もしも全部がフィクションでいいのなら、生身のスポーツ選手の年収が10億円とかになったりなんてしないだろう。
芸能人だって物語のキャラクターでいいなら恋愛を絶対にしないことも、逆に多くの人が納得するような相手と結婚することだって皆の望むままだ。
でもそれじゃ駄目な人達がいる。
現実に天才がたまたま産まれて、ものすごい努力のために青春を犠牲にして、怪我や人間関係で何度も苦しみながら、それで結果を掴むからいいのだと言う人種が存在する。
フィクションの世界で同じことが起きても熱中することが出来ず、現実で誰かが人生を燃やしていることに意味があるのだという思想に確固たる自信を持っている。
なんだか凄く、非合理的に思える。
野球漫画で満足すれば一人の漫画家が1000人のキャラクターの人生を描けるし、1万人の漫画家が1万の優勝チームを作り出せる。
効率が全く違う。
何の理屈も存在しない偶然が味方した結果で決まる試合ではなく、物語構造における緻密な計算に基づいた伏線回収の果てにより面白さを追求した形で決まる試合結果、その方が素晴らしいのではないか?
でもそれじゃ駄目な人がいる。
彼らの中には現実に自分の理想を押し付け、もしそれが上手く行かなければ暴れだす人間までいる。
そんなに自分の思いどおりがいいなら、自分の頭の中で理想の物語でも展開していればいいだろうに。
現実に対しての病的な固執、それを辞められない人達が現実の中にヒーローを求め、それに応えられる人間は多額の報酬を得る。
「あの有名人がCMで宣伝していた商品だから買おう」と考える人達によって、ヒーローの報酬、ヒーローを社会に作るための舞台は支えられているのだ。
現実にヒーローが実在することを夢見る人達は、夢見がちであるが故に「ヒーローが使っていたのと同じ物を使いたい」という良くわからない行動を起こしがちだ。