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2019-12-02

これまでに一度だけ、友人に金を貸したことがある。もともと個人間での金の貸し借りはしないと決めているから、最初から返してもらうことは期待していなかった。

こちから返済を求めたことはない。向こうから「返さない」と言われたわけでもない。そんな中途半端な貸金だ。

3ヶ月かけて車でオーストラリア大陸縦断するという旅の費用で、わずかな金額ではなかった。

もちろん私は慈善家ではないから、金を出したのには理由がある。人生が変わるかどうか、知りたかったのだ。

それ以前の何年か、彼は家庭でも、仕事でも、不本意な状況に置かれていた。その苦しみがどれほどのものであったのかは知らないが、彼はある日、すべてを投げ捨てて旅に出ることを決意し、その金を工面するために私のところにやってきた。

彼はこの旅で、人生がやり直せると信じていた。

旅の目的は、誰もいない真夜中の砂漠で、赤い月とともに踊り明かすというものだった。こんな荒唐無稽な話になぜ魅かれたのか、自分でも不思議だった。

誰もが心のどこかで、人生リセットしたいと考えている。だが残念なことに、人生にはコンピュータゲームのようなリセットボタンはない。

私たちが暮らす高度化された資本主義社会では、人生を変えたいと望む人々のために、さまざまなコンビニエントな方法が用意されている。新興宗教自己開発セミナー携帯電話出会い系サイト、薬物などはどれも、人生リセットするためのお手軽な道具の一種だ。少し前には、「自殺すれば人生リセットできる」とする本が、若者たちの間で圧倒的な支持を得た。

私たちは、これらの方法がすべて幻想であることを知っている。だがその一方で、どこかで人生を変える出来事を願ってもいる。

昨日と同じ今日が、今日と同じ明日永遠に続くとしたら、生きることの意味はどこにあるのだろう?

私にも、漂泊への抗いがたい憧憬がある。非日常世界に身を投じたいという衝動がある。砂漠月光の中で踊りたかったのは、彼ではなく、私自身だった。

オーストラリアへの長い旅から帰って、彼の生活さらに荒んだものになった。家庭は崩壊し、仕事の大半を失い、やがて連絡すらなくなった。

人生は、日々の積み重ねの延長線上にある。だから簡単には変わらない。そんなことは、彼も知っていたはずだ。

最近、彼がアパートを引き払って、予定のない長い旅に出たことを聞いた。今頃はインド放浪しているはずだという。

際限のない自由を手に入れた彼は、人生を変える体験をまだ探し続けている。

はいつかは終わり、戻るべき家はない。

橘玲雨の降る日曜は幸福について考えよう

 
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