はてなキーワード: 物言いとは
何か文章を書きたい何でも良いからエントリを書いて人に見せたい訴えたい思いがあるわけでも無いけれど誰かのブクマを集めたいそんな全く何の意味も無い感情をもてあまし増田に文字を書き殴る作業に明け暮れるのもいいんじゃないかねしかし捜せば何かしら書くこと派あるだろうその日の出来事やその日のホッテントリについてや自分の直近の増田描き込みへの物言いとかどうとでもなることだろうけどそれはそれで頭を使って文章を作らなければならないので面倒臭い訳だなので何も考えず何のひねりもなくキーを叩くだってアノニマスダイアリーだものダイアリー日記だよ日記日記なんて何書こうとどんな書き方しようと個人の自由じゃないか気を使う必要なんてないんだよなのに皆が皆色々捻った事書こうとしてまーこりゃたいへんねーあらあらまあまああー手が疲れてきたからもういいや
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
タイトルをつけてみました。本当に世知辛い世の中ですよね。義理人情、僕は余り義理というやつが好きではないのですが、人情が廃ればこの世は終りだ、と実感するようになりました。
まあ、他人事なんで気にしなきゃいい話なんだけど、イラッときてるんでここに吐き出してみる。
今度、出向する先の会社に行くことをその彼女から反対されている。
・30代後半
泣ける歌だとかなんとかに紹介されたバンドのプロデュースとか。
・30代前半
・ヤリチンの同僚(当時)
・主だった特技なし、事務員。
・両親ともに障がいを持っている、その一人っ子
これって、強姦罪になるんじゃね?それとも、彼女がソレっぽい雰囲気出しちゃってたんかな?
まあ、これは自分的にはセーフでいいかなと思ってる。馴れ初めはどうあれ、それから付き合いだしたんだから。
お金は、地元の四国から東京に来るための交通費を立て替えてくれって事だったらしい。東京に来て返すアテがあったらしいが、それもどうやら、上手く行かず(というか多分、真剣に取り立ててないので)現在も借りパク中。
パソコンは、調べ物とかするのに便利だからと。
まあ、やることやってれば、できちゃうこともありますよ。人間なんだし。
しかし、その責任も持てないで中出しセックスにふけるとはどういうことなんだ。
これが、一番カチっときたかな。
他に女ができたとか、飽きたとかで別れるのはよくある事だし、納得もできるけどさ。人の将来まで決めつけるような物言いで、「お前は結婚出来ない。幸せになれない。」的な、言葉を吐くとか許せない気がした。
彼女自身、過去にあまりいい付き合いをしてないのかもしれないけど。
最後のその言葉に、ずっと心の奥に傷をつけられたようで、今だに思い出しては情緒不安定になったり、泣き出してどうしようもなくなるらしい。
そんな折、最近では、両親が「結婚」について話しだし、彼女は「幸せになれない=結婚してはいけない」と「結婚しないの?彼氏は?」という、両親と元カレの言葉に板ばさみの気持ちに陥っているらしい。
もう、自分で書いててもイライラしてくるんでさっさとまとめちゃいますが。
好きになったり嫌いになったりするのは、別に構わないんだが、人様の子に対して「幸せになれない」だの「結婚出来ない」だの決め付けるのは、どうなんだと思った。
彼女の両親は、不妊治療の末にようやく授かった彼女を文字通り「箱入り娘」で大切に育ててきた。もちろん将来は幸せになって欲しいと思っているはずだ。
もし自分の娘が、元カレの言葉をトラウマに毎晩「死にたい」とか考えて、毎朝腫れぼったい目で過ごしているのをどう受け止められるだろうか。
もし、これで彼女が本当に自殺するようなことがあれば、話を聞いた俺は、この件を公にするべきなのか、当事者同士の事として黙っているべきか。
y_arim 2ch, news, china, politics 「敵の敵は味方」の論理で祝福している人が多いが、仮に次回、日本の人権活動家が受賞したらどう反応するだろう?というのは気になる//twitterで相互フォローしてる90年生まれのオタク中国人は政治なぞどこ吹く風だなあ 2010/10/09
似たようなことをいってるのはほかにもいるんだけど、「日本の人権活動家が受賞したらどう反応するか」なんてアホな仮定付きの疑問に意味なんてあるか?
だいたい今回の受賞は「人権抑圧の苛烈な中国でなお活動を止めない」という覚悟のほども含まれてるでしょ。
日本の人権活動家のだれに、そんな受賞に値する覚悟の持ち主がいるんだか。覚悟を外しても、受賞に値するだけの実績をあげた活動家がどこにいるのか。
と考えると、「日本の人権活動家が受賞したら」の答えは、「受賞なんかするわけないだろ?」しかない。
百歩譲って仮定を認めても、「なんでこんなしようもない活動にノーベル平和賞が? おかしくね?」しか反応のしようはないでしょ。本当に下らない疑問。
前提がどうでもいいんなら「竹島や魚釣島で他国の肩持つやつは、自分の家の敷地で他国が領土を主張したらどうするの?」とかだってありじゃん。
あと「90年生まれのオタク中国人は政治なぞどこ吹く風だなあ」ってなんだよ。
いや、「違う価値観が理解できない」のは理解できる
それは浮気する人、しない人、双方共にいるだろうし
あなたのようにどうでもいいと思う人もいるだろう
ちなみに自分もどうでもいいと思っている
「建前上(外面を良く見せたくて)そう言っているだけで、本心は違う」と断定する人が多いこと
「人間なら食事を摂って排泄をするのが当然だ
腹が減っている時に目の前に食事があれば誰でも食べるはずだ」と言うのと同じ感覚で
「人間なら浮気願望があるのが当然で、実行できるかできないかの違いだ
目の前に好みの異性がいたなら誰でも浮気するはずだ」と言う人
(※ここで言う「実行できるかできないか」は、本人に浮気できるだけの魅力があるかどうかであって
浮気したら面倒なことになるからできない、の「できない」ではないらしい)
俺、元増田とは違う人だから。
それが何?
そもそもお前はどの増田だよ。
お前の主張は、
北朝鮮だってさ。
でいいのか?
お前の言っている元増田が
とんだPC選民(賎民か?)だよ。
としたら、モロかぶりじゃねーか。
後出しで、確認のしようも無い
俺、元増田とは違う人だから。
とか言われてもお前の愚かさ加減をばら撒いてるだけじゃん。
お前の言っている元増田が、
「インターネットでは何でもあり」の風潮がそろそろ嫌になってきた
だったとしたら、お前は言葉尻捕まえてご高説たれて、
挙句の果てに「俺じゃないですよ」とかメタ発言して逃走出来ると思ってる真性の糞じゃねーかよ。
匿名掲示板でどの発言が誰だとかメタ発言しても何の意味もねぇことぐらい理解しろよ。
そして、お前みたいにその程度の理解しか出来ない奴が、ネット怖いとか規制が必要とか言ってる層だって気づけ。
ところでさ、俺も元増田とは違う人なんだけど、どうするよ? とか言ったら、「言葉使いが一緒だ」とかプロファイリングとかしてくれるの? くだらん。
俺がプロポーズしたと聞いて後輩連中は「○○さんのことを見直した」「男らしい」、上司からも「これで○○も一人前だ」とか言われまくれ
「見直した」
もちろんこのセリフには「未婚男性はマイナス評価」という差別意識が隠れている。ちなみにこういう物言いをする人は女性には同じことを言わない。
「男らしい」
もちろんこのセリフには「未婚男性は男ではない」という差別意識が隠れている。ちなみに(略
「これで○○も一人前だ」
もちろんこのセリフには「未婚男性は半人前だ」という差別意識が隠れている。ち(略
当然ながら結婚するには「前提条件」があることは、婚活市場を見ずとも分かるだろう。
これが女性側から求められるということは、結婚したい女性にとってこれが「結婚したい、現代のますらを」なのである。
当然、
は、女性にとって「男らしくない」のである。
以上とか以下の問題じゃないんだ。
与えられた状況で自分はファンとしてどうありたいのかって時に
今やってるような行為はちょっと変かな、って思うだ。
そんでもって「立ち去れない」時に、自分がどうしなきゃいけないのかって。
その場合非難するか立ち去るかでしょ?
そして立ち去れないことはないでしょ?
かなりの信者も今回ので立ち去り易い程度にさめたでしょ?
立ち去れる人はそれでもいいと思う。私はもう無理なので、じゃあどうしようって
腹のくくり方を考えてるわけ。
重病なのは分かったしそれ自体は理解しなくもないけど
むしろジワジワと腐らせていくよ。体験済みだろうけど。
私は諸事情考えて、別に愛がなくなったわけじゃないと思うの。
だとしたらそれこそ今は
問題から目をそらして更なる忠誠や献身の方法を考えるんじゃなく
問題点を整理してきちんとした言い方で直訴する、
その直訴方法を考えるべきだと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100919165646
せっかく興味を持ち始めた人を、優位性ゲームに巻き込んで痛みつけていては対立者が増える一方だ。
せめて不要に嫌われない態度が取れないものか。
Tariki librahack はじめてのアンチだわーいヽ(*´ー`*)ノそれはいいんだけど誰かがブクマするたびにbotがツイートするせいで Mentions がうざいwwwww 2010/09/19
Tariki librahack もうちょっと深堀りしてくんないと面白くないなあ 2010/09/19
すごい即効で補足していただけました^^; そこまで気にしなくてもいいですよ^^
ちょっと物言いに気をつけたほうがいいと思うぐらいなので^^;
俺って「貴族」だってことがよくわかったわ。本当の凡人は本当に時間だけ搾取されて生活に何にも残らないんだろうな。そして、そういう奴らが楽しく仕事できてる奴らを「社畜」だと批判する。……ほんと、馬鹿馬鹿しいぜ。
大学の同級生で、就職しない奴いたけど、都内でマンション経営してて(親が死んで受け継いだ)、普通に普段着で(スーツでなく)銀行に2億だか3億だか借りに行ったこともあるそうだ。土地持ちは強い。
まあ、相対的なものに過ぎないから。世の中にはもっと金持ちもいるし。
増田が言う「貴族」というのも、比べる相手によっては成り立つと思うよ。がんばれ!
ある程度ランクが上の大学に入って卒業したら、久しぶりに会って飲むだけで異業種交流会だ。しかも、みんな一流の現場で張り合っているすごい奴らだ。そこから得られる知見は価値のつけられない財産となる。ほんと、友人の一言で広がっていった企画って多いからな。
こういう、ちょっと抽象的な物言いは、どうしても釣りだと思ってしまう。
まあ、もしかしたら本当に「企画」が広がっていったのかもね。がんばれ!
「前から言いたかったんだけど、使ったらちゃんとトイレの便座戻しといてよ!」
突然強めの語気で彼女に言われた。
今までにこの内容の注意をされたことは一度もない。
彼女が仕様前のトイレに上がった便座と下がった便座のどちらを望んでいるかさえ知らなかった。
なにをもって「ちゃんと」としているのか。ポカーンとそれを聞いていると、彼女は続けた。
「◯◯ちゃんの彼氏もコレ言っても言っても聞かなくて困ってるんだって、気をつけてね」
なぜここで言っても聞かない◯◯ちゃんの彼氏とやらを持ち出すのか。
なにを根拠に彼と私を同一視するのだろうか。
その時は「うん分かった」と返事をしたのだが、家に帰ってから腹が立ったので彼女に電話をした。
喧嘩を売るような物言いは今後しないでくれと丁寧に穏やかに伝えた。
しかし彼女は「そんなに注意されたのが嫌だったの?」などと言う。
なんだか腹が立つというよりも悲しい。ガッカリした。
付き合って2ヶ月になる。
シカト即ちいじめ、って考え方には「ちょっと待ってよ」と思う。
誰にだってさ、関わる相手を選ぶ権利はあると思うんだよ。
すぐ暴力を振るう奴とか借りたもの返さない奴とかとはできるだけ接点を減らしたい。
逆に屈託無くおしゃべりできたり冗談を言い合える相手とは接点を増やしたい。
これって、そんなに贅沢な権利ではないでしょ?
そこまで極端でないとしても、
興味の無い対象にはそんなに手間ヒマかけたくないってのは「いじめだ!」と言われるほどのことなんだろうか。
みんな、それぞれの幸せを追い求めて日々暮らしていて、ぶつかり合ったり譲り合ったり裏をかきあったりしてる。
残念ながら我々人類は千手観音じゃないから、すべてを見て、すべてを救うことなんかできない。
大事にしたいと思った相手にさえ、そうできないことの方が多いのに。
昔読んだあるカウンセラー(外国の人だったと思う)の書いた本に、友達ができないって相談に来る人に
「逆にお伺いしますが、他人から見て、あなたに友達になりたいと思わせるだけの価値はあるんですか?」
って返事をする一節があって、そんな無茶な!と思う一方、妙に納得させられた。
この言い方は流石に極端だと思うけど、確かに観察してみると多くの友人関係ってのは、広い意味での価値や利益ってのがどこかに絡んでいるように見える。それがかみ合ってるかどうかは別にして。
だからと言って、「さびしいから友達が欲しいなぁ」という気持ちは否定しない。
そりゃそうだろ、と思う。自分だってそう思うし。
ただ、「自分を孤独にしている連中は自分をいじめている。だから先生何とかしてください」って物言いはどうなのかなあ、と思う。いや、後半は書かれてないけど。
強権発動してもらって無理矢理友達になったって、次にやってくるのは虚しさだよ。
「友達が欲しい」って気持ちと「友達は選びたい」って気持ちは、優劣無しの等価値。
自分の中で優先順位をつけたとしても、それは他人に強制できないことだよ。
どうすりゃいいのかは、他の人がたくさん書いてるので省略。
以前、「夫の収入が自分よりも低くなりセックス意欲が減退した」という様なエントリーを読みましたが
こういう証言をよく見聞きするんだけど
これが
「本能的に」というのであれば
男女雇用機会均等法は間違いだったってことになるんじゃないの?
若くて可愛い貧乏なイケメンなんかをバンバン養ってもらわないと困るわけだ
もっと言えば夫や子どもを「養うこと」や「養う自分」に幸せと充足を感じてもらわなければ困る
性別ひっくり返せばそういうタイプの男がよくやってきたようにね
(もちろん養われる主夫も古い価値観の男のプライドなんか出してきちゃいけない)
その女性の「本能的に惹かれる」「結婚して幸せを感じる」相手を減らしていくだけってことになる。
ひいてはマクロ的に
「結婚したいのに出来ない男女が増える」「幸せな人が減る」「社会の総幸せ量が減る」ことと同義なわけで
収入分配大失敗ってことになる
だから、
社会を退歩させないためにも
以上
リアル知り合いの高キャリ高収入女性達には言えないことをここに書いた
でもわかってくれるでしょう?
働くのが怖い。確かにそうだ。
人と接するのが怖い。確かにそうだ。でも、自分はこれまでは出来るだけ人と接してきた。でも、結局は人と接しても疲れるだけだ。
一人暮らしをしてみて、一人でいるのが当たり前になると、人と接するのはどんどん疲れることになる。寂しいときはネットで繋がって適当な時間まぎらわせばいい。
何も自由を犠牲にしてまでリアルなつながりを求める意味はないんだ。好きなときに好きな時間だけ繋がることが出来る。リアルの不自由なつきあいではムリだろう。
その延長に、働きたくないということがある。
まず自分が一番に感じるのは、特定の組織に属する恐怖。これは、その会社がいつつぶれるか分からないから怖いという超低次元の話ではない。
特定の組織に属するということは、特定の視点を持たざるを得なくなるということだ。それが怖い。
自分は常に遠い視点から物事を見ていたい。もちろん人間には難しいことではあるが、組織に属さないということでも、他の人よりはかなり視野を広く出来る。
これは何も会社に入っているかいないかというだけの話ではなく、学校や、特定のウェブサイトにだけ通っているとかそういうことでもまた違ってくる。
2ちゃんねるに入り浸ると、2ちゃんねるの価値観に染まってくる。2ちゃんねるの価値観なんてないと思うかもしれないが、大勢を占める意見というのは存在する。確実に。それが社会の持つ性質だ。完全にバラけることなどない。人が集まり社会を作れば必ずそうなる。だからこそ、2ちゃんねる=ネットになってはいけない。
新聞をいくつもとるというのは、現代的に言えばネットでたくさんのサイトから情報収集をするということと同義だろう。近頃はネット言論などということを言い出す勢力までいて、確かに日本では2ちゃんねる系の右派(右翼もどき?)がWikipediaを不当に改竄したり色々問題が起きてはいるが、ネットは広いのでそういう人ばかりではない。
というか、ネットが出来たことで、リアルを絶対視する理由はなくなったと言ってもいいだろう。リアルを過剰に絶対視し、ネットを軽蔑する人間の多くはネットがない半生を過ごした老人達(40歳程度の人間も含む)であり、社会の抱えるカオスという面を無視してネットの闇などと平気な顔で語る老害たちだ。
話を戻すと、働きたくないのには、まず組織に属したくないというものがある。
そして次に多くの働かない人々が言うような、組織内に存在する陰湿な部分への嫌気だ。
組織に属し組織の教育を受け、組織のために尽くす。昔なら美しいイメージで語られていたのだろうが、自由な世界を望む自分から見たら吐き気をもよおすようなイメージだ。
学校などは教師という絶対権力者の頭が古すぎるために、子供がまるで何十年か前の人間のような物言いをする。ネットに触れた人間はそれら教師達の言葉がもはやこの世界では古すぎるということを理解出来るのだが、今度は自由な世界を望むはずの大人が「ネット規制をしろ」などとほざき始める。
自分はまわりが田んぼだらけの田舎に生まれたが、洗脳教育に染まらずにここまでこれたのはネットの力が大きかった。当時ネット環境が家にある家庭は(田舎だから)ほとんどなく、自分はまわりの子供よりも2段階ほど大人になるのが速かったのかもしれない。という大それた話より、自由な世界を垣間見ることが出来たのが大きかった。学校が全てではない、学校で教えられることが全てではないとはっきりと確信出来た。
働かない自由、それは現代で言えば組織に属さない自由ということになる。
このような視点を持って働くことを拒否している人間は少ないだろうが、遠くから世界を眺めることで見えてくるものに自分はおもしろさを感じる。
しかしそれで金儲けをしようとは思わない。それのどこが悪いのだろうか。
結局彼ら(働く人々)は投げやりな態度でこう言うのだ。「金に困ってないならいいんじゃないの」と。結局彼らはその程度の理由で働いているのだろう。別に同情するつもりはないが、何と自分に嘘をつくのが好きな人たちなのだろうと不思議な気持ちだ。
働かない自由、それが次世代のキーワードになるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100825012106
ここが人気みたいなので書いてみる。
36歳既婚子供2人。年収1500万強。32歳くらいから1千万超えている。
確かに1千越えは自尊心を満たす。が、そんなに実生活が華やぐことはない。
生活は苦しくはない。余裕はあると思う。
でもだからといって浮気をホイホイ楽しむほどの余裕があるかと言えばビミョー。それほどの金額か?
それに、そんなに女遊びが楽しいか?とも思う。
1千越えくらいの仕事をしていれば仕事自体にやりがいがあったり楽しかったりするのだと思うのだが。
1歳と4歳。日々知的レベルが上がっていくのを眺めるのは至高。
仕事と子育てを楽しんでやっていたら浮気までとてもじゃないが気が回らない。
たまに趣味を楽しんだらもう十分。
30代って一般的には気力も体力も充実している。その上経済的余裕があるという素晴らしい状況で
寄りによって女遊びはないだろ…自分の快楽だけにしか目が行かないのはもったいない。
優等生的な物言いだとはおもうけど、普通の生活を本気でやったら相当面白いと思う。
婚活のひとは年収ではなく、目の前の問題に対してどのように取り組んでいるか?
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。