オッサンには人権が無いし、人権を主張するオッサンはモテない。なぜなら、人権を主張するのは弱い男だからだ。弱い男は女にモテない。強い男は自身の人権を主張せずとも有利でいられるほどの強みを持つので特に主張しない。つまり弱い男はモテもしないし人権も無い。
世の中そうなっているように見える。
性的価値をとっぱらった真の男女平等、もはや「男女」を付けることすら不要の「人類平等」の観点からすると、危険労働も肉体労働もやさしさ・やさしくなさも人権擁護もポリコレも性差なく"平等"に行われることになる。言い換えれば、「女は女から降りた」、「男は男から降りた」世界だ。
しかし、それを主張することはいわゆるモテないタイプの男女平等と呼ばれ、女性から不評を買う。つまり女から降りたくないようだ。現代では弱い男は男らしくあろうとしても特にメリットがない、結婚できないし、出世しても責任や仕事が増えるだけで給料も増えない名ばかり管理職。男から降りたがってる人が増えているように見えるが、もちろん、数が激減してしまった"強い男の椅子"に座るために自分をシバいて男らしさ路線で行く人もいて、その辺の人生の選択の葛藤がある。
そもそも人権を主張するのは、表現の自由と同じ、弱者の最後の砦だ。
弱すぎて人生が不利すぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。
表現が歓迎されなさすぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。
現代では意味合いや印象がだいぶ変わってしまっていますが、そもそものポリコレや人権の発祥した歴史的経緯は、強者~凡人の人が「さすがにそれは弱者に対してひどすぎないか?」という良心が働いた結果、獲得したものでしょう?たぶん(独自研究)もうちょっと「みんなでそこそこ幸せになれないか?同じ人間なんだから」という意思が、そもそもの根源じゃないんですかね?
だから、ポリコレ、人権、表現の自由というのは、弱い側が有利・強い側が不利な概念なんですよ。そもそも強い側はあまり人権を主張しなくて済む。立場が強いので大切にされるし表現し放題だから。
だから弱い男は人権を主張することになるが、しかしそれは「私は弱い男である」と対外的に示してしまうことになり、つまりモテなくなる。しかも、主張してもあまり人権擁護は獲得できない。オッサンの人権擁護へ投じられる社会リソースはごくわずかだ。
では、なぜオッサンのモテが人権とリンクしているかというと、性的価値の低い弱い男を大切にしない女性の価値観が政治的影響力を増しているからでしょう。
男ならもう少しは弱い男をも大切にすると思うのですが。
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弱者男性自称する人間が他の弱者に配慮するのを見たことねえんだよな
それはお前が差別を正当化したい色眼鏡をかけてるからね。
この手の話って強者女性に抵抗する弱者男性って構図なんだよね 本当に割を食ってる弱者女性は未だ表面に浮かんできてはいないんだと思う 彼女らは正真正銘に弱いから声を上げること...
おじさんだけ顔が無いから
ポリコレの中におじさんは最初から入ってないから、 これが正しいポリコレだぞ。