれた。僕が、「すいません」「あのー」「○○さんですよね」「以前、近所に住んでいた・・・」などと喋っているときには不思議そうに首をかしげていたのだが、僕が名刺を取り出そうとして黙った瞬間、「あ!」と素っ頓狂な声を上げて、名刺を出すまでもなく僕の名前を呼んでくれた。そしてお互いが笑顔で通り一遍の挨拶をし、改めて僕は会社のメールアドレスが書かれた名刺を渡した。
正確にはそれが19年ぶりの再会だったというわけだ。まあ、特に意味もないことを数分間話しただけだけど。
サンマルク・カフェの帰り道、当時と違って通り一遍の挨拶ができるようになったということと、当時から1ミリも変わっていない彼女の姿形を交互に考えたり思い浮かべたりして、「なんだかなあ」という気持ちになった。そう。彼女は1ミリも変わっていなかったのだ。信じてもらえないと思うが、僕にはそう感じられたのだ。
3日後に彼女からメールがきた。とても礼儀正しい、感じの良いメールだった。何度かメールをやりとりしたあと自由が丘でイタリア料理を食べる約束をした。
僕は10分早く自由が丘駅に着いて、交番の前にある喫煙所でタバコを吸いながら彼女を待った。もう6時過ぎで、徐々に薄暗くなってきていた。まわりの人たちは過ぎ行く日曜日を慈しむようにとても穏やかに会話していた。でも、彼らはよその星の住人のように、どこかよそよそしく見えた。小学校のときに通っていた教会で牧師さんに見せてもらった天国の絵(それはそれは平和な絵だった)と、メトロポリタン美術館で見たダリの絵を足して2で割ったような不思議な光景だった。
彼女は5分後にやってきた。着いたらメールか電話をしてくるだろうなと思って携帯を握りしめていたが、彼女はスタスタと歩いて僕のところまでやってきて、「お待たせしました」と軽く会釈をした。僕も「いえいえ」と言って、会釈を返した。
お店に直行するには少し早い時間だったので、僕と彼女は少し遠回りをして店に向かった。最初少しぎこちなかった会話も、ABCマートを右に曲がるころにはそのぎこちない感じはどこかに行ってしまっていた。予約していたお店に入り、通された席に座ることにはむしろとてもくつろいでいた。彼女とはとても話しが合ったのだ。僕と彼女は性格も、それまでの人生も全然共通点が無かったが、彼女の話すことはとても面白くかんじたし、僕の話すことも彼女はとても面白がってくれた。
でも、朝からの奇妙な感覚は依然として続いていた。そして、彼女との会話がはずめばはずむほど、奇妙な感覚はより強くなった。なぜだ?僕は彼女と話しながら一瞬考えてみた。でも、よくわからなかったし、彼女と話すことはとても楽しいことだったので、難しいことを考えるのはやめた。
(2)に続く
【作者より】
すいません、力尽きました。続きを書いたら、この記事にリンクを貼ります。。。このくらいだと長さもちょうどよいかなと。。。(言い訳)
分割して投稿するの、良くないですかね?あんまり長いのを投稿するより、分割したほうがいいかなと。
まずいときは叱ってください。もうしません。