2021-09-12

2001年11月、あのテロから2ヶ月後に当方ニューヨークへ行った。当時はみんなが飛行機に乗ることにビビッていて、ユナイテッド航空成田 - ニューヨーク (当時はユナイテッドニューヨーク便はJFK発着だった) 便が往復5万円で買えてしまたからだ。たしかドミニカ行きのアメリカン航空587便がクイーンズ住宅地に墜落した事故の1週間後くらいだったと思う。

当方が乗り込んだ747のエコノミークラスには自分以外に乗客が3人くらいしかいなかった。機内食ときに配られるナイフプラスチック製に変更されてて、あ、世界は変わってしまったんだ、と強く感じたのを覚えている。なぜかフォーク金属製だったので、その気になればフォークでもテロを起こせるんじゃないだろうかと思いながら喰ってた。ジョン・ウィックなら鉛筆で人を殺せるので、考え始めたらキリがないのだけれども。

夕方ニューヨークに到着して、その日の夜に早速、グラウンド・ゼロを見に行った。まだビルの壁の残骸が残っていて、防災訓練で消化器を噴射したときのような匂いがした。20代前半くらいの酔っ払い集団が、”Oh, shit! Oh, shit!”と叫びながら、ゲラゲラ笑いながら通り過ぎて行った。現場に一番近づけるところから1ブロックくらいのところにあるスタバコーヒーを飲んでたら、作業員の人が休憩していてなにやらケータイで誰かと話してたんだけど、アメリカケータイってめちゃくちゃゴツいな、と思った。

同じ日の夜だったか翌日の夜だったか忘れたけど、エンパイアステートビル展望からグラウンド・ゼロを見下ろしてみたら、まだうっすらと煙が立ち上っていて、夜を徹しての救出作業 (もしかすると救出は基本的には終わっていて、片付け作業だったのかもしれない) のための照明にその煙が照らされているのを見て、なんというか、綺麗だと思った。そのときなぜか、その年に大ヒットした邦画主題歌の一節が頭に浮かんだ。「粉々に砕かれた鏡の上にも新しい景色が映される」

そのあとの何日かでニューヨーク適当観光したんだけど、地下鉄ワールドトレードセンター駅を通るとき (停車せず通過だった) に電車の窓から駅構内を見たら、板を組んで天井を支えてたのが印象に残っている。

リバティー島行きの観光フェリーみたいなやつに乗ったときは、ハドソン川からグラウンド・ゼロを望むアングル乗客が一斉に写真を撮っていた。ニューヨークは初めてだったのに、見慣れた景色とは印象がぜんぜん変わってしまったように感じた。2棟の巨大なビルがない、あるはずのものがそこにはない。ちなみにテロ対策リバティー島には上陸できず、近づいて眺めるだけだったように記憶している。

東京に帰る前日はえらい暖かい日で、映画館日本では翌月公開だったハリー・ポッター第一弾を観に行ったらロビーでおばあちゃんに「今日暖かいわね」と話しかけられた。

あとは、ニューヨークでは歩行者は誰も信号を守らない、と噂には聞いていたけど、赤信号なのに警官に「早く渡れ」と誘導されたのにはビビッた。

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