はてなキーワード: スケールフリーとは
マジレスしてやると、本質的に重要なのは「大きい」とか「小さい」とかいうのは何に対して大きい(小さい)のか、というのを示さないと意味が無い表現だということだ。
学校の物理の授業あたりでやらなかったか?「質量が大きい」とか言ったって、それは原子核の質量に対して大きいって意味?それとも地球の質量に対して大きいって意味???となるだろ。
物事にはスケールというものが存在する(実際には特徴的なスケールが存在しない現象というものもあって、それはスケールフリーと呼ばれる)。
釣り針が大きいというのは、餌に対して大きいという意味だ。ゴカイみたいな餌に対してマグロ用みたいな巨大な針を使っているという意味だ。
「職場では2割の人が全体の8割の仕事をして、残りの8割が2割の仕事をする」
「2割の人だけを集めたら100%仕事をするかと思ったら、やっぱりその中の2割の人が8割の仕事をする」
逆に
「仕事をしない8割の人を選んでも、やっぱり2割の人が8割の仕事をするようになる」
なぜ、これが成り立つのかというと、「仕事は出来るやつに集まる」という法則があるからです。
誰だって、初めての仕事を経験のないやつに頼んだりはしないですよね。
「アイツならできそう」というやつに頼むはずです。
だから、ある仕事で成果をあげた人の所にはどんどん仕事が集まってさらに経験値があがり仕事が持ち込まれるという法則が成り立ちます。
これって「雪だるま」に似ていませんか?
最初に芯になるものがあるとどんどん転がるうちに大きくなっていく。
だから新人には、色々チャレンジして「こいつなら出来る」というものを身につけろとアドバイスしています。「雪だるまの芯になるようなものを見つけて、アピールしろ」と。
まあ、フラクタル理論における、「べき乗の法則」、「スケールフリー」あたりをググってもらえば、人間関係にはスケールフリー(規模によらない)相似関係(2-8の法則)が成り立つというのは自明だと思います。
理科は数理科学を含むのであれですが、社会や国語は、教えられて理解できない人はそういないでしょう。
英語は脳の言語処理ネットワークの最適化の問題があるから別ですが。
義務教育の時点で、社会ができないというのは単に覚えていないだけであって、教えればその瞬間くらいは記憶してるわけです。
ところが数学の場合、現役で教えられてる状況ですら、どんなにがんばっても理解できないという人がかなりいるわけです。
とまぁここまで書いて思ったのは、数学の場合積み重ねが必要だから、というのはあるんですかね。
社会ならいきなり近代史に行ってもそう問題は無いけど、数学の場合いきなり微分やるわけにはいかんわけで。
そうすると、教育の比較的初期で数学が理解できる人とできない人の差は何かっていう話になるわけですが…。
別に自慢にも何もならないですが、俺の場合小学校時代数学(算数)で困ったこと全く無いんですよ。
それは俺の脳が初期状態で言語別脳内ネットワークのような何か変わった構造を持ってたりしたってことなんですかねえ…。
それとも単に「積み重ね」効果によって初期状態の微妙なバラツキが指数関数的に拡大するようなスケールフリー的構造があるってだけのことですかね。そんな気もしてきました。たとえばガロアみたいな超天才の世界では別の構造があるとは思いますが。