http://anond.hatelabo.jp/20141213081336
自分は高校のころ、将来を選択する際に、どうすれば自分が将来満足のいく生活ができるかと考えた。その思考の過程で、外資系や商社・銀行などの一流企業で、自分のまわりのエリートたちと戦って勝つことは無理だ、と判断した。もともと好戦的な性格ではないし、他人を蹴落としてのし上がる、嘘をついてのし上がる……など、そうせざるを得なくなる可能性があるなど、考えたくもなかった。
また、研究者になって不安定な生活に怯えながら研究することも不可能だと思った。研究者をやっていくことは大変で、まずは大学院まで9年間学び、その後はポスドクという不安定な職業につき、そして運が良ければ安定した職を得られる。このように神経をすり減らしてまで研究者になろうという意志が、私にはなかった。もちろん優秀な人物はポスドクを経ずに安定した職に就けることもあると知ってはいたが、私は自らをそこまで優秀な人物であると信じることができなかった。
ある程度受験の偏差値が高い理系にとって、一流企業に入りたくない、しかし研究もしたくない、となると残された道は医師になるしかない。そういうわけで私は、いわば消去法によって医師の道を選択した。
高校生の自分のまわりには本当に優秀な人間たちがいた。彼らは当然東大に入り、今は研究者の道に行ったり一般企業に行ったりしている。しかし彼らの話、たとえば一般企業に行ったが合わずに2年で退職、現在は中小企業で働いているとか、ポスドクにはなれそうだがその先が……とかの話を聞くにつけ、やはり自分には無理な世界だったと、自分の、自らの愚鈍さに対する判断は正しかったと思わされる。私は彼らと比べて愚鈍であったが、その愚鈍さに自覚的であったという意味では賢かったと感じる。
これはその通りだ、というかそうあってほしいと思う。数学の能力が高い人が医学部でくすぶっているのを見ると本当に心が痛む。しかし、彼らに対して「数学や物理学の世界に進め」と言うことができるかと言われると、今の制度では難しい。研究者の世界は過酷だ。彼らにはその過酷さから逃げ、自らの(数学の)能力に蓋をして、自らの(大学受験の)能力を活かし、安らかな生活を送る権利がある。だから逆に、私は数学や物理学の世界で戦っている友人たちを本当に尊敬しているし、彼らが幸せになればよいと思っているし、もっといえば、彼らに対して行政は現状以上になんらかの施策を施すべきだと考えている。
長くなったが、まとめよう。私にとって医師とは、一般企業や研究者という、過酷な道を避けて辿りついた先である。そのような私は愚鈍であるが、しかし愚鈍に気づいたからこそ医師をしているとも言える。私は実際愚鈍であるのだから、元増田が言うように、私が民間の優秀な人物たちより愚鈍に見えるのは当然である。ただこれも私が私なりに自らの生活を考えて選択した結果であり、私は私なりに最大限努力して元増田を診るから、どうか勘弁してほしい。
愚鈍な人に一言、 主語でかい おまえ自分語りしかしてないぞ