2017-10-23

最近よくきくこと

「こんな○○の授業を受けたかった!」

「こんな風に教えてもらえば、もっと○○が好きになったのに…」

学校で教えない○○」

…よく聞く言葉だ。こういう世の中の風潮を受けてか、文部科学省も「関心・意欲・態度」を評価せよ、学ぶ意欲をかき立てるような授業を、ということを言う。だがちょっと待って欲しい。本当に「そういう授業」を受けたら、学習意欲が高まり学習効果は上がるのか?

PISA調査に見る日本の生徒の学力ユニークな点は、【「学力点」は高い/「学習意欲」は低い】…である。つまり外国』の生徒は「やる気バリバリあるが、頭はそれほどよくない」。対して『日本』の生徒は「いやいや勉強やらされてて、テストの点だけはよい」というわけだ。これを見て、何でも「低い」ことが許せないお役所の方々は「もっと意欲を高めろ」と指示するわけ。だがこれらが逆相関している可能性について彼らは真剣に考えているのだろうか? つまり、【やる気は学力反比例する】という可能である


これは、直感とは相違するので違和感があるかもしれない。やる気のある生徒が勉強できない、とはどういうことなのか? 東大などに行かれた偉い方々には、すとんと落ちないのだと思う。だが、データは正直だ。そして、現場指導を通して感じる実感としても、上記の可能性は十分に考慮すべきだと考える。なぜなら「指導リソースは有限」だからだ。

教員にはとにかく時間がないし、生徒も同じく時間に追われている。その中で、限られた授業時間必要指導を行う。もし、いまだに時間リソースが十分にあるならば、「やる気のある子が自主学習読書に取り組む」ことも、あるいは期待できるかもしれない。だが、部活と塾に追われ、空き時間スマホでのコミュニケーションに追われる現代の生徒たちには、そういう余裕はない。ひたすらアウトプットを強いられてインプットする時間がない。つまり、「やる気の出る指導を受け、やる気を出す時間」はあっても「出たやる気で他を圧するほど学習に取り組む」余裕がないので、結果、「やる気は出ても学習成果は上がらない」ことになる。もし、短期的に「学習成果」をあげたければ、「やる気」とは無関係に、授業時間に絞って「詰め込み」をさせる方が効果的かもしれない。これが、「やる気」と「学力」が反比例する理由となる。つまり時間などのリソース定量だとすると、やる気に時間を割くほど学力は下がり、学力時間を割くほどやる気が下がる。

実際、現場指導して「受けたい授業」的な授業をしても、「そのおかげで」生徒の学力が上がったという実感は驚くほど薄い。強いて言えば、「教え込み」をしないにも関わらず生徒の「自主努力」によって、なんとか「教え込み」型の授業を受けている生徒からギリギリ離されない程度の成績を収めているな、という感じがある程度である。大変忸怩たる思いがある。

まあ、教員としては「面白い授業」をした方が楽しいのは楽しいのだ。だが生徒には負担をかけているという思いが否めない。もちろん、こういう苦労をした生徒の方が「将来伸びるだろう」という確信はある。だがその「将来」というのは、たとえば浪人したとき、あるいは大学に入ってからの伸びとかそういう意味になる。浪人をするほどの余裕がない家庭の多い公立高校で教えている限り、現役入学にこだわる生徒たちは、結局力を伸ばしきらないまま本人の行くべきレベルより低めの大学に入っていく。

まあこれは極端な話で、結局のところどちらかに振り切ることなく、どちらもそこそこにお茶を濁す感じで手を打っているのが現状だ。それで、生徒の評判はそれほど悪くない。だがもう少しうまいやり方もあるのではないかという気もして仕方がない。文部科学省の方々には、もう少しそのあたりを考えていただきたいものである。やる気も学力魔法のように上げる方法というのは、残念ながらない…それが現実なのではないだろうか。

  • 半分くらいは実際にそういう授業されてたのに聞いてなかったってだけだと思うよ。

  • ドラミが一時器ヘルプで来た時に、のびたに宿題をさせるためにひみつ道具で宿題をクイズ本に変えるやつがあったが、あれで宿題片付けたとして学力は身についていたんだろうかとふ...

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