はてなキーワード: 血液型とは
>なにかしら影響しているはずだ
>そんな風に思っている子って多いと思います
>血液型って実際結構当たってるんじゃ…とよく思います
そうですよね。私もよく当たってると思います。
「あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。
また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。
あなたは使われず生かしきれていない才能をかなり持っています。
外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります。
正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。
あなたはある程度の変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのも賢明でないことにも気付いています。
あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
あなたの願望にはやや非現実的な傾向のものもあります。」
がB型の特徴だそうです。
当たってますよね!そう思うでしょ?
フォアっていう学者さんが分析したら、85.2ポイントも当たってたそうですよ。すごいですね!
こんなによく当たるのに信じないなんて、オカシイですよ!
本当にそうだろうか
そんなことはない
なにかしら影響しているはずだ
そんな風に思っている子って多いと思います
あたしもそうです
と言うことがそれを物語っていると思います
あたしはこの本は買っていないのだけど
血液型って実際結構当たってるんじゃ…とよく思います
気づいたら周りがみんなB型だった
ということが良くあります
これは何も前知識として知っていたわけではなく後で聞いてみたら一緒だった
というパターンです
こういう経験を自分でしてしまうとどうしても科学的根拠がないといわれていても
何かまだ解明されて無いメカニズムがあって…みたいな気持ちになってきちゃいます
これは神秘体験をしてしまってカルト宗教にはまる人と同じ感じなのかな
『血液型でわかる相性』と言う本で爆発的に流行したと言われています(wikipedia参照)
『人間の良い部分は、その人の努力の結果。欠点は血液型のせいという事にすればよい』
という思いで書かれた本だそうです(又聞きなので信憑性はありませんが…)
つまり一種の処世術みたいなものです
それが一人歩きして今日に至ったというわけです
このことを知ったらより血液型性格診断に疑問を抱くと思います
あたしもこの話を聞いたら科学的な根拠はないんだなとキッパリ思えました
しかし、それでも、結構当たる…という体験がある
初対面ですぐB型だってわかる子がいたりする
だから血液型性格診断を科学的根拠が無いから信じるなんて馬鹿げている
なんて説得させられても、それでもな~という気がしてしまう
そこであたしは当たる原因として
ある仮説というか、これぐらいしか無いんじゃないかな~
ということを感じ始めました
以前思い込みの力がいかに凄いかという日記を書いたんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20090720165732
やっぱりこの問題も思い込みなんじゃないかな~と思えてきました
あたしが生まれたときから漠然と
O型…大雑把
あたしの場合はよく親から「あなたはB型だから部屋が汚い」などと言われた方なので
余計にそういうレッテルを気にしていたと思います(笑)
また家族に言われなくても学校などで一度は話題にはなったと思います
このような環境の中で育ち、自分の血液型の性格のレッテルを意識していると
思い込みでそのレッテル側に寄っていってしまうのではないかと
そう思いました
これはある意味で能見先生の考えたポジティヴな捕らえ方ではなく
どちらかというと「あたしは●型だから~」といった開き直りのような気持ちの方が
強いんじゃないかなあ、と思います
人間は何かの型にはまりたいと思いがちな気がします
最近の「草食系男子」とか「森ガール」とかはまさにその典型ではないかと思います
その考えが無意識的に血液型性格診断のレッテルに自分からはまりにいっている
そう考えることもできなくは無いんじゃない
この考えで行くと血液型診断を信じている人はドップリ型にはまっているんじゃないかな
「俺B型だから適当なんだよな~」って男、周りにいませんか??
500万の読者のうちのこのような考えの人がいないとは言い切れないんじゃないか
↑決め付け(笑)
とここまで完全に憶測でしゃべってきたけど
そんな考えもあるんじゃないかな~って思ったので書いてみました
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
ブログでホメオパシーについて書くのが女性に多いから、女性が多いような気がするんじゃないかなぁ。
あと無添加自然派志向からホメオパシーの方へ行ってしまう人もいるしなぁ。無添加自然派志向は化粧品とか洗濯ものとか食品とかそのあたりでは結構普通に見かけるし、有機野菜があたかもよいもののように喧伝されてるからみんな敷居が低いんだけど(程度にはよるけど毒ではないし)、そこから先鋭化するとホメオパシー教徒になる感じ。だからはてブで見えてくるのはだいたい女性なんだろう。ただホメオパシー協会自体には男性もいる。
血液型に関しては男でも結構話題にするし、ネットで見てても男性が血液型性格判断の話をしていたりすることはよくあるよね。はてぶで炎上するエントリも男性のものである場合もあるし。だいたい医者でまじめに研究しちゃってる人もいるしなぁ。
あの母乳ミルクエントリでかなり前にうすぼんやり考えたことを思い出した。
なんか、はてブでホッテントリ入りする疑似科学批判の対象になってる疑似科学って女性向けのやつが多くね?
はてブではよく、血液型占い、ホメオパシー、水伝の3つがよく疑似科学批判の俎上にのせられるよね。
このうち水伝はあまり性別関係ないイメージがある。けど、他の二つは針が大きくXXの方にふれまくってる。
血液型別性格判断なんか言うまでもないし、ホメオパシーも批判時のロジックとして出産時の弊害がよく取りざたされる関係か、男が出てきたためしがあまりない。
「これ男しかやんねぇだろ」っていう疑似科学信仰で話題になったのはオーディオ機器関係くらいしかなかった気がする。しかも燃え上がったのってせいぜい一、二回くらいじゃなかったか。ホメオや血液型はしつっこく定期的に浮き上がってくるのに。
別に性別でバランスとれてりゃいい、ってもんでもないけどさ。なんでかな?
http://anond.hatelabo.jp/20090722201243
子供が出来ないんならセックスしてみたいよ。女性だって誰とでもセックスしたいと思っているに違いないよ。貞操観念ってのは子供の父親を特定するためだけにあるもので、元々ヒトには一夫一婦制のメリットなんかなんにもないんだし、中世ヨーロッパの宮廷なんてフリーセックスだったしね。メンデルが遺伝の法則を知ろうとして血液型を検査したときは、1割だけ法則に当てはまらなかったんだそうだ。つまり、1割は夫以外の男の子供を産んでたんだね。子供を産みっぱなしにしても、国家が育ててくれるんなら、結婚制度なんか崩壊するんじゃないかな。そう言えば、フーゾク行くとたまーに「ホントにセックスが好きで仕事をしている子」がいて、やっぱり、そういう子と遊ぶのは楽しいんだそうだよ。
先天的に血液型と性格との間に相関があるとしてもごくわずかだということは、統計的にはすでに言えている。そして相関があるとしても予言の自己実現とかで後天的に血液型と性格との間に相関が発生するほうが支配的ということが問題。
つまり先天的に血液型と性格との間に相関があるかどうかはすでにどうでもいい。後天的に性格を決め付けられることで本来あるべき性格とは違う性格を刷り込まれてしまうことになることが問題であり、本来の性格を反映しない強すぎるバイアスをかけて人を判断してしまうことが問題なのだな。
結論としては統計的に相関がないか、少なくとも弱いことがわかっている血液型と性格の先天的な相関性を言うのはよくない。これは「統計的に弱いながらも確実に先天的な相関がある」「科学的・医学的に先天的な弱い相関がある」ことがわかったとしても相変わらずよくない。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1240968090
「偽科学pseudoscience」って言う言葉を使いたいだけなんろうけどね。断言してもいいが、偽科学は病に効きます。ここ重要。これは信念とか、願いとかではなくて、単なる統計的事実ですからね。
以下改変いくよー。
すでに一部の偽科学批判の偽科学系サイトに豚インフルエンザ「便乗」記事が出ているようなので、取り急ぎ、書いておきます。
万が一、本当に偽科学に対する偽科学的な批判に発展したら、ホメオパシーなんてものが効かないなどと期待してはいけません。それは「何もしない」のと同じであることを理解しておくべきです。
いつまで経っても偽科学に対する偽科学的批判が亡くなることはないでしょうが、現時点ではシカトするしかありません。「何もしない」という選択をするかキチンと統計学の初歩の初歩を学ぶは、自分で判断すればいいとは思いますが、万が一「ホメオパシーが効かない」と信じている人がいたら、それは誤りであることをはっきり言っておく必要があります。
また、このような機会に「便乗」して宣伝をする一部の偽科学に対する偽科学的批判サイトは最低だと思います。もちろん、善意であってもだめです。
ホメオパシー、と聞くだけで脊髄反射的にファびりはじめる人間が多すぎてワラケル。多くは禄に医学、というか初歩的な統計学も学んだことのない「理系(笑)」の人なんだよね。リンクのサイトがそう、って言ってるわけじゃないからね。
古くから諺で、「病は気から」というのがあるわけだけども、たとえば偽薬(プラシーボ)には、痛み止め、喘息、鬱、関節炎、麻酔薬、心不全、アレルギーなど、統計学的に有意な効果があることが知られています。
ホメオパシーが効かない、っていうのはそういう意味で、極めて偽科学的発言であるわけ。ホメオパシーに全く効果がない、と言い切ってしまうのは、もうトンデモもいいところ。
言っておくけど、ホメオパシーを擁護しているわけじゃないからね。トンデモに対する憎悪が強すぎて、自らがトンデモになってしまっている○ホが多すぎる、ってだけの話で。
そもそも、「科学的である」とか「偽科学」であるとかの違いがなんであるかをこのリンクの人は考えたことがあるのかな?この人は医学に関わっている人ではないわけでしょ。オレのイメージだと、やたらと偽科学を批判する人間って、ちょっとアレなのが多いんだけど。
EBM全盛の時代ではあるけれども、じゃあその土台に乗っていないものがすべて効かない、嘘、まやかしだといわれると全くそんなことはないわけでね(笑)。健康食品だって同じ。特にホメオパシーに関しては、精神的な効果も含めた上でキチンと考察されているものがあまりに少ない。
極端なことを言ってしまえば、インフルエンザでよく言われている「手洗い、うがい」のうがいについても、それが予防に有効であるというエビデンスは全くないんですけど。統計的な有意差があって、論文に載って学会で認められていることしか正しくないというならば、よく言われているような(っていうか今日の新聞に実際に書いてあったんだけど)「外ではあまりものに触らないほうがいい(キリッ)」なんてのもエビデンスは全くありませんから(失笑)。
血液型占いを真面目腐った顔で批判し始める、ちょっとコミュ力に欠けた「理系メガネ君」って、傍から見てると痛々しいからね。酒の席でのどうでもいい話に過ぎないし、血液型でこうあるべき、っていう「社会に対するアナウンス効果」(たとえば、B型はおおざっぱな人が多い、と繰り返し言われると、実際におおざっぱになるように行動してしまうこと)は学問的な土台の上で議論されてるからね。
くり返して言うけど、決してホメオパシーを擁護するわけじゃないからね。ただ、偽科学を批判するあまり、「ホメオパシーには全く効果がない(キリッ)」って言ってしまうと、その台詞はもう偽科学の範疇に入ってしまうんだよね、残念ながら。
エビデンスがないということのみを論拠にして、「エビデンスがない=偽科学だ!」と飛びついてしまうのは、それこそ偽科学の王道なんだけどね・・・。
あ、ちなみに、インフルエンザに手洗いが有効だっていうエビデンスは存在しますよ(笑)。増田のみなさんも、外から帰ってきたら、きちんと手洗ってくださいね。オレはうがいもしてますけど(憫笑)。
血液型性格診断が根絶できない一番の理由はすべての人が"知的誠実"ではないということだろう。
血液型が話題にのぼるとき話題にする相手は三つの層に分けることができる。
1番目はまぁ好きにすれば良いだろう。
2番目の層は十分な知識を与えれば、話題にしなくなるか3番目の層に移行する。
3番目の層は対処が難しい。
多くの血液型性格診断に批判的な言説は2、3番の層に向けたものだろう。
さて、"酒の肴"程度の軽い気持ちで言っている層は血液型性格診断が根拠がない(または薄い)ことを知って発言している。
彼らは"事実ではない"または"確度が低い"情報をあたかも事実であるかのように話をすることを問題のないことだと思っている。曰く"面白ければ良いじゃないか"と。
私は「そんな根拠もないことを堂々と表明できるなんて自分の知性に問題があることを表明したいのだろうか?」と思ってしまうのだが、彼らはそうではないらしい。
優性を誤解してる人が後を絶たないなあ、、、。
双方の親から異なる遺伝子を受け継いだ場合、多くの場合、どちらか一方の遺伝子に含まれた情報の形質が現れ、もう片方の形質は現れない。現れてくる方の情報を持った遺伝子型を優性であるといい、現れてこない方の遺伝子型を劣性であるという。なお、漢字の印象からしばしば誤解されるが、遺伝子型でいう優性とはそれが優秀であるという意味ではない。単に表現型として外に表れる力が弱い、というだけである。それが表に出ない仕組みは、先の例で言えば、背が高くなるという方の遺伝子には「背を高くしろ」という命令が”書かれている”のに対して、背が低くなる方にはそれが“書かれていない”と考えると分かりやすい。
wikipwdiaより。
遺伝子は二つ一組でできてるのは知ってるよね。ABO式血液型で言えば、AとBは優性、Oは劣性。でもOだとなんか劣ってるってことは一切ない。
ただ父からAを受け継ぎ、母からOを受け継いだ子供はAO型となり、このときOの性質は表に出ない。遺伝子としては所有してるけど、体の特徴に現れない。
でも体の特徴に現れないだけで、持ってはいるから、子孫にはちゃんと受け継がれる。この子がO型のおにゃのこと結婚したな場合、そのさらに子供に自分がOを与え、およめさんもOを与えるから子供はO型になる。劣性遺伝子もそうやって受け継がれていくんだよ。
今日本屋さんで偶然みつけた「O型 自分の説明書」を手に取ってみた。話題になって少し経つけど…
なるほどそうかもしれない、というところもあったし、えー?と思うところもあった。
次に、O型以外のそれぞれの血液型の説明書を、O型の説明書だと思って読んでみた。
そうすると、なるほどそうかもしれない、というところもあったし、えー?と思うところもあった。
海外ではあんまし流行ってないみたいだし、日本人が宗教みたいに信仰してるあたり、やっぱこういうのは洗脳に依るところがあるのかなーとも思ったけど、
でも日本人って随分昔から血液型占いを信じてるみたいだから、血液型占いの本を「デタラメだ!」と否定してるみなさんも、知らず知らずのうちに心のどこかで血液型占いの通りになってる部分があるかもしれませんよ。
私の出身地では,公立図書館は主婦と退職者のたまり場になっている。
購入リクエストも流行の大衆小説とか料理本とかそんなのばっかりだ。ひどい話だが大作や血液型占いまで入ってる。
「利用者のニーズ」を優先して蔵書を構築していくととんでもないことになる。が,それを無視して教養主義に走ったところで独善的の謗りは免れないし,利用指標が落ち込んで予算削減,下手をすれば廃止検討対象になるのは目に見えている。困るよなあこういうの。
公立図書館の使命は知る権利の保障だと思う。「真理はわれらを自由にする」だ。報道・学術・基礎資料だけあればいい。娯楽本は市場の流通にまかせる。書店や貸本屋でいいじゃない。と理想論をはきたくなるがそれじゃ絶対に現実は回らないんだよなあ。むむ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090317/189206/?P=1
いろいろ分類してみたところで、結局のところ「セックスしたか・しないか」に男女関係の境界線があるんだなあ、と思った。
友人から恋人への境界線らしい。
しかし、気分が乗ったので女友達とさらっとセックスしてみたり、
たぶん結婚するであろう人生のパートナー(笑)候補とは手をつないで散歩するのが楽しかったりする自分は、
ま、何が言いたいかって、自分のリア充っぷりやモテっぷりを自慢したいわけじゃなくて
いろいろ分類・単純化したがるのが気持ち悪いなあってことだけなんだけどね。
ま、オタクとか腐女子とかリア充とか非モテとかも同じような「ラベリング」だと思うんだが。
まあ、どうでもいいんだけどさ。
増田で聞いてみたらどうかなって思ったんだ。
うちではそこまできついことはなかったけど、やっぱり「お前は○○だから」みたいな決めつけはあった。「お前は不器用だから」とか。ひどいのになると「血液型がB型だからどうのこうの」と。で、そういう風にいわれてると自分はそうなんじゃないかと思っていたりする。そして大人になってそうではないと気がつく。
だから自分の子供ができたときには、「お前は○○だから」は禁句にしようと思ってるよ。思っても言わない。明らかにそうであっても言わない。子供の可能性が閉じちゃうような気がして。子供なんてものすごい性格にブレがあるし、昨日そうでも明日そうだとは限らないから。