はてなキーワード: ラベリングとは
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/091101/osk0911010237002-n1.htm
それに代わる呼称を一般公募しようという話のようです。
私は脊椎に先天障害がある、いわゆる障害者です。症状は排尿障害。
障害者になじみがない方の参考になればいいかなと、少し意見を書いてみます。
小学校のころ、学校で知らない女の子二人組に、こう話しかけられたことがあります。
「○○くんって、障害者なの?」
まだ素直だった私はその女の子たちに、自分が二分脊椎という先天障害であること、
どのような症状があるかなど、わかる範囲で丁寧に説明したつもりでした。
しかし、説明を聞いた後の女の子の一言は、私の予想外のものでした。
「じゃあ、やっぱり○○くんは障害者なんだ」
自分という個人ではなく、「障害者」というラベルで見られること、
これはとてもつらい体験だったので、30を過ぎた今でもはっきり思い出せます。
(数多あったいじめや何やより、よっぽどはっきり覚えています)
だから吹田市が「障害者と呼ぶのはやめよう」ということ自体は、理解できる面もあります。
例に挙げて悪いですが、本記事のブックマークコメントでid:A-xtuという方が、
b:id:A-xtu 身内に障害者がいる身としては、ちっともありがたくないどころかむしろ大迷惑。どうせ行政上の諸手続名称もいろいろ変更されるのかと思うとウンザリする。こういう当事者不在の施策はいいかげんにせよと申し上げる 2009/11/01
とまでおっしゃってますが、正直、身内の方の気持ちをほんとにわかってらっしゃるのか、
他人事ながら少し悲しい気持ちになりました。
(ただ言葉が足りないだけと信じたいですが)
追記:ブコメにご指摘あり、上記内容は重度障害者の身内としての立場を表明されたものとのこと。「当事者」という言葉が「障害者本人」を指すと勝手に誤読しておりました。大変失礼しました。
「障害者と呼ぶのをやめる」ことは結構ですが、
「それに代わる呼称を」というのは無意味なことだと思います。
「○○くんって障害者なんだ」が仮に「○○くんって元希者(げんきもん)なんだ」に代わっても、
ちっとも救われないどころか、むしろバカにされてる感がプラスです。
障害者だの障がい者だの元希者(これは高齢者のことですが)だの、字面の問題ではないんです。
何らかの総称で呼ぼうとすること自体が、障害者/健常者という二分論を産み、
総称を全くやめてしまうと行政上の不都合も生じる(障害者手帳とか)場合があるでしょうから、
そこは、個別により適切な単語に置き換えてもらえばいいと思いますが、
「イメージがよくてキャッチーな単語で総称しよう」というのは、
発想の方向が違うのではないでしょうか。
『障害』は個人ではなく社会の仕組みや街のあり方に存在する
については、心より賛意と感謝を送りたいと思います。
吹田市には、このスタンスを大事にしてあまり変な方向に流れないように、
と願いたいと思います。
b:id:quix_que 障害者, 言葉 一応障害者の端くれとして言えば、属性を示すラベルが必要な以上、カテゴライズからは逃れられない、と思っている。2009/11/01
b:id:tatsujik 障害者の親ですが、障害者というカテゴリーは必要だということは自覚されていると思います。カテゴリーはいるが、障害者とは言わないでほしいというと現実的にどう対応したらいいのかわかりません。2009/11/01
確かに行政上カテゴライズが必要なことは理解しているつもりですが、そのことと、
カテゴリに名前が必要かということは別問題ではないかと思っています。
以下に私見、というか、「こうだったら私は嬉しい」を書きます。
例えば、「障害者」という広いくくりではなく、なるべく各病名や症例名で呼ぶようにするだけでもいい。
病気したことない人はほとんどいない、つまり、ほとんどの人は何らかの病名や症例名を持っているので、
これだけでもある程度対等な立場で話をすることができるようになります。
その上で、一部の症例に関しては「障害者手帳」ではなく「障害明細手帳」を交付する。
いや手帳の名前はセンスある人が考えてくれればいいですが、言いたいことは、
と、ここまで書いて思ったのですが…。
私は四肢障害が出なかったので、見た目でラベリングされることはまずありません。
俺もマイノリティなんだよ。
ふざんけんな。
でもあんたらみたいに差別の隠れ蓑の隠れて被差別の特権化なんぞに肩入れする気もないし、
そんなことはまっぴらごめんだ。
問題の本質?
はいはい。お疲れ様。
あんたが本質の「何一つとして」理解もしていないししようともしていないのはよくわかるよ。
せいぜい差別主義者と同じラベリングの貼り合いでお望みのことをやればいい。
ただし、その言動が俺の在日の友人に迷惑なり実害が及ぶようなことになったら、そのときはまずその非難の矛先は「反日」とかほざく極右の差別主義者じゃなくて、それに乗っかって差別を助長していることに「無自覚」かつ「無責任」なあなたに向かうだろうね。
何が差別と戦おうとする者だ?
ん?
とりあえず不都合なことは無視できるだけの読解力はあるようだからよく読んどけ。
「私たちにとって、もっとも衝撃だったのは、事後の「在特会」によるネガティブ・キャンペーンの矛先が、ほかならぬ排斥デモの標的とされた外国籍当事者に、もっとも鋭く向けられてしまったことです。まったく無関係であるにもかかわらず、当事者へのさらなる攻撃の格好の材料を、私たち自身が与えてしまったことに言葉を失うばかりです。」
http://ikirukotowa.blog22.fc2.com/blog-entry-15.html
あんたが反日上等とかやって馬鹿みたいに騒いで能天気かつ無責任に煽った結果がこのザマだ。
どんなに綺麗事並べようが詭弁を並べようが、目標を達せない机上論の言葉遊びなんて所詮こんなもんだよ。
俺が「あの件」に関していしけり氏を支持したのは、過去の言動は別として、「あれに関しては」いしけり氏の言っていることが正しいからだ。
そしてその言動を保障する表現の自由や思想信条の自由だって擁護してみせよう。
ただし、実害が「まったく無関係」であるべき「第三者」に及んでいる「現実」(可能性じゃねーからな)があって、
それでもなおそういった言動を繰り返すのであれば、それに対しては言葉をもってして対抗軸を張るだけだ。
差別しろとか日本から出て行けとか反日とか、そんなくだらねーことは言わねーよ。
だいたい敵か味方か、そんなガキの運動会みたいな思考回路しかねーくせに、偉そうなこと言ってんじゃねー。
被差別者が味方に引き入れなきゃいけない、そのメッセージの対象とすべきなのは、「差別している」人間じゃない。
「空気」と言う名の化け物で「右にも左にも」動く「その他大勢の第三者なんだよ。
石を投げる?
そりゃ「あんた」には投げたかもしれんが、「差別と戦うもの」として「いしけり氏」の今回の行動には寧ろ称揚さえしたさ。
最も彼にとってそれがプラスになったわけではないだろうけどね。
でも「共通の目標」が「お互いにとって良いこととして帰結する」ならば、共同歩調を取ることはできるだろう。
少なくともあんたらと違っていしけり氏は「生の人間」を相手に「生の人間」を守るために戦っているさ。
そして「守るため」に自分の行動さえも変えようとすることさえある。
それは「自分の信念」が「くだらないお題目」じゃなくて「守る」というその一点にあるからだ。
だから泥まみれになろうが血まみれになろうが、彼は体を張ってるんじゃないか。
あんたは差別と戦ってるんじゃない。
あんたらの言うように、もし日本人という存在そのものが抑圧の構造なのだとしたら、そもそもあなたが何を言おうがそれは詭弁でしかないし。
その理屈で言えば、あなたはいかなる切り口を持ってしてもマイノリティの側には立てないよ。
そもそも「差別」というものがどういうことかまったく理解していないのにそれを語ることそのものが「まったくもって迷惑千万」です。
ナチスが何をやったのか、よもや差別を語る人が知らないとは思えませんが、あなたの場合は「まさか」で済まされないほど洒落にならないようなので、以下に書いてあげますよ。
かれらが虐殺して回ったのはユダヤ人というラベルを貼った人だけじゃない。精神障害者、同性愛者、信仰宗教信者、シンティ・ロマ、他にもいるでしょうが目ぼしいところでざっとこんなですよ。
これでも何が言いたいかわからないでしょうから、教えてあげますけど、「差別主義者」が「差別」の対象にするのは「あらゆるマイノリティ」であり、「差別」というのは、「浄化主義」みたいなもんなんですよ。
在日外国人への差別と同性愛者を始めとした性的マイノリティと障害を抱える様々な人々と、それらの差別の構造はまったく同じです。
いずれも「マジョリティ」が「マイノリティ」を抑圧しているだけ。
だからこそ、仮に「在日外国人」への差別だけに絞って、一定の成果を得たと仮定しても、その差別主義者の浄化思想そのものが容認され得る限り、次に標的になるのは単に「別のマイノリティ」に過ぎない。
あなたはそれを容易に切断して物を語るが、それは「それ以外のマイノリティに対する迫害の容認・教唆」にしかならない。
それとも、日本人のマイノリティがいくら差別され迫害されようが、それは「日本人」の問題だから関係ないんですか?
だからこそ俺は「マジョリティ」こそが「マイノリティ差別」の「解消」を引き受けるべきだし、対話すべきは「マジョリティの中のマイノリティ」である「排外差別主義者」ではなく、あらゆる点で無責任かつ無自覚な「その他大勢のマジョリティの中の傍観者」であるべきだ、と指摘した。
一つのマイノリティを「守る」(それが本当に守っているのであれば、ですが)ことが、「他のマイノリティ」への差別を誘発するようなことは容認され得ないし、されるべきではない。
だからこそ、差別、という点において、在日韓国人だけを切り出したりすることはしない。それは「民族問題としての政治闘争」ではあるかもしれないが「社会における差別の解消」にはならないからだ。
被差別者は程度の差はあれ、等しく被差別構造の中に納められているんだよ。
勝手に「あなたと同じ」マジョリティなんかにしないで欲しいもんだ。
この点について、自身がマイノリティであることをこの場で宣言する、という行為そのものが自分として最適な選択肢かどうかは未だに悩んでいる。
それは自身がマイノリティであることをもってして、この主張が特権化し兼ねない、という懸念が今も少なからず存在するからだ。
マジョリティとマイノリティを反転して特権化することで、マイノリティによるマジョリティの差別、などというアホらしい主張すらされ得る可能性もある。
そのリスクを犯してあえて宣言したのは「あなたがいかに差別という構造を理解していないか」「差別というものの露呈のしかた隠蔽のされかたを理解していないか」の論理を補強するためにやっただけ。本来話が通じる相手であれば、こんな話を持ち出す必要もなかったんですけどね。
二つ目。
あのデモの場で「反日上等」と騒いだかどうかを問題にしてるんじゃない。
「あなたが反日上等」という用語を「在日外国人用語のスローガン」として掲げること自体が、「差別主義者」が「在日外国人」を「反日だ」と排撃する口実になっている、という反転構造に無自覚な時点で、「片棒を担いでる」って言ってるの。
挑発に乗ったのが失敗?それなら「反日」という強烈な、それこそ「挑発」としてのラベリングに乗ったあなたは何なの?無関係なの?
逮捕されたのが問題?それなら「あなたみたいに逮捕されるリスクがなければ」何を言おうが関係ないの?
テクニカルな問題?そうであれば、まさにあなたが「反日」という「挑発と抑圧の構造」に対して乗っかっているそのことそのものがテクニカルな問題なんだよ。それは上で指摘した通りだ。
3つ目。
具体的に言うならば、彼が「反日」という言葉が現場に、当事者に及ぼす悪影響のリスクを懸念していたのは文面からも読み取れたはずだ。(読んでないのかな?)
それに対して「外国人の権利を擁護するなら反日じゃなきゃいけない」(まさにここであなたが主張していることですよ)といって、まるでそのリスクも差別の構造も理解もせず、自身が正義であるかのように「反日」を振りかざしている、「反日大好き運動」そのものについての件だよ。
彼はそのリスクを軽減するために、「あんたが大好き」な「反日」の言葉そのものについて慎重だった。
それでも「論を詰めて、それでもその言葉が選択されるなら、「反日」という言葉も受け入れる」可能性があることを表明するのと平行して、「今使われている「反日上等」という応答そのものが「言葉が軽い」として必ずしも容認しなかった」という件だよ。
彼を追放した、という表現が嫌なら、「よってたかって彼をリスクに巻き込むことしかしなかった」ことによって「彼は現場のために撤退した」んだよ。
「反日」大好き組は「一人ひとり個々に」表明しているつもりなのかもしれないけど、部外者から見ればあれは「議論を装った集団リンチ」にしか見えなかったんだけどね。
だからブクマでもいしけり氏を擁護した。あの議論は議論じゃなくて、そこに「自分達の意見に従わない、意見を容認しないものは排除する」という差別構造そのものが見えたからだ。
差別を拒否するのに右も左も関係ない。一人の人間として、そういう行動を取った。
俺が擁護の点を(あの状況じゃとても線など作る余裕はなかったしね)張ることで、彼には迷惑がかかるかもしれない旨を連絡もした。それに対して拒否の回答は無かったよ。
俺は左派の皆さんが勝手に内部分裂しようが山の中でくたばろうが、そんなことは知ったこっちゃない。
ただ、「差別を温存する」ことを「無自覚」に行っている「行為そのもの」に対しては対抗する。
自覚的にやっていれば、まだ対処のしようがある。カウンターデモもできるだろう。
でも「無自覚」にやらかしていることに対しては「それが差別を容認している」ことを指摘しておかないと、空気を読む別の第三者が誤解する可能性だってある。
それをこそ一番恐れているんだよ。
ま、「マジョリティ」で「マイノリティの味方」を気取った「中身」がなく「論理」もないあなたには、そんなことそれこそ「想像」もできないでしょうけどね。
あなたが想像できるのは、差別主義者と同じ「日本人」「外国人」(もっと言うなら朝鮮人、ですか?)という「目に見える」ラベリングぐらいなんですから。
攻撃対象の人物・集団・組織などに対し、憎悪や恐怖の感情に訴える
麻生叩きにおける、「漢字の読み間違い・書き間違い」「アホ」のイメージを植えつける。
3「転換」
さまざまな権威や威光を用いて、自分たちの意見や目的や方法を正当化する、
正しく見せかける。
4「証言利用」
尊敬される・権威ある人物を使って、自分たちの意見や目的や方法が正しいことを
証言・後援させる。
○○問題に詳しい~~評論家・教授に言ってほしいことを言わせる。
5「平凡化」
司会「我々庶民は~」。
都合のいい事柄を強調し、都合が悪い事柄を矮小化したり隠蔽したりする。
7「バンドワゴン」
大きな楽隊が目を惹くように、その事柄が、世の中の趨勢であるかのように宣伝する。
情報受信者は、それに従わないことにより取り残される情緒的不安を覚え、
結局はその「楽隊」に同調していくことになる。
7つの法則。
俺は、SもMも鬱病みたいに「心にラベリングが施される」ものだと思うし、SMパーティなんて出てみると、大体プレイしてる人たちの多くの人が持ってる共通認識みたいなものがあると感じるし、実際そういう話題はよく出てくる。
それとかけ離れた主張を偉そうにするやつが出てくる事に違和感を感じる。
真性か。
SMって遊び以外の何だと思ってるの?仕事か?「SMプレイ」のプレイって何なのか、考えた事も無いのか……
また、人間は誰かにラベリングされた行動しか取ってはいけないのか?本来の意味なんて出したところで、誰の同意も得られるはずがないだろう。お前みたいなKYがSM語るなよ。今までのやり取り見て判るとおり、SMは高度な空気の読み合いと性愛が重なったものだ。
Wikipediaのサディストの項目だけ見て知った気になってると思われるので
http://ja.wikipedia.org/wiki/SM_(%E6%80%A7%E9%A2%A8%E4%BF%97)
辺りも見ておけ、と言っておく(ただし「百科事典」で書かれた事に何の拘束力も無い事は前提として言っておく)。
ちょっと考えてみる。
日々の生活の中で異性愛者は:
「感情」→「感情的」→「バカっぽい」と思っているため、理知的であるはずの自分がそんなバカみたいな怒りや悲しみを抱いていることをなかなか認めたくない、というところがある。
自分のことを論理的だと思っている人間ほど実は感情的だというのは、よくあることだと思っていた。
人間というのは、自分の中に生じる感情のうち、楽しさや喜びなどの感情は認識することには抵抗感が薄いが、怒りや悲しみなどの「負の感情」は認識するのに抵抗感が強い。
実は、冷静で論理的な人ほど、この「負の感情」を抱えた自分を認識している。そして、怒ったり悲しんだりしている自分を冷静に見つめる「もう一人の自分」を作り出している。この「もう一人の自分」が、負の感情を抱えた自分を客観的に見つめて、慰めたり励ましたり判断を下したりするわけだ。冷静さや論理というのは、この「もう一人の自分」が存在して初めて生まれてくるものであって、「もう一人の自分」を存在させるには、まず負の感情を抱えた格好悪い自分の存在を認識しなければならないわけですね。
冷静で論理的に見える人ほど「いや、自分だって感情的なところはあるよ」と言うのは、こういうふうに自分自身の感情的な部分を認識しているからだと思う。
自称論理派ほど感情的に見えるのは、この「もう一人の自分」が存在しないから。
「自分のことを冷静で論理的な人間だと思いたい、『負の感情』を抱えている自分なんて格好悪すぎて見たくない」という思いが強すぎるあまり、負の感情を抱えている自分が本当は存在するにもかかわらず、見なかったことにしてしまう。見なかったことにしてしまったら、それを冷静に見つめる「もう一人の自分」は生まれない。
結果、制御するもののいない『負の感情』が、自分でも知らず知らずのうちに暴れまわることになるのだが、本人にその自覚はない。正確に言えば、自覚したくない。あくまでも自分は冷静で論理的な人間なのだと思いたいから。
だからまあ、やたら論理的な人間になろうとすると墓穴を掘ることになりかねないので、「論理的=カッコイイ」という幻想にあまり囚われないほうがいいんじゃないかな。
真に論理的な人間なんてほんの僅かで、凡人が真似しようとすると、感情の正当化のために後付けのへ理屈をこねることになりかねない。そうなるくらいなら、素直に自分の感情を言ってしまったほうが良いという場合は、多々あると思うんだ。
これは、特に「理知的」であるとラベリングされている男性に多いそうなんですが、自分が相手に「彼(女)に○○して欲しいなぁ」などと感じているとき、時に人はそれを「彼(女)は○○すべきである」という風に思考していると、錯覚することがあります。例えば、「夕飯は手料理を作ってほしい」という感情を抱いたとき、特に男は、それを「妻は手料理を作るべきだ」という、論理・理屈に無意識のうちに変換してしまうのです。それは無意識のうちに行われますから、本人としては「理知的」に考えて言っているつもり(*3)なんだけど、相手にしてみればやっぱり理不尽な命令でしかない。
>http://anond.hatelabo.jp/20090325213119
昨日、「なんちゃって関西弁が気持ち悪い」てトラバがあったから押さえ気味に書くわな?俺、ホントに関西在住なんだけどな。wちょっとキツく感じるかもしれんけど、詰問しようとか、そんなん無いからまぁ気楽に。議論じゃなくてお話だし。
先に訂正せなアカンことを。「歪んでる」って書いたのはあなたの人格の事ではないよ?知識つーか情報のことだよ?つまり否定すべき「ホロコースト正史」とやら(これもラベリングやな~)についての情報が歪んでるちゅうこと。人格は関係ない。俺、あなたのこと知らないし。知ってる気もせんではないけど。w ホロコーストについてアツく語る人なんて限られてるし。
エサをバラすと、俺も某巨大掲示板のホロコーストスレで長年否定論者とお話してきた人なんよ。もう4~5年になるかな。だから、大概のネタは知ってます。w 昨日上げた爆発濃度のお話も皮膚吸収も解答は知ってるんよ。爆発する前に即死するし、皮膚から吸収する前に即死するのよ。焼却炉もマットーニョのエッセイとズィンマーマンのエッセイを比較検討して、グーゼンのタイムシートから計算したら、100万人位は焼けるじゃろ、てなお話になっとるし。被害者推計についてもよくコピペされる文面だけど、被害者数に言及したものをかたっぱしから取り上げただけなんね、あれ。全体数も個別の数もゴッチャですわ。歴史学上はもっとキチンと出てます。もちろん学者ごとに違いはあるけど。
まぁ、ここらは余計なお話。俺はあなたが否定論を支持する意思を曲げる意図は無いよ。信じればいい、と思う。だけど「情報を素直にみれば」というのは間違ってる事は伝えたい。その情報自体が「素直」では無い。あなたは素直だけれども。アウシュヴィッツに資料が残ってるはずだ、というなら、何故提示されないのか。命令書が必要だ、というなら何故、T4作戦まで否定しようとする(ヒトラーの承認書有り)のか。T4作戦が事実ならば、その流れ上にあるホロコーストにさらなる命令は何故必要なのか。14f13の存在を知っていながら、「社会に貢献しない生命の抹殺」を否定できるのか。考えてみたほうがいいよ。
で、はてダとかで否定論(俺は修正主義という言葉は好かん)を攻撃する人達は、あなたが知ってる「情報」が歪められてる事を知ってるワケよ。で、「おまえはアホじゃ」って責めるワケ。その事自体の善し悪しのお話をしよう。
俺はあなたと違って否定論自体は「トンデモ」だと思ってる。「素直に情報を見て」ね。だから、ハマりそうな人には「ダマされるなよ~」とは言いたくなる。ハマっちゃった人はもうしょうがないです。wその代わり、俺の目の前でそのウソを垂れ流すヤツは叩くよ。あと、自説の証明を他人任せにするヤツとかね。あなたみたいに「思ってるだけ」の人は別に良いと思う。まぁ、増田に書いた時点で思ってるだけじゃなくなってるが。実際、俺は反応したわけだし。wこういう公然と人目にさらされる場所で、ホロコーストを否定する、てことは被害者に対してもう一度ホロコーストを行う事になる、ちゅう事も覚えておいて欲しいな。まぁ、否定論にならえば「被害者なんぞおらん!」てことになるんだろうけど。収容された人達にもう一度恐怖を植え付け、痛めつける行為なんだ、ちゅうことよ。あなたのその手を血に染めるな、て書くとカッコいいかもしらんわな。w
話がそれた。否定論に取り合わず、罵倒して流すっちゅう背景には「否定論と議論する者は、その協力者である」ていう考えもあるんよ。まぁ、俺もそこから逃げをうつ為に「お話しましょ」ていう体裁をとってるんだけど。wこれは否定論の狙いちゅうか効果として「いかにも歴史学上、論争がある」て思わせたいちゅう側面もある、と思われてるからやね。実際そうですわ。お話、ちゅうてるのに議論ふってくるとかね、で取り合わないと「逃げた」て言われるの。wあなたも覚えがあるでしょ。この短い間でももう発揮されてるわけだぁよ。おもしろいね。俺自身は思いっきり議論してみるのは悪いこっちゃないと思ってるんよ。消極的に黙殺するだけでは、その場はおさまっても、あなたのように、深いところで燻り続ける場合があるから。でも、議論しても納得してもらったこと、ないんだよなぁ。wこれはなんでか解らないんだけれども。反論は無いのに、しばらくしたら同じ事が出てくるのね。わからんなぁ。あなたも議論してみたければ、積極的にすれば良いと思うよ。
ただ、増田でやるこっちゃない。某巨大掲示板ならともかく。書いたように、否定論との議論を嫌う傾向はあるからね。某巨大掲示板は正論が通じないところだから、議論できるよ。そのかわり、叩かれる時ははてな以上に叩かれるけど。だから、あなたも思いっきり議論がしたいなら、某巨大掲示板へどうぞ。世界史板がオススメ。キチンと議論してくれる「正史派・肯定派」(イヤなレッテルだこと。w)のスレもあるよ。注意点としては、固定ハンドル(コテハン)は名乗らないこと。粘着しないこと。かな。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090317/189206/?P=1
いろいろ分類してみたところで、結局のところ「セックスしたか・しないか」に男女関係の境界線があるんだなあ、と思った。
友人から恋人への境界線らしい。
しかし、気分が乗ったので女友達とさらっとセックスしてみたり、
たぶん結婚するであろう人生のパートナー(笑)候補とは手をつないで散歩するのが楽しかったりする自分は、
ま、何が言いたいかって、自分のリア充っぷりやモテっぷりを自慢したいわけじゃなくて
いろいろ分類・単純化したがるのが気持ち悪いなあってことだけなんだけどね。
ま、オタクとか腐女子とかリア充とか非モテとかも同じような「ラベリング」だと思うんだが。
まあ、どうでもいいんだけどさ。
増田で聞いてみたらどうかなって思ったんだ。
電車に乗ると、新社会人というものは、アホ&カスばかりだと実感できます。
腕を組むバカ。満員電車で腕組んだら肘と拳の骨が当たって痛いでしょ。
肘曲げるバカ。肘が痛い。腕を組むよりいいが、ダメなものはダメ。両手ぶらりは基本。荷物は網棚か足の間に入れろ。
手提げバッグを肩にかける女性。糞だね。かばんがとにかく痛い。他人の体にグリグリ押し付けといて気が付かないのかね。
人に携帯押し付けるバカ。携帯をいい角度から見たいがために、他人に苦痛を押し付ける。
カップルで満員電車に入って、彼女の為にスペース空けてあげてるんだとか勘違いしてる男。不細工しかいない不思議。あと、スペース空ける行為が「ああ、こいつは迷惑なヤツだな」と周りにラベリングされ、押されまくり数に負けてギュウギュウ。結局かえって彼女に迷惑かけてる事に気が付かない。
キムチ食べて歯を磨かないバカ。えらい臭いんだよ。社会人なら会社でも臭いと嫌われるぞ。満員電車なんてお前に関係ない人間しかいないんだ。何故迷惑かける。
まぁこれ読んでも、ここに書き切れていない事をしでかして迷惑かけるんでしょうね。あなた方は。なんてったってゆとりですものね。ゆとり。
それでいてえらそうなのが新社会人です。迷惑かけてると指摘されても「何だと」とか「あぁん?」とか口答えするでしょう。
学んでください。いろいろ学んで下さい。
普通、社会人になる前に学ぶ事ではありますけどね。社会人になって社会を学ぶ、なんて考えの人が多いんですよね。で、社会で迷惑かけると。バカですね。
気の利かない人物、空気読めない人物という不可解な、不気味なものに対して、アスペという名前のテンプレートを当てはめることによって比較的理解しやすい既知の対象に変化させてるんだ。
だから、件の人物がアスペであるかどうかはあまり問題じゃない。
「KY」という属性がついているラベルであるなら、アスペでなくても、ADHDであろうが、血液型B型であろうが、ひきこもりであろうが、ロリペドであろうが、いいんだろうさ。ただ、今現在、そういった諸症状を持つ性格を表す一番便利な言葉が「アスペルガー」ってだけのこと。
10年もすれば、別の新しい言葉にとって変わられるよ。
例の人とかラベリングする人は来たみたい。
話ずれるけど、そもそも男が理屈で女が感情論ということはないよ。男も女も同じくらい感情的で、真に論理的な人なんてほんの僅か。
男は女と比べて、「自分は論理的でなければならない。感情的な自分なんて格好悪い」という強迫観念に囚われている人が多い。それゆえ、自分の感情(特に憎しみや劣等感や嫉妬などの負の感情)を素直に認めることに対するハードルがものすごく高くなってしまいがちだ。
その辺は、女のほうが自分の感情を認めることに対するハードルが低いんじゃなかろうか。それどころか女の場合は、下手に理屈っぽいと「可愛げのない女」と思われたりするから、頭の中ではそろばん弾きつつも可愛らしく振舞うという場面も見受けられる。
これは、特に「理知的」であるとラベリングされている男性に多いそうなんですが、自分が相手に「彼(女)に○○して欲しいなぁ」などと感じているとき、時に人はそれを「彼(女)は○○すべきである」という風に思考していると、錯覚することがあります。例えば、「夕飯は手料理を作ってほしい」という感情を抱いたとき、特に男は、それを「妻は手料理を作るべきだ」という、論理・理屈に無意識のうちに変換してしまうのです。それは無意識のうちに行われますから、本人としては「理知的」に考えて言っているつもり(*3)なんだけど、相手にしてみればやっぱり理不尽な命令でしかない。