「才能」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 才能とは

2009-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20090725034954

そんなに有用な経験をしてる人ばかりでもない。世の中には才能のない人がたくさんいて彼らも生活していかなきゃならない。仕事内容だって経験が必要なものばかりではなく単純労働もある。才能のない人が単純労働をすることで才能のある人が得意分野により集中でき社会全体の効率が高まる。

http://anond.hatelabo.jp/20090725012525

やっぱり馬鹿なんだねえ。しかもこんなに回りくどく自らの馬鹿を晒すさまは実に芸術的で、

論理才能は無いようだが、何か君には独自の才能を感じざるを得ないよ。

とにかくツッコミ所が多すぎて全部指摘するのは面倒なので、致命的な一点だけ指摘する。

君は、「主張の確からしさを高めるのに十分」と「主張が確からしいと認められるもの」b'を勝手に同一視しているね?

それだけで、今回の君の言っていることが全部間違いってことになるんだけど。

あとね、「認められるもの」って表現止めたほうがいいよ。

どこまで厳密に証明すれば認められるかは、君の都合に過ぎないんだから。

自己責任と不平等

「下流」の話題を目にするたび

「しかるべき時に努力しなかった奴ばっか保護されるなんて変なの」とか自己責任を唱える俺は

裕福な家庭で育ち、教育を受ける機会と才能に恵まれた。

努力は土台があったからできただけだ。

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090723173738

例えば、子供が納める税金の何%かを、その親の年金に加算するとか。

その子は「自分の子」か?

自分の子が自分に影響を与えるなら自分もまた子に影響を与えたいだろう。才能は伸ばしたいだろうし、良いこと悪いことを教えたいだろう。

もしくは子を増やしたいだろう。子を買って働かせ税金を納めさせて回収しようとするかもしれない。DNAや成績、性格などから見込みを予想して取引する市場が形成されるかもしれない。精子卵子を集め代理出産し保育養育する養殖業が興るかもしれない。

とか言う前に、そんなに簡単に血縁関係を捨て去るのは無理だろうね。

職業に貴賎無しは現代日本特有

1.

昔の日本士農工商とかだったし、今の海外も、先進国でなくとも文明化しており職業分化が進んでいる国であれば、

職業に貴賎があるのが当たり前。資本主義国家だとブルジョワプロレタリアートの区別があるし、

それ以外にも貴族と庶民の区別は日本以上に明確。貧民街があったりな。

アメリカなんて行ってみたら分かるが、驚くほど職業差別がある。

なにせ、ILOの定めた雇用平等に関する条約に批准していないのは先進国でもアメリカ日本だけ。

日本の場合は、確かに肉体労働者や風俗などに対する職業差別は存在するが、国民意識として職業差別がいけないということは皆の了解事項となっている。

しかし、欧米では平然と職業差別が行われているからな。

2.

こうした、欧米人の持つ差別意識を理解するうえで大切な点は、彼らは生まれつきの才能・素質を認めるという点である。以下、アメリカを例にとる。

素質論と哲学では呼ばれるのだが、日本でも多少は家柄を大切にする風潮はあるものの、さすがに生まれつきアホといった考え方には

大きな抵抗を示す人が大多数である点で、日本では素質論はあまり馴染みがないと言える。

ところが、アメリカでは、宗教的な理由や文化的な理由からか、生まれつきアホという考えはよく行われ、それがいけないことだという意識はあまりない。

また、アメリカ人自分のことを平気でアホと認めるものである。日本人であれば、馬鹿にされることを嫌うものだが、

アメリカ人の場合はアホであっても人間としての尊厳が失われるわけではないと思うような感性を持っている点で大きな違いがある。

だから、遺伝子研究にしても、アメリカでは「デブの遺伝率は何パーセント」「知能の遺伝率は何パーセント」といった研究が非常にさかんであるし、

そういったことに興味を持つ人が多く、そのことについて人道的な問題を感じる人は少数なのである。

日本であれば、人道的な問題があるから、あまり遺伝率についての関心が低いし、研究結果がでてもあまり注目されない。

さらに、アメリカでは日本と圧倒的な差でIQテストに関する関心が高い。

これはアメリカ人数人がいる場所でIQの話題を出してみれば分かることである。彼らはたちまち食いつき、議論が始まる。

知能集団メンサの会員も、アメリカでは5万人いるのに対し、日本のメンサ会員は300人ほどしかいない。

IQを測るテレビ番組テスト・ザ・ネイション」も、元はと言えばアメリカ番組であるし、

IQだけでなく、クイズパズルへの関心も高く、クロスワードパズルが非常にアメリカ人は大好きである。

日本生まれアメリカ育ちの友人が五人ほどいるのだが、そのうち三人はパズル大好きである。

日本パズル大好きな人間というと、10%もいないのではなかろうか。

クイズ番組ミリオネア」もアメリカで生まれた番組である。

このように、アメリカではクイズとかパズルとかIQへの関心が高いのである。

そして、IQとかパズルの出来で人間の格を測ることが公然と平然と行われている。

2009-07-22

ぜひ流行らせたい言葉

ググるのはカスなみなさまに任せるとして」

 

■個人の才能とはいったいなにか - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090706/1246835261

※注意:本文の内容とはあまり関係ありません、おまけフレーズとして出てきただけ

 

ググレカス」という言葉違和感を感じていたんで、この言葉はイイと思った。

ググレカスと言っている奴が、実は一番カスだったという事実

 

こんな感じの、今まで便利に使われた言葉を潰すような言葉は他に何かある?

http://anond.hatelabo.jp/20090720180809

読み終えた。

元増田増田を見ているかわからないが(宣伝だけして、増田を去ったかもしれない)、感想を述べたい。

文章力については問題ないと感じた。

元増田に考えてもらいたいのは、内容面だ。この小説増田に上げられてから私がこれを書いている時点までに掛かった時間がどれだけあったかだ。私が遅読だと言いたいわけではない。私に、これだけ読む時間をかけさせたのは、その内容の、訴求力のなさが原因だ。先を読もうと思わせる努力を、もう少しして欲しい。より具体的に言うならば、アンデルセンを殴った後と同等の訴求力が、それより前に欲しかった。

内容に関してもう一点。

二人の主要な登場人物のほかに、本当の意味での会話を成り立たせられる人物が存在しないこと、少年少女の二人だけの関係物語が進むことから、この作品がきっとセカイ系意識しているだろうことはわかる。

しかし、新しい才能を求めている小説賞に、使い古されたセカイ系を送るのは、どうだろう。

いや、この作品は、セカイ系ですらないのかもしれない。

この物語ラストシーンで描かれているのは、君と僕とセカイとの関係ではなく、それ以前の、君とセカイとの関係だ。僕が欠けた、いわばセカイ系の前段階だ。これでは、賞を設けた側が求めている、新しい想像力とは決して言えない。

辛口かもしれないが、私はプロ編集者です。

だから荒むんだろうな

http://anond.hatelabo.jp/20090722011541

友人たちのほうがずっと頭も良くて才能もあって

なのに、非正社員なわけだ。「世間はオレを正当に評価しない」という結論に達してもしかたないんじゃないかな。世渡りは頭や才能じゃなくて「謙虚さ」が重要だったりする。他人の劣等感を刺激しない人間のほうが引き立てられる。「自分が優位」であることに固執する人は、どんどん世間が狭くなる。

友人関係からフェードアウトしておけば、また、彼らが自らの立場に気がついて、元の気持ち良いやつらに戻ったとき、フェードインしていくことも出来るんで、お薦め

そんな利害関係優先の関係が、友人関係か? ホントに? という問題は脇に置いとこう。

http://anond.hatelabo.jp/20090721123904

そう思ったんなら四の五の言ってないで今からまたやればいい。

そんなことを反省したりここに書いたりしたってなにも変わらないよ。

あとね、俺も君と同じような立場で同じようなことを考えたことがあるからわかるけど、「野望とか目標とか夢とか」があればいいってもんじゃない。それを具現化するためにどうしたらいいか、考えてやらなきゃダメだ。それには運も必要だけど何よりもまず努力だ。

子供のときは努力で差がつく。大人になったら努力では差がつかない。才能で差がつく。そして努力しない奴はひたすら落ちていく。」

はっきり言うけどこれは全く逆。鈍才が大器晩成したり神童がただの人になるっていう話よく聞くだろ?つまりは努力の差によって才能の差が克服された例だよ。気がついたら教科書を読んでるみたいなのが家庭環境みたいなのも含めて「才能」。そこからどれだけの努力を積み重ねるかが問題。

つーか、あんた、はっきり言って心の底から悔しいと思ってないだろ?でなきゃ、「どんだけ努力しても勝てねぇ」なんてセリフ、そう簡単に吐けるはずがない。俺だってね、君と同じような経歴をたどったから最初はそういうことを思ったよ。でも、そういう奴らはよく聞けば俺なんかとは自分次元の違う量の努力をしてるんだよ。例外なくな。自分で「俺は努力してる」とか思って喜んでる間はまだまだ自尊心を満足させて喜んでるだけ。君が中学校のときまでそうだったように、努力していることを当然に感じるまでやらなきゃ「努力」したことにはならない。やってる最中に何も感じないくら没入して、後になってからぶっ飛んだことをしていたと気づくぐらいまでやって、はじめて「どんだけ努力しても」と言える資格があると思うよ。根性論とかじゃない。根性で克服しないとやってられないようじゃまだまだだよ。

あとは、そこまでしてやりたいかどうかだよ。何かやりたいことがあって、自分が「いい加減」であることを克服したいんだったらやってみたらいい。そうでもなくて、単に人と比べて負けたくないだけならそもそも努力する必要自体がないじゃないか。

負け組リアル犯罪者に近づいている

独身、三十代、非正規雇用の友人たちが、最近おかしい。

昔はみんな尊敬する仲間だった。10年前は、レイアスカのどちらが萌える徹夜で激論を交わしていたような盟友だ。しかし三十路を迎えてから、「既婚、正社員」組と「独身非正規雇用」組にはっきりと別れた。そして、後者の言動が明らかにヤバくなった。

俺は、他人を結婚歴や職業差別したいわけではない。自分たまたま物好きな会社に拾われ、物好きな女の子と知り合って結婚できたけれど、全て運が良かっただけであって、特別何がに優れていたわけではない。むしろ、友人たちのほうがずっと頭も良くて才能もあって羨ましく思っていたぐらいだ。

しかし最近、彼らの言動が、どんどんリアル犯罪者に近づいている。

金持ち公務員政治家医者弁護士教育者は全て加害者自分被害者

自分被害者だから、加害者の奴らに対して多少の嫌がらせをしても許されるはずだ、という思想

市役所で悪質クレーマーとしか思えない横暴な態度をとり、警戒されてまともに話を聴いてもらえなくなったところで、「だから公務員は俺たち貧乏人なんて搾取対象としか見てないんだ」憤る。

警察職務質問を振り払い、怪しまれて拘束され、「権力の犬どもめが俺たちを犯罪者扱いしやがって」と憤る。

そういうのはやめたほうがいいよ、とアドバイスしても、「お前は搾取する側だから俺たちの気持ちなんて分からない」と言われてしまう。

正直、いつ彼らが事件を起こして逮捕されてもおかしくないと思う。

勝ち組とか負け組とかカテゴライズするのはくだらないとずっと思っていたが、さすがに「だから負け組の奴らはダメなんだ」と言いたくなってきてしまった。

やはり、正社員非正社員は別の文化で、分かり合うことは出来ないのだろうか。

ずっと友人でいたいと思っていた仲間だけに残念だ。

途上国貧困支援する奴は恥ずかしい

私はしょぼい社長業をしているが、どうもまわりの経営者連中を見ていると、苦笑いしたくなる奴が多い。

寄り合いがある時などに、講演者を呼んだりするのだが、人畜無害な人もまあいるんだけど、基本的には反吐が出る奴ばかりである。

中でも、発展途上国貧困リアルに伝えるおばさんを呼んだ会はとくにやばかった。まじやばい。

メッセージ

アフリカ子供たちの貧困を救え、とか言われたら、そりゃそうだと普通思ってしまう。反論できない。

しかし、そこには裏のメッセージが込められている。

「お前がうだつが上がらないのは、お前が努力しないからだ。彼らに比べればチャンスは平等だ。」という。

このメッセージは気付きにくいだけに強烈だ。あなたも「自分が駄目なのは努力が足りないからなんだ…」とか、思っていないだろうか。

成功に努力は(あまり)いらない

実は実際のところ、成功において本当の自己選択可能な努力成分は微々たるものだ。一般的に『努力』と呼ばれるものは、自分で変革可能なものでは無い場合が99%だ。『努力』できるのも才能のうち、という奴だ。もっといえば、目標みつけられるのも運だし、見つける前に家庭環境から仕込まれるかどうかも運だ。

成功過程には、良い条件で生まれる運と、何かを担保にしたギャンブルがほぼすべてを占めている。(これに拒絶反応を示すなら、搾取対象として十分洗脳されている)

そして、勝ったらそれを可能な限り守る、それだけの話だ。

この事実を認めることは、成功者自身にとっても恐ろしいことだ。だから成功本の出版によって「自分の成功は人より多くの努力や工夫があったからだ…」という既成事実化と自己洗脳を行う。

しかし成功本などによる自己洗脳よりも効率的なのが、この途上国貧困層支援である。これは、世界レベル社会貢献という形の懺悔名誉だけでなく、自分の立場も守れるという、とてもパフォーマンスの良い行為なのだ。

直接的ないわゆる小作農である、国内貧困層に金を蒔いて救ってしまったら、自分の立場がそれだけ危ぶむことを彼らは理解している。

だから、グローバルな視点かつ盲目的に、そうした究極の貧困だけを対象とする。

幸せ

幸せ観は人生ステージによって変化するだろうが、突き詰めると行き着くところは大体同じで、最大公約数を取るとかなりシンプルだ。

今でも最終的に家族に行き着く人は多い。しかし、かつての名士などになると、さらに地域幸せまで考えたものだ。家族企業家族の次に社員人生を考えた選択をしてきた。国会議員官僚地元利益を持ってくるために働いた。(これは職責からすると問題あるけど)

そうした隣人への貢献が、意識グローバル化とともに、対象が寄り大きな貧困へとジャンプしてしまったと考えるとわかりやすいかもしれない。

金持ちはどんな社会貢献をすると恥ずかしくないのか

一番貧困なのはどこかを探して、金を投入するのは全く間違い。こういうのは国レベルで行うべきスケールの話なのだ。そんなに気になるなら、JICA等、政府外郭団体はあるのだから、そこで労働力提供したほうがマシである。

そもそも、貧困の度合いをスケールにするのが間違いである。自分の身近さをスケールに貢献対象を絞っていくのがよい。その方が自分も生きやすくなるし、幸せにもなれる。

考えればもっとやることはあるはずだ。

対象を決めて、ただ金を適当に配るこだけでは問題があるだろう。

弱者層はよく『平等』を口にするが、実際は公正を望んでる人たちの方がダントツに多い。どっかの団体が無学を良いことに勝手に便乗しているだけだ。

本当に自由競争正義だと思うなら、運が無いだけかもしれない人たちの、確率を底上げしてやらないと機能不全を起こすだろう?それを怠るのは欺瞞だよね。

あー

「(グローバル視点で見れば)日本格差ははない」とか、醜いこと言ってんじゃねーよ。ばーか

べつにだれに追い抜かれようとどうでも良いだろうが。隣人さえ幸せならさ。そういうのって返ってくるぜ、自分にさ。広く種蒔いてれば、それだけ広く返ってくる。宗教っぽいな。でも人間ってそんなもんだし。結果的に再起不能も防げるし。悪いことなんかどこにも無いだろう。

まー、マジで家族崩壊してまで途上国支援とかいう狂った奴が多いのかもしれんが……わからんけど……。

ダメな人

思うところがあって、メシを食いながら色々考えた。

一定の割合で本当にダメなやつがいる

ということだ。

振り返ってみてほしい。学生時代、同じクラスに1人ぐらい、本当にどうしようもないやつがいなかっただろうか。勉強ができないとかグレてるとかそういうんじゃない。ましてやはてブでよく話題になる非コミュとかでもない。そんなのはまだまだかわいいほうだ。

  • 話が通じない
  • 人とコミュニケーションをとりながら連携できない
  • 今その時にやらなければいけないことがわかっていない
  • 人の話を理解しておらず、すでに通過したネタで参入してくる
  • 教えてもらったことを数時間~数日で忘れてしまう
  • きつく叱られ、二度としてはいけないと言われたことでも数時間~数日で忘れてしまう
  • それでも自分モテる仕事ができる、やればできるんだと思っているだけ思っている


・・・書いてみたがうまく表現できていない気がする。とにかく物事の理解が一般的なところから大きく逸脱しているやつだ。

そういう人は何か1つ特殊な才能を持っている、というのはあくまで稀有な例だ。ジミー大西とか。大抵のこういうやつは周りの人に迷惑をかけながら迷惑をかけていることに気がついていない。

ケース1:同い年のA君

windowsがMeだった頃、IT系の専門学校で同級生だったA君。高校卒業専門学校入学という、普通パターンで進んできたやつだ。

彼は最初から最後まで成績が振るわなかった。しかもそれをどうにかしようという気がない。

専門学校なんてのは学校から伸びたパイプを使って就職先を決めることが、ただそれだけが強みなのに。

他にも勉強が出来ないやつは多かったが、こいつは本当にどうしようもなかった。

しかも性格が悪い。なぜか人を見下し、人を利用することしか考えていない。

果てに、彼が定めた卒業研究は「SQLホームページを作る」だった。

ケース2:だいぶ年上のBさん

A君と同級生のBさん。同じ学年だが、就職専門学校に入りなおしという一定数いるパターンの人。当時30歳。

30歳で専門学校に入学なんて、かなりのつわものか何も考えていないバカのどちらかだろうが、彼は後者だった。

同じように就職専門学校に入りなおしの人は、年齢に関係なく大抵前者であり、成績もほとんどが上位にあり、資格取得にも積極的だ。当たり前だ。普通社会人経験があれば、専門学校に入りなおしなんてのはよほどの覚悟が無ければできない。

Bさんは何も考えていない人だった。典型的ブサ男のくせに、やたらと同じクラスの女子にアタックを仕掛け、散り、その日のうちに別の同じクラスの女子にアタックするアホだ。もちろん女子側はきっちりとした情報共有ができているわけだが・・・。

成績も底辺。A君がいるからビリではない、という程度。卒業研究で何をやったのかは知らないが、卒業後に入社した会社をほんの数ヶ月でやめたことは風の噂で聞いた。

ケース3:少し年上のCさん

これがこの長ったらしい文章を書くきっかけだ。

この人は物事を結びつけて考えることが出来ない。野球で例えれば、マウンドに立った時にゲームの流れや点数を忘れてしまうキャッチャーみたいな感じ。全体を見渡して判断することができない。できないレベルがハンパじゃない。多分、アスペルガーとかそういうやつだ、と勝手に思っている。

聞いてみたい

少し思い出してみるだけで3人もでてきた。きっと結構な割合で本当にダメなやつがいるのが社会ってもんなんだろう。

一定の割合で存在するとして、こういうダメな人たちと仕事をしなければならない世の中の人たちは、どうやって彼らと仕事をしてるんだろう。本当に心からの疑問だ。スケジュールを任せたら見当違いのものを出してくるし、技術を教えてみても多角的に見ることが出来ないせいでわけわからんことを言うし。

私は自分の周りの人に比べて気が長いようで、やんわりと彼らと付き合ってきたが、そろそろ限界だ。切り捨てたい。彼らが必ずしも悪いわけではないと思ってる。Cさんのように病気っぽい人や家庭環境に難があった人など、自分ではどうしようもない人もいるだろう。理解したつもりだった。ただのつもりだったようだが。

2009-07-21

ぼくのいい加減さについて

自分がいい加減な人間だということを認識したのは、高校生の最初の定期試験だった。

いや、正確に言うと、そのときに認識したわけではなく、大学受験に失敗して自分人生について(たった18年だが)反省をしていたときに、高校生の最初の定期試験に対して「ああ、良い具体例だな」と思ったわけ。

 

単純に考えれば、進学時によくある洗礼なんだよ。

進研ゼミDM漫画にあるような、「高校生勉強中学生とは違う!」という脅しのような、でも、実際の話。

 

それまで、つまり、中学までは、自分勉強らしい勉強はしていなかった。あくまで、「勉強らしい」という部分が大事で、まったく勉強していなかったわけじゃない。教科書は配られた日にはあらかた読んでしまっていたし、暇なときも読んでいた。親は漫画やらゲームやらを買ってくれる人ではなかったから、それしかなかった。

そんなわけだから、授業のノート適当にしかつけていなくても、試験期間前に努力せずとも、基本的に成績は超絶優秀だった。当たり前だろう、四六時中、それこそ暗記するまで教科書を読んでいるような人間だったんだから。

これについては、余談だが、言いたいことがある。

子供のときは努力で差がつく。大人になったら努力では差がつかない。才能で差がつく。そして努力しない奴はひたすら落ちていく。」

一般化するつもりはないけど、ま、そんな気がする。

 

で、話を戻そう。想像するまでもなく自分は相当尊大自意識を持って高校に入学した。もちろんトップクラス進学校だ。

最初の定期テストまで、本当に中学校の延長で「勉強」していた。試験前も最初から試験を切っている奴や試験から逃げているような奴と一緒に部活に精を出していた。

いや、結果をみてビビったよ。人生で90点以下の試験なんて、小学校の時に無理やり受けさせられた日能研の全国実力試験の時以来だったから。無理やりというか、母がママ友から「一緒に受けよう」といわれて断りきれなくて、そのとばっちりを受けたのだけど。しかも、あのときは、何十人か一緒に受けた同級生たちの間で唯一全国ランキング名前が載ったし、教科書にない問題は基本的には解けなくて当たり前と当時は思っていたわけだから自尊心に傷は付かなかった。

また、脱線した。要するに、高校の最初の定期試験の点数をみてビビった話だ。平均点以下だった。自分では正解を書いているつもりが、結構間違っていた。しかも平均点以下。おいこいつら、みんな俺より頭がいいのかと思ったら、冷や汗の出る思いがしたが、あとで、話を聞いて驚いた。過去問があったらしい。

さすがに将来シケプリを作成するような連中は違うなと今なら思うけど、まあ、最初は酷く彼らを嫌悪した。

それでも、90点以下の点数を取ったという事実に変わりはなく、そのことが自尊心を大きく傷つけた。それでも「教科書はトモダチ、恐くない」な自分からすれば、試験前の期間に試験対策をすれば、また再び成績優秀者に戻れたんだけど。とにかく、定期試験なんてそんなものだ。自分ターニングポイントは其処だったのだけど、まあ、当時は気が付かないよな。とにかく、いい加減な人間だ。<先頭集団にいられれば、それでいい>と思っているのだから。何か、野望とか目標とか夢とか、そういった焦がれるものがなかった。ただ、「下は嫌だな」と漠然とした感覚だけがあった。だから、ダメになってから気が付く。それは、攻めて行って失敗した<ダメ>じゃなくて、<なんか、これじゃダメ>の<ダメ>だ。

 

部活仲間に「お前みたいに『何でも常識の範囲だろ?』って顔をしている奴はいつか痛い目に合う」といわれたことがある。多分、本人も親や先輩や、塾の先生かしらないが、言われたことがあるのだろう。

一浪して、必死こいて勉強して、東大に入ったが、そこで再びビビッたのは、どんだけ努力しても勝てねぇっていう連中に何人も出会ったこと。何を血迷ったが、自分はそこで降りてしまった。競争することから。意識して努力することから。もとから、そういったものからは半分足を踏み外している状態だったから簡単だった。あとは、もう、流れるようなものだ。「下でもいいか」と。

 

企業に勤めるようになって、クライアントに食事の席で、

「ああ、大学努力しなくなっちゃったパターンだ。」

といわれたときに耳が痛かった。

<先頭集団にいられれば、それでいい>といういい加減なモティベーションは、先頭集団に入れないとなったときに、いとも簡単に外される梯子だ。高校部活仲間に言われたように、僕は痛い目に合った。僕のいい加減さが招いた結果だ。

2009-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20090720011835

なんだかこのツリー、

増田たちがどういう親によって、どんな境遇にいる(いた)のかが良くわかるな。

結果的に、自力で何とかなるのは地方国立大ぐらいでそれ以上は無理だ、ってことになるのかね。

それ以上を望むのって生活保護レベルをどこにおくのかと同じような議論になるよな。

まあ、医者芸術家は親が金持ちでないとどうにもならない気はするな・・・

よほど才能があるとか、学業優秀であるとか、特例は考えるにしても、一般解ではないもんな。

難しいな。

2009-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20090719170430

他人の褌で相撲を取るな。人気者になりたかったら自分才能で勝負しろ。

他人の人気にぶら下がるような活動はするなと。

私も東方同人誌稚拙ながらも出している身だから言わせてもらうけど、


すごく……台無しです……

http://anond.hatelabo.jp/20090719170430

言いたいことはわかる。

が、

他人の褌で相撲を取るな。人気者になりたかったら自分才能で勝負しろ。

他人の人気にぶら下がるような活動はするなと。

これ、ニコニコ動画含むあらゆる投稿サイト本質じゃね。

さらに逆の視点から見ると、投稿している作者自身、そのサイトの人気にあやかってるんだから同じようなもんだよね。

ぐだぐだ言うなら自前のサイト動画UPしろって話になる。

しかし、ユーザーに金払わせて宣伝させるとはえげつねえやり方だな。

2009-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20090718091309

 これは「補助があれば人々は働かなくてもいいやと考えるようになり、労働意欲がなくなるのではないかと危惧している」という理解でよいでしょうか。

補助の額が賃金を上回った場合、その程度の賃金しか払えない(払わない)企業が存在すること自体が社会悪ではないかということ。


例えば、現在でも農家とか服飾縫製とか、研修名目で来日した外国人にろくな賃金も払わずこき使ってる場合がある。

俺は、従業員にちゃんと賃金を払えないような企業存在価値が無いので潰れてしまえと思うんだが、農業なんかは特に、こうでもしなければやっていけませんなんて泣き言が付いて来るわけだ(零細だから目こぼされてる分もあるんだろうが、本当にクソだと思う)。

俺は大手機械製造業に勤めているが、苦しいなりにそれなりに給料が出てる方だと思う。大手だから違法労働とかの監視が厳しいし。

賃金足りない分は政府が出しますよってやっちゃうと、賃金をろくに払えないようなクソが残って真面目に払おうとする企業ばかりが辛くなるんじゃなかろうか。


賃金をきちんと払ってる企業法人税とか従業員所得税社会保障費負担とか色々優遇します。足りない分は賃金を払わないクソ企業から取りますってやってくれると平等だと思うんだけどね。でも結局中小零細を潰す気かって話になるんだろう。


追記:こう書くと一見マッチョ主義、筋肉経済学のように思えるかもしれないけど、企業の存在意義の一つに、社会正義の実現ってのがあると思うんだ。

世の中にはできない人間がいて、そういう人間に成長しろって叱咤してもやっぱり伸び代はそんなに無い。

でも、企業ならば万人に1人という才能に数千数万の人間を率いてもらうことで、個人の能力の万倍億倍の価値を生み出すことができるわけ。

だからこそ、きちんと稼げない企業は存在しちゃいけないと思うんだけど、どうかな。

2009-07-16

アニメ世代の逆襲

ヱヴァの破を見たんだけど、言いたいことはあるとしても、凄い出来だと思ったのは大体の人と同じだ。色々な議論があったし、その一部は読んだが、一つ思うのは、庵野は「守るものを守る」ために、金を稼ぐために己の全才能をつぎ込んだのであり、「媚び」に見える部分も含めて、観客が見たいもの(=驚きのある面白さ)を見せるために、最大限のサービス精神を発揮したと思う。もっとも、ひねくれ者のオタクの本性としての皮肉な部分はあったとしてもだ。

まー、そんなことはどうでも良いのだが、アニメ世代は、その下のゲーム世代に苦々しい思いを持っているのではないかというのは、私の直感だが、今回の件で、完全に、ゲーム世代は、アニメ世代に逆襲されてしまった。

ゲームというメディアの特徴が、インタラクティブ性、体験性にあるとしたら、映画館で見た破の体験性を超えられるゲームゲーム世代は創れるんだろうか?栗きんとん事件の小鳩君ではないが、「体温が上がる」様なゲームを作れないなら、ゲームにこだわる意味が無くなってしまう。ドラクエ9は購入していないので分からないが、「体温が上がる」様なゲームだったんだろうか?

むしろ、アニメ世代の逆襲に応戦できるのは、血のたぎるようなネットサービス世代なんだろうか?

……なんて事を語り出してしまうのが、ヱヴァ破という映画だと思う。

2009-07-11

エゴグラム

数年前に一番最初に調べた頃は

http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/baaaa.htm

だったのに、今じゃ↓

http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/cbbca.htm

人間性格はこんなに変わるものなのか、それとも以前から自分を偽っていただけなのか

何よりこのチェックで一番ショックだったのは芸術分野に適性が無いと言われたこと

決して面白い人間ではないからある意味当然なのかもしれないけど・・・才能無いって言われて悔しい

2009-07-10

実際のところO川隆法とか、あの手の教祖って自分の言ってる事の虚構性をどこまで意識してんだろう。

自分の言ってる事を自分で信じてしまう才能と言うのも、ああいうのには必要だと思うけども…しかし全部が全部ではないだろうし。

2009-07-08

日本才能

本日セルフ日和」

ってコピーを見るたびに、野に放たれた才能っているもんだなぁと感心してしまうんだ

我慢することの害

例えば旦那がDVモラルハラスメントの常習者で、ことあるごとに奥さんをぶん殴り罵倒していたとする。

この場合の構造シンプルで、旦那は加害者で妻は被害者だ。それ以外何もない。

で、妻が子供を産み、旦那の暴力が妻と子供に向かうとする。この場合は、旦那を加害者とすると殴られている妻と子供被害者になるわけだが、被害者の一人である子供から見れば、さっさと離婚や別居に踏み切らない母親DVを受けざる得ない環境に身を置かせ続けた母親も立派な加害者DVの共犯だったりする。

よくあるブラック会社の話もそうで、ブラック社員というのは理不尽仕事経営者から押しつけられ、残業地獄にあえいで苦しんでいる被害者なのだが、もうひとつ高い視点から見てみると、ブラック社員ブラック経営者とともにダンピングを繰り返し、定時に帰る社員に罪悪感を植え付け、健全経営を目指すホワイト企業倒産に追い込み、日本労働環境世界最悪まで悪化させている加害者だったりする。結局のところ残業をしまくる社員がいるから残業押し付け経営者が減らないのであって、第三者的な地点から見れば彼ら彼女らは単なる共犯なのだ。


そして、「被害者加害者」が反転してしまうややこしい構造、これらに共通するのが「我慢」「忍耐」というワードなのかなと思う。

「我慢」「忍耐」というのは、「強烈な負荷がかかっているにも関わらず、その負荷を取り除いたり遠ざけたりする努力をせず、現状維持をしている」という状態だ。

そして、我慢を選択する人というのは「負荷の大元を取り去る努力」をしないので、いつまでも負荷は存在し続け、その負担が第三者に向かうことになる。これが「被害者加害者に転ずる」構造だ。

DVを我慢する母親がいる

→父親がDVをし続ける

DV子供に向かう

サービス残業を我慢する社員がいる

経営者サービス残業押し付け続ける

サービス残業が全員に押し付けられる


また、負荷は直接的に第三者に向かわずとも、負荷を受けている人を通じて第三者に向かうこともある。

例えばすかいらーくかどこかでサービス残業を我慢し続けて倒れ、意識が戻らなくなってしまった人を両親が介護し続けているというような話があった。これについてもサー残を我慢し続けた人が「負荷の大元を取り去る努力」を行っていれば、両親も息子の介護という苦しい仕事に老後の時間をつぎ込まなくてもよかっただろう。両親はたぶん自分たちが被害者だとは思っていないだろうが、客観的に見れば「両親に重労働押し付けている」のはすかいらーくであり、ブラック社員だった息子なのだ。


「我慢」というのはこのように、自分人生だけでなく他人の人生までもを毀損してしまう恐ろしい行為なのだ。なら我慢なんかせずに、さっさと逃げるか戦うかをすればいいのだが、日本人というのは「我慢するのは大人の努め」「忍耐が出来ないのは子供社会人として未熟」という大東亜戦争を戦った皆さんのようなありがた~~~~いクソ価値観(別名「社会人常識(笑)」)を刷り込まれているので、強烈な負荷がかかり続けても逃げたり戦ったりすることも出来ず、潰されて鬱になったり自殺したりする。

それどころか、我慢せずに逃げる人を「無責任」「子供」「社会人として駄目」「どこに行っても通用しない」と罵倒し、我慢せずに戦う人を「金の亡者」「自分さえ良ければいいのか」「世の中を知らない」「KY」と叩きまくる人もたくさんいる。いるというか、私の皮膚感覚からすればそっちがマジョリティだろう。こうして何が正しくて何が間違っているのか判らない現場に放り込まれたブラック社員はどんどん疲弊していく。日本のどうしようもない閉塞感というのはこれが原因だろう。


これを踏まえた上で人生を楽しく生きるキーワードは「負荷を我慢」をしない、これに尽きるかと。私は元ブラック会社ダンピング社員だったので、サービス残業地獄のさなか「我慢出来ない自分が悪いのでは……?」というクソ思考回路も一通りトレースしてみたこともあるが、我慢せずにさっさと辞めて独立し、適切で人間的な労働環境を整えたら、それがいかに無意味馬鹿馬鹿しく、自分人生を毀損する害悪なものだったかがよく判るようになった。だって「負荷を我慢」なんかせずとも、楽しく、お金が稼げて、自分が成長できて人脈も作れる仕事なんか、世の中にたくさんあるのだから。同じ賃金を稼ぎ、同じだけ成長できるのなら我慢なんかしない方がいいに決まっている。昔の私はこんな単純なことも判っていなかった。

子育てなんかでも「我慢」を教えなければいけないというが、教えなければいけないのは「欲望に対する我慢」であって、今の日本人は「負荷に対する我慢」と「欲望に対する我慢」の区別がつかずにどんどん追い込まれているように感じる。「欲望」は我慢しないと性犯罪者、メタボリックシンドローム成人病多重債務者などに転落して人生終了だけれども、「負荷」なんかは全く我慢する必要はない。楽しく美味しく生きていく方法を探したほうがよほど建設的で、よほど充実しているのだから。


以下追記。

「負荷を我慢しない」方法はいくつかある。

  • 独立開業してしまう。
  • 海外就労ビザを取得して逃亡。ワーホリなんかを使って海外へ行って人脈を作ってもいいかも。方法は(マジで)幾つもある。
  • ブラック会社でも強引に定時に帰り続ける。1ヶ月も強行すればその他大勢は諦めて「あいつは早く帰る人だから」となり、クビにならない限り一生定時に帰れる。

これらはそれなりにリスクのある方法だが、「一生負荷を我慢し続ける」のとどちらがマシなのかを考える余地はあると思う。

ちなみに日本会社は99.99%がブラック企業なので「いい会社を求めてジョブホップし続ける」という方法は地獄めぐりになりかねないので避けたほうが無難大企業公務員であっても残業地獄からは逃れられない。俺の知り合いの某一部上場企業社員は、子供がいるのに毎日26時ぐらいまで仕事をしているらしく「子供が産まれてから寝ている顔しかほとんど見たことがない。あと10年はこんな感じ」らしい。

また「ブラック企業環境を変えてホワイト企業にしよう!」というのも不可能に近く、終わりなき闘争を強いられるので避けたほうが無難。仮に社員全員の価値観変革に成功したとしても、同業他社ブラック企業に食われて終わったりするので全く不毛トリンプの吉越氏はこの変革に成功した経営者だが、相当な意志と才能権力がないと出来ないので、一兵卒の状態でこの戦いに挑むのは辞めたほうがいい。戦わず逃げるのが賢明

創作系を目指してますが田舎だし家族が冷たい。

右手をかばいながら転ぶことが出来る漫画家志望です。漫画恋人Gペンとベロチューとかしてます(単につばをつけて拭き取って油を取ろうとしてるだけなんだけど)

賞は取ったことがありませんがあと1、2歩らしいです。そろそろ上京しようと思ってるのですがお金がないので1年間フリーターをしようと思ってます。

だけど

祖母は言います「女の子なんだから彼氏の一人でも見つけて早く結婚しなさい親孝行しなさい」

祖父は言います「死ぬ前に花嫁姿を見たい」

母は言います「夢を追いたい気持ちは分かるけど就職しなさい。漫画家不安定な職業でしょう」

父は言います「高大と私立に行かせてやってんのにフリーターとかふざけんなよブラックでいいから就職しろ

妹は言います「私は東京にいるから、お姉ちゃん地元就職した方がいいよ。いつか介護とか必要になるし。私は東京彼氏同棲するから無理。大卒就職しないとかお姉ちゃん何の為に生きてるの?」

弟は言います「昔の絵見ても分かるけど才能ないからニートにでもなればwwwwww」

金があれば今すぐにでも出て行きたいんですが、金がない。そしてフリーターしようとするとこんな冷たい反応。

田舎創作活動してる人の家族ってだいたいこうなんですかね?稼げば文句言わなくなるのかな。

それともうちの家族がやたらクリエーター系に否定的なだけなんでしょうか。

こんなご時世だからこそ何かトキワ荘的な物があると助かるんじゃないかなと思ったりしてます。

まあそれは別のお話

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん