幸せになりたい。
俺の幸せは、思いを形にすること。別に高尚な思いなんて全く持ってないけれど、漫画なり小説なり音楽なりでそれを形にした時、ようやく普通の人が日常生活で普通に出るであろう脳内物質が分泌される。
つまりは、幸せのハードルがめちゃくちゃに高い。自分が努力した先にしか幸せがないと信じ込んでいる。
美味しいご飯を食べること、楽しい時間を過ごすこと、美しい自然と触れること。それももちろん幸せなのだけど、努力に対してジャンキーと化した脳みそにその幸せを受け止める受容体はない。
自分にとって、努力して何かを成し遂げることと、ドラッグをやることにさして大差はないのだ。どっちもやったからわかる。人間、一度脳汁がドバドバ出るとまた脳汁をドバドバ出すための行動してしまう。そして、一度知った快楽を人間はなかなか忘れられない。
努力をして、何かを成し遂げた。その時の幸せに比べたら、今はなにも幸せじゃない。むしろマイナス。外に出ることも、人と話すことも苦痛。美容院に行くだけで疲弊して寝込んでしまうくらいだ。仕事は別の人間が心を殺してやってるようなもの。
幸せになりたい。
死んではいけないよと他人が言ってどうにかなる問題ではない。自分が生きていてダメだと思えば、それはもう生きていてはダメなのだ。思考回路が勝手に死に向かっているし、死が自分を呼んでいる。土台はしっかりと固まっているので、あとは何かのトリガーさえあればきっと簡単に逝けるんだと思う。
この仄暗い感情は、きっと今に始まったことではない。きっと自分がこの世で自意識を持ち始めた時から、ずっと側にあった。大人になってそいつの正体をいくらか言語で説明できるようになったというだけ。
幼いころから何をやらせても上手くできず、なんの能もなかった自分。やがて努力でしか自分を保てなくなった。
自分には価値がない。人一番努力しなくては人権すらない。幸せは人権のある人間のみ許されるもの。でも努力は疲れるし苦しい、このままでは身が持たなくなる。ではもういっそ逃げてしまおうと、何度も考える。自分の貧弱なメンタルでストイックさを追求するのはきっと間違っていた。何も考えずがむしゃらにやってしまったが、結局疲弊して、死への解像度が高くなっていくだけ。
幸せになりたい。
すぐそばにあるものを可視化できるようになりたい。小さな出来事を噛み締められるようになりたい。何者にもなれないことを受け入れて、諦めればいい。人はいずれ死ぬので、早まらず自然に身を任せればいい。そんなごくごく当たり前のことが、いつか自分の心の奥底に届きますように。
幸せになりたい。
早まらなくていい、頑張らなくていい。いつかトリガーが引かれてしまう前に、小さな幸せに目を向けられるようになりますように。