はてなキーワード: 微分とは
(外資系と言っても最近、日本に進出したばかりの会社です。Gではありません、悪しからず。)
そういえば、最近のネットの情報をそんなに追ってないなあ、と思って、だらだら過去のはてブの人気エントリーを眺めた。あまりさかのぼっても、止め時がなくなると思って適当に10月初めくらいで終了。まるで水の泡のように、情報が浮かんでは消え、浮かんでは消えしている。そういえば、ハルヒのバニーガール問題っていうのもあったな??、とか。北米サイトが無事開設されて何より。
「情報の消費速度が速くなった」というのは、それを助長しているマスコミが(他人事のように)話題に上げる問題だが、ものすごい速度で消費される情報とそれを消費するブックマーカーたち(と他人事のように書いているが、それを読んでいる私も含む)は、瞬間瞬間でしか生きていないニワトリを連想させる。
なんというか、もう少し、「人間のライフサイクルを前提にした情報消費のスタイルの提案」のようなものがあってもいいのではないかと思わないでもないなというか。大体、PCは、人間が欲望のおもむくままに没頭・没入出来てしまうようなつくりになっていると思う。その結果、生活を破壊してしまう場合もあるわけで。まあ、「自由」を美徳としているような(ヒッピー文化-ハッカー文化的な文脈上での(?))思想的背景とかがあるのかもしれないけど。テレビゲームはその壁にぶつかった結果、「新しい生活スタイルの提案」のような任天堂のような答えを出したところもあったが。スローライフ・スローフード(違う)。
なんだか、昔、西部邁が比喩的表現として、「情報の微分化と情報の積分化」みたいな事を書いていたようなことを思い出した(ふと、日本の左翼は、情報の積分(=歴史的経緯)という視点が抜けているからダメなのかもなとか思ったが)。インターネットサービスとして考えると、「はてなブックマークは、情報を微分化して、今一番話題になっている情報を割り出して、トレンド情報をユーザーに提供する」といった感じか。また、「Wikipediaは、情報を整理して積分化し、言葉の定義をユーザーに提供する」といえるかもしれない。
いや、もう、ネット上では、頭の良い人が数え切れないほど議論した話だと思うし、「要はフローメディアとストックメディアだろう?」みたいなツッコミがきそうだが、まあ、そうなんだけれども、そこで思うのは、はてブは近視眼的で、Wikipediaは基本情報しか載っていない、というか、両者の距離が離れすぎであるという問題がまだ解決していない訳で、それに関して面白い意見の一つでも言えればなあ、と思う。
まず、「なぜ、それが問題なのか?」という意見もあるかもしれないが、要は、「もう少し楽に文脈(空気)を読めるようにならないか?」ということだと個人的にはとらえている。ある事柄の最新記事だけみても、その記事が出てきた背景を探るのがめんどくさい。どういう経緯があって、どういう文脈上から、この記事が出てきたのか?なぜこれだけ話題になっているのか?その辺が楽に分かれば、整理されていない膨大な過去ログを読めとも言われないし、空気を読む力も上がるし、スルー力もつくwのではないかというお話だ。
で、解決していない以上、少しは、面白い意見が言えるかもしれないと思うので、つれづれなるままに書いていこう。解決方法のアプローチとしては、ざっくり言うと、「人間を重視して解決する」か、「機械を重視して解決する」か、があると思う。
人間を重視して解決する方法。
前述の「情報消費のスタイルの提案」とかかわってくるけれど、個人ニュースサイトにしても、ほとんど日刊だったりするけれど、例えば、「今週を振り返ってみる」みたいな「週刊誌」的なアプローチもあっていいと思う。今週のネットの流れをサイト主の解説を交えながら振り返るみたいな感じで。
機械を重視して解決する方法においても、「週刊誌」的なアプローチを取ると、ITメディアの「Weekly Access Top10」のような記事をブクマ数で展開し、ユーザーがコメント出来るようにしても良いかもしれない。
もう一つ。はてなブックマークのストックメディアとしての面を強化するという手もあると思う。はてブでも、例えば、タグで検索すれば、過去の関連記事を見ることが出来る訳だが、(当たり前だが)文脈的には整理されていない。まあ、単純に考えると、「新着」順で見ていくという手もあるだろうけれど、意外と整理されていない。それでは、それをユーザーの手で整理できるようにしてみたらどうだろう?という考えが浮かんでくる。
個人的に最近、「FreeMind」に凝っているのだけれども、ああいう使い心地のアプリをユーザーが共有できるようにして、ソーシャルマインドマップ的に記事をユーザー達の手で整理できると面白いような気がする(実現可能かは分からないけれど)。例えば、YouTubeのマインドマップを見ると、中心から、音楽とか、スーパープレイとかの木がニョキニョキと生えている。同じ階層の動画自体は時系列で並んでおり、ある動画にはさらに深い階層がある。よって、例えば、ある動画がどのような系譜でパロディ化されたのかなどが分かる。つまり、文脈が分かる。ネットからしばらく離れていても、ある日突然、ある事柄に興味を持っても、(文脈上の)過去記事をたどれる訳だ。(と、簡単に考えてしまうのは私の悪い癖かも知れないが)
でも、そういうツールが欲しいのは本当だ。ある記事だけ抜き出しても、要は、静止画のようなもので、文脈が分からなければ、その記事を単体でしかとらえることが出来ない。現状、関連知識のない人間がある情報を文脈をふまえた「動画の一部」としてとらえるには、関連情報を聞き出したり、検索したりして、いくつかの断片的情報から文脈を推測していくしかない。しかし、それは面倒なのも確かである。少なくとも、工学的なアプローチによって、「もう少し楽に今現在の文脈(空気)を読めるようにする」ことは可能だろうと思うのだが。
http://anond.hatelabo.jp/20091221232734
まあ凡人には理解できないかもね。
言わんとすることは分からんでもないが、ちょっと君にうんこを投げさせてもらうと、
君の文章こそすんごい凡人臭い。多分学内でも中の上ぐらいの成績じゃないかな。
ああ、ええ、まぁどうでもいいんですが、自分の学部は東大です。
院は特定されると面白くないので伏せるけど、まぁ東大未満だとは世間様にも思われないぐらいのとこです。
まずね、タイトルで釣りすぎかな…「数学やってりゃ東大合格」の理由はどこよ?ちと狙いすぎだな。釣りっつーか、詐欺だな。
あとね、
子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場で労働者として頑張ってね!」でいい。
そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました。って感じなんですけどもね。実はそうでもないんですよね。それをするとしたら、数学よりは英語かな、って感じ。理由は後述。
うん、経済学は大事だね。これは本当にそう思う。マンキューの『入門経済学』にある内容ぐらいは国民みんなに分かっていてほしいよね。文系理系問わず、学歴問わず。鳩ポさんにうんこ投げちゃうことになるけど、民主党の方々って正直大馬鹿じゃない。あれはね、個人的には「いやぁ、国民の皆様が馬鹿ならしょうがないんじゃないんですかね」と思ってしまう。間接制であろうと最低限の素養を国民に与えておかないと、民主主義って死ぬんですよね。困ったもんだ。というわけで数学の素養も結構必要になるよね。まぁ微分積分ぐらいはね、って話になる。
理科もね、結構大事ですよ。僕からすれば、高校課程でいえば化学Ⅱ、物理Ⅱぐらい国民みんなに知ってもらわないと困るんですね。文系でもね。まぁこれはたしかにドカタ様には不要な知識かもしれないし、中卒の方々にはやってもらわなくともよい。ただ、大学を受ける層は、文系にも理解していただかないと困るんだよなぁ。物理も微積禁止令は解いていただきたいですよね。アレ、詐欺ですよ。文系でも物理Ⅱ+微積レベルは知っていただかないと、ね。
んでもって、「英語で教え込む」についてハッキリと言わせてもらうんだけれども、
え、誰が教えんの?っていう話。世間知らずの坊なのか知らないけれども、世の中先生って結構バカなんですよ。
自分の高校でも「あいつダメだよなー」とか言われてる先生ですら東北卒とかだったりして、まぁ世間一般で言えば普通に高学歴でした。
でもね、中学(僕は中学までは公立。しかも田舎)はね、本当にひどかったよ。英語の教師が英検2級だったりね。ギャグか、と今なら思うんだけれども、目立った取り柄もない人間だって働かないといけないのだよ。そうなると必然的に馬鹿な先生も出てくるんですよ。残念ながら、わが日本国には「すべての教師を教養人に!」などと高邁な理想を実現するほどのリソースは残されていないんです。
英語教師でさえ英検2級とか履歴書に恥ずかしくて書けないようなうんこ資格しか持ち合わせていないのだから、他科目なんて、ねぇ、って話ですよ。それは高校教師でもそんなに変わらんです。ああ、「頑張らせればいい」と言うのは、ナシね。そこまでマッチョイズムでゴリ押ししても、のれんに腕押しが実情です。
あなたは「重要科目に絞る」ということに重点を置いてましたけど、まさにその通りで、子供に与えられる教育の時間ってそんなにないんですね。基本的に教育って、(エリート育成を除いては)国体を維持しさらなる成長を期待できるため、国民に最低限の民度を維持せしめることにあると思うんですよ。で、英語って、ぶっちゃけ日常じゃ使わんでしょ。テキサスの巨乳娘を口説くために国費を投じる必要はないわけなんですよ。ええ、何が言いたいかっていうと、馬鹿には必要のない言語なんですよねしょせん。たしかに自分にとっては必須ですらあるんですが、「国民に知ってもらいたいこと」を教えるには、幸いまだ日本語でも十分に可能なんですね。
自分は必要に駆られてラテン語も習得しましたけど、多分あなたには必要ないでしょう。まぁ、極論を言っちゃえばそんなもんなんですよ言語って。ちなみにお隣の韓国さんはというと、国民みんなに小学3年から英語やらせてますけど、どうも一般人はベラベラとは言い難いのが現状のようですね。向こうも教員のレベルがネックとなってるみたいです。韓国の友人が言ってました。国内市場が小さいので海外進出を日本以上に頑張らないといけない韓国でさえも、そんな程度なんです。まぁでも、たしかに大卒さんなら英語ぐらい、というのは分かります。そいつらに教える英語の教育法についてはまぁ言いたいこともありますが、今回の本論には関係ないので避けますね。
つーわけで国語はいるよ?だって「賢くなるため」の文章を読むには必須の素養だもの。偏差値40台の高卒ちゃんとか、漢検4級もギリギリレベルですよ。言葉はひどいけどね、もうほとんど文盲なわけ。これが、教育しなくなったら、どうなるか。マジでほとんど平仮名とカタカナだけになるんじゃないか。日本が神聖文字と民用文字を使い分ける世の中になったらめんどくさいことになりそうだと思うけどなぁ。
そもそも抽象的思考もできないやつが英語を覚えたところでハラペコ青虫とPLAYBOYぐらいしか読んでくれんよ。実際、日本でNewsweekだのNatureを読んでる層って、日本語でも抽象度の高い文章を好んで読んでますしね。君が貼った記事にもあるとおり、実際のところバイリンガルなんて無理だし、恐ろしく稚拙な日本語と「はうあ~ゆ~?」ぐらいしか言えない、豚や鶏をちょっとマシにしたような非知的生命体が量産されること間違いなし。バイオハザードもビックリだ。
日本史はね、うんまぁ、必修は近代史まででいいかもね、と言いたいんだけど、やっぱ聖徳太子とかもかじらせとく必要はあると思いますですよ。DQN様って、本当に勉強しないので。マジで日本人同士でも会話が成立しなくなるんじゃないかな。別に左翼ではないのである程度の格差はしょうがないと思うけど、あんまり似たようなお友達ばかりと馴れ合っているとマクロ的にも損するようになってますよ世の中。
世界史はそもそも、「過去の事実」を覚えるというより、世界のシステムというか、ダイナミズムというか、そういったものを学ぶためのもんだと思うんだけれどもね。これも高校の先生ですらできてない人ばっかだね。まぁ教科書もそうなってるからね。でも覚えもしないとそれをできる一握りの人材すら日本から生まれなくなるので、まぁ教育しといた方がいいとは思うけどね。
・先生って思ったよりバカなんですよ
・(現行の高校課程に意味をとどめない)「政治・経済」は、日本国民にとっての必須となる教養。
・そのためにも数学は要るかもねぇ
・国語を教えないと、バカとエリートの使う言語感覚の隔絶が、おそろしいレベル(国が滅びるぐらい)になるよん
・バカに英語を教えてもねぇ
・そのかわり大卒さんは英語覚えてほしいよね。まぁそれはまた別の話でしょ
ところで、あなたは駒場生かしら。せっかくリベラルアーツを学ぶ機会を設けられたのだから、もうちょい頑張ろうぜ。
いやね、僕も知識人としては下っ端も下っ端なんですけれども、正直、ちょっと脱力した。しすぎて文章も散漫になった。教養主義とかじゃなくてだね、もうちょい基礎んとこを理解した上で社会ってもんを見ようぜっていう、そういう話。
あと教育論から外れるの承知で書くけど、古文漢文って君には必要ないのかね?俺は高校は理系だったけど、普通に必要な素養だと思ったけどなぁ。ていうか今も読むけどなぁ。エリートを自称する学生なら千字文とか四書五経とか、それぐらい読まねぇ?普通。それとも君は、「やりたくなければやんなくていいじゃんよー。ただし国際社会で恥かくかもだけどねー」でいいじゃん、で済むのかな。俺がジョン(仮名)に「えー!おま、論語の○×も知らないで20年も生きてきたの???wwww」とか学生時代に言われたら、その恥とやらのために死んだね。まあ凡人には理解できないかもだけど、ね。
うんこ投げすぎたので最後に一言だけ有用なアドバイスをしておくと、公教育について論じる時はもうちょっとナショナリスティックな視点を考慮に入れた方がいいよ。
そこは全員が知ってる必要はなくて、知ってる人間が知らない人間向けに説明してくれるとうれしいなあ。
みたいにならんでもっと馬鹿向けに噛み砕いてくれてもいいじゃんよう。
基礎解析ってのはまぁ要するに微分積分だ。確率・統計はそのまま。
微積分がわかってないから、市場動向やら社内のリソースの動向やらがどう変化しているのか理解できない文系職の連中は多いし、
「限界効用の逓減」とかいう珍妙な言葉が生まれたり、あるいはそれを聞いただけで混乱して思考停止してしまったりする。
計画を立てるときに成長率をそのまま線形で補外したりする論外なロジックを(検証なしに)立てちゃったりする。
確率や統計がわかってないから、不確実性を決定論的に扱ってみたりする人が多いし、なんとなく処理したりする人も多い。
理科は数理科学を含むのであれですが、社会や国語は、教えられて理解できない人はそういないでしょう。
英語は脳の言語処理ネットワークの最適化の問題があるから別ですが。
義務教育の時点で、社会ができないというのは単に覚えていないだけであって、教えればその瞬間くらいは記憶してるわけです。
ところが数学の場合、現役で教えられてる状況ですら、どんなにがんばっても理解できないという人がかなりいるわけです。
とまぁここまで書いて思ったのは、数学の場合積み重ねが必要だから、というのはあるんですかね。
社会ならいきなり近代史に行ってもそう問題は無いけど、数学の場合いきなり微分やるわけにはいかんわけで。
そうすると、教育の比較的初期で数学が理解できる人とできない人の差は何かっていう話になるわけですが…。
別に自慢にも何もならないですが、俺の場合小学校時代数学(算数)で困ったこと全く無いんですよ。
それは俺の脳が初期状態で言語別脳内ネットワークのような何か変わった構造を持ってたりしたってことなんですかねえ…。
それとも単に「積み重ね」効果によって初期状態の微妙なバラツキが指数関数的に拡大するようなスケールフリー的構造があるってだけのことですかね。そんな気もしてきました。たとえばガロアみたいな超天才の世界では別の構造があるとは思いますが。
「勉強ができることは頭の良さとは関係ない」という主張をよく見かける。この系統の主張を見るにつけ不愉快に感じる。それはその手の主張が過去の偉人の業績を否定しているからだ。勉強とは知識を吸収し、自分のものとすることである。知識とは現在正しいと認められている過去の偉人たちの思考の結果である。その知識を学び吸収するということは、過去の偉人と同じ水準の認識レベル・思考レベルになることと同じである。従って勉強ができることは頭の良さと関係があるのである。「頭の良さというのは何か新しいことを考え出す力だ」という反論があるかもしれない。確かにそれは一理ある。私も『頭の良さ』は『知識』と『新しいことを考え出せる力』で構成されると思っている。『頭の良さ』の定義論争にはいると終わりはないので、私の『頭の良さ』の定義についてはおいておき、ここでは仮に『頭の良さ』を『何か新しいことを考え出す力』としておこう。そう定義したとしても、勉強ができることと頭の良さには関係がある。現代では学問の水準が高くなり、知識なしにたいしたことは新たに考え出せないからだ。例えばなんの知識なしに微分積分法、複素解析、フーリエ変換などを考え出せるひとがいるだろうか?よくあるジョークに貧乏で学校に通えない子供が自分で連立方程式を考え出すというものがある。連立方程式程度ならともかくも、現在最低限必要とされる微分や積分、フーリエ変換などはいくら天才でも知識なしには一生かかっても考え出せないだろう。まして「なにかあたらしいことを考え出す」ことなどできないだろう。現在では過去の偉人たちの積み重ねによって学問の水準が高くなったために、『何か新しいことを考え出す』ために『知識』が必要不可欠なのだ。それにもかかわらず、勉強すなわち知識を得ることと頭の良さを無関係とするのは過去の偉人の業績を否定することに等しい。「勉強ができることは頭の良さとは関係ない」というのは「オイラーやニュートン、アインシュタインが考え出せたことは、誰でも予備知識なしに考え出せる」といっているに他ならない。
おっぱいがいっぱい方式ってこれのことかな?
http://anond.hatelabo.jp/20081224180326
もしこれが導入されたとしたら,全てのエロゲのタイトルが「体で覚える微分積分1」とか「小さい子でも分かる株式投資」とかになるだけの予感が。
君の感覚の問題でもあるから「何故量子力学に虚数が必要か」っつー話(の概略)に留まるけど、
量子力学の基本方程式(ニュートン力学の運動方程式や電磁気学のマクスウェル方程式みたいなもん)である
という形をしてて(Hはハミルトニアンというある演算子)、時間について1階の微分項を含むわけだ。
1階の時間微分ってのは、古典物理の世界では散逸に対応するんだな。摩擦とか。
そのままだとどうやっても散逸してエネルギーが消失しちゃうんだ。
でも電子はいつまでも原子核のまわりを回ってて、全ての原子が潰れちゃうなんていう現象はこの宇宙では起こって無い。
じゃあどうするかっつーと、1階微分項の係数に虚数を使うしかないんだよ。
そういうものを考えてみると、これがびっくりするくらい実験とピッタリ合うし、未知の現象とかガンガン予測しちゃったんだな。
だからまあよくわかんねーけど正しいとしか思えない、という感じになってるわけだ。
1+1=2 を 公理からの導出ではなく
微分積分を使って もっと、 スマートに 言い方を変えると 小難しく
証明することが出来るかどうか?という事について 聞いてみているのですが
比較的信頼できる頭の良い人に聞いてみると、『わからない』という信頼できる解答が帰ってきました。
また、その他の空気も全体的にその方向でした。
なので、もしかしたら、1+1=2 の超絶的な解き方があるのかもしれませんが
少なくとも、東大クラスの大学でも一般的に教えるような内容ではない。
という事はほぼ間違いなさそうです。
となると、私の勘違いか、特殊理論に分類した方がよさそうな確率の方が高いです。
お騒がせ致しました。
結果を知りたい人がいるかも知れませんので、書いておきます。
物理の時間を数学に使うとよろし。特にベクトル解析(sufix notationあたりも)と多変数の微分積分も視野に入れて。
で、そして幾何学の方は減らしてもいいのではないか。工学系で幾何学はあんまり使わない気がする(これは私の専攻のせいかもしれないが)
その代わりに、抽象数学に重きを置く。確率は選択にして、けど統計はやらない方向で。
どうせ文系理系なんてつまらない二分野に分けているのだから、そして学問自体も高度化しているのだから、理系は理系で理系にもっと偏重すればいいと思う。
ついでに地歴公民とか世界史は高校ではやらないで大学の一般教養にすればいいと思う。例えば大学で世界史を英語でやらせたりしてもいいんじゃない?英語でできないって云うのは単にできないって思いこんでるのとやらないからであってライティング偏重(かつ読書課題を読んだ上でエッセイを書かせる形にする)でいいと思うよ。英語教育は英語でじゃなく英語で何かを学ぶ形にすればいいんじゃないかな。国文とかは選択にして、けど現状のような授業に出なくても単位をとれるようなものにはしないこと。何度でも言うけどできないのはしないからであってできないからではないから。
高校は完全に理系大学への準備、すなわち大学教育の一年二年の数学の基礎をみっちりたたきこんでしまえばよろし。で大学入試はそれを試験する形にすればいいと思う。その代わり試験は従来のものより長くなるがしょうがないと思うよ。定員集めのために最低限必要な学力がない学生を大学に入学許可するのはどうかと思うけど、そういった最低限の知識がない学生については卒業に必要な単位を取るための必修コースとして数学のコースをとらせればいいと思うよ。まぁ4年以上かかっちゃうけどね。これぐらいに数学がわからないんだったらあきらめた方がいいということ。でも、本当に学びたい人には卒業に時間がかかってしまうけど門扉を開いておくようにしておく。(まぁどうせ留年するかやめていくことになるが)
で大学一年時に、初めて物理学の基礎(数学的に高度でかつ多様な演習を含む。できたら物理の実験の演習もとらせてレポートの書き方と物理学が確からしいことを確認するのにいいと思うよ。)で2-4年は専門課程と一般教養を並行してとりながらやればいいと思う。
化学については分からん。そもそも化学は量子力学なしでちゃんと理解できるのか疑問だけど化学は化学で高校の時面白かったから残してもいいかも。
文系は文系で適当にやらせておけばいいと思うよ。どうせモラトリアムなんだし。そのかわり文系に今理系がやってる物理と化学を必修にした方がいいと思うよ。文系涙目w どうせ大学で何も学ばないんだからもう高校でやらせちゃえよって感じ。高校の先生大変だなー
もう少し大学の内容を高度化すべし。以上。
http://anond.hatelabo.jp/20090220103552
たぶん、凸関数における弦の傾きが単調非減少なせいで、微分不可能な点が無限にあると弦の傾きが暴走し、凸関数がその区間でバキッと逝ってしまうと思う。
至る所で微分不可能な関数は、イメージ的に弦の傾きが増加する点と減少する点が相殺してて、うまく値域が有限の範囲に収まってる感じがする。
というか、まぁ、これ、
絶対値関数を2つの関数の区間を分離して合成した関数として考えると、その切り替わり区間では微分できないのは当たり前で。
それって、区間を切っているということなので、見方によっては不連続なんだよね・・・。
だって、負の値では-X 正の値ではXという違う関数をたまたまX=0,y=0でくっつけただけで、関数自体が連続か?といわれると。
X=0で不連続な関数をたまたま値を一致させて、連続したように見せているだけで・・・。
y=-x-1(x<=0)
y=x(x>=0)
という関数の合成が連続でないのと同じ理由で、非連続というか2つの別な関数の区間合成関数に見えるんだよね・・・(数学的にどうかは別の話)
という理論において、
高木関数って、こういった、不連続の複数の関数をΣを無限にとって、合成しただけの関数の究極に見えるので・・・
区間を無限に細分してyの値だけを同じにしてくっつけた合成関数が微分できないのは当然だなぁと。え、これって連続って言って良いの?
もっとも、言い方を変えれば、不連続(デジタル信号)だろうと何だろうと、究極的にはSinを究極に合成することで近似可能だからだから・・・。