2001年11月、あのテロから2ヶ月後に当方はニューヨークへ行った。当時はみんなが飛行機に乗ることにビビッていて、ユナイテッド航空の成田 - ニューヨーク (当時はユナイテッドのニューヨーク便はJFK発着だった) 便が往復5万円で買えてしまったからだ。たしか、ドミニカ行きのアメリカン航空587便がクイーンズの住宅地に墜落した事故の1週間後くらいだったと思う。
当方が乗り込んだ747のエコノミークラスには自分以外に乗客が3人くらいしかいなかった。機内食のときに配られるナイフがプラスチック製に変更されてて、あ、世界は変わってしまったんだ、と強く感じたのを覚えている。なぜかフォークは金属製だったので、その気になればフォークでもテロを起こせるんじゃないだろうかと思いながら喰ってた。ジョン・ウィックなら鉛筆で人を殺せるので、考え始めたらキリがないのだけれども。
夕方にニューヨークに到着して、その日の夜に早速、グラウンド・ゼロを見に行った。まだビルの壁の残骸が残っていて、防災訓練で消化器を噴射したときのような匂いがした。20代前半くらいの酔っ払いの集団が、”Oh, shit! Oh, shit!”と叫びながら、ゲラゲラ笑いながら通り過ぎて行った。現場に一番近づけるところから1ブロックくらいのところにあるスタバでコーヒーを飲んでたら、作業員の人が休憩していてなにやらケータイで誰かと話してたんだけど、アメリカのケータイってめちゃくちゃゴツいな、と思った。
同じ日の夜だったか翌日の夜だったか忘れたけど、エンパイアステートビルの展望台からグラウンド・ゼロを見下ろしてみたら、まだうっすらと煙が立ち上っていて、夜を徹しての救出作業 (もしかすると救出は基本的には終わっていて、片付け作業だったのかもしれない) のための照明にその煙が照らされているのを見て、なんというか、綺麗だと思った。そのときなぜか、その年に大ヒットした邦画の主題歌の一節が頭に浮かんだ。「粉々に砕かれた鏡の上にも新しい景色が映される」
そのあとの何日かでニューヨークを適当に観光したんだけど、地下鉄でワールドトレードセンター駅を通るとき (停車せず通過だった) に電車の窓から駅構内を見たら、板を組んで天井を支えてたのが印象に残っている。
リバティー島行きの観光フェリーみたいなやつに乗ったときは、ハドソン川からグラウンド・ゼロを望むアングルで乗客が一斉に写真を撮っていた。ニューヨークは初めてだったのに、見慣れた景色とは印象がぜんぜん変わってしまったように感じた。2棟の巨大なビルがない、あるはずのものがそこにはない。ちなみにテロ対策でリバティー島には上陸できず、近づいて眺めるだけだったように記憶している。
東京に帰る前日はえらい暖かい日で、映画館に日本では翌月公開だったハリー・ポッターの第一弾を観に行ったらロビーでおばあちゃんに「今日は暖かいわね」と話しかけられた。
あとは、ニューヨークでは歩行者は誰も信号を守らない、と噂には聞いていたけど、赤信号なのに警官に「早く渡れ」と誘導されたのにはビビッた。