前の世代と比べて若い男性の中にルッキズムの内面化が進んでいるような気がする。
氷河期世代は、「女性は美しくなるべきだし若くあるべきだが、男性の義務は金を稼ぐことでありイケメンになる必要はない」という価値観だった。
それがゆとり世代あたりから、化粧水を使ったり日焼けを気にしたりと、営業職を中心とした意識が高い層の男性が美容を気にするようになり。
Z世代ではTikTokでイケメンの数字が顕著に伸びたり、コメント等で好意的なリアクションを得られやすいことから、その傾向が増強されているようだ。
ジェンダー感覚が団塊の世代の影響を受けている氷河期世代までの旧世代と、
団塊の影響がかなり薄れて「顔出しのインターネット」が身近になった現在の世代とでは、男性の稼ぎや容姿についての感覚が全く異なる。
まずバブル世代が、「イケメン」が持て囃された第一期世代ではないだろうか?
当時、最もモテた女性の隣にいるのは、金だけは持ってるシケたオッサンではなく、「青年実業家」だった。
現在の若者は、バブル世代か、バブル世代より若い人間が産んだ子供たちだ。
スキンケア用品も、一昔前は非常に女性的なデザインの容器だったり、フローラル系の香りが強制的につけられているようなものが多かったが、
近年は女性が無印良品のようなジェンダーレスなテイストの容器のスキンケア用品を買うようになり、機能性をアピールした無香料の製品も増え、男性が買いやすくなった。
社会保障費の天引きが大幅に増えて実質賃金が低下したことにより、美容消費もデフレ化が進み、ドラッグストアで買える安価で効果的なスキンケア用品が増えたようにも思う。
ゆとりからZ世代にかけて多くの男性が稼ぐことを諦め始めてしまった。そうなると同世代の中で差別化するポイントがコミュ&容姿になる。
陽キャ陰キャといった用語でコミュ力をはかり、チー牛といった用語で容姿嘲笑あるいは自虐をしたりする。
氷河期には薄かった感覚だと思う。氷河期の男性は、容姿を査定されるのは女性のみに課せられる義務という感覚を持っていた。愛嬌も女性のみの義務であった。
今は、「チー牛はリアルに社会的不利益を被るから」と必要に迫られての側面と、スキンケア用品等の安価化・ジェンダーレス化によるとっつきやすさ向上の二種類の側面で、
欲を言えば全方位でルッキズムなんて消えて欲しいんだけど、身だしなみ気を使ってない女性に対しては女性からも圧が高いよね…
岡田斗司夫が言ってるホワイト社会ってやつだな。 「外見が優れているものは能力も高く人格面でも立派、汚いもの醜いものは能力も劣っていて人格も問題ある。」 っていう価値基準。...
生まれつきのツラがどうかというのは保留にするが、身だしなみが終わっているのは精神疾患を抱えているので能力的には劣ってた。 身だしなみと能力(というより健康度合いか)は実...
そういう一部の相関を因果関係として捉えて信仰してるのがルッキズム
結構打率が高い偏見だからこそ、この差別は流行してしまうんだよ。
身なりは人を表すけど 美貌はまた違うし、性格の良し悪しに関しても確度低くないか?
雑な扱いを受け続けると性格がゆがみやすくはあるよ。 常に容姿が理由ではないけど。 親に暴力を振るわれてるとか、実家が貧困とか、発達障害があって使えない奴あつかいを受け続け...
雑な扱い受けることと身なり以外の外見に何の関係があるんだ?
外見悪いと学校ですげー雑な扱い受けるじゃん。進学校だとまた別だけど。 所得低い地域の公立小学校や公立中学校、偏差値低い高校、Fラン大学、飲食バイト、みたいなコミュニティで...