高校から数えて男性4人、女性3人ぐらいと付き合った記憶がある。
男性と結婚したバイが、界隈によってはよく思われないのを知っている。
女性も好きになれることを、実生活で関わりのある人にはほとんど打ち明けていない。
だから誰にも伝えようのない私の小さな救いを、ここに書き留めようと思う。
1人目は、その前に付き合っていた男性だった。
相手との結婚が見えた時、何となく自分の遍歴を言わずにいるのは不誠実な気がして、後ろめたさに背を押されるような形で私は昔の恋人の話をしたのだった。
打ち明け始めてすぐに、話さなくてもいいことを話してしまった手応えがあった。
案の定、相手の反応を要約すると「そういう話はあまりしてほしくない」というものだった。
「逆だったらどう思う?」とも聞かれた。「俺が男と付き合った話をわざわざしても困るだけだろう」と。
別に困りはしなかったけど、それを口に出すのもなんだか違う気がした。
その後、一人で考えた。
昔の恋人が男だったとして、「実は昔男と付き合っていて……」という話を今の恋人にするだろうか。
なぜ、相手が女だっただけで打ち明けなければいけない気になるのだろうか。
ただ「話さない」というだけのことが、いつしか「隠している」に変わり、焦ってしまうのはどうしてなのか。
この理由に少し近づけたような気がしたのは、今の夫に2度目のカムアウトをした後だった。
けれど、その恋人と結婚を視野に入れたまま数年付き合い、別れ、のちの夫となる相手に出会って少し経ち、また結婚が見え始めると、私は黙っていられなくなった。
相手の困惑を生むことを想像し、極力黙っていようと努力はしたが、結局押し負けるような形で私はまた打ち明けてしまった。
夫の反応は実にあっけないものだった。
「へえ。何か得だね」と感想を口にしたあとで、彼はいつも通りの会話を続けた。
どんな女の子と付き合ったのか、どういう人がタイプか。そんな話をした気がする。
夫のトーンは、映画の感想を言い合う時や夕飯のメニューを決める時とほとんど変わらなかった。
なんなら、かえって私の方が慌てたような記憶がある。普通はもっと抵抗や葛藤があるはずだと、夫の表情にぎこちなさがないか探したりもした。
他の同性愛者やバイと同じように女の子と付き合いながら、同性と付き合うことに抵抗や葛藤を感じていたのは他でもない私だったのではないだろうか。
育った環境や大人になるまでに聞いた言葉、社会観念を形成するまでのさまざまな刺激。
それが、自分が同性と付き合うようになった後もなお心の隅に残り、自身を咎めていたのではないだろうか。
「話さない」ことを「隠している」と考えてしまう癖も、いつも何かに押し出されるように口にしてしまう告白も、それならば合点がいく。
そのために、自分の感じていた謎の焦りの正体に気付くまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
夫との一件から、永く私を苦しめていたカムアウトに対する焦燥感は一時的になりを潜めた。
もしかすると、それはまた何かの折に浮上するものかもしれない。
あるいは、今後ついぞ姿を見ないで済むものかもしれない。
ただ、今は「両性愛者であることは罪でなく、打ち明けないことも罪ではない」というごく当たり前のことに気付けただけでほんの少し心が軽い。
私が両性愛者であることを知る夫は、結婚後もテレビに私好みの女性が出ると「好きそうな子が来たよ」と教えてくれる。
そんな言葉に無邪気にはしゃぐひと時が私の救いになっていることを、彼はきっと知らない。
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別の女の名前を囁かれるといっぱい出ない?
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羨ましいね 俺は向こうが隠したまま籍を入れて、 おまけに私は女性が好きだって言って 去ってったよ 不誠実より誠実であるべきだと思うよ、自分にも相手にも