今朝の通勤電車で、小学校高学年くらいの女の子数名+そのお母さんらしき人たち数名と乗り合わせました。
女の子たちはきゃあきゃあと楽しそうにはしゃいでいました。
バックトゥザフューチャーとかスパイダーマンとか言ってたので、USJへ行くんだと思います。
女の子たちの話題はUSJから学校の先生の話へと移っていきました。
「あー、キモかったね」
「あれまだ言ってるよ?キモーい」
私は「不快なガキどもだなあ、親も何にも言わないのかよ…」と思った一方で「こういう子たちは痴漢に狙われにくそうだな」と正直思いました。
こういう風に、キモいと思った相手に対して良心の呵責なく本能のままにキモいと言える子・無遠慮に距離を取れる子を痴漢は狙わないのではないかと感じました。
「誰にでも平等に接し、誰にでも優しくしてあげないといけません」
「困っている人は助けてあげないといけません」
という教育がよくよく浸透している子で、本能では身体能力で勝てない異性の大人に近づかれて怖い・キモいと思っても教育による倫理観が本能を抑圧してしまうのです。
「誰にでも平等に接し、誰にでも優しくしてあげないといけません」
「困っている人は助けてあげないといけません」
「でも、変な大人に変な事されそうになったら全力で拒否しなさい。逃げなさい」
そんな都合のいいこと言って聞かせて、それで子供が自分の身を守れると思っているのですか。
それはこう言うのと一緒です。
「辛そうだろうと苦そうだろうと、見た目が変な色だろうと、出された食べ物はすべて口に入れなさい。
口に入れて毒だと分かってから、吐き出しなさい」
変な大人かもしれないけど、変な大人扱いしたら平等にならない。
変な事しようとしているように見えるけど、困っているだけかもしれない。
「この人は私に変なことするために近づいてきた変な人だ」
接近してくる相手を本能的にキモい判断したとき、その本能に従って全力で避ける(近づかない)・キモい扱いする(威嚇する)、
これは体が軽くて力の弱い子供が痴漢から身を守る最速の防衛手段です。
乏しい人生経験をもとに相手を見極めようとする、無意味な時間を省いているのですから。
子供が身を守るための手段を、大人の男性が「俺たちが傷つくから」という理由で封じてはなりません。
男性だけではありません、相手が女性であっても、怖い・キモいと思ったら怖い・キモいと叫んで逃げていいのです。
高校生あるいは中学3年の三学期くらいになり、教師や大人を批判できるだけの賢さが身についてからこの教育をすれば十分です。
「誰にでも平等に接し、誰にでも優しくしてあげないといけません」
「困っている人は助けてあげないといけません」
「でも、変な大人に変な事されそうになったら全力で拒否しなさい。逃げなさい」
トラバの人
正直、本職さんこんにちはって思った。
やっぱダメだろ本院含めた周囲の人心が荒むわ。むしろ道徳的教育はしつつ集団登校みたくどこ行くのも複数人で動くことを徹底してもらう方がいい。都会は一人で安全に遊べる場所ではないと認識してもらうほかはない。
集団行動の徹底は、周囲になじむのが苦手な子やいじめに遭っている子を浮き彫りにし、痴漢犯罪者の標的選びをより容易にする。
そしてそういう子はやっぱり狙われやすい。ヤバい。ソースは自分な。
”大人の男性が「俺たちが傷つくから」という理由で封じてはなりません。”/差別をしない教育=大人の男性のエゴっていうのは偏見では?
甘い甘い そいつらの威勢がいいのは徒党を組んでいるからで 一人になると何にもできなくなると見たほうがよい