というより無理してまで作る気になれなかった。
理由の一つは不妊治療は色んなコストがかかるということだが、それのみが理由ではない。
そこまでする気にはなれない…という消極的選択が累積した結果である。
子供は出来て当たり前のものじゃないって、気付かない人間は多い。
子供を持つと幸せは確かに事実なんだろうけれど、それを他人に強要すると「子供を持たないと幸せでない」教に容易に変わる。
不妊治療の病院を教えてくるのとか、気持ちは嬉しいが迷惑だったりする。
老後がどうのこうのと言ったって、絶対子供に面倒を見てもらえると決まった訳でなし。
子供に逃げられたり、子供の生活も大変だったりしたら頼れなかったら、どっちみち自分たちで何とかするしかないのだから。
大体コスパとかリスクとか考えたって、備えは必要だが、ある程度しか未来には対処できない。
何が起きるか本当のところは分からないんだよ、人生なるようにしかならないよ。
経済的な見返りがあるから育てるってのは何か、却って前近代的な思想のように思える。
TVで見た旧弊な大家族や貧しい発展途上国を思い出しちゃう世代である。
「愛は無償のもの」というくさい言葉でなければ、人間以外の多くの動物は何も考えずに子供を産んで、特に親は何も貰わずに成体まで育て上げるって一事で充分じゃないんですかね。自分の遺伝子を繋ぐって以外のリターンは特にない。
人間の場合は、多分子供の幸せそうな笑顔とか好意とか一緒に過ごす時間が既に報酬なのであって、金も愛情も返ってこないの前提であるべきなんじゃないの。
でもその笑顔に無上の価値があると思うから、育てられるんじゃないですかね?
それが脳内で起る化学変化に過ぎないとしても、そもそも人間てそういうもんだしね。
子供のいる人生が素晴らしいと理解できるのは、両親が私を本当に慈しんで育ててくれたからだ。
(だから、子供を頼って当然と思う親は信じられないし、嫌いだし害悪だと思う)
両親に孫の顔を見せてやれなかったことだけが残念だが、致し方ない。できないものはしょうがない。
同時に、作ろうと思わなかったから、いないでも。
ただ、相手が居ないならまだしも、「金がないから作れない」て余程極貧でない限り何か違う気がする。
それって「無理してまで作ろうとは思えない」という自分の選択でしょう?
何で他に理由付けるの?酸っぱい葡萄みたいなこと言ってないで、欲しいなら頑張ってみれば良いし、頑張ってもダメでしたでいいような気がするけど。
何が言いたいかって言うと「子供作れ教の人も子供はコスト教の人も正しい環境でしか子作り子育てしちゃ行けない教の人も迷惑だよね」というチラシの裏。
そうやって言ってくるのが赤の他人ならスルーでいいけど、身内(親や兄弟姉妹)の場合は 「将来お前に何かあった時にこっちが面倒見なければならなくなるから勘弁してくれ」と言う...
ホントにね。 そういう親族を持った人は可哀想だと思うよ。 親しい血族の居ない人や害になる家族を持つ人が、どうしょもなくなった時でも引け目無く生きられるように社会保障がある...
マジでそれ
消極的選択はよくない。 きっと、あとで後悔するよ。 年をとればとるほど、じわじわと心を蝕む。
現時点で後悔だらけの人生だけど、多分何も知らない状況だったらどうやっても自分はこの道しか辿れないから別にそれはそれで致し方ないんじゃない? 過去には戻れないんだし。 記憶...
子供は必ず自分の細胞分枝体であるべきって認識はやめませんか あなたの子供候補はポイ捨てされて施設で待機してます 産める機能があるかどうかが人生の選択肢 生まれるかどうか...