2020-06-14

大通り地図を持たずに歩く

徒歩でも自転車でも、国道だとかの長い大通りをゆくのは面白い。行き慣れない生活圏外までどんどん行くといい。気がつくと違う街並みになっていて、暮らす人の雰囲気も違っている。自分この街にはよそ者で、彼らが思い思いに生きているように、自分がどう生きてもいい存在であることを思い出させられる。大きな箱を後ろに乗せた自転車乗り、AirPodsを着けて歩きながら一人で喋っている外国人地元話題で盛り上がっているらしい白髪の快活な老人たち、飲み屋からシフトが終わって颯爽と帰る若い男女、ぼそぼそと何か真剣に喋っている三十代の男二人、客が入らなくて愚痴の絶えないバイト、心ここにあらずのコンビニ店員、別世界に住んで見えるような肌きめ細かい美人、こっそりホテルから出てくるオッサン客引きで突っ立ってるにーちゃんねーちゃん、膝の固まった脚でロボットみたいに歩いている爺さん、リーマン、表情の暗いおばさん、スーパーから出てくる元ヤン夫婦笑顔の垢抜けない子どもたち、ほっつき歩いている服の趣味の悪いオッサン、橋下で語らっているカップル、、、この誰もが自分と同じようにくだらないことで悩んだり、根拠のない自信に溢れたりしているのかと思うと、後頭部を締め付ける・愚かな悪人に取り囲まれているような妄念から逃れられるような、イキモノとしての力を取り戻したような感慨が湧いてくる。だんだん脚が痛くなってくる。

道ゆく人を見てこんなこと考えるのは、テレビ快楽話題を求めるのと同じで受動的だが、自分の足で歩いているだけ、自分生活と地続きのところに、彼らの生活があるということがわかって、上から見下ろされるような卑屈な不安がなくていい。今こうして狭い世界生活をしている自分を見つめるとき、身近な人たちの、経験が長いことによる無理解想像力の欠如、傲慢で苛立った態度も、彼らの狭い世界で起こった物事から、彼らがもっともらしいと思ってとっている態度に過ぎないことに思い当たる。彼らのように自分もまた、焦り、疲れ、寛容の欠如から、年下の人たちを傷つけることがあると思う。

膝が痛くなってくると体に負担のかからない歩き方のことしか考えられなくなってくる。腰の筋肉、上体の位置が悪い、前傾を直したい、肘を振ったらどうか。それで楽しい散歩も終わりになる。家に帰ると見てきた景色のことを考えていたら数時間が経っていて、生活が劇的に変わる気配もない。でもまあ、来週末も小さな冒険、今度は山の方へ歩いたり、学校住宅など生活のある市街地沿いの道を行ってみようか。

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