「信頼関係を築けばいい」とかいうアホがいるから~ のエントリを見ると
どんなお花畑の世界に住んでいるんだ。頭が足りないんじゃないか。
セックスなんてノリでするもんだから人間の機微にうとい真面目くんじゃないか。馬鹿か。
こうやって強い言葉を使って誰かを攻撃できる人は、攻撃能力や権力を持っている人たちだ。
その人達が「セックスは情緒なく同意なんてとらずにノリでするもんだ」と一斉に言うと、立場の弱い人たちは抵抗する方法が分からず、相手の言うままセックスに雪崩れ込んでしまう。
なあなあでするセックスが、仲良くなる方法だと思う人もいれば、本当は今は嫌なんだけど邪険にもできない、と思う人もいる。
前者の人が自分の都合を押しつけて、後者の人の「なんだか今はいや」をないがしろにしていないだろうか。
死ぬほど抵抗しないと強姦だとみなされない世界で、「今は嫌と思っている気持ちを踏みにじられ続ける」ことが悪い、という評価にはなかなかならない。
むしろ「今は嫌」と思っていることが無粋だと怒られる可能性だってある。でも「いやよいやよも好きのうち」はそれこそ信頼関係がないと成立しないんだぜ。それかフィンクションの世界な。
ブコメでたびたび指摘されているように、時間が経過してから不同意を証明するのはとても難しい。同じく、同意を証明するのも。
そんな、手間も金もかかる方法で不同意を証明して相手を裏切りたい人は確かに存在するが、存在確率はぐんと減る。
確かにいるよ。愛憎の絡まりだってもちろんあるし、逆上した人は何をするか分からない。
突然人が豹変することも、しばしばおこる。
起こるんだけれども、手間暇となにより金をかけて相手を裏切り陥れようとする可能性は、どのくらいあるのだろう。
それより、能力や権力やその場の空気を使って「なんとなく嫌」を無視してセックスする可能性の方がずっと高いんじゃないだろうか。
そんなことない、能力や権力やその場の空気でセックスしてない相手は嫌がっていない、というのであれば、それは信頼関係があるから裏切られる可能性はうんとうんとうんと減るのでは?
同意の有無をすこしはっきりさせようね、ということにどうしてそんなに抵抗するの。
刑法じゃなくてもいいと思っている。別に刑法じゃなくてもいいけど、パワーを使って相手をないがしろにして体を危険にさらす人がセックスるする前に「本当は嫌じゃないよね?」と聞く習慣を身につけさせるには、どうしたらいいんだろう?
痴漢の取り締まりを強化しようとすると、冤罪の可能性を持ち出して反対する人が必ず現れる。
あなたが痴漢冤罪に巻き込まれる可能性と、毎日誰かが電車で痴漢にあっている事実を比べると、確実に後者で困っている人の方が多いですよね。
可能性と事実を比較するのってなんか変ですけど、毎日痴漢で困っている人は存在するのに、まだ存在していない痴漢冤罪のせいで困っている人は助からないんでしょうか。
車に乗る人は運転手が人身事故を起こすリスクを許容したうえで乗車しているのに、電車に乗る人は不幸にも痴漢冤罪に巻き込まれるリスクを許容できないのはなんでなんだろうか。
困っている人がいるのに、自分が被るかもしれない低いリスクにいきり立つ人って、自分が楽したいために他人の困難を無視しても良いってことなの?
男がとか、女が、とか書くと話が余計複雑になるので性別を指定しない書き方にしてみた。