はてなキーワード: ナイスガイとは
うん
実は俺の2人目の兄がいわゆるだめんずとしかいいようがない人間なんだけど
モテ方は半端無いのよね
俺個人的には歳離れたその兄貴が大好きだけど
定職につかないし、借金があるし、子供っぽいし、すぐふてくされるし、約束守れないし、人を怒らせて別れるし、
ちょっと脳障害じゃないかっていうぐらいの人で、どういう観点から見ても性格は良くない
容姿的には1歳違いの3人目の兄(子沢山5人兄弟です・・・)とよく似てて
3人目の兄は誠実でスポーツマンのナイスガイ(というか2人目の兄だけ変り種)だけど
2人目の兄のモテ方は圧倒的
もう比べるのもあほらしい
大学でその兄に似たタイプの友人も出来たけどやっぱりいろんな点で同じだった
実体験に基づいたランキングに反論されても困る
色々なコンプレックスを抱えながら生活してきた。
ニートをこじらせていた時期もあった。
いや、ニートを飛び越え、ヒッキーにまでクラスチェンジしていた。
基本スペックは、
人と関わるのはひどく疲れるので、最小限の人間関係しか築かない。
携帯の着信履歴もここ数ヶ月無い。
今思えば、目立ちたがり屋で、仕切りたがり屋で、見栄っ張りなナイスガイだったと思う。
そこそこモテた。
人生の絶頂期。
そして中学へ進学。
小学生の頃と比べると若干影が薄くなってはいたが、そこそこの存在感を出すためがんばって見栄を張っていた。
そんなある日、面識の無い学生に話しかけられた。
たわいのない話だった。
「はぁ!?」
周囲に存在感を示すため、粋がっていた私はそう返した。
面識の無い学生は、わたしに殴りかかろうとしていた。
面識の無い学生のツレがそれを止めてくれた。
なんとかその場はおさまった。
・・・・ここから地獄が始まった。
「生意気な奴だ」
わたしの名は、同学年のヤンキー共に知れ渡ることとなった。
数々の嫌がらせ。
部活のランニング中、硬式ボールを顔面に投げられ危うく大惨事に。ということもあった。
呼び出してリンチ。なんて話も聞こえてくるようになった。
俗に言うイジメというやつだ。
恐怖にかられたわたしは、愛書「ろくでなしブルース」を擦り切れるほど読みつくし対応策を練った。
またジャンプの最後のほうについてる「2週間で強くなれる!」とかいう通販に手を出したこともあった。
そして天パをからかわれ、わたしは始めて天パを意識した。
朝はブローに1時間ほどかけ、チン毛を伸ばした。
汗をかくとチン毛に戻るので、部活も行かなくなった。
さらに、毛深いことを笑いのタネにもされた。
そんな中学1・2年を過ごしていた。
だが中学3年になると、徐々にわたしに対する嫌がらせは減っていった。
ヤンキー共の攻撃対象は、別のチン毛君に移っていた。
安堵した。
だが、いつ何時攻撃の対象に晒されるか分からない。
ヤンキー共と仲良くなる。
これが当時の私が出した結論だった。
一見すると友達のようだが、対等な立場ではないパシリ的な存在になりさがる。
殴られ、からかわれ、家に遊びに来ると物品が盗まれる。
そして逃げるように、ヤンキー達の手の届かない偏差値の高校へ進学した。
恐怖と緊張の毎日だった、中学生活とはうって変わって平凡な高校生活が待っていた。
男子校だったので、恋愛とは無縁だったが平和で落ち着いた日々が戻ってきた。
バイトなども始め、徐々に友達も増えた。
そこそこ楽しい日々だ。
だが、中学時代のヤンキー共から再び呼び出されることが多くなった。
殴られ蹴られエスカレートしていった。
夜中、一晩中殴られていたこともあった。
素っ裸にされ殴られたこともあった。
小学校時代の友達の前で殴られていたときは、言いようの無いみじめさだ。
昔好きだった子の前でなんて時もあった。
自宅の電話が鳴るのが怖くてしょうがなかった。
そして私は決心した。
これまでの交友関係は捨てる。
一切の電話に出ないようした。
格好悪いが逃げ回ることにしたのだ。
家まで来ることもあったが居留守を使ってやり過ごした。
バイト先に来たときは、心臓が縮みあがったが、何とか隠れきった。
そして、日本でトップクラスのFラン大学に合格した私は故郷を捨てた。
大学生活は平穏だった。
Fラン大学ゆえ、日本屈指の学生が集まっていたが、大学でのイジメは見たことも聞いたこともなかった。
イジメという恐怖から完全に開放された。
バイト関係の合コンが2,3度あった。一度もうまくいったためしはないが。
カラオケにも行った。
ユニコーンの「大迷惑」を歌った。
空気が重くなった。
「・・・ホント大迷惑だよ・・・」と言われた。
バイトをやめた。
それ以降、人前で歌ったことは無い。
2年に進級するとき、大学の友達は1人だった。
3年に進級するとき、その一人の友人は退学した。
大学に誰も知り合いがいない状況となった。
4年になると就職活動をしなければいけなかった。
「どもり」持ちである私は非常に憂鬱だった。
「え・・ぇえーーぇ、え、ぇーーえ、Fラン大学から来ました。ぁあ、まぁー、まー、増田です」
そしてこの時期、童貞を捨てた。
サイコーの腰使いだった。
FF11の廃人ギルドに入り、寝る、食べる、排泄、シコる、ゲーム以外の行為を行うことが無くなった。
そんな折、数少ない知り合いから運良く就職の話をいただく。
ニート生活丁度1年目のことだった。
デキちゃった婚だった。
だが仕事上、経験を重ねるごとに人前で話すことが多くなってきていた。
そして「どもり」が自分の中で大きな問題になった。
もうこれ以上は無理だ。転職しよう。
プログラマーになった。
これで人前で話すことは無いはずだ!
しかし、電話番をまかされることになった。
「ぁ・・あぁはあ、は、はあーはー、あー、はい。ま、まぁー、まー、増田株式会社です」
1年で転職した。
「たった一年でやめやがって」と思われそうだが、地獄のような1年をよく耐えたと思う。
そこそこ平和だった。
だが、プレゼンをやることになった。←今ここ
「どもり」と「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」とコンプレックスが多い人生だ。
だけど「どもり」は別格。
「どもり」がある以上、仕事は制限され、恥をさらしてしまう恐怖に一生晒される。
おそろしす。
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国母和宏クン(カントリーマアム)は、見かけによらずナイスガイだった件。
ttp://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/52437594.html
試合後に彼は「4年後は五輪に出るか」と問われて、「オレのほかに本当のスノーボードを見せてくれるヤツがいれば出ない」と答えたのです。これはすなわち、本物のスノーボードを見せるために五輪に出場したという意志表明。誰に対してかといえば、もちろん日本人に対してです。X Gamesで活躍しても日本では話題にものぼりません。スノーボードの魅力を伝え広めていくには、日本人が大好きな五輪に出るのが最短の道。結果的に、今回のドタバタを経てスノーボードへの注目度は大きくアップし、多くの人が彼の滑りに注目しました。そこで彼は見事な滑りを見せ、同時に世界最高の選手であるショーン・ホワイトについて何度も紹介することに成功したのです。
音楽の趣味が合うという理由で最近友達になった男子とマイミクになった。そして幻滅した。
彼のmixi日記はどれも、小町や女性誌の引用に、「このビッチが!」「このスイーツ(笑)が!」「この中古ババアが!」といった1行コメント。分かってからは極力クリックしないようにしてるが、たまに間違ってクリックしてしまうと心底不愉快になる
彼はイケメンでも高収入でもなく、そのことにコンプレックス持っているようだったが、音楽や小説の造詣が大変深く、趣味の分野について語っている時はすごくいい笑顔をするナイスガイだ。と思っていたけれど、日記を読んで以来、ただの性格の悪い底辺のクズにしか見えなくなってしまった。
リアルで会った時も、音楽の話をしてるときは良いのだが、何かの拍子に恋愛の話になると、「女って金目当てのビッチかデブサイクのババアばかりだよな」と言い出す。ケンカはしたくないので、「まあ、そういう女性もいるよねー」と流そうとすると「いるよねじゃなくてそれが女の本質なんだ」と更にエスカレートしてしまう。
繰り返すが、趣味の話をしている時はとても楽しい友人なのだ。だから今までは不愉快な発言も我慢していた。しかし、最近は趣味の話をする時さえも、妙にケンカ腰になってきた。私が「○○って本を読んだら面白かった」って話をすると「そんな本、俺はとっくの昔に読んでる。お前はまだ読んでなかったのか」とつっかかってくる。普通に「俺も読んだよ、面白いよね」でいいじゃないか。お前は何と戦っているんだ。
というわけで、非常に残念ではあるけれど、そろそろ縁を切ろうと思う。これからは、コンプレックスの強そうな人と友達になるのは極力避けるようにしたい。
ナイスガイはそんなこと気にしないし覚える気もないだろう
化粧で誤摩化されてるうちは童貞、ってな
どっちが幸せかは置いといてw
だからさ、それはあんたの化粧に対する知識、意識、眼力がすごく低いだけなんだよ。
いいと思うけどねそっちの方が男として。
断然男らしいし余計なこと気付かないで楽しいし。
ある程度以上の年齢で「化粧しないすっぴんでもかわいい」なんていねーんだよ。キツいぞすっぴんは。
また、ある程度以上の年齢でまともに社会の中で生きてて化粧してない女もいない。
あんたが毎日会う女、とおりすがる女、みんな素顔とは別人レベルの加工済みだよ。
あんたは意識が低い&化粧した女ばかり見慣れてるから気付きもせず毎日騙されまくっちゃってるだけで。
それぐらい鈍い方が男らしいナイスガイだと思うけどね。
ありがとう。増田に書いてみてよかった。
考えたことなかった。それはいわゆる「結婚と恋愛は別」という話だろうか?
しかしいずれにせよ私は彼に「あなたに恋していませんが、結婚しましょう」とは失礼すぎて言えないので、人生のパートナーは無理じゃないだろうか。
好きになった異性を長く泳がせておくと何所かで適当な相手を見つけてきてしまい、
あなたと疎遠になってしまうことがよくあるが、それでもよろしいか。
私は自分が以前、彼の気持ちを振り回してしまったという自覚があり、そのことへの罪悪感はずっと消えずに残っている。
だから、私は彼に嫌われても疎遠にされても仕方ないと思っている。ので、疎遠になること自体は寂しいが受け入れるだろう。
また、私は彼を人間として非常に好ましく思っているので、彼には幸せになってほしい。素敵な女性が現れて彼を幸せにしてくれるなら、それは素晴らしいことだ。
しかも依然として私は彼に恋していない。だから独占が嫌とか感じる権利もないと思っている。
これは彼が「その程度の存在」ということになるのだろうか。よくわからない。私は恋愛とは別の部分で、彼のことは大切な人間だと感じてはいる。
それでも、あえて探してみると、たぶん、彼が完璧に好み過ぎたんだろう。彼は人間じゃくて「理想の人」だったから、男として意識できなかったのだと思われる。アイドルと同じで遠くから眺めているのがいい相手だったんだ。
Alceste 増田, 恋愛, 男女, SEX 恋愛感情を自分自身で完全に理解できる人なんていない。/ただ文章を読む限り、その彼はちょっとオスの魅力や行動力に欠けたのかもしれない。
彼はまぎれもないナイスガイであり、紳士であり、そこも私には非常に好ましいのだが、それはたぶん、アイドルとしての好ましさ、あるいは人としての好ましさであって、男性としての好ましさとは違ったのだろうと思う。
ただ、既に私は彼と知り合って五年以上経過していて、それなりにお互いをよく知っており、遠い存在とは言えない。にも関わらず自分が未だに彼を遠くのアイドルみたいに思っていたのだとしたら、それはそれでなんだかショックだ。
気になったブコメ。
letterdust 私は相手にほんのちょっとのワガママを見せられると好きになってしまうが、それが増田にはあったのかなかったのか。
彼はワガママという言葉からは遠い人間で、私も彼にワガママを見せられたことはない。
元彼女と付き合っているときも、彼はおそらくほとんどワガママを見せずに、元彼女のワガママは寛大に受け入れていたような気がする。
そしてそれがよくなかった部分もあるのかもしれない。私はこれ以上彼と親しくなれば、絶対に今よりはワガママを見せると思うが、彼はそれでもワガママを見せない気がする。そしてそれはなんとなく息苦しい。
確かに私も彼のワガママをほんの少しでも見ていれば、恋をした気がする。
pen_pen_gusa 彼の中に「お父さん」を見ちゃったのか?/こういうのって、違和感あるけど流されて関係して、そこで初めて好きになるorやっぱ違ったわ…ってパターンも多いだろうに、よくそうならなかったもんだなあ。
書いていなかったが、実は彼は私よりも年下であり、私は彼に「お父さん」を見たとは思わない。ただ、もしかしたら「弟」は見たかもしれない。その肉親のような気持ちが良くなかったのだろうか。
そして私も自分がよく流されて関係しなかったなあと思っている。そんなことになった後、やっぱり違ったなどとなったら、今のような薄めの友人関係にも戻れなかったと思うので、流されなくてよかったと思っている部分もある。
krurun 恋してる恋してないの状態がわからん。考えすぎでは?/そんだけ好意があるなら抱かれてみればいいのに、印象変わると思うよ。
まったくその通りで、心から同意する。私も自分自身に対してそう思った。
彼が泊まりに来たとき、私の脳内会議室では、100人いる参加者のうち、99人までが
「これは千載一遇のチャンスだからゴーゴゴーよ!」
と声を揃えていたが、1人だけが
「それは違う。私は彼に恋していない」
とかわけのわからないことを言っていた。99人はその言い分がじれったくて足踏みしながら
「そんなのとにかく抱かれてみれば変わるわよ!!」
と更に絶叫したが、やはり1人だけが
「恋してないのに抱かれるのは嫌」
と叫び返していた。
そしてよりによって、意思決定権を持っている本体は、その1人だった。他の99人はもどかしさと憤りを感じながら、1人の行動を傍観するしかなかった。
私の中の99%は、意思決定権を持っている1%のことが未だに理解できていない。
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/08/02(日) 13:29:10.07 ID:GxfI26OF0
元祖 電車男
厨房掲示板で展開されるドタバタギャグコメディ 笑いながら抜ける傑作
事故の後遺症に苦しむ主人公と友人たちが織り成す青春ラブストーリー作
トラック野郎が人形劇を通して主人公とヒロインの恋を成就させる恋物語
伊藤誠の鳴海孝之にも劣らぬ漢ぶりも見所だがなにより桂言葉の健気さに圧倒されるゲーム
スクールデイズに続く傑作!凄い!なんたって凄い!買え!
つーか、そもそも元増田の記事自体、彼女の愚痴な気がする。気がするというか、愚痴だよね。
男性って、何故か、「俺は愚痴なんていわない」とか自負してる人多いけど、その90パーセントが確実に日常的に愚痴ってるよー。まあ完全に私の経験則だけど。どうして彼らは愚痴を言う自分自身に真正面から向かい合わないのだろう?なんか愚痴なんていわないとかいいつつ愚痴言う人って、基本的に皆精神が幼稚な人が多い。いつまでも「愚痴なんていわないクールでナイスガイ(笑)な俺」みたいな、ありもしない理想像を見続けていて、本来の「愚痴いいまくりで、仕事もできない、ぱっとしない俺」を20超えても直視できていない、みたいな。でも多分、彼らは薄々そんな自分に勘付いてはいるんだろうね。だからこそ、愚痴を言う彼女とか知り合いとか見て、「何なの?」とか言って見せて「あいつらと自分とは違う」と自分の中でわざわざ遠ざけようとしてる。もー透けて見えすぎだよ。遅れて来た中ニ病的な?「何なの?ねえそれで幸せになるの?」とか、やたらに必死な口調も痛々しい。「愚痴を言う自分」を遠ざけようと、認めまいとそれだけ必死なんだな、って同情してしまうよ…
愚痴言わない人って、「愚痴言う人って何なのもう」とか言わないからね。だってそれ自体が愚痴だから(笑)最初から矛盾を孕んでる記事だよ。自己が確立できていない人によくありがち。
任天堂の宮本茂やWiiに関するNew York Timesの記事。
http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。
追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも
「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」
宮本茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。
ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。
かの有名なドンキーコング、そしてマリオやゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中のゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。
ミッドタウン・マンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。
宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメントの世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。
そんな宮本さんがもし西洋の人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。
しかし彼自身は任天堂の王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。
インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドをディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」
宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。
宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコング・マリオ・ゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂のゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。
しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参のゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。
ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場はマニアだけが喜ぶニッチな世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長の岩田聡とこの宮本茂(宮本さんの正確な役職は代表取締役専務兼情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアはシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wiiは世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーやマイクロソフトを上回る数字だ。
この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂は北米においてWii Fitを発売。従来のゲームでドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。
世界中でアメリカのメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiとDSの成長により、任天堂は日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者の山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一の資産家となったと報じている。(任天堂は宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産家ランキングには参加していないと思われる)
「宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂の1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」
宮本さんは1975年に金沢美術工芸大学を卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーやアステロイド、パックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。
市場にクソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNES・Nintendo Entertainment Systemである。任天堂はNESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋で1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。
それ以降宮本さんは、最近のマリオカートWii・スマブラX・スーパーマリオギャラクシー・トワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲームも監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。
Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。
彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。
あえて言うなれば、宮本さんがゲームの世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前にスーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストランの行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。
また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。
ディズニーの副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」
宮本さんの生み出すキャラクターがマリオとドンキーコングだけではなく、ピーチ姫やゼルダ、そしてクッパにリンクとゲーム界の有名キャラが目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームのシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターはゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。
「自分としては、私たちが作ったマリオやリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。
宮本さんの最近の作品はマリオのキノコ王国やゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作のキャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsにWii Fit、そして次回作のWii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペット・ボーリング・ヨガ・フラフープ・音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。
「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲームの世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」
このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。
そして強力な武器はもうひとつある。
さて、プレイヤーがゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSのMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組のAmerican Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiのMii機能だ。MiiはWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲームの主人公はマリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。
「私はMiiに関してはマリオやゼルダと全く同じ任天堂の財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲームの世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」
任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroやRock Bandとは大きく違い、作曲や即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。
ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesやLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノやカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージにカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。
そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」
これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。
先ずは、このセリフを見て欲しい。
俺?
ああ、俺はとりあえずマジギレしてる。
上司だろうとなんだろうと手当たり次第マジギレしてる。
さすがに常務あたりには苦笑いだったけど。
嗚呼、サラリーマン。
この意見は、大阪在住で巨乳をこよなく愛す、多分デブのナイスガイの物である。
全身が性欲、というか、寧ろ全身が性器という歩くモザイクな彼だが、ま、彼の話は割りとどうでもイイ。
コトノハをこよなく愛するオレは気になっていたことがある。
ハイスクール奇面組の最終回が夢落ちだったことなんかよりずっとだ。
それは、おやじギャグが使い手の利用方法の誤りの為に余りに不遇をかこっている事である。
「おやじギャグの肝はタメにあり」サマーソルトキックの開発者であるガイルはそう語っている。
一つ例を示そう。
どうやらコワイトクイサキは何度かけても連絡がつかない。
受話器を置き、神妙な面持ちで下を向いて一言
「電話に・・・・・・・・・・・・出んわ。」
ポイントはタメである。
もう一つ例を示す。
タメではなく、勢いが必要なパターンであり、何を隠そう前述の「おやじギャグを聞くとマジ切れする」 奴のものだ。
兎に角「吸った揉んだ」的粘着おやじ臭漂うネタはなかなか受け入れは難しいことを考えれば、勢いとシンプルさ
これもポイントに加えていいだろう。
一番重要なことは、この手の言葉遊びは文学として大切なジャンルを築くということである。
掛詞(かけことば)というのがある。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身よにふる ながめせしまに (小野小町)
「ふる」は「経る・降る」、「ながめ」は「長雨・眺め」のそれぞれ掛詞であり、「むなしく物思いに耽りながら現実の世に処してる間に」と「ぼんやりと長雨を眺めているみたいに」と二重の意味があり、更に「降る」は「長雨」に通じる。
いわば古今時代のおやじギャグだ。
今、おやじギャグとしてバカにされてるコトノハが、いつの日か文学を形成する日が来るかもしれない。文化の伝承者たる我々はその可能性を摘む事を許されない。橋渡しなんて、無理ッち(ブリッヂ)などと言ってる場合ではないのだ。
おやじギャグをバカにする人間は、もういちど日本語の豊潤な響きを踏まえておやじギャグを見直して欲しい。そして、おやじギャグの使い手は、安易な発表を控えてほしいのだ。
下手なシャレはやめなシャレ、と。
とりあえず、リンク
ところで全く話は変わるのですが・・・・・・今41歳で,今年の12月で恐怖の42歳になります。42歳になっても独身だったらマジで,読者でファンの方とお見合いしたいと思います。
希望者はおられますか?
以前ブログの中で自分のことをキモイとか彼女いない歴41年とか書きましたが・・・・・・あれは冗談で実際はかなりイケてます。性格もやさしくて明るいナイスガイなので安心して下さい。
ところでお見合いのお相手への希望条件ですが・・・。私も歳なのであまりぜいたくは言いません!ちょっと見てください★
<希望の条件>
①心身ともに健康な方。
③一応子どもがほしいので38歳以下の方。
<NGの条件>
①精神的に不安定な方。
②過度に太っておられる方。
③婚姻暦のある方。お子さんがおられる方。
おいどんはマジなので,マジな方のご応募よろしく。