自分に満足したことがないって言うけど。
満たされてしまったらそこで人生は完結でしょ。
満たされてなくて、いいんじゃないの?
不安な自分を承認してもらえる場所が必要なら、今ここで私があなたを承認するよ。
他人に任せず、もっと掘り下げてもらえることを楽しみにしてるよ。
どうやって気付いていくのか、その過程を知りたいと思っている人は
自分以外にも、きっともっとたくさん居ると思うよ。
単なる状況にすぎなくて、あなたの人格とは別の話。
誰かが必要としているものを、求めているその人に提供することじゃないかなあ。
生憎、世間は数値的・金銭的に評価する以外、誰の目にも見える形で
その価値を判断する共通の基準を持ち合わせていないけれども、
他人に評価を任せる限り、この状況は止むを得ないことだけれども。
最後の意思決定者は自分自身ってことになると思うんだけどなあ。
いつも誰かが自分を見ているからやるの?
自分の背負った業だからしぶしぶやるの?
因縁だの霊だの、そんなものがあるかないかなんてのはどうでもいい。
けど、それがあるかないかで態度が変わるっていうなら、
そんな曖昧な信念なんて信用できないな。
自分の手に負えないことがあろうがなかろうが、
どのみち「できること」以外に選択肢はないわけで、
そんな自分の力を超えたものの存在を観念する意義が分からない。
神や仏がいなくても、私は誰かのためになりたいと思うよ。
幸せの定義も意味も価値も手に入れ方もなんにもわかっていないけど、
それでも心からあなたが幸せであって欲しいと願うことはできるよ。
人は自分が見たいようにものを見てしまう生き物だし、
信じたいものを信じて、それを求めても構わないと思う。
けどそれでも、もしも信じているものを失うことで
今の自分が変わってしまうって恐れているなら、
自分に嘘をついて生きてるってことなんじゃないの?
明日世界が変わっても自分の価値は変わらないって言える自信はある?
そういうふうに自分の行動を自分で決めていけばいいだけのことじゃないかなあ。
日常生活に変化がないというか、
何の流れもないところで考え込んで、同じ思考を循環させているようなら、
今は、表現するよりも、考える材料を集めるために、
手の届く範囲でちょっとずつ動き始めてみたらどうだろう。
自分に合う仕事を探すのは、案外楽しいですよ。最初は面倒臭さが勝るけども。
流れを変えてみると、気分も変わって「その先」の考えにたどり着けるかもしれない。
そんな風に自分は信じるので、ここに書いておきます。
(他所に書き込もうとしていたものなんだけど、長くなりすぎたのでこっちでメモ)