はてなキーワード: ヒトラーとは
なるほどなるほど。そうするとあなたはドイツ国民がたとえば「ナチスを讃えるうた」みたいな国歌を歌い続けていたとして、「過去の功罪を含めて継承することが責任を負うということだね」と納得するのかね? 少なくとも第二次大戦が終わった時点での諸外国の認識(というか事実その通りであったわけだけど)は、国家神道もナチスも同じようなものでありそのシンボルであるヒトラーも天皇も大して違わない存在だったわけだけども。
けれど、僕は逆にその為にこそ「国歌にふさわしい」と考える。
何を功罪とするかは人それぞれだが、それがひどく罪深いものだと思えたとして
「過去の功罪を振り返る」意味で国歌を変えるという選択は有りだと思うのだが、それは「過去の功罪を振り返っ」た結果でないとあなたは考えるのか? あるいは「国歌をそのままにしておくことこそが『過去の功罪を含めて引き受ける態度』だ」という主張は一般的にいって通用するものだと思うのか?
…というあたりを少し聞きたい。
なお個人的に自分は、日本は「その辺ごまかしてる」が、とりあえず「その辺ごまかしてる」ことを国民全員が自覚した上で、今のままでいくしかない、という立場である、と付け加えておく。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20081207/1228655595#c1228774814
わあ、なんて素敵な。乙女ちっく。女性らしい感性豊かで、女教師にはもってこいってな感じだね。
これはもう驚き。寝ようと思ってたもんだから、破壊力高すぎ。5分ぐらい笑っちゃったよ。もしくは寝る前、見たから愉快なんであって、寝起きにみれば不愉快かもね。どっちにしろ大した違いはないか!
これはもう、どう返したらいいもんか、Apemanさんも困るだろう。『そ、そうですか』ぐらいなもんか。まともに怒ったら女の子は泣いちゃうぞ!
ワイマール共和国の人たちにだって不況という社会的状況があったわけで、何も考えずにホイホイ、ヒトラーに先導されたわけじゃないでしょう。もしくは、大日本帝国は天皇に扇動されていってしまった哀れな大衆だらけだったの?
私(たち)以外はみんな馬鹿、だなんて、それこそ下らないポストモダニズムの弊害みたいなもんでしょう。大学人に導かれる哀れな子羊とは人をあんまりにも馬鹿にした話だ。
あのね、これだけ南京事件に誠実に向き合った人がどうして貴方が南京事件を無化できる言論に理解できるのか、と聞いているわけだから、それに答えてください。どうして、貴方は自分の興味のあることしかしゃべれないの?それともこれが、「言葉は届いても、声は届かない」ってやつの実例なわけ?
確か、ぼくが貴方のなんだったかよくも思い出せないことに、サブカル言論が大学人よりマーケティングに成功しているといっても、それが一般的に成功したってことじゃないだろ、って今のコメントと同じくらいに粗暴な感じのエントリを書いたことが貴方と僕との唯一のコミュニケーションだったと記憶しているけれど、東の話だってやっぱり人口に膾炙したとは言えないよね。それで聞きたいのだけれども、貴方はどれくらい「コスト」を払えば認めてくれるわけ?図書館でとても帰るはずないし、万に一つ買ってもアパートの床は確実に抜ける南京戦史を読み漁ってる学生に一年間がっしりバイトして南京市に行くまで認めないとか?ああ、それともパパのお金でひとっとびでもいいのかな?バカンスはどこへでも世界中をひとっとび、ときたもんだ。あ、それともそれとも、歴史学者の(細い細い)道をスパッと諦めて公務員試験を受けてエリート官僚になってゆくゆくは国家ぐるみで思想教育をやるまでにならないと認めない、とか?
お嬢ちゃんがどんな実存的で高尚でぼくら愚民には見当もつかない深いふか??いご賢察があるのか知りませんけどね、どんなことにも(特に歴史の話なら)フワッとした素敵なことを言って片付くような問題はないってこと知りなさい。それなら4年以上も大学なんていって全部無駄だったのかよ。偏見丸出しの馬鹿に、これだから『女の子』はw、なんて言われて、『女の子』って言わないで!、って言えば片付くようなもんなのか、おねえちゃんのやった学問ってやつはよぉ。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51135541.html
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081106
これは絶対に、東條英機のことじゃない。
米人はこう⇒WikiAnswers - Why was Hideki Tojo considered a tyrant
あるいはこう⇒What is an American? (Letters to the Editor). - Free Online Library
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081106
いくらwikipediaに「tyrant」の文字が出てこなかったからって、
こんなわけわからんリンクを根拠にしなくたっていいでしょうw
こんな誰が質問して誰が答えてんだかも分からんし、Yahoo知恵袋みたいなもんだろ。
http://wiki.answers.com/Q/Why_was_Hideki_Tojo_considered_a_tyrant
http://en.wikipedia.org/wiki/Hideki_Tojo
finalventは多分 "hideki tojyo" tyrantで速攻ググったんだろうけど、結果は574件。
んで、その一番上のリンクがYahoo知恵袋みたいないい加減なリンクだったわけだけどね。
http://www.google.com/search?q=%22Hideki%20Tojo%22%20tyrant
たった574件の記述で「史学的な評価ではなく、民衆の意識」としてはhideki tojyo = tyrant ですか。
しかも574件のうちほとんどが、たまたま語が併存してるだけで、tojyo hideki=tyrantとしているリンクがいくつあるやら。
(おまけにGoogleの早い仕事によってfinalventの件の記事が既に検索結果の3番目くらいに来てる有り様だしw)
民衆の意識ならもうちょっとブログなりで誰かがtyrantとして書いててくれてもいいのにね!
tyrannyはdankogaiの言うようにせいぜいヒトラーとかスターリンとか、フセインとか
要はアメリカが戦ってきた「独裁者」をひっくるめた「アメリカが戦ってきた存在」の象徴。
harborが真珠湾を強く含意しているのは間違いないとしても、それはアメリカが
経験した唯一の本土爆撃として、要は「アメリカを脅かしてきた存在」の象徴。
ま、通じないだろうけど。
そうそう、正にそのとおり。
俺は鈴木邦夫説に納得していて、
ベトナム戦争までは右翼って言っても反米愛国とか、「小国なのに大国に一矢報いるぞ!という姿勢は立派なり」てな右翼も、結構いたんだってさ。
しかし日米安保が締結されて、単純二項目を欲する大衆の圧力で上記の定義になっちゃったんだって。
こないだ右翼が街宣活動で、
「国体の護持という意味で右翼と言われるのならかまわないけど、私企業の利益や政治家のための右翼と言われるのは心外だ」って言ってたけど、もう「国体の護持」も理解されないからねぇ。
近年にわかに、非常に注目を浴びている研究がある。それはクローンである。この研究が近年になって注目を浴びた原因が存在する。一九九七年二月二七日に「ネイチャー」誌が掲載した「核移植」という技術により作製されたクローン羊によって、多くの議題があがったのである。この研究によってさまざまな問題点が指摘され、そして多くの批判なども挙がり、現在では討論なども世界各国で行われている。本稿では、まずクローン、核移植とは何かを提唱し、その研究によりどのような利点、問題点が存在するのかという点について述べてみたい。
まずはクローンという言葉の意味について検証してみたい。今井(1997)によると、細胞を大概で培養し、それらがある特殊な性質を獲得した場合、たとえば遺伝子組換を行っている場合、それらはクローンと呼ばれる。さらに広辞苑によると「遺伝子組成が完全に等しい細胞または生物の集団。一個の細胞または生物を共通の祖先として、それから無姓生殖的に、かつ突然変異なしに増殖することによって生ずる。」いわゆる同じ物のコピーのようなものなのである。すなわち、今存在する人物のクローンも作ることの可能性はあると考えられているのである。一九九七年に発表されたクローン羊もこの無性生殖的に誕生した生物なのである。クローン羊は一九九六年夏に政府特殊法人のロスリン研究所のイアン・ウィルムット博士とキース・キャンベル博士によって無性生殖的に作り出された生物である。このクローン羊が誕生して7ヶ月たった後にウィルムット博士とキャンベル博士によって発表された。
このクローン羊は「ドリー」と呼ばれた。この研究に使われた方法が、核移植であった。熊谷(1997)によると核を提供する細胞は、六才の雌羊の乳腺細胞、羊の胎児から取った繊維芽細胞、受精9日後に当たる羊の胚からとったED細胞の三種類をクローン羊の作成に使われたと述べている。核移植とは精子の代わりに他の細胞の核を卵子に移植したのである。熊谷(1997)によると、ドリーの以前の方法では人間のクローンを作成できはしなかったが、ドリーの方法では細胞さえあれば、クローン人間が生まれる可能性はあると述べている。以前の方法だと一卵性双生児とにたようなもにしかならなかったが、新しい方法を使用すればほぼ同じようなコピーを作り出すことができると考えられている。
クローン人間が与える利益は多様にある。不妊症対策がそのひとつである。軽部(1997)は、男性に精子がない場合、クローン技術によって子供を作ることができると述べている。もちろんみずからのクローンを作ることですらできると考えられる。映画、「ジュラシックパーク」のなかで行われていた、恐竜を作り出すことも可能であると思われる。すなわち、すでに絶滅している生物を作成することもできるのではないのだろうか。今井(1997)は、クローン羊の報道があった後、一部の人々がヒトラーなどの危険な人物がよみがえるのではないかという不満があったと述べている。しかも非常に屈強な兵士を何人も同じような兵士を作り出すこともできるのではないだろうか。
クローンが作られる過程のなかで、問題が指摘されている。それは無性生殖的に増殖するということである。すなわち、性行為がこの過程の中で行われないのである。自然界の法則の中にも提唱されているように、雌雄間の性行為がない限り、子孫は残せないという理論がある。特に人間のクローンを作成すると、さまざまな理論を覆してしまう恐れがあり、多くの議論が出されることになる。
一つは宗教の理論を全面的に否定することである。宗教の考え方の中には、人間は神から生命を授かった生物であるという理論がある。そして同じ生物が二人存在しかねない時代もまじかに迫ってきている。その生物は人間の手で作り出されたものであり、宗教家から考えれば、それは禁断の科学ではないのかという議題があがるのは、明らかである。だが実際にこのような議題は時代とともに承認されている。たとえばダーウィンの進化論なども否定され続けられていたが、近日ローマの法王が進化論の一部を認めたことは記憶に新しい。一九九八年一月には人間へのクローン技術応用禁止令が欧州19カ国で調印された。この調印もクローン研究は神への冒涜とおもわれているゆえに発展した調印ではないかと考えられる。軽部氏(1998)によると、人間が神の変わりになってはいけないかという考えがある。
クローン人間が大部分の人口を占めたとき、非常な危険な状態になると考えられている。軽部(1998)によると、人間の遺伝的多様性が減少し、主としてヒトの長期的存在にかかわる問題となると述べている。すなわち、強力な伝染病などが流行すると、すべての人口がまとめて死滅しかねないのである。太古の時代から生物は少しずつ進化しており、このクローン人間の出現により進化が止まってしまうと考えられるのである。
前述でも述べたように、クローンは無性生殖的に行われるものである。結婚という概念すら必要なくなってしまうのである。さらに、筆者は性別という概念すらもなくなってしまうのではないかという問題が考えられた。女性は子供を産むために必要であるが、男性は不要になってしまうのではないだろうか。男性がいなくなるということではないが、彼らが不必要となったとき、少しずつ減少していく可能性も否定できない。
最相(1998)によると、「クローン人間が生まれてきた場合その子供は差別を受ける可能性が非常に高い、と述べている。子供とは親との家族関係、すなわち子供と親というものによって確立されるものである。これは特に女性のみで、クローンが作られた場合による。」養子などは子供の権利が象徴されるがクローンの場合親の権利によって生み出される可能性がある。子供の権利は完全に無視した状態になり兼ねないのである。
だが、実際に内面まで類似しているクローンを作り出せるとは考えにくい。その一つの原因は、人間の性格は生まれたときに決まっているのではなく、育つその過程によって性格が変わっていくものなのである。重要なことは、外見、そして根本的なものの類似しているものは作成できるだろう。筆者としては、実際に完全に一致したクローンを作り出すことは難しいと思われる。それゆえに前述でも述べた新しい第二のヒットラーが産まれかねない可能性はないと考えられる。元の人間とまったく同じような人生を歩まない限り、酷似するとは考えられない。
最後にクローン問題が世界各国に与えた影響を述べたい。軽部(1997)によるとアメリカではヒトクローン研究の一時的停止を議会に提出したと述べている。だが実際はいまだ審議中であり規制が実施されるのはまだ先と考えられている。他の国でも、いまだ完全な規制は敷かれてはいない。特にクローン技術を悪用する国家が現われることが無いよう監視をするべきではある。
クローン人間問題に対する議題は特に本稿でも述べた宗教関連によるものである。そして、クローンを研究している科学者はさまざまな批判によって研究が進められていない。実際にはクローン技術によって利益もあるが不利益も存在する。だがこの研究は今までの人間の理論を完全に覆すことのできる研究の一つである。人間はさまざまなものを今まで開発してきた。原子力なども以前は革命的と考えられてきたテクノロジーも第二次世界大戦では殺戮兵器としてつかわれてしまった。どのように新しい技術を使っていくのかという点を考慮しない限りクローンも原子力のような過ちを繰り返しかねないと思われる。
近年にわかに、非常に注目を浴びている研究がある。それはクローンである。この研究が近年になって注目を浴びた原因が存在する。一九九七年二月二七日に「ネイチャー」誌が掲載した「核移植」という技術により作製されたクローン羊によって、多くの議題があがったのである。この研究によってさまざまな問題点が指摘され、そして多くの批判なども挙がり、現在では討論なども世界各国で行われている。本稿では、まずクローン、核移植とは何かを提唱し、その研究によりどのような利点、問題点が存在するのかという点について述べてみたい。
まずはクローンという言葉の意味について検証してみたい。今井(1997)によると、細胞を大概で培養し、それらがある特殊な性質を獲得した場合、たとえば遺伝子組換を行っている場合、それらはクローンと呼ばれる。さらに広辞苑によると「遺伝子組成が完全に等しい細胞または生物の集団。一個の細胞または生物を共通の祖先として、それから無姓生殖的に、かつ突然変異なしに増殖することによって生ずる。」いわゆる同じ物のコピーのようなものなのである。すなわち、今存在する人物のクローンも作ることの可能性はあると考えられているのである。一九九七年に発表されたクローン羊もこの無性生殖的に誕生した生物なのである。クローン羊は一九九六年夏に政府特殊法人のロスリン研究所のイアン・ウィルムット博士とキース・キャンベル博士によって無性生殖的に作り出された生物である。このクローン羊が誕生して7ヶ月たった後にウィルムット博士とキャンベル博士によって発表された。
このクローン羊は「ドリー」と呼ばれた。この研究に使われた方法が、核移植であった。熊谷(1997)によると核を提供する細胞は、六才の雌羊の乳腺細胞、羊の胎児から取った繊維芽細胞、受精9日後に当たる羊の胚からとったED細胞の三種類をクローン羊の作成に使われたと述べている。核移植とは精子の代わりに他の細胞の核を卵子に移植したのである。熊谷(1997)によると、ドリーの以前の方法では人間のクローンを作成できはしなかったが、ドリーの方法では細胞さえあれば、クローン人間が生まれる可能性はあると述べている。以前の方法だと一卵性双生児とにたようなもにしかならなかったが、新しい方法を使用すればほぼ同じようなコピーを作り出すことができると考えられている。
クローン人間が与える利益は多様にある。不妊症対策がそのひとつである。軽部(1997)は、男性に精子がない場合、クローン技術によって子供を作ることができると述べている。もちろんみずからのクローンを作ることですらできると考えられる。映画、「ジュラシックパーク」のなかで行われていた、恐竜を作り出すことも可能であると思われる。すなわち、すでに絶滅している生物を作成することもできるのではないのだろうか。今井(1997)は、クローン羊の報道があった後、一部の人々がヒトラーなどの危険な人物がよみがえるのではないかという不満があったと述べている。しかも非常に屈強な兵士を何人も同じような兵士を作り出すこともできるのではないだろうか。
クローンが作られる過程のなかで、問題が指摘されている。それは無性生殖的に増殖するということである。すなわち、性行為がこの過程の中で行われないのである。自然界の法則の中にも提唱されているように、雌雄間の性行為がない限り、子孫は残せないという理論がある。特に人間のクローンを作成すると、さまざまな理論を覆してしまう恐れがあり、多くの議論が出されることになる。
一つは宗教の理論を全面的に否定することである。宗教の考え方の中には、人間は神から生命を授かった生物であるという理論がある。そして同じ生物が二人存在しかねない時代もまじかに迫ってきている。その生物は人間の手で作り出されたものであり、宗教家から考えれば、それは禁断の科学ではないのかという議題があがるのは、明らかである。だが実際にこのような議題は時代とともに承認されている。たとえばダーウィンの進化論なども否定され続けられていたが、近日ローマの法王が進化論の一部を認めたことは記憶に新しい。一九九八年一月には人間へのクローン技術応用禁止令が欧州19カ国で調印された。この調印もクローン研究は神への冒涜とおもわれているゆえに発展した調印ではないかと考えられる。軽部氏(1998)によると、人間が神の変わりになってはいけないかという考えがある。
クローン人間が大部分の人口を占めたとき、非常な危険な状態になると考えられている。軽部(1998)によると、人間の遺伝的多様性が減少し、主としてヒトの長期的存在にかかわる問題となると述べている。すなわち、強力な伝染病などが流行すると、すべての人口がまとめて死滅しかねないのである。太古の時代から生物は少しずつ進化しており、このクローン人間の出現により進化が止まってしまうと考えられるのである。
前述でも述べたように、クローンは無性生殖的に行われるものである。結婚という概念すら必要なくなってしまうのである。さらに、筆者は性別という概念すらもなくなってしまうのではないかという問題が考えられた。女性は子供を産むために必要であるが、男性は不要になってしまうのではないだろうか。男性がいなくなるということではないが、彼らが不必要となったとき、少しずつ減少していく可能性も否定できない。
最相(1998)によると、「クローン人間が生まれてきた場合その子供は差別を受ける可能性が非常に高い、と述べている。子供とは親との家族関係、すなわち子供と親というものによって確立されるものである。これは特に女性のみで、クローンが作られた場合による。」養子などは子供の権利が象徴されるがクローンの場合親の権利によって生み出される可能性がある。子供の権利は完全に無視した状態になり兼ねないのである。
だが、実際に内面まで類似しているクローンを作り出せるとは考えにくい。その一つの原因は、人間の性格は生まれたときに決まっているのではなく、育つその過程によって性格が変わっていくものなのである。重要なことは、外見、そして根本的なものの類似しているものは作成できるだろう。筆者としては、実際に完全に一致したクローンを作り出すことは難しいと思われる。それゆえに前述でも述べた新しい第二のヒットラーが産まれかねない可能性はないと考えられる。元の人間とまったく同じような人生を歩まない限り、酷似するとは考えられない。
最後にクローン問題が世界各国に与えた影響を述べたい。軽部(1997)によるとアメリカではヒトクローン研究の一時的停止を議会に提出したと述べている。だが実際はいまだ審議中であり規制が実施されるのはまだ先と考えられている。他の国でも、いまだ完全な規制は敷かれてはいない。特にクローン技術を悪用する国家が現われることが無いよう監視をするべきではある。
クローン人間問題に対する議題は特に本稿でも述べた宗教関連によるものである。そして、クローンを研究している科学者はさまざまな批判によって研究が進められていない。実際にはクローン技術によって利益もあるが不利益も存在する。だがこの研究は今までの人間の理論を完全に覆すことのできる研究の一つである。人間はさまざまなものを今まで開発してきた。原子力なども以前は革命的と考えられてきたテクノロジーも第二次世界大戦では殺戮兵器としてつかわれてしまった。どのように新しい技術を使っていくのかという点を考慮しない限りクローンも原子力のような過ちを繰り返しかねないと思われる。
横入りするが、hokusyuがおかしいのはそこで、
さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。
とかいって、
経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。
資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる
これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。
勝手にここまで捻じ曲げて、
我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
とか吹いていたわけで。
一番最初のfuku33のエントリーでは、「百貨店が競争に負けてかわいそう」とかいう学生のていたらくをぼやいていたわけで、まさにその「当たり前」の話から説明しなければならないから躍起になってトリアージのような穏当でないモデルまで使ったのが軽率なんだろう。だからといって、上の引用のようにいちいち「組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)」みたいにカッコ内を悪意で埋めて「全体主義理論じゃん!」とまで罵ったhokusyuが、「経営学もトリアージも否定してない」というのなら、否定はしていなくても十分もとの意図を理解したうえでわざと自覚的に悪意で貶めているんだよ。「「適切な配分」とはユダヤ人問題の最終的解決だ」というのを強弁と呼ばなければ何が強弁なのかわからなくなるくらいのものだ。
それでこういうことを書いたら自分もHALTAN認定されるのかな?
小林よしのりに感化されて軍拡マンセーしていた昔の俺みたいなオタクもいれば、
ヘルメットかぶってアキハバラ解放!とか叫んでたようなオタクだっている。
また、ガンオタでも作中で使われている技術や理論について語りたがる(エセ)理系オタクもいれば、
俺ニュータイプ論やシャア史を語りたがる(エセ)文系オタクだっている。
俺の身近なオタクにも、メンヘラさんやかまってちゃん、空気が著しく読めない奴(俺のことだけど)に、
陰謀論大好きさん、新興宗教ガチはまりさん……等、いろんなタイプがいて、
十把一絡げにオタクと言う分類わけをするのは難しいと思う。
だいたい元増田の言ってることなんて、どんな思想にも当てはまりそうなものだけどなぁ。
共産主義思想だってブルジョアジーを悪の枢軸に仕立て上げ(善悪二元論)、
搾取される労働者とやらに感情移入をして(感情移入と過度の思い入れ)、
歴史必然的にプロレタリア革命は起こると自身の暴力を正当化する(観念的空想、拗ね者意識、ルサンチマン)。
また、ヒトラーだってユダヤ人とその資本を絶対悪に仕立て上げ、
アーリア民族の優秀性を説いて、文化破壊者であるユダヤ人をぶっ潰せと喧伝したわけだ。
構図としては上の共産主義思想と大して変わらないんじゃないかなぁ?
これはべつにオタクじゃなくても当てはまるだろうという指摘があるとすればそれはその通りだが、ここで対象をオタクに限定したのは、筆者自身がいわゆるオタクであり、オタクのなかに見られる論理と心理について、ほかの集団のそれについてよりもよく見知っているという理由による。したがってここで例示したものは、あくまでそれがオタクにおいて比較的傾向的に強く見られるという筆者の観察に基づいている。
ってあるけど、俺が上に挙げたような点は、一般的に見られる普遍的な傾向であって(当時はみんな熱狂してたしね☆)、
”オタクにおいて”比較的傾向的に強くは見られるっていうのは違うんじゃないかと思う。
俺の私見では、現実の問題について語る素人が増えただけだと思うんだよね。
今まで政治問題なんてのは一部のインテリがどっか遠い場所で語るくらいだったのが、
インターネットの普及によって俺たち庶民にもそういうことを語る機会が生まれたわけだ。
で、そのインターネットにいち早く接触したのが、元来機械好きでリアル交友の少ない(笑)オタクたちだった。
オタクたちの遊び場であった匿名、あるいは非匿名の掲示板では時期的に偶然にも右翼タカ派の言説が多く、
彼らはそれに染まっただけだと思うんだ。
つまり”オタクだから”そういう考え方をしているのではなく、”たまたまオタクが”そういう考え方にいち早く染まったんじゃないかなーと。
ああ、俺はヒトラーのしっぽだったのかw
ヒトラーなんかは結構近いこと言ってる。
どうやったら労働者の給料があがるかなー(=経営陣が払う気になるかなー)と考えたんだけど、
払った給料が国内消費に回ればいいんだよなと思ったのよ。
そのためには、外資規制上等だし、外国人労働者なんか入れたら、儲けた金全部海外に持ってかれるから意味ねえじゃんと思ったの。
組合も組合で、「万国の労働者」だの、ピクニック気分でデモ行進やってないで、
「サービス残業を同時多発ばっくれオフ」とかやればいいのにとか思った。
経済的な右派左派と歴史観的な右派左派は別の概念であるべきなんだろうけど、
それが固定されて成長してきたのが問題なんだろう。
戦後の米ソ対立のなか、日本は基本的に経済成長を続けていった。
年功序列の終身雇用で、適度にがんばってりゃ適度にいい給料が貰えて、
手前の食い扶持の心配なんてほとんどしなくてよかった。
(http://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2006/s1/1-10/01situgyou/situgyou.xls)
だからみんな基本的には経済のことになんか関心はなくて、
戦争とか核ミサイルとかそういうのでイデオロギーが対立してた。
日本が豊かだったせいで、増田が言ってるようなグループが育つ余地がなかったんだろうね。
ヒトラーなんかは結構近いこと言ってる。
それに対する反感なんかがごく初期にはあったのかもね。