はてなキーワード: ハラヘリヘリハラとは
キチガイのような声張り上げてるDQNらが昨日街中でたむろしていた。畢竟するにリア充はなぜ奇声をあげるのか不思議に思う人は多いだろう。
奇声というのはノンバーバルコミュなんだよ。奇声のような一見意味のない感情表現するするとキモチ悪がられるという構図。
コミュ力ある人ほどジェスチャーを多く用いるという研究成果もある。人間は表現できないキモチを抱えるとストレスになるから、
積極的に感情表現をせねばならない。社畜労働者はイエスマンになっている場合ではない。斎藤孝のガツンと一発シリーズじゃないが、
ガツンと一発言ってやろうぜ。ガッツだぜDo the ド根性という名言もあることですし。
しかし言葉だけでは表現しきれないものもあるだろう。当人の語彙力の問題、表現力の問題だけでなく、言葉そのものに表現力の限界もある。
感情という訳のわからないものを表現するのには言葉よりノンバーバル。身振りやしぐさが豊かな人はストレスが少ない。お前は身振りなどで
ストレスを発散してますか?ちなみに言葉も口調や抑揚や文体などでノンバーバルに表現することもできる。空腹時に「私は腹が減った」と
辞書的・教科書的に発話するのではなく、「ハラヘリヘリハラ」と言うことで心の中にくすぶっていた気持ちを的確に表現できたならば、
心的緊張の緩和も図れるというものだ。実際のところ、規範や文法を気にしすぎると表現がおろそかになるという方程式がある。
相手の機嫌をそこねないように言おう、相手に変な奴と思われたくない、正しい日本語を心がけねば、などと気にするのは良いことではあるが、
行き過ぎると自己表現が不足してストレスが蓄積していってしまう。現代日本人が抱えるストレスの99.6%はこれである。
例えば、「畢竟するに」と冒頭に書いたが意味はない。吉野家コピペよろしくつゆだくと言いたいだけとちゃうんか、と。
でも言いたい気持ちを押し込めるのは精神衛生上好ましくない。なぜツイッターが流行したかというとリアルで言えない言葉を気軽に言えるから。
人にもよるがそういう一面もあるのではないか。ツイッターの次にくるサービスは何か?我々はそれを考えねばならない。
スポーツオノマトペと言って長島監督の「腰をガッと入れてパーンと叩けばスコーンと飛んでいくから」のような指導もじつは効果的だと再評価されて久しい。
またバクマンの新妻エイジも擬態語いいながら漫画をノリノリに描いてたろう。爆音流しながら。我々は奇声を再評価すべき岐路に立たされている。