夫を見ていて、「この人は、”子の父”じゃなくて”年の離れた兄”だったんだな」と気づいた。
私たちは、双方正社員かつ実家の遠い夫婦で、小学生の子供を育てている。
私の勤務の都合から、朝子供を学校へ送り出す役目は夫にお願いしているのだが、これについて毎朝のように愚痴LINEが飛んでくる。
「ぐずぐずして全然家から出ない」「いつまでもTVを観ている」「遅刻しそう」
私はこのLINEを通勤電車の中で読み、「困ったね」「いつもありがとう」「(私の職場が遠いから)迷惑かけてごめんね」などいろいろなフォローのコメントを返しているだが、正直「知らんがな」と思っている。
夫の「送り出す役目」というのは、本当に「送り出すだけ」だからだ。
私が子供を起こし
私が子供の持ち物チェックをし
私が子供の身支度を整え
私が子供に朝食を準備し
私が子供の機嫌を最高に良くし
あとは子供がご飯を食べて歯磨きさえすれば良い状態にして、私は出勤している。勿論、夫が早く出勤する必要がある場合は、私がこれらの事を終えた後に子供を”送り出し”ている。
ここまで出来上がっているから、時間通り送り出すのは全く問題ない(忘れ物した等の場合を除く)だからこそ思う「なぜ、ただ”送り出す”ことすら出来ないの」と。
夫はとても仕事の出来る男で、人にしろプロジェクトにしろマネジメント出来る能力がある。それが家庭ではこんなポンコツになってしまうのが、どうしても理解できなかった。
それがある時、子供の友達のお兄ちゃん(小学生)を見ていて気付いた。
「お母さん~、〇〇が※※したくないってー」
「お母さん~、〇〇がずっと××してるよー」
「お母さん~、おれ△△になっちゃうよー」
一緒じゃん!
そういえばこの人は、子供が生まれたといっても「へー」という薄いリアクションで、私がお願いした「お手伝い」(おむつ捨てといて、ちょっと見てて等)はするけど、自分から関わっていくことはしたことがなかったし、成長してコミュニケーションが出来る今は、子供と一緒にTV観たりゲームしたりはするけど、面倒なこと(子供の遊びに付き合う等)になったらフラっと自分だけ遊びに行ってしまう。旅行先も「自分が行きた地域に行く。その先に子供向けの場所があったら、いってもよい」という感覚で選び、休日もスキあらば自分と友達だけで一日(たまに泊りがけ)で遊びに行ってしまう。私が「私もひとりで一日遊びに出たい」と言えば、「行ってもいいけど、子供がどうなっても知らんよ」と平気で返してくる。
そんなところに子供が保育園時代はずいぶんイライラしたし、悲しくなってこっそり泣いたりしたこともあったけど、今スーンとすべてが理解できた気がした。
この人は父じゃなかった。兄(大学生くらいの)だった。
そりゃ(大学生くらいの)兄なら、子供の相手が嫌でもしょうがない。自分の遊びを優先したいだろう。むしろ、高額なバイト代(=給料)を家庭にたくさん入れてくれてありがたい。そして、「送り出す」が出来なくても当然だ。
自分にとってすごく納得できたので、私の気持ちはとても楽になった。
それと同時に、夫に対する色々な気持ちが少し抜けた気がする。