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2014-08-02

るろ剣京都大火編がアレな原因は全て原作厨のせい

るろ剣みにいったんだけど、だめだめだった。

すべては原作厨を気にしすぎて、いろいろ詰め込みすぎたせい。

こっからネタバレ注意

弥彦 →いらない。前作からの登場だが、それほどキャラ物語上の思い入れがないため、モブ感がいなめない。

・恵  →いらない。理由は同上。

久保田の側近のハゲ →いらない。場面説明には久保田の死だけ十分だった。あとの口上は蛇足

・途中の村の一騒動 →いらない。特に子供が泣くシーンが2回あるが、なんのために2回あったのか不明。心理描写および不殺の教訓をつたえるなら、一回でよかったはず。

・刀折れる →いらない。映画ストーリー上、赤空の話はメインじゃないため不要

・ほうき頭 →いらない。同上

・志士雄の影武者がいっぱい出てくる →もはやギャグしかえ見えない。いらない。

・薫が捕まって海に落とされる一連の流れ →いらない。剣心が船に乗る理由付けならもはや薫を使うまでもないストーリーだったはず。蛇足

繰り返しになるが、個々のキャラクターに十分な感情描写や背景を語らせることができないなら、

個々のキャラクターの見せ場を与えるべきではない。

せっかく作った見せ場が非常に薄っぺらいものに見えてしまうからだ。

映画という短い枠の中では、何を付け加えるかより、

取捨選択が重要なのは明白だ。

また、2次作品では原作と同じことをやる必要はない。

必要なこともあるが、やはり取捨選択が重要だし、アレンジ重要だ。

個人的には、前作のアレンジの仕方はなかなか良いと思う。

なぜ、今作はそれができてないのか、

それもこれも全て原作厨のせいである。

無責任にゲンサクガーと言った結果がこれである

死んだ方がいいよ。

2014-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20140305052145

大事なのは生産過程を知ること。そんな教育をどこかで導入し、一般的に広く知れ渡らせることが必要なのかもしれない。

それさあ、部落差別についてもう少し勉強してから言ってよね。あなた東京周辺の人なのかも知れないけどナイーブすぎる。

仏教ヒンズー教不殺生戒を動物とかにも拡げてるわけだけど、そこでどういう人が被差別カーストに追い込まれたか、その辺考えた上でもの言ってる?

食べるなとも思わない。個人の自由だし、文化の形であるから弱肉強食世界が成り立たなくなるし。

自然界が弱肉強食である」ことは弱肉強食である「べき」ことではない。

そこをごっちゃにするのは社会ダーウィニズムで、ナチスまで後一歩だよ。冗談抜きで。

2009-11-12

蜘蛛を殺してしまった

ただ振り払うだけのつもりだったのだけど

当たり所が悪かったらしくて

別に不殺生とかやってるわけじゃないけど

殺すつもりのないものを殺してしまうってなんだかなと

市橋君もそんな感じだったのかも

と彼の恩師の呼びかけを読んで思った

2009-05-13

シグルイ」のキャラクターの白目表現

シグルイ」の作品概要については省略。

やたらとマッパになったりモツがまき散らされたりする描写ばかりが印象的なこの作品ですが、特定の状況に陥ったキャラクターの目に瞳(黒目)が描き込まれない事こそが注視すべき演出のように感じられるわけです。

最初にはっきりと「白目表現」が登場するのは、第一巻第一話で伊良子清玄が「無明逆流れ」の構えを初めて読者に見せるシーンですが、これはページの片隅の小さなコマに過ぎません。その次は第三話で、巨大な木刀「かじき」で肩慣らしを終えた牛股権左右衛門が伊良子清玄と立ち会うシーン。これも、伊良子の白目よりは大きいものの、目の部分だけを描いた横長のコマです。なので、最初に登場するもっとも印象的な白目表現はおそらく次の第四話、岩本虎眼初登場シーンでしょう。ページの6割以上を割いた大ゴマ、顔のドアップ。殆どボケ老人に近い(口から舌がだらしなくはみ出ている)のに、伊良子の額にくっついた小豆を、伊良子の顔に傷一つ付けずに正確に十字に切り刻む。そのインパクトは絶大。

この白目表現こそ、その登場人物が「死狂(シグル)ってる」状態を示す演出なのではないかと俺は思うわけです。最新刊である12巻63話では、主人公である藤木源之助の瞳が描かれているコマは一つもありません。それどころか、目そのものが描かれていないシーンが大半で。白目表現ですらわずか2コマ。同伴する婚約者三重もほぼ同様で、瞳が描かれているのは最後の1コマだけ。次の第64話も、伊良子の愛人「いく」を目の前にして突如刀を抜いた藤木(当然目の部分は空白のまま)に対して、「よ よせっ」「たのむ・・・」と引き下がるよう呼びかける月岡雪之介(この時は瞳あり)が、それが無駄だと認識して「嗚呼・・・」と心のなかで叫び、刀を抜くシーン。この時の月岡も白目。

また作品中には、通常は描き込まれている瞳が丸いスクリーントーンのみという、白目状態の一歩手前のような演出も存在します。それが顕著なのが前述に続く第65話。

月岡の登場するコマと目の表現をなぞっていくと、

  1. 虎眼流の奥義「流れ」を構える藤木に対して正眼の構えで対する月岡→両方白目
  2. 正眼の構えのバストアップ→左目だけ白目。右目は通常
  3. 月岡過去が触れられているナレーションのコマ→左目だけ白目。右目はスクリーントーンのみ。
  4. 藤木と相対して「手強い・・・間に合うか“峰打ち不殺”」と藤木を殺さずに事を納めようと考えるシーン→両方白目

つまりここで白目状態になっている時点で、既に月岡は藤木を殺害する覚悟を決めていると読めるのではないでしょうか。それは、その後両者一瞬の攻防が展開され、月岡が刃を向けた状態で藤木に上段を打ち込もうとする事からも分かります。

そして藤木がそれを脇差しの「なかご」で食い止めるシーンでようやく月岡の瞳が復活。それから藤木が月岡の脇差しを抜き取って首に押しつけるまで、藤木は最初からずーっと白目のまま。こういった「瞳(目)の有無」という何気ない演出が、実は作者何らかの規則性を与えられているのかも知れないと思うと、この作品楽しみ方に深みが出てくるように感じられます。主人公藤木のライバル伊良子が盲目だったり、原作サブタイトルが「無明逆流れ」だったりする事から得られた着想でしょうか。

2008-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20080424114141

> 仏教に人を殺しちゃいけないなんてあったかな。

「戒律」というものがあるよ。しかもその第一が不殺生。

解釈の違いや戒律を守る範囲の違いが、宗派の違いの属性ではあるが、大半の宗派では出家者の条件のひとつが戒律を守ることになってるし、不殺の対象に人は含まれる。

2008-02-20

和月伸宏は偉大だったのだなあ

不殺なんて熟語は、るろうに剣心以外の作中で全く使われたためしがないにもかかわらず(使われた例があればぜひ教えてほしい)

何かの漫画とかアニメとかを叩きたい人が喜んで使う熟語になっている。

2007-02-02

セックスってそんなにいけないのか?

仏教の五戒にもキリスト教モーセ十戒にも、「不邪淫戒」と「姦淫してはならない」があるんだよね。

ほかに両者に共通しているのは、「不殺生戒」「殺してはならない」と「不ちゅう盗戒」「盗んではならない」。

正直なところ、奔放なセックスが殺しや盗みと同等に戒められなければならないほどのものとは思えないんだけど。

ただ、長い年月にわたって多くの人々に支持されてきたこれらの教えには、それなりの真実があるのだろうとも思う。

しかもいずれも基本中の基本の戒律。

セックスに溺れている自分には、このことが恐ろしくてならない。

誰か導いてください。

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