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はてなキーワード: 誰かのためにとは

2008-12-04

自分に満足したことがないって言うけど。

自分に満足したことがないって言うけど。

自分は弱い人間だって言うけど。

 

満たされてしまったらそこで人生は完結でしょ。

満たされてなくて、いいんじゃないの?

成長の余地を自分で感じられるのは幸せなことだ。

不安自分承認してもらえる場所が必要なら、今ここで私があなたを承認するよ。

あなたの考えたことに価値見出し人間がここにいます。

他人に任せず、もっと掘り下げてもらえることを楽しみにしてるよ。

弱い人間が、自分の気持ちにどうやって向き合って、

どうやって気付いていくのか、その過程を知りたいと思っている人は

自分以外にも、きっともっとたくさん居ると思うよ。

 

仕事をしているかしていないかなんてことは、

単なる状況にすぎなくて、あなたの人格とは別の話。

そもそも仕事って、賃金が発生するかどうかじゃなくて、

誰かが必要としているものを、求めているその人に提供することじゃないかなあ。

生憎、世間は数値的・金銭的に評価する以外、誰の目にも見える形で

その価値を判断する共通の基準を持ち合わせていないけれども、

認識されていないけれど仕事というものはいくらでもある。

他人に評価を任せる限り、この状況は止むを得ないことだけれども。

 

常にベストを尽くすことを考えているなら必然的に

最後の意思決定者は自分自身ってことになると思うんだけどなあ。

そしてもちろん、その自分の行動を評価するのも自分になる。

いつも誰かが自分を見ているからやるの?

自分の背負った業だからしぶしぶやるの?

因縁だの霊だの、そんなものがあるかないかなんてのはどうでもいい。

けど、それがあるかないかで態度が変わるっていうなら、

そんな曖昧な信念なんて信用できないな。

自分の手に負えないことがあろうがなかろうが、

どのみち「できること」以外に選択肢はないわけで、

そんな自分の力を超えたものの存在観念する意義が分からない。

神や仏がいなくても、私は誰かのためになりたいと思うよ。

幸せ定義意味価値も手に入れ方もなんにもわかっていないけど、

それでも心からあなたが幸せであって欲しいと願うことはできるよ。

 

人は自分が見たいようにものを見てしまう生き物だし、

信じたいものを信じて、それを求めても構わないと思う。

けどそれでも、もしも信じているものを失うことで

今の自分が変わってしまうって恐れているなら、

自分に嘘をついて生きてるってことなんじゃないの?

明日世界が変わっても自分価値は変わらないって言える自信はある?

そういうふうに自分の行動を自分で決めていけばいいだけのことじゃないかなあ。

 

日常生活に変化がないというか、

何の流れもないところで考え込んで、同じ思考を循環させているようなら、

今は、表現するよりも、考える材料を集めるために、

手の届く範囲でちょっとずつ動き始めてみたらどうだろう。

自分に合う仕事を探すのは、案外楽しいですよ。最初は面倒臭さが勝るけども。

流れを変えてみると、気分も変わって「その先」の考えにたどり着けるかもしれない。

そんな風に自分は信じるので、ここに書いておきます。

 

(他所に書き込もうとしていたものなんだけど、長くなりすぎたのでこっちでメモ

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081121183311

産休期間って前1.5か月あと2か月だから4か月は無職なんだが(給料法律に従って支払われるので厳密には違うが)それもわかってなさそうだよなぁ。

つうか自分給料は全部自分のために使いたい&誰かのために我慢したくない(休日は友達と遊びに行くのが前提とか)ひとは何で結婚するのかよくわからない。なんでなんだろうなぁ。あぁ言う人たち。

お,調べたらちょう勘違いしてた。

だめだなーひとのこといえねーや

http://www.babysbook.net/mother/shussan/sankyuu/

2008-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20081116190859

俺、小学校以来、数十年、友達いないぜ。

恋人だっていない。

でも、結構なんとかなるもんだぜ。

ただ、評価されようとか、理解してもらおうとか、考えちゃいけない。

そういった見返りを求めずに、家族でも、同僚でも、後輩でも誰でもいい。誰かのために、なにかしてみようぜ。

増田が望む物は手にはいらなくても、生きていけるだけの安いプライドを手にいれることができるぞ。

2008-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20081111022737

だよねw

社会のために、効果も出ないようなことするのなら、

身近な誰かのために具体的に行動した方が還元されると思う

2008-10-05

http://www.earthfield.net/new/life.htm

恋愛日常編)

◎なにも悪いことしてない人

自分以外の誰かのために一生懸命頑張って、自分を置き忘れていませんか?

自分にも価値を認めないと支えきれずに潰れてしまいます。

自分自身も周囲のものも大切にして、活かす道を探りましょう。

◎「いいひと」

自分のことを「普通、どちらかと言うといい人」と思っている人の中には、「どうでもいい」人がいます。様々なものを見捨ててしまっているが故に「気になることや問題はあまり何もありません。」と言います。

過渡期の現在、本当に良い人なら当たり障りのない人生は過ごしません。常に自分と周囲のための改善を図っていくことでしょう。時には困難もあるかもしれませんが、実りの多い人生となるでしょう。せっかく生まれてきたのですからライブ楽しみましょう。演る側にまわりましょう。

◎優しい?人

自分のことを「優しい」と評価する人のなかには、弱い人や易しい人もいます。気を使い、相手の強引さに負けやすく、自分の弱さの為に何かを譲ったり我慢をしたりする人です。

真の優しさとは強く、時には相手にも自分にも厳しいものです。 優しく、気高く、そして誇り高く在りなさい。

もう一踏ん張り、そしてもう一踏ん張り、譲らないことをトレーニングしましょう。

◎「頭ではわかっているんだけど・・・・」と言う人

理解が浅いか、深層では矛盾した考えを有しているか、思考と感覚や感情等との統合がとれていません。矛盾点がないかもう一度考え直しましょう。自分を棚上げせず、普遍性や立場が代わった場合等他のケースではどうか見直してみましょう。感情や感覚に合わせてみましょう。----自分では、あるいは周囲の人に聞いても、どうしても解決に繋がらなければ、本当は知らないのです。何かが根本的に間違っています。 諦めて、エネルギーワーク等をお受け下さい。

◎全てを許せと教えられた人

全てを許すなら、自分の素直な反応も許しましょう。怒るべき時には怒りましょう。

反応を止めることはエネルギ−の流れを止めることであり、無理を生じて破綻を来します。

自分の自然な反応を許さず他の「全てを許す」というのは「見放している」というのと同じことです。

自分という存在さえ見捨ててしまっています。自分を許さずに世界を許すことはできません。

自分の為に過去を赦し様々な未来を許可すると自分と世界が緩くなります。

◎「してもらうのが当然」の人

「してもらうのが当然」なら「してあげるのが当然」でなくてはなりません。

してあげるのを嫌がると流れが止まり運が尽きます。もらう以上にあげるぐらいが良好です。

◎同じを求める人

あなたと相手が同じになると流れが止まり、お互いの芽を摘むことになります。

活かすとは変異を認めることにあるのです。自分と異なる点も大事にしましょう。

◎傷ついた人

感情面で傷ついたり気に障るのは、そこに感情障壁があるからです。

あなたがバリアーを張っていて、そこに何かが触れたからなのです。

痛いだけのバリアーをはずしましょう。そうすると心の傷も一緒になくなります。

◎自信のない人

自信のエネルギーポイントは胸にあります。

うつむかずに顎を引き、肩を張らずに胸を張りましょう。そして自分のできたことを思い出しましょう。

周囲の人のできたことばかり思い出される人は、そこにあなたのサポートがあったことを思い出しましょう。

自分が何者かを思い出したら、自分の望む方向に粘り強く進みましょう。

その歩む行為があなたの自信となります。

◎暗い人

人や何かのために行動して褒められたり成果が出ると明るくなります。

褒められないのは、

 足りないか

 相手を間違えているか

 あなたの「人を測ったり責める気持ち」>「人に感謝や嬉しいの気持ち」だからです。

節操のない人

節操のない人は真実に届きません。尻軽にあちこち飛び歩いていると大事なものさえ見過ごしてしまいます。おいしそうなものばかりつまみ食いするのではなく、一つ一つをよく噛み締めましょう。そうすると人生が実りあるものとなります。

◎他人の応援ばかりする人

あなたと応援している相手との方向が同じとは限りません。むしろ人はそれぞれ別の存在です。

あなたにもできます! 自分のために自分の力を発揮しましょう。自分を応援しましょう。

◎他人のせいにする人

「あの人がこう言ったから。」等と自分の行動を他人のせいにする人は、その成果や喜びも自分のものとはできません。それでは奴隷「ひとでなし」と同じです。

やりたくないときは、断固「否!」を通しましょう。自分の意志でやりましょう。自分の責任でやりましょう。

自分のやる気でやった時に、達成感が生まれるのです。つまんない人生とサヨナラしましょう。

◎期待に沿えなかった人

期待に沿う必要はありません。期待は重石です。あなたに重石を載せるような人の言うことを聞く必要はありません。

あなたがやりたいだけできたなら、それでいいのです。

◎迷惑をかけてはいけないと教えられた人

迷惑はかかるものです。「迷惑をかけてはいけない」を厳密にすると生きていけません。そして「これぐらいなら許される」というものでもありません。ですからむしろ自分がどれだけ他の存在に迷惑をかけているのか意識して正確に測りましょう。同時に御返しについても測りましょう。その量が多いということは、自分を活かし他人を活かしているということです。

◎恩返しできなかった人

受け取ってもらえなかったり、いなくなってしまったり、そのとき自分に力が無かったり。悔やんでも悔やみ切れず自分を責めてしまう人は、恩を下に返しましょう。そうして人類は良い行為を続け増やしてきたのです。「私も昔してもらったから・・・」というあなたに助けられる人は、どれほど多いことでしょう。

◎どうしたらいいか判らない人

どうしたら良いかは、調べ、考え、尋ねれば分かります。その先は自身の実践と試行錯誤の繰り返しです。

「兵は巧遅より拙速を尊ぶ」とも云います。実践し、経験し、やり直しましょう。前進あるのみです。

◎気遣いの多い人

気遣いが多いのは、人や問題を深いところで捉えず、表面的に取り繕うことばかりを繰り返しているからです。

気遣いは、「人に嫌われたくない」「責められたくない」「仲間はずれ村八分にされたくない」という恐怖心から発しています。

恐怖心から発する行動に、愛はありません。愛は深く強く、障害をものともしない、すべてを生かす力です。

目を逸らさず人や問題を直視しましょう。根本的な問題解決を図りましょう。ときには手を出さず見守ることをトレーニングしましょう。

◎「気遣いがない!」と怒る人

自分の機嫌が悪いのを八つ当たりしていませんか? 本当は気遣いは必要ありません。

愛があれば良いのです。

自己中心的な人

自己中心的な人には中心がありません。自己の望みを知らず空洞の円の周囲をグルグル廻っています。そのため満足を知らず、感謝助け合い意味が解らないので怒り、勝手な振る舞いをします。

自分の望みや満足を問い直しましょう。作戦を捨てて一直線にそれに向かい、人のありがたさを知りましょう。適当生き方なんて辞めてしまいましょう。

◎なぜか時間に遅れる人

できない約束やしたくない約束を重ねてきたのかもしれません。自分の中で「守らなくちゃいけない」と「縛られるのは嫌だ」がケンカしています。気遣いや「いい顔をしたい」等は捨てましょう。やりたいことだけ約束しましょう。そして約束は「しなくちゃいけない」義務ではなく、その時になったら「やってもいい」許可だと受け取りましょう。

憂鬱な人

あれもこれもと望み過ぎです。自己矛盾や嘘、言い訳や無理矢理がありますから、諦めましょう。

やれることからこつこつやって、自分の出来を愉しみましょう。

◎待ちくたびれた人

あなたは実際の時が来る前に想像イメージトレーニングを行い、同時に生命エネルギーも使い果たしてしまいました。

エネルギーを使い果たした状態ではイメージ通りに行くはずがありません。

想像するのを止めましょう。その時間は何か他の愉しみに使いましょう。

現実世界の変化は多様ですから、「うまくやろう」という考えは捨てて、臨機応変に世界と自分の変化を楽しみましょう。

◎意地や見栄を張る人

意地や見栄を張るのは、立場を失うのが怖いからです。でもその立場は砂上の楼閣です。

維持するために出費がかさみ崩れ落ちてゆくでしょう。

本当に守りたい何かのために恐怖を乗り越え最適な立場に移りましょう。全てを失う前にカミングアウトしましょう。

プライドの高い人

人間関係上下関係だけで捉えていませんか?

いつも「あいつの方が上だ、悔しい。」「自分の方が上だ、ふふん。」「みんな、間違っているよ。」なんてやっていると疲れてきますし周囲の人も離れていきます。良いアドバイスももらえなくなりますし、アドバイスされると傷つけられたような気分になって真っ当に受け止められないでしょう。

本当は世界は開かれている協力関係にあります。横つながりの助け合い世界です。

素直に「できないの。」「お願いね。」「ありがとう。」って言えるようになりましょう。

心を開きましょう。

プライドと自負心

プライド(pride)は「群れ」です。プライドの高い人は、時に周りの評価に振り回されます。

また、自負心の強い人は、自分で自分に負わせた重荷に耐えかね潰されることがあります。

目指すところは同じです。自分を大切に。周りも大切に。

◎優劣にこだわる人

こだわり過ぎると自分と相手との間に壁をつくり、自分を閉じ込め孤立させます。

囚われず視野を広く持って人それぞれ条件が異なることを知り、自分と相手お互い各々の「素敵!」を見い出しましょう。

◎一番になれば認められる、と思った人

できるかどうかと、他人が認めるかどうかは別です。例を挙げれば、歌が上手だからといって歌手になって有名になるとは限りません。他人が認めるとか有名になるというのは、その「一番」とか「できる」とは別のもので、努力の方向性が異なります。考え直しましょう。

◎他人が羨ましい人

あなたはその人の人生の素敵なシーンだけを見ています。

人はそのポジションにつく為に様々なものを支払い、いる為に条件を科しています。あなたにとってマイナスと思われるそれら全てを引き受ける覚悟があるか、自分に問うことです。そして覚悟があるならそれに向かって行動しましょう。

◎兄弟姉妹間の嫉妬について

親や兄弟姉妹と比べるのは辞めて全人類と較べなさい。兄弟姉妹がどうかではなく、自分の内側に答えを問いなさい。

その時あなたは独立した存在となれるでしょう。

◎父の教え

我が父は私にこう教えました。「ぼくは人生は円のようなものだと思う。生まれたところを中心に円を描き、その円から次の人がまた円を描く。」

父母を競争相手のように感じている人は、間違いです。そもそも発進点が違うからです。 どのような円を描くかが大事です。

◎二番目に多くある問題

セカンドはトップとよく比べられ、自分でも比べます。比べるときに、人は物や行動や他人の評価を物差しにすることがよくありますが、間違いです。物質化した結果を比べている限り、セカンドはオリジナルに成れません。大事なのは優れた結果を生み出した考え方です。セカンドやコピーであることを悩む人は先ず「比べる」ということを止めてみましょう。結果を真似て超えようとするのではなく、考え方を学び自分で練ってみましょう。

◎張り合う人

周りと同じでないと不安なくせに、横の人より優れていたいというのは、自己矛盾です。自分を見直し抜け出しましょう。

◎1番にしがみつく人の問題

「OOのトップ」とか「スーパーOO」とか呼ばれる人のなかには、そのポジションにしがみつこうとしている人がいます。このような人は後ろから迫ってくる人のことが気になって実力が発揮できません。ネガティブキャンペーンなど内部抗争に気をとられているうちに外圧に潰されます。今までのように前を向いて走りましょう。次を目指しましょう。身に合わなくなったポジションなぞ、置き去りにしましょう。

◎ひがんでいる人

ひがんでいる人は、心に壁があって目からも耳からもマイナスしか入りません。心にプラスが残りません。ですから、周囲の人がいくら褒めた言葉や仕草を与えても気持ちが通じません。結果として本人は「認められていない、認められたい」と思いますし、何かモノをもらったりしても「普段認められていないんだから、これぐらいもらっても当然よっ!」ぐらいに受け止めてしまって感謝が生じません。周囲の人にとっては「やりがいのない人」となります。

ゆがんだ目で見ても物事はまっすぐ視えません。「あいつばっかり良い目にあって」「自分ばっかり損をして」と感じる人の問題は本人にあります。先ず自分のひずみを直しましょう。見直しましょう。あなたの思っている以上に世界は正当にできています。

イライラしている人

あなたはエネルギ−と時間を浪費しています。疲れてイライラして周囲へ当たるのは、既にエネルギー不足を起こしているからです。良い仕事はできません。眠りましょう。

そして自分のエネルギーがどこで浪費されているのか検索しましょう。

◎諦めきれない人

「あきらめる」とは明らかであると知ることです。「諦めたけれど・・・」なんて「〜けれど」がつくようでは未練です。ちゃんと痛手を味わいましょう。

「もし〜だったら」などと逃げないで、その時点のあなたではどうしようもなかったと思い知りましょう。

何かを学んだら自分を許して時に任せることを知り、過去の事は澄ませて、今のあなたにできることをしましょう。

◎手放せない人

「さようなら。」も愛の表現のひとつです。あなたは知っています。

言い訳は止めましょう。あなたと相手のために勇敢に行動しましょう。

そのあとには、自由や平安、新しいチャンスが待っています。

完璧を求める人

「極める」という言葉があります。この世界は変化し続けています。ですから際(きわ)までは突き詰めることができますが、そこには行けません。行ったと思った瞬間にはそこが変化しているからです。完璧とはあり得ないことだと知っておくことです。

求めても得ることができないと知ることが差取りです。

コントロールしたい人

あなたと誰かは別存在です。ですから完全なコントロールは不可能です。あなたがコントロールしようとするほど相手は反発を感じます。あなたもその作業のために自由を失い、やがて破局します。

縛るものは縛られます。相手を自由にし、自分も自由に生きましょう。

◎すぐに見捨てる人

誰かを見捨てたり何かを見放すと、その時はスッキリ良い気分になります。でもそれは自分の可能性を捨てているのと同じです。いつかの可能性の為に見守りましょう。

◎過ぎてしまう人

幸せなとき」で終わるかは切り上げるタイミングです。

時を過ぎると過放電を起こして「疲れた」で終わってしまいます。

◎すぐに助けを乞う人

人は自分ができたことに誇りや喜びを感じるのに、あなたはそのチャンスを逃しています。

自分でやってみましょう。もうちょっとがんばりましょう。壁を越えましょう。

するとだんだん楽しくなってきます。活きてるって感じます。

◎逃げてばかりいる人

問題の多くは自分が引き起こしています。自分からは逃げ切れません。観念して問題解決を図りましょう。

◎逃げることに罪悪感を感じる人

状況に危険を感じているなら、できるだけのことをしましょう。

できるだけのことをして、それでもどうしようもなかったら

あなた一人でも逃げましょう。共倒れや全滅だけは避けましょう。

振り返らずに安全圏へ全速力で進んで、そこからできることをしましょう。

中にいてできなかったことでも、外からならできるかもしれません。

◎思い出に浸ってばかりいる人

過去存在を求める人に未来の席はありません。思い出にふけるのをやめましょう。

未来を視ましょう。今を生きましょう。

◎閉じこもって助けを求めない人

この世界は開放系で成り立っています。自分独りでできることには限界があります。

中でどうしてもできないことなら、外に助けを求めましょう。

閉じこもってフリーズしたりグルグル回っていても問題解決に繋がりません。

閉鎖系や物理限界について学んだら、「有難う」って開放系に切り替えましょう。

◎守ろうとする人

「何か(だけ)を守ろう」とすればするほど、視線は内側を向き、閉じた壁は厚く狭くなり

外は敵だらけとなり、守ろうとしていたものさえ犠牲にして小さくすり潰していきます。

守ることは諦めましょう。閉じた円に先はありません。閉鎖系概念は生かすには矛盾なのです。

手放しましょう。開放系に切り替え、全てを活かす道を採りましょう。

◎「済みません。」しか言えない人

自分を閉ざした考え方のために「相手から奪っている自分」を感じて「済まない」と思うのですが、済まないでは澄みません。心に借金を重ねて濁っていきます。

借金してしまった分はとっとと返してしまいましょう。払いきれない分は「ご免なさい」と免じてもらいましょう。 自分を開いて「ありがとう。うれしいっ!」と感謝と共に元気エネルギ−を相手に上げましょう。

◎自分を責めてばかりいる人

「わたしのせいだ。」なんて自分を責めるだけでは問題解決になりません。また、できないことで自分を責めても仕方ありません。何故それが起きたのか客観的に考えましょう。自分と他人の責任を区別しましょう。再発防止の為に具体的に何が可能か列挙し行動しましょう。ニ度と同じ失敗はくり返さないと知れば、そのことは済まし、自分を澄ましましょう。

◎悪者探しをする人

誰かのせいにしても問題が解決するとは限りません。それが正当とも限りません。親兄弟や周囲の人のせいにしてもあなたは救われません。犯人捜しと問題解決は別です。自分を救うことも考えましょう。

◎「みんなが悪い」と言う人

最も悪いのは、あなたです。みんなに嫌われて当然です。他人のせいにばかりするのは止めましょう。不満タラタラ言いながら「自分にはできない」等の言い逃れをしたり弱者のフリをして助けを求めるのは止めて、自分で行動しましょう。

◎許せない人

本当に相手が悪いのでしょうか。問題の多くは自分が引き起こし、結果を受け止めたのも自分です。

同じことを許す人と許せない人がいます。「許せない」と感じるのは、感情のトラブルなのです。

考えた結果「許さない」という時は、自由や生存等を確保するという理由がついているはずです。何故許せないのか、何故そうなったのかを考えましょう。

復讐を考えている人

逆恨みは論外ですし、報復合戦は問題解決に繋がりません。しかし、理不尽なことをされたのでしたら、復讐は当然です。きっちり片をつけましょう。徹底的にやりましょう。

ただ、もっと賢いのはやられそうになった時にやることです。「正当防衛」なんて言葉もあります。そしてもっと良いのは、やられないことです。「君子危うきに近寄らず」と云います。

また、復讐を果たしたからといってあなたの喪失感や傷が癒えるとも限りません。ですから自分自身の救済も考えておいて下さい。何故それが起きたのかを考査して再発防止運動を行うのも良いでしょう。

◎いつも身構えている人

見境のないファイティングポーズは周囲の緊張を生み、無益な戦いを引き起こし共倒れの原因となります。戦うばかりが能ではありません。共存の道を探りましょう。自分が賢いことを証明しましょう。

◎闘わざるを得ない人

「殺るか殺られるか」という問題解決思考方法は難易度として易しいですが損害も大きなものになります。戦わずに済むが良いです。しかし闘わざるを得ない時は言い訳を考えずさっさと勝って終わらせましょう。

◎我慢している人

あなたの気持は漏れ出ています。溢れてしまっています。いくら笑顔をつくってみても口で何と言おうとも、気持は必ず伝わります。怒りを我慢しているのに周囲の人から「怒りっぽい人」と評価され、何も言っていないのに「言いたいことを言う人」「好き嫌いが激しい人」と言われるのは、全部ばれてしまっているからです。ばれてしまっているのに我慢する必要はありません。自分を出すことです。そして隠すのではなく何故隠さなければならないような自分なのかを考え、解決策を図ることです。

◎期待する人

期待とは自己表現欲求の他人への転嫁です。自分のやりたいことを自分でやり切っていないから欲求不満となって他人の肩に載るのです。

自分をやりましょう。自分でやりましょう。他人は別の存在で、期待通りになっても自分に真の満足感は来ないと知りましょう。自分で切りをつけましょう。

◎心配する人

あなたのネガティブなエネルギ−が状況を更に悪化させています。心配しても良い事はありません。現状を丸ごと承認し、改善のための自分の努力意識を向けましょう。

八つ当たりする人

自分の大切なものを傷つけています。怒りを出してはならないと言っているのではありません。怒って当然の時はあります。その時に怒りましょう。その相手に怒りましょう。我慢しているから溜まって本来向かうべきではない方向に殺すエネルギーが向かうのです。出すべき時に出しましょう。

コントロールのために怒る人

怒りは時として相手をコントロールするために発せられます。怒った時は相手の生命エネルギーを得ていい気になるのですが、他人のエネルギーは長持ちせず、すぐイライラします。不当に怒られた側は次の誰かに八つ当たりするか、予防または反撃を考えるでしょう。他人に依存するのは止めましょう。自分の内側から生命をくみ上げましょう。自分で自分を活かしましょう。

「ありがとう」と言えない人

気の強い人や自尊心の強い人の中には、上手に「ありがとう」と言えない人がいます。

「ありがとう」と言うのが自分の欠点や過失を認めるような気がするらしいのですが、

「有り難い」というのは、人間物理限界を知りそれを認めることのできる心の強い人が感じる感情ですので、

恥ずかしがらずに素直に表現すると良いと思います。

感謝を受け取れない人

餌付きの釣り針でない限り、感謝は素直に受け取りましょう。

そのほうが相手も楽になります。「当然のことをしたまでだ。」なんて肩肘張らないで

あなたは意外にいいことをしたのです。自分のしたことの価値を認めて

相手と一緒によろこびましょう。するともっと一緒に楽しく生きられます。

◎「感謝の気持が通じない」と言う人

感謝は自分がしたら済むのです。感謝の見返りを求めるのはやめましょう。

感謝とは

ニコニコニコ。「うれしいな。」「よかったね。」「ありがとう。」など

内から生命エネルギーが湧く感情や言葉

何かをもらうから交換に感謝するのではありません。

もらっていることに気付くと出る良い気持ちが感謝です。"I am Lucky!!"ってね。

良い気がしない時は、手放してみましょう。なくなると価値がわかります。

◎わかってもらえない人

まず自分や相手の事を理解しましょう。自分の矛盾点を見つけて解除し、自分をスッキリさせましょう。

相手の許容性等も把握しましょう。そして明確な意志を伝えましょう。

◎「何を考えているか分らない人」

情報不足であったり思考能力が足りない可能性と、価値観や思考プロセスが異なっていてあなたの理解外の可能性があります。情報や考え方を伝えましょう。また、理解外を許しましょう。

◎誰とでも仲良くしたい人

無理があります。負荷があなたやあなたの大事な人にかかっています。大事な人とそうではない人を区別しましょう。

人は各々異なっています。全員に好かれるなんて不可能です。嫌な顔を隠しながらお付き合いするのは止めましょう。

群れていたからといって助かるとは限りません。大きな船でも沈む時は沈むのです。良い人とだけお付き合いしましょう。

◎なぜ、嫌いなんでしょう?

「あの人とは付き合いたくない。」という人がいたとします。

その人があなたを傷つける人なら嫌いで当然です。でもそれ以外の理由なら、なぜかと自分に聞いてみる価値があります。

また、その人はあなただけを傷つけるのでしょうか? それとも誰にでもそのような態度をとるのでしょうか? もしあなただけに酷い態度をとるようなら、そこには何か理由がありそうです。周りの誰もがあなたを傷つける態度をとるなら、あなたに問題があるのかもしれません。

理由や問題を検索し、問題解決行動を採りましょう

◎「駄目」や「嫌い」の多い人

「嫌い」「駄目」が多い人はこの世界を楽しめません。その多くは思考制限による感情のトラブルです。産まれてから現在に至るまで家族や狭い社会からプログラミングされてきた結果です。自分で組み込んだものもあるでしょう。よく世界を観ましょう。世界は自由で様々な形で存在しています。自分の制限プログラミングをはずしましょう。

◎ジミー坊やと白ねずみの

心理学では有名なお話です。

ジミー坊やは白ねずみと遊ぶのが大好きでした。優しいおじいさんも好きでした。

ところがある人が、坊やが白ねずみと遊ぶたびに坊やに電気ショックを加えました。

幾度か繰り返されるうちに坊やは白ねずみが嫌いになりました。それだけでなく坊やはおじいさんも嫌いになりました。

おじいさんの長く白いひげが白ねずみに似ていたからです。

ひどい話ですが、似たようなことは誰にでもありうる話です。

例えば、子供の頃苦手だった誰かと同じ名前の人に対して、別人だと解っているのに何故か緊張してしまう等も、このパターンです。

(実際は、本人が気づかない処で混同などが起きていることが多くあります。)

このような制限プログラミングをはずすお手伝いをアースフィールドでしています。

◎奪い過ぎている人

何でも見境なく「私が」「私に」と言う人は、他の誰かのチャンスを奪っているだけでなく、自分の本当に欲しいものさえ見失ったり得る機会を逸したりします。

人には容量があると知りましょう。手を引くことを学習しましょう。そうすると人生が綺麗に流れて、今まで知らなかった世界が広がってきます。苦労していたのが莫迦みたいに思えてきます。

◎信じて裏切られた人

「信じる」とは不安を紛らす等のために現状を思い込みにより認識することです。ですから信じた様にならなくても不思議ないのです。人は変化し言葉は完全ではありません。人や言葉を信じるのではなく自分の目や感覚を信じましょう。予想通りにならなければ自分が間違っていたのです。自分にチェックをかけ直しましょう。

言葉に囚われている人

言葉は事物やイメージを切り取ったものです。その切り取り方は人や状況により異なります。全く同じというのは有り得ないのです。切り取る対象自体が異なる場合もあります。言葉は完全ではないと知りなさい。そして人により状況により言い方や受け止め方を変えましょう。

◎相手に合わす為や支配のために会話する人

その関係は長続きせず、あなたは会話をするのが嫌になるでしょう。会話はエネルギ−の奪い合いの為にあるのではなく、何かを理解し伝えるためにあるのです。無理な会話を止め、知りたい時や教えたい時だけ言葉を使いましょう。

◎不安の裏返しでしゃべる人

物凄くよく喋る人のなかには、自分の不安を覆い隠そうとしている人もいます。内容に殆ど意味はありません。聞く側としては、真面目に言葉を受け止める必要はありません。

自分が不安で喋っていることに気が付いた人は、一人のときに何故何に不安を感じているのか考え、解消しましょう。

◎黙っている人

言葉は完全ではありませんが、言わないと通じないこともあります。言うべきことを言わないと状況はあなたの望まない方向に行くかもしれません。

言いましょう。何を言えば良いのかわからない時は、相手の言葉意味を受け止められていない時です。

解るまでその場で問い質しましょう。

◎「見ザル言ワザル聞カザル」という人

ヒトのすることではありません。自分に関することは、ちゃんと見聞しましょう。言うべきことは言いましょう。自由と権利を取り戻しましょう。

◎言わずにやってしまう人

言わずに人の分まで何でもやってしまう人は、その人の行動するチャンスを奪っています。

問題点があるなら言いましょう。言っても伝わらなければ本人が気付くまで待ちましょう。

その間に、自分が何故それに不満を感じたのか自分の内側の答えも求めましょう。

言うばかりでしない人

あなたは自分の行動能力を失っていきます。自分のすべきことはしましょう。

誰がやっても良いことは手の空いている限り手を出しましょう。手を出して

自分の手で何かができると楽しくなり、あなたの行動能力もあがっていきます。

愚痴を言う人

愚痴を言う」という行為は、相手から生命エネルギーを奪う行為です。

自分は気持よくなりますが、相手は疲れてしまいます。相手に縁を切られても仕方ありません。

また自分が気持よくなるのも一時だけです。問題解決しないので、すぐに不満が溜まり同じことを言いたくなります。

問題解決の為の行動を起こしましょう。愚痴を言わないのも解決法の1つです。

◎恩を仇で返す人

何かをしてもらったり教えてもらった時に、文句を言ったりけちをつけたり愚痴を言うなど礼を失する人は、やがて相手にされなくなります。

お礼だけ言いましょう。何か言ってしまいそうなら頭を下げるだけにしましょう。

ためになったり嬉しかったら感謝も捧げましょう。

◎恩を義理で返す人

恩返しは、感謝と「やりたい」気持でするものです。「半返しにしておくかぁ。」などと金額で測ったり義理で返す人は、恩返しではなく好意に対して取引で応じているのです。礼を失する行為はやめましょう。自分の気持を大切にしましょう。

◎他人の意見占い等に頼りすぎる人

自分の感覚や自由意思を尊重しましょう。あなたの道はあなたの足元にあります。

◎話を進められない人

「考えてみます。」と話を持って帰った後、否定的な考えばかり浮かんだり二度三度と同じ相談をするようなら自分を疑ってみるべきです。誰かに相談して「考えてみます。」等で話を濁しているようでは、あなたの本気が疑われます。本気で問題解決したいなら具体的な部分までその場で話を詰めて、即行動しましょう。

◎愛想笑いをする人

自分に嘘をついています。口は笑っていても声や目は別のメッセージを伝えます。

他人に合わせて笑ったり怒ったりしていると自分の感情を見失います。

自分に正直になりましょう。心の底から笑えるようになりましょう。

愚痴をよく聞く人

愚痴は悪口です。それはあなたの意識を汚します。

あなたに愚痴を言うのは聞きそうな態度だからです。信頼しているからではありません。その人はあなたの悪口を別の人に言うでしょう。何の解決にもなりません。「私に愚痴を言わないで!」と硬く断りましょう。態度で示しましょう。改めれば問題解決法を考えてあげましょう。

◎相談される人

愚痴を言うかわりに人の意見を聞くタイプもいます。

「何々についてはどうでしょう?」と聞いて、ふんふんと頷きながらよく人の話を聞く。

でも実行しないし変化もない。何度でも同じことについて聞く。

聞かれている側は最初は気持が好いのですが度重なると疲れてきます。

自分のアドバイスを再検討するか、相手を再評価するか、時期が来ています。

◎何でも疑ってかかる人

それは期待が裏切られるんじゃないかという恐怖心から来ます。人は時に自己存在さえ疑います。しかし自分まで否定すると何も分らなくなります。ベストは制限のない思考をベースとした体験を積み上げることです。疑うなら行動しないことです。じーっと見てるんです。そして何か「分かった!」と感じた時か欲求が自分の中から起きた時に、その分だけ行動します。余計なことはしません。その分だけです。そしてまた結果やら何やらをじーっと観察するんです。疑うだけでなく「確認」という結果を出していくんです。そうして繰り返しているとだんだん自分と世界のことが解ってきます。そうするとだんだん生きているのが楽しくなってきます。

◎「石橋を叩いて渡る」人

100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。

その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。

石橋とわかっているならさ

2008-06-09

ここで説得の練習してみればいいんじゃね?

家族禁煙させたい増田さん

http://anond.hatelabo.jp/20080608231149

ここで説得の練習してみればいいんじゃね?

えーと、こちらから「父」役で始めてみるか。そちらの名前は「増子」で。

なあ、増子。お前が食費やらなんやら色々切りつめて頑張ってくれてるのは分かるよ。感謝してる。

それにな、煙草が体に良くないってことも、周りがそれみて正直不快に思ってるのも分からないじゃない。

母さんが文句を言ってる間、にやにや笑ってるように見えて不愉快かもしれないけど、あれは一生懸命冷静にしようとして、笑顔がこわばってるだけなんだ。母さんにあんなことを言わせて辛い。申し訳ないと思ってる。こんな俺の体を心配してくれてるんだろう、本当に。ありがたいことだな。

でもな、増子。父さん煙草やめられないよ。煙草やめてくれってのは、「息するな」ってくらい、どうしようもない感じなんだ。正直検討もつかない。無理だな。父さんはもうな、なんか色々疲れたんだよ。面倒くさいんだよ、これまでのやり方を変えるとか、そういう気力自体が湧いてこない。年をとったということなんだろうな。

父さんな、母さんのことも増子のことも、愛してる。家族のためと思って、これまで辛い仕事にも耐え自分の人生を削る思いで働いてきた。もちろん、仕事がただ嫌いで苦痛だったってわけじゃない。自分の仕事が誰かを幸せにしてるかもしれない、とか、あとはそうだな、面倒をみてくれた上司のため、一緒に働いてる同僚のため、お得意さまのため……。

父さんな、そんなふうに「誰か」のために何かすることは嫌いじゃない。

人間はな、一人で生きてるわけじゃないんだ。誰かの役に立つってことは、そりゃあ大事なことだ。

でも大抵の人はそんな「社会にとってかけがえのない一人」だったりするわけじゃない。そんな「ふつーの人」が誰かの役に立つためには……やっぱり頑張って頑張って……体を削って頑張らないとダメなんだ。自分の体を削って誰かのために頑張ってやっといちにんまえ……父さんな、そう考えてこれまで生きてきたわけなんだよ。

なのにな、「煙草止める」ってのは、なんだ?「俺の体のため」??分かんねえ。

煙草吸わないと、俺は多分仕事できないな。もちろん「体」は健康になるかもしれないが「仕事」は無理だ。体削って仕事して、てめえの寿命がちっとくらい縮もうが構わずに仕事して仕事して……それで誰にも迷惑かけねえ。保険にだって入ってる。俺が明日死んでも別にお前達が生活に困るようにはしてないつもりだ。俺はみんなのために働いてるつもりだし、それで満足してたんだ。なのに今更「俺の体のために煙草止めろ=働くな」って言われてもな?分からねえんだ。

副流煙健康被害」?おいおい。そりゃどのくらいの被害だ?吸ってる本人が70年80年と生きてるんだから大げさに言い過ぎなんじゃねえのか。「匂いがいや」?こっちは死ぬ覚悟で、周りのために仕事頑張ろうと思って吸ってんのに、頼むから匂いくらいでぐちゃぐちゃ言わないでくれよ。ちょっと前には誰も何も言わなかった程度の「匂い」じゃねえか。「大気汚染」?自動車の方を取り締まれよ。「吸い殻ポイ捨て」?そりゃマナーの問題だな。どっちかというと酒飲むヤツの方がタチ悪いじゃねえか。

とにかくな、世間でいろいろ言われてることも分かってる。でもな、止めないヤツはみんな止めないだろ?俺たちはこのまま少数派で少しずつ滅びていく種族みたいなもんなんだよ。自分たちの正当性を声高に主張することもなく、ひっそり消えていく、そんなか弱い生き物だ。できれば、このまま……そっとしておいてくれないか?

ああ、そうだ。一つだけ頼みがある。

俺が死んだら、墓にはやっぱり煙草一本供えてくれないか。

では説得どうぞ。

(※注:ちなみに当方は煙草は一本も吸ったことの無い非喫煙者で、あなたのお父さんではありません。ご心配なく。)

2008-03-25

おれは、生きるに必要な衣食住があって、友達や家族なんかが居て、

誰かのために仕事して喜んでもらえれば、

あとは今あるもので満足できるのが幸せなことだと思ってるんだが、変かな?

学歴君はどうおもう?

学歴君は、すごく褒めて欲しそうだけど、

みんなが褒めてくれないのは、

学歴君が、増田で褒めてもらえるようなことをしてないからじゃないかな?

自慢したいなら、せめて人に喜んでもらえることで自慢しなきゃ、

だれもその自慢を褒めてくれないと思うなあ。

みんなを困らせてばっかりいると、

相手してくれるのは、面白がって挑発する人と、

自慢が鼻について怒り出すような人ばっかりになっちゃうんじゃないか。

そういう人たちも終いにゃ飽きてきて、誰からも相手してもらえなくなっちゃうぜ。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320005607

ホントに何か効果のある事をしたいなら、『はてなで喧伝する』とか『2chコピペ貼りまくり』とかは違うと思う。

そういうのは手間も暇もかかるから「よし、俺よく頑張った!頑張ってるよ!」って思えるかもしれないけど、効果は限りなく薄い。

結局誰かのために出来る事をやっているというより、「自分は頑張ってるよ感」を自分が得たいからやっているだけになる。

それでもいいんなら、机の前で何かを叫び続けてプチ運動家気分を味わってればいいんじゃないかな?

 

あと、そんな自分を正当化したいからって「みんなに伝えたいからトラバ打ちまくり」ってのもなんかイマイチ

2008-02-18

結婚

誰かのために生きる

そんなことができたらどんなに幸せなんだろう。

やれるもんならやってみたい。

自分の人生を捧げてまで、支えたいと思える人。

その人の、仕事、親、趣味・・・全てが愛おしいなんて思える人。

でも、必死になるほどの「誰か」なんていない。

じゃあ、誰かのためになんて考えなければいい。

必死にならなくてもいいのなら、ぐっとハードルはさがる。

長男じゃない人。

実家が近い人。

給料がいい人。

そう、その人の本質ではなく、条件がすべて。

そんな考え方もできる。

そんな話を友達としてた。

でも、やっぱり、女としては、

人生をささげちゃうぐらいの男に出会いたいと、

白馬王子の登場を、夢見るのです。

2008-01-12

誰かのためだけに生きる

生きる目的が自分の中に見つけられなかったり、

大した目的が見つからないのなら、誰かのために生きるのも悪くない。

但し、100%失わないのであれば。

そして、100%失わない相手なんて存在しない。

自分の中の目的は、自分の心がけさえあれば100%失わない。

誰かそのものを目的とすると、失わない可能性は100%じゃない。

もし失った場合、そのダメージ人格破壊される可能性が高い。

つまり、自分に価値がないと思い込むようになったり、

失うことを恐れるあまり愛することや愛されることから逃げるようになってしまったり

逆に、異常な束縛をしてしまうようになったりするかもしれない。

誰かそのものを目的とすることには、もう一つ問題がある。

自分の目的に対する行動の方向性は一致しているけど、

誰かそのものを目的にした場合の行動の方向は誤りやすい。

なぜなら、その誰かさんの欲求が分からないから。

自分の欲求は、時に誤ることはあるけど、方向性は殆ど一致する。

誰かの欲求とマッチしなかった場合の行動には、時に迷惑となる。

だから、誰かのためだけに生きることを勧めない。

自分の人生を楽しく生きる

そして、自分が与えることが出来るものを必要としている人の力にもなりたい。

そんな生き方が(・∀・)イイ!!あくまで自分の価値観ですが。

2007-12-23

「誰 かのために」の物語としての漫画版NHKにようこそ』 ??あるいは「本当は怖い共依存」??

 漫画版の『NHKにようこそ』は引きこもりの話ではな い。主人公原作小説ほどネガティブでも内向的でもなく、世界と敵の関係について考え込んだりもしない。自意識ベクトルが、原作ほどの自己嫌悪へは向か わず、他人や他人からの視線への過剰な関心という形で現われる。では何の話なのか? それは「誰かのために」の物語である。

 中原岬は幾度となく言う

「つまり…私は…/ひきこもりを助ける

 その…/天使みたいな…/もので…

 決してからかってる/わけじゃなくて…/本気の本 気!!

 つまりボランティア/みたいなもので…/別に佐藤君が 好きとか/そういう……」(2巻p123)

「あたしは佐藤君を/天使のように助けようと思っ て……」(2巻p168)

「わ…私は/弱者に優しい/天使というだけのことです」 (3巻p163)

「な…何ですか/関係ないじゃないですか!/私はただ天 使だから…

 佐藤君を助けなきゃ/いけないから!/クーリングオフ を申し込みに/来ただけじゃないですか!!」(3巻p165)

 「誰かのために」は通俗的な用法としての「共依存」と 言い換えてもいいかもしれない。「共依存」の人は、自分自身の問題と向き合う前に、身近な「困った」他人の問題ばかりに気を向けて、その問題の解決に身を 捧げてしまう。しかし、そのような態度が、根本的な他人の問題の解決に向かうことはない。というのも、そのような「困った状況」において、世話をされてい る彼/彼女は、自らの努力で問題を解決するチャンスを奪われてしまう上に、その状況が続くことを世話をしている彼/彼女が望んでしまいさえするからだ。こ れが、(やや通俗的な解釈ではあるが)「共依存」ということの意味である。

 「共依存」というと、互いに依存するようなカップルな どを思い浮かべる人もいるが、「共依存」自体は一方的な献身においてであっても(むしろそうであるからこそ)発生する。「自分が誰それから必要とされてい るはずだから、自分は誰それの世話をしてあげるんだ!!」と思い込んでしまうのが共依存だからだ。その意味で中原岬は、典型的と言ってもいいくらいの、 「共依存」である。

 「共依存」は引きこもりに近い状態ではあるが、社会性 としては引きこもりより一歩進んでいる。一般的に「引きこもり」は自分のことだけに関心が向いてしまい、外界に対しては一切の干渉/被干渉を拒否してしま うというイメージであるが、「共依存」においては少なくとも、「自分を必要としているはずの」他人に対する関心や干渉はあるのだ。これは、ラカンにでも言 わせれば鏡像段階などと説明されるのだろう。

 さて、「自分よりダメ人間を見つけたから」佐藤達広 と付き合おうとしたのだという、中原岬の告白は、原作においてはクライマックスの一部をなすほどに、作品全体において重要なものだが、それが漫画版では、 あえて秘密にするまでもないほどに、何度も語られてしまう。つまり、漫画版NHKにようこそ』とは、既に人間関係が「共依存的」であることが、明らかに なってしまった後の話なのだということにならないだろうか?

 興味深いことに、漫画版においては、中原岬以外の登場 人物もみな、多かれ少なかれ「共依存」的である。人間関係の契機がそのような、「誰かのための『優しさ』」として現われることが多い。主人公の後輩、山崎 は言う。

「僕は佐藤さんの事/尊敬してるんです/昔 僕がイジメられてた時……

 こんな…ダメな奴なのに助けて/くれたでしょう?

 僕…そんなの/絶対ありえないって/思ってましたか ら…」(1巻p31)

3巻で登場するマルチ商法の勧誘員女は言う。

「ただ…私は今まで/秋葉原オタク相手に/絵を売った り宝石を/売ったりしてきたわ

 何故だか分かる?

 私の兄がね…そうなの…

 …悲劇よね…

 それでも兄弟だから/私が養ってあげようと/思って必 死で働いたわ

 でも兄は働きもせず/人に迷惑かけるばかりで/部屋か ら出なくなって/もう6年になるわ

 そんな人の為に/お金を稼ぐのが/正直虚しくなってき たの…」(3巻p165)

 そして極めつけは、2巻で語られる、主人公と先輩女と の関係であろう。この関係が、中原岬と主人公関係と二重映しに見えるプロットは面白い。主人公は言う。

「もう逃げるのは

 やめだ!!

 たとえ拒絶されたって/向かい合わなきゃ/今までと同 じなんだ!!

 今度こそ/勇気を出して/先輩に言おう!!

 別に好きとか/嫌いとかじゃない

 ただ俺はこの人に/元気でいて欲しいんだ!!」(2巻 p107)

「そうだ!/そして何より

 この人(ルビ:柏先輩)の/笑顔を/守るために」(2 巻p115)

「そうだ…俺は/どうして彼女を/止めるんだ?

 結局 死ぬも生きるも先輩の/自由じゃないか?

 俺がとやかく/言う権利なんて/ないじゃないか!?

 …そうか…/そういう事か

 何故 俺が/彼女を助けたいのか/どうしてこんなに/ 辛いのか?

 つまり…/俺は彼女の事を――」(2巻p164)

 だが、この主人公の純情は、先輩にかかってくる一本の 電話、そして「……私/結婚します!」の一言で打ち砕かれる。「誰かのために」が成就するとは限らない。誰それが自分を必要としているはずだから、と思っ たところで、誰それが本当に自分を必要としているかどうかは分からないのである。そして更には、必要とされているからと言って、誰それに手を差し伸べるこ とが良いことだとも限らないのだ。

 このように、漫画版においては、「引きこもり」的な内 向自意識の問題は、半ば解決済みとも言える。「巨大な悪の組織と戦うことなどできなくなった」のが小説版の置かれた状況であるのならば、漫画版は「巨大な 悪の組織と戦う必要すらなくなった」後の話なのである。「もう“デカイ一発”はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん,21世紀はくる。ハルマゲドン なんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。もっと大きな刺激がほしかったら,本当に世界を終わらせたかったら,あとはもう“あのこと”をやってしま うしかないんだ」(『完全自殺マニュアル鶴見済1993年)に対して、山崎はこう言うだろう「僕らは自殺だなんて/ドラマティックな事に/関われる資 格がありません…/どんなに落ち込んで苦しんでも…/この馬鹿馬鹿しい日常に帰ってくるだけです/もし帰ってこなくても/どこかで馬鹿らしく/死ぬだけで す」(2巻p182)。これが90年代00年代の差の一つである、というのは安易にすぎるかもしれない。だが、問題意識は確実に転換している。それを進 歩と呼んでいいのか分からないし、「共依存」は、描かれているほど楽なものでもないのだけれど。

 「共依存」は自意識の問題を解決し得るだろうか? そ して、宙吊りにされた「世界と敵」の話が、再び思い起こされることはあり得るのだろうか? それが漫画版NHKにようこそ』において今後注目したいとこ ろである。

2007-11-18

ある消滅

どんなものでも必要であるから存在してるのだよ。

菌類だって、植物だって、動物だって。

必ず誰かの必要に応じて存在している。

地球誰かのために存在しているのだろう。

太陽誰かのために存在しているのだろう。

もし誰にも必要でなくなったとしたらそれは存在がなくなるのだろう。

銀河も必要だったから存在してたんだ。

2007-11-02

オトナになったね

http://anond.hatelabo.jp/20071102073909

うんうん、こうやってヒトは成長していくんだなあ・・・

誰かに何かをやって「あげる」とか、誰かの気持ちになって考える、とかっていうやつは、なんというかクサイんです。わざとらしいって意味じゃなく、クサイ。押し付けがましいというか独善的というか視野狭窄というか。

誰かのために、というのが実は自己満足が動機であったということに気づいたのなら、あなたはこれからもそうした利他的行為を続けても大丈夫。

2007-10-05

てめーなんか狭い村社会でせいぜいはしゃいでろよ。

このたびはわたしの個展にお越しいただきましてありがとうございます。お忙しい中すみませんね本当。みんな忙しいよね? 授業とか就職活動とか美術展とかそういうの。この上さらにバイトやってる人はすごいと思うよ実際。うんうん。

で、個展やるからには作品解説!あと、私友達が本当にぜんぜんいないので、自己紹介を兼ねてなんか文章でも書こうかなと思います。暇だったら読んでみてください。

そういうわけで私の作品って何なんだろうって考えてみたんですけど、何なんでしょうね本当。テーマとか意味とか必然性とかないですよそういうの。楽しければいいじゃん。私が。というまあご覧のとおりのゴミ野郎です。排泄物です。カスです。オヴィリヨンダストです。そんなゴミ野郎がなぜ個展なんて開きやがったのかとお思いになるかと思いますが、要するに露出趣味です。私を見て!というやつです。こういういわゆる非コミュ非モテ属性人間というのは、人一倍自分を見てほしいと思うものなのです。でも傷つくのがいやだから直接見てください、どう思いますかって聞けないんです。

えーと私の作品ってだからアートじゃないと思うしむしろ「作品」ですらないんじゃないのかっていうのはありましたね去年くらいから。誰にも何も問うてないし社会?時代?なんですかそれはという感じなんですよね。どうにか意味づけをしようとしても無理でした。まさにゴミ野郎。でもそんなゴミカスでも一応人間だからいろいろと思ったり考えたりするんです。最近やっと東さんの本読みました。僕エロゲ大好き!YU-NOってマジ最高じゃね?って言ってるあの本ね。んなことブログにでも書いてろよ!!!!!!!たちまちはてなブックマークホッテントリになれますよ。てめーなんか狭い村社会でせいぜいはしゃいでろよ。というような感想を抱きました。肝心の内容は理解できたようなできてないような感じです。ここ一年くらいで特に印象に残った本は「戦闘美少女の精神分析」(全部読んでないけど)「電波男」「1000の小説バックベアード」の三つでしょうか。とまあこういう風に印象に残った本とかにかなり影響は受けてるつもりですが、どこがどう印象を受けているのかと聞かれるとさっぱりわかりませんのでやはり私の作品は「作品」たりえないのだろうしそもそもアート(笑)思い入れなんぞないのです。私はアニメとか漫画とかが好きなんです。好きな小説家舞城王太郎江戸川乱歩佐藤友哉です。じゃあなんで芸術学科に入ったの?って聞かれたけど、絵を描くのは好きなんです。いやーほんとまじめにアート勉強したいって方からすると邪魔でしょうがない人種だとは思います。なんで京都精華大学受験しなかったんでしょうかね。富野とか竹宮先生とかいるのに。いや、高校生のときは今ほどオタk……漫画アニメに熱心ではなかったので、ちょっとまじめに絵をやりたいかなーと思っていたんです。でも所詮「かなー」程度で大学受験してんじゃねえよって感じですよね。ハイハイすみませんね私みたいなやつが存在してて!!!!!!!!!!中学生のときギャル入った子が前の席にいてその子に「どうしたの?暗いよ?」と聞かれて「いやもともと暗いから」と答えたらあやうくシメられかけたことがあります。ほんとこれだからリア充はいやだよ。例えば教室で私が一人で座ってて後ろにギャル数人がいるとしますね。で、後ろでギャルとかが笑うたびに「私、笑われてるんだ……」と思うわけです。そうです、被害妄想です。わかってます。でもそう思ってしまうんです。私という人間根本的な問題ってそういうところにあるんじゃないかなと思っています。こういう思考回路が理解できない、という方のために説明すると、こういう人は社会に一定数います。さっきの中学時代の話も「どうしたの?暗いよ?」のあとに(笑)がついているような気がしてならなかったんですよね。というかそうじゃなくても超普通にしてんのにそんなこと言われたら誰だっていやな気分になるだろ……でも一応心配してくれたわけだから、やっぱり「ありがとう、でも大丈夫」とか言っとけば良かったんだよね。普通にしてて暗いって言われるとかどんだけ根暗なんだよって話ですよね。友達にも真顔が怖いといわれたり話しかけづらいと言われたり、普通にしてるのに……と思います。でも友達にすらそう言ってもらえないよりはまだマシだし、一応友達と呼べる人たちはいるので(でもすんげー少ない)幸せなほうなのだと思います。

あと私が自分のことを最低だなと思うのは、誰かのために怒ったり泣いたり喜んだりできないという点です。舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」で登場人物が「メタ化された友人関係」について言及するシーンがありますが、私のそういう他人に共感するというプロセスがまさにそういった感じで「ここはこうするべきなんだろうな」というのはわかるんですが感情としてついてこないんですよね。これは本当に最悪だと思います。友達とか家族とか私のために何かしてくれたりするのに、私は本質的な意味で何も返せないんです。こういったことを書くと今後の友人関係が気まずくなりそうな気もしますけど。

とまあそんな感じで私個人の抱える問題というのをとりあえず書いてみました。こういうのも絵に少なからず反映されていると思います。というか、私がそういう人間だからこそ、文章や絵の中ではとても饒舌になれているのだろう、と思います。だからつまり、私が要するに根暗人間でなかったら、絵を描くのも文章を書くのも苦手だったのではないかなと思うわけです。私の描く絵は、自分の気持ちのなかでかなり過激な部分が反映されてるような気がしています。言葉に出来ない分、がーっといけるのかもしれません。

というわけでここまで読んでくれた皆さんありがとうございました。これからも最下層なりに真剣に生きていけたらいいなと思います。

2007-08-05

Re: anond:20070805003113

せつめいします。両者の一番の違いは「結果の分岐の有無」かな。

例:『仕事場の部屋の隅に硬貨が落ちていました。』

コスト・リターン的思考:わざわざ身をかがめて拾う手間、拾った所で「あ、それオレの」とか言われる可能性、またそこまでして小金が惜しいのか、みたいな目線に晒される可能性、色々考えれば、リターンはコストに引き合わないよ。だからボクは拾わないという判断をした。これはもっとも合理的で賢明選択肢。(つまり完全な状況判断を行う限り選択分岐はない。道は一つ。)

リスクメリット思考:ちょwwwwwwww金落ちてるマジwwwwwww拾えーー!仮に誰かの金だとしてもいーもん見付けたモン勝ちだよって主張してやるzeeeee!

(→分岐例1)ちょwwwwwwww金かと思ったら缶のフタwwwwwwwwwマジオレ最悪!スーツ汚してオレってバカー「え、増田さん何してるんですか?お金だと思った?(笑)ちょっと…もう増田さんてホントにバカなんだからー(笑)フラグGET

(→分岐例2)ちょwwwww100円!マジ!ラッキー。この100円何に使おう。拾った金だしな。なんか思いっきり無駄なことに使っちゃえー。あ、自販機の前で後輩がポケット探ってる「あ、先輩、ちょっと小銭持ってないすか。サイフ忘れて」良い良い。おごっちゃる。どうせ拾った金だしなあああ「えー、すんません。ありがとうございますー」人望GET。

(→分岐例3)あれ?何コレ、日本の金じゃねーじゃん。誰か落として困ってねえかな。「あー、増田くん、何だねそれ。」あ、なんか落ちてたっす。机の裏に。課長のっすか?「おお、探してたんだ。ありがとう。」なんすか、それ?「これはなあ、ワシが初めての海外出張で…」…以下課長の自慢話。人脈GET、時間LOSS。

(→分岐例4)うわ、ひで、スーツ汚れておかげであとの営業で相手の機嫌損ねて課長にぶつぶつ言われるし、後輩に愚痴ったら「バカじゃないですか」とか言われるし、あの子に「小銭に必死(ワロス」みたいな眼で見られるし、なんかもう今日は最悪??、これも机の裏の硬貨を拾おうとしたことが原因だよほんとにもー。人望、人脈ダウン、フラグ消失。しかし柱の陰から「なにあの人…ちょー変」という目線が…。あなたの人生に新たなキャラクター出現。


……というわけで、アップダウンはあるけど後者人生の方が絶対タノシイ。で、後者の方に踏み切るときに「自分のためだったら(閉じたコスト・リターンだけ考えたら)やらないけど、ひょっとしたら誰かのためになるかもしれないもんね」と思うと踏み切りやすいよ、って感じ。

大体分かって貰えた?

2007-08-03

コミケマイナージャンル、恐るるに足らず

夏コミに出る。私のジャンル夏コミで2サークルしかない。何処からどう見ても、立派なマイナージャンルである。

自分が好きでやっていることなので、マイナージャンルだからどうだとも思っていないが、どうも周りの人々の「人が少なくて大変そうだね」とか「どんなに好きなジャンルでも、こう人がいないと本を出すのはちょっと…」とか「あなた達がこのジャンルからいなくなったらおしまいです!がんばってください!」とか、そういう反応や視線になんとなく腹が立つ。別に私は売れなくて大変だと思ったこともなければ、人が少なくて寂しいと思った…ことはあるけれど、感想や反応がなくて寂しいと思ったことはない。勿論売れれば嬉しいし、感想を貰えればもっと嬉しい。しかし、そもそも誰かのために本を作っているわけではない。

下記を読んだところ、どうもマイナージャンルは誤解されている気がする。

■独り言以外の何か:http://d.hatena.ne.jp/Su-37/20070723

マイナージャンルは誰にも見られていなくはないし、大量の在庫に頭を抱えることもない。ましてや、印刷費ですらきちんと回収できる。

多少の工夫は必要だが、努力も根性も必要なければ、大変なことなど何一つない。

ご心配頂くのはありがたいが、「マイナージャンルは辛くて苦しそう」というイメージを広めるのはやめて頂きたい。

私のサークルは大体1冊あたり50部から70部を刷る。それを3回から5回のイベントで売り切る。期間にして約1年だ。

絵や話がとりたてて上手いわけではないので、マイナージャンルの物珍しさも手伝っての部数だろう。上手い人なら150部くらい刷れると思う。超大手ならもっと刷れるだろう。

そういう上手な人はメジャージャンルなら数百部から数千部、下手をしたら万で刷れるかもしれない。だからそういう人はそういうところで活動すればいい。たくさん売りさばいて、たくさん税金払って、国に還元してあげて下さい。

それでも私くらいの部数と販売サイクルのサークルは、メジャージャンルにだってゴロゴロいるだろう。こちらのジャンルは、恐らく周りからはもっと少ない部数しか刷っていないと思われているようだが、そう考えると別に違いなどないように思える。

そしてこれくらいの部数であれば、印刷費を回収することは充分可能だし、これ以下の部数でも可能だろう。心配することなど何もない。

勿論多少の工夫は必要だ。

マイナージャンルだからこそ、ネットで多くの同士に見つけてもらえるよう宣伝をするし、本の表紙やスペースもできる限り派手にする。当然イベントにはマメに参加する。要は「マイナーっぽさ」を出さなければいい。

これは、本を売るための努力ではない。マイナージャンルだからこそ、同士を募るための工夫であり、それで読者が増えたなら、次の本は前より少し良い装丁にして読者に還元できる。これは株と良く似ているが、同人誌とは元来そういうものなのだろう。

それすらせずに、「マイナージャンルだからこっそり静かにやりたい。そしてやっぱり本が売れなかった。感想もこなかった。もうやめます」とか言われても困る。同人活動に何を求めているというのだ。

マイナージャンルメジャージャンルにすることは難しい。けれど、メジャージャンルが忘れかけている、同人誌本来のおもしろさがそこにある。

そして同人誌とは、元来ニッチ市場である事を忘れてはならない。

2007-06-07

誰かのために使う時間

プレゼントってぶっちゃけ、「何かを得る」という点からすると要領が悪い。

自分で欲しいものを選んで、自分で買った方が結局は思い通りのものが手に入る。

しかし、思うようなものがもらえなかったときにプレゼントが嬉しくないかというと、そんなことはない。

それがどんなに安いものでも、一般的には金銭価値がまったくないものだったとしても、嬉しいと思うことはある。

私は、この嬉しさは「私のために使ってくれた時間」の嬉しさだと思う。

贈り物をくれた人が、私のことを思い出してくれたその時間。プレゼントを選ぶために使ってくれた時間。

好きな人が私に「今どうしてるー?」とかってメールをくれた時の嬉しさも、これと同じだ。

こちらから連絡をして思い出したように返事をくれるのと、向こうから連絡をしてくれるのでは天と地ほどの差があると思う。

それが、どんなに他愛のない内容だったとしても。

時間はすべての人にとって「等価値」に近いと思うから。その何秒かでも、私のために使ってくれたということ自体が、私にとってはすでに幸せなことなのである。

2007-04-15

誰かのために」というエゴイズム

 日本のために、会社のために、家族のために。そういう理由をつけたエゴイズムって、始末に負えない。結局、自分のためなのに。大義名分を得たときに吹き出る自分の本当のエゴ。それが、最低で、本当の自分だ。

2007-03-30

[] ホッテントリをかけぬけろ / マスダシカオ

作詞:マスダシカオ / 作曲:マスダシカオ

生きてゆくために 何をすればいいかなんて

僕の父さんだって きっとわかっちゃいないのに

さんざん欲ばって ぼくがたどりついたのは

どっかで聞いたような、サルマネのコンセプト

ぼくのいやしきエントリホッテントリをはしりぬけ

君のブクマにとどくがいい 家族の前で読んで欲しい

愛をうたうために 何をしておくべきかなんて

今さら真剣になって ちょっと考えちゃうけど

さんざんほっといて 逃げ倒すだけ逃げといて

どんなツラさげて 今書けばいいんだろう

ぼくのいやしきエントリホッテントリをかけぬけて

モニタの向こうをてらして欲しい 誰かのために読んで欲しい

増田に書き込んで その場しのぎでつながって

ぼくの青春なんて きっとたわいもないけど

真剣な顔で君と交わしたトラバ

ぼくのたった一つのプライドになったんだ

ぼくのいやしきエントリホッテントリをはしりぬけ

君のブクマにとどくがいい いつの日か消えてしまってもいい

ぼくのいやしきエントリホッテントリをはしりぬけ

君のブクマにとどくがいい

http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/92474/Y038289

2007-03-15

リチャードチェン

はてなどうなるのだろう。まともな会社になるのだろうか。企業規模を拡大していくのだろうか。

やっぱりお金を生み出すとなると大規模にしていく必要はあるだろう。誰かのためになることを沢山生み出すなら大規模にしていく必要があるだろう。

はてなはどこへ向かうのか。はてな存在理由はなんだったのか。そしてなんなのか。なにに変わっていくのか。

少し寂しく、少し不安で、それより小さい何かがある。

電車男を見ているみたいだ、また君も僕の手の届かない位置に行ってしまうのかい。結局凄くなるとはそういうことなのかい。出来るものが目指すべきはそこなのかい。

好きなこともやってみればいいさ、羽ばたけばいいさ。天高く飛べばいいさ。でも、心はここへ置いていけ。それだけでいいから。それだけを与えてくれ。

僕は君たちと一緒にいたいんだ。はてな

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