俺の生徒に手を出す赤の他人の姿を見るとか無理でしょ。
だからここは「それぞれの生徒が理想とする最大公約数をわずかずつバレない程度に歪ませた架空の存在」であって欲しいんですよ。
4thPVによって「バッドエンドに分岐する未来の観測が作中で行われていること」は匂わされているわけですから、そこに干渉する存在として先生が存在していいんじゃないかと。
生徒以外の存在も含めて、それぞれが見ている共有幻想としての全自動バッドエンド回避システムという虚構こそが正体でええんちゃうかなと。
結局の所は、全生徒が同時多発的にファイトクラブのような幻覚を引き起こしてる状態ですね。
何を突然言い出しとんじゃと思うでしょうけど、これは別に私が自分以外の男(女)が生徒とイチャイチャしている姿を見せられたくないという我儘だけじゃなくて、ブルアカの世界観にも噛み合ってると思うんですよ。
たとえばブルアカにおける象徴的なシーンとして語られるヒフミのハッピーエンド演説ですけど、あれってつまりは「物語を最後に動かすのは生徒自身の未来を選び取る意思である」ってコンセプトが作品世界にガン刺さりしてるのが評価点じゃないですか。
先生って生徒にいろんな影響を与えているけど、最後に未来を選び取ってるのはいつだって生徒たち自身だったわけですよ。
究極を言えば、彼女たちの中に問題を解決する力がいつだってあったわけで、それはかけちがえたボタンをそっと戻す神の見えざる手が存在すれば先生という実体は本当はいらなかったんじゃないかという。
それならば、子どもたちの世界を救う責任を背負った大人による干渉は、実在の大人ではなく、大人たちの手もしくは子どもたちの願いによって生み出された架空の誰かでも良かったのではとおもうわけです。
実際、その方がエモいでしょう?
生徒たちがそれぞれの幸せになりたいという願いを持ちながらも、自分たちでは解決できない何かを解決してきたのが、突然現れた大人の力ではなく、自分たちの中に眠っていた可能性だったという方が。
言ってしまえばサードマンの共有幻想、それが先生だったということでいいじゃないですか。
俺はソレが良いと思いますよ。
百合の間に挟まる男なんていなくて、子どもたちの間に挟まる大人も居なくて、全ては少女たち自身が勝ち取った幸福な世界だったんだという物語でいいじゃないですか。
先生がそこにいると思い込んで話している生徒達の姿はあってもいいですけど、実体は存在してない感じでお願いします。
最後までそれで駆け抜けてくれれば先生実在派ともまだ共存していけますしね。
いつか、ケリをつける必要はあるのかも知れませんが、まだその時期ではないわけと思ってます。
まずは共存の道を、ね。
長いので表題しか読んでないけど便利屋のコミカライズに出てきてるし今更じゃね?