めちゃくちゃ怖い映画だったが感想を漁ってみても自分と同じ恐怖感を得た人が全然いないようなのでちょっと悲しくなっちゃった。
匿名じゃないと書きにくい感想なのではてな匿名ダイアリーに書いてみる。
序盤のタクシー運転手が主人公に向ける視線は、女性にとっては「性的欲望を含んだ視線を向けられる恐怖」のみだが、
男性にとっては同時に「性的欲望を含んだ視線を投げかけていることがバレている恐怖」でもある。
見ず知らずの女性に性的欲望を含んだ視線を向ける時、第三者からはタクシー運転手と同じ視線に見えており、そのことが映画を通じて大衆に広く公開されている。
恐怖以外の何物でもない。
ただタクシー運転手(それに加えてナンパ男(マウント取ってくるルームメイトのジョカスタもここに入るかも))はこの映画の中では断罪されていない。救いは描かれていないが、どこかで救われている可能性がなくはない。
一方で、幽霊たちは救いを求めるが主人公によって拒絶される。この拒絶のシーンは観客にカタルシスを与えるものとして設計されていて、実際私も心の中で拍手した。
幽霊たちはサンディを精神的に殺害し続けていた存在であり、サンディの過去を追体験した主人公および映画の観客が幽霊たちを拒絶するのは当然と言える。
彼らは散々サンディを「殺害」していたから当然じゃないか、という反応をする人も(男女問わず)多いかもしれない。
観客は映画を通してサンディの立場を追体験しており、幽霊たちに対していわば被害者の位置にあるのでこれは当然の反応である。
幽霊たちはサンディに行った行為に対して「娼婦を一人買っただけ」と認識していると思われる。
ダンスホールでの買春シーンを考えるとおそらく客である幽霊たちは女衒のジャックに金銭を支払い対価としてサンディを「買って」いた。
買春場所がダンスホールであるという点と「買う」対象がダンサーであるという点を除けば現代日本でもよく見られる(そして私自身何度も体験している)買春風景でしかない。
幽霊たちの行為がごく一般的であることは、彼らが街中で、一般人に溶け込むように存在していることからもわかる。誰でも幽霊になりうるのである。
単に女を一人「買った」だけで殺されるのはおかしい、幽霊たちはそう言っている。
何度も繰り返すが、サンディの立場を追体験した主人公と観客は当然幽霊たちを受け入れることはない。
幽霊の一人がジョカスタにダブっていたが、これはいじめも別の形の「殺害」行為だからだろう。
自分のような本番行為を伴う性風俗に何度も行き、そこで「買う」経験を繰り返してきた人間にとっては、
性的欲望を含んだ眼差しで見られ、「買われる」経験を追体験すること、「買う」側が断罪され、自分もその断罪に拍手すること、どちらもかなり怖い体験だった。
とりあえずしばらく風俗行くの無理になった。