amazarashiの令和二年って曲を聞いた。
通勤時にFMラジオを流してるんだけど、最近2回ほど立て続けに聴くことがあって気になったのがきっかけだ。
一番最後の
先は見えない 「けど大丈夫」
僕に嘘をつかせた令和二年
のところが一番グッときた。
こんなに嘘をついた一年はなかった。
長期連休に帰省ができなくなっても、楽しみにしていたライブが中止になっても、「しょうがない」って言わなきゃいけなかった。みんな我慢してるんだから。誰も悪く無いから。
GOTOトラベルが始まっておおやけに旅行ができるようになっても、それでも旅行に行くのはあまり良くないこととされた。そういう雰囲気があった。
私は常にマスクをするし、定期的に手指消毒もするし、人混みは避けるように気をつけているし、だから感染リスクは低かろうと判断して恋人と二人で旅行に行ったけれども、なんだかずっと後ろめたかった。
なんで?政府が認めているのに?感染リスクを下げる科学的根拠のある行動をしているのに?みんな我慢しているのに、抜け駆けで楽しむのは卑怯だから?
私にはよく分からなかった。だけど職場の同期は、ずっと可愛がっていた幼い姪っ子に会うのを諦めたらしい。そんなだから私が「今度○○に行くつもりで」というような話をするとあまりいい反応は返されないような気がしたので、旅行なんてしてません、休みの日には家で壁のシミを数えてます、みたいな顔をした。
SNSにもそうだ。
素晴らしい景色、美味しそうなごはん、色々な美しいものを投稿できなくなった。許されるのは「おうちで○○をして楽しんでます」「自粛期間の楽しみ方を考えてみました!」。まあそりゃそうだよな、Twitterなんて何かあるとすぐ炎上するもんな。私だって非難されるのはいやだ。
だから嘘をついた。隠しごとをした。
そもそも人は必ず死ぬわけで、その死の原因をみずから招いてしまうこともあるわけで、もちろん他人の死の原因になってしまうこともあるわけで。今更「大切な人を守るために今は我慢しましょう」とか、よく考えたらチャンチャラおかしいよな。死にたくないなら生きなきゃいいのに。
だけどもちろんそんなことは言わない。
転職が決まって、来月に退職をすることになった。同期が寂しがってくれたので、最後にみんなでご飯でも行こうと約束をしていたけれど、会社からの通達で4人以上の飲み会、食事会が制限されたためオンラインで集まった。
一通りおしゃべりをして、そろそろお開きにしようかというところで、今年特に会えなかった友人に「今度二人ででもご飯行こうね」と言ったけれど、反応は微妙だった。二人ででもダメなのかあ。基準がよく分からない。それとも、好きだったのは私の方だけだったのかな。
さようなら。もう会うこともないでしょう。
代わりに私は嘘をつく。
「落ち着いたらまた会いましょう」