2020-11-03

オッサン論法

 オッサンには人権が無いし、人権を主張するオッサンモテない。なぜなら、人権を主張するのは弱い男だからだ。弱い男は女にモテない。強い男は自身人権を主張せずとも有利でいられるほどの強みを持つの特に主張しない。つまり弱い男はモテもしないし人権も無い。

世の中そうなっているように見える。

 性的価値をとっぱらった真の男女平等、もはや「男女」を付けることすら不要の「人類平等」の観点からすると、危険労働肉体労働もやさしさ・やさしくなさも人権擁護もポリコレ性差なく"平等"に行われることになる。言い換えれば、「女は女から降りた」、「男は男から降りた」世界だ。

しかし、それを主張することはいわゆるモテないタイプ男女平等と呼ばれ、女性から不評を買う。つまりから降りたくないようだ。現代では弱い男は男らしくあろうとしても特にメリットがない、結婚できないし、出世しても責任仕事が増えるだけで給料も増えない名ばかり管理職。男から降りたがってる人が増えているように見えるが、もちろん、数が激減してしまった"強い男の椅子"に座るために自分シバいて男らしさ路線で行く人もいて、その辺の人生選択葛藤がある。

そもそも人権を主張するのは表現の自由と同じ、弱者最後の砦だ。

弱すぎて人生が不利すぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。

表現が歓迎されなさすぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。

 現代では意味合いや印象がだいぶ変わってしまっていますが、そもそもポリコレ人権発祥した歴史的経緯は、強者~凡人の人が「さすがにそれは弱者に対してひどすぎないか?」という良心が働いた結果、獲得したものでしょう?たぶん(独自研究)もうちょっと「みんなでそこそこ幸せになれないか?同じ人間なんだから」という意思が、そもそもの根源じゃないんですかね?

からポリコレ人権表現の自由というのは、弱い側が有利・強い側が不利な概念なんですよ。そもそも強い側はあまり人権を主張しなくて済む。立場が強いので大切にされるし表現し放題だから

から弱い男は人権を主張することになるが、しかしそれは「私は弱い男である」と対外的に示してしまうことになり、つまりモテなくなる。しかも、主張してもあまり人権擁護は獲得できない。オッサン人権擁護へ投じられる社会リソースはごくわずかだ。

では、なぜオッサンモテ人権リンクしているかというと、性的価値の低い弱い男を大切にしない女性価値観が政治的影響力を増しているからでしょう。

男ならもう少しは弱い男をも大切にすると思うのですが。

anond:20201102002706

記事への反応 -
  • 近年、ポリコレとかコンプラとかが広まってきて、セクシャルマイノリティや特定人種等に対する不適切な言動はかなり厳しくバッシングされるようになってきた。 過度なバッシング...

    •  オッサンには人権が無いし、人権を主張するオッサンはモテない。なぜなら、人権を主張するのは弱い男だからだ。弱い男は女にモテない。強い男は自身の人権を主張せずとも有利で...

      • ヘイトスピーチには敏感だけど、能力主義や生理的嫌悪感からくるいじめや社会的排除にはあまりにも鈍感な人達を見ると不安になる

      • 弱者男性自称する人間が他の弱者に配慮するのを見たことねえんだよな

        • それはお前が差別を正当化したい色眼鏡をかけてるからね。

      • この手の話って強者女性に抵抗する弱者男性って構図なんだよね 本当に割を食ってる弱者女性は未だ表面に浮かんできてはいないんだと思う 彼女らは正真正銘に弱いから声を上げること...

    • おじさんだけ顔が無いから

    • ポリコレの中におじさんは最初から入ってないから、 これが正しいポリコレだぞ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん