生まれてこのかた、人に対して恋愛感情を抱いたことがない。別に人以外に対してだって抱いたことはないが、そこは言い回しの問題だ。
小中学校では周囲の環境のせいだと思い、大した問題だと思わなかった。高校に入って価値観の合う友人はたくさんできたが、やはり誰のことも好きになったりはしなかった。そして大学に入学し二年が経過し、その間に価値観の合う高校時代の友人たちにも続々と恋人ができ、中には壮絶な体験を持つものも現れた今もなお、私は人を好きになることすらないのであった。
「もうあんなに人を好きになることもないと思うからさ、ちょっとでもいいと思ったら行かなきゃまずいよね」私にはそもそもその人を好きになった経験が存在しないのですが。ちょっといいって何ですか。仲の良い友人と何が違うのですかそれは。誰も好きになったことがない、ついでに言うと友人もさほどいない私にとっては、仲の良い人とちょっといい人の区別などつかない。
「私が告白することはないと先制はかけたの。おそらくあっちも気はあるんだけどなかなか言ってこないから、私から行かなきゃいけないのかなあ」そこまでいくともはや何故お互い好きですね付き合いましょうとならないのかがわからない。必ずしも付き合う必要はないかと思うがこの場合はお互いその関係を求めているではないか。そもそもこんな相手がいる時点で彼氏がいる状態と何が違うのかと思ってしまう私自身、流石に何かが欠けていることは自覚している。
今まで自分に恋人ができたことがないことについては自分の思考、見た目、公言している趣味等から当然のことだと思っているし、とりわけ思考と趣味については変えてまで恋人が欲しいとは今も思っていないが、全く寂しくないかというとそれも違う。何となく日々が寂しいのは、人に触れていないからだと思い始めた。別に恋人などでなくてもいいのだ。単純に体温が足りない。躊躇なく友達に抱きつけるタイプの友人が羨ましくなってきた。自分からいけずとも誰か私に抱きついてくれたって一向にかまわないが、不思議なことに私に抱きついてくる友人はいない。そういうものは抱きつくタイプの人たちで完結するのである。
生涯恋人ができる可能性は限りなくゼロ、友人だって人のぬくもりを直接与えてくれることはない。私に残された手段は風俗にでも行くか、抱きつくことで体温を保つことも可能なぬいぐるみでも手に入れることだ。それも大きな。
あいにく私には、趣味に圧迫された金銭状況では風俗は現実的ではなく、また物理的にも大きなぬいぐるみを置くスペースなどは存在しないのであった。そもそも知らずに済んでいる人のぬくもりへの願望を捨て、温度を感じることのできない写真・雑誌・クリアファイルを心の底から愛でることしか私が満たされる道はないのかもしれない。
そもそもそれができれば苦労などしないのである。アイドルを愛しているから恋人なんていらないの、と思いながら彼らを応援したかった。彼らのことは大好きだが、一切の例外なく恋愛的に好きになったことなどない。ああ、何故私はあんなに好きなアイドルに対しても恋することができないのか。私なんかより、中島健人と結婚したい中学生のほうがよっぽどまともな人間である。
自分のほしいものを手に入れるために自分で自分自身を変えていくことを「成長」っていうんだよ。 ひと昔前までは性欲っていうのも成長の動機付けとして立派に機能してたんだけ...
ほしいものってくだらないものばっかだし成長とやらで仕事押しつけられるくらいならのんびりしたいという戦略でしょ 社会なんてほっといても回るわ おまえの他称成長人とやらが過小...
頑張って人間らしくあろうとしないやつらは努力がたりないね。世の中の人だって、頑張って適当な相手を必死に好きだと思い込もうと自己暗示して、人間である条件を満たすためだけ...