主要論点でもなければ各論の話ではありますが、当該テレビドラマは表現が過激にすぎるし、放送時間帯からして様々な人に視聴可能性があり、実写で現実社会を舞台設定にしていることからイジメや誤解の原因になる可能性が高いものだと、私は思います。連続テレビドラマであっても毎話ごとに一本のコンテンツであって、いちいち毎話見続ける人ばかりではありませんから、「最後まで見てくれれば真意がわかります」というのは正当化する理由にはならないとも私は思っています。「あまり知られていないので啓発したい」という理由であっても、最初から最後まで見るのが想定されているような一本の映画などとは異なり、シリーズもののテレビドラマやテレビアニメなどでは一話単体で見られたときにどうなるか、という観点が必要です。
さてそれで、論点はそこではなくて、視聴率で測るのをやめたらどうか、という話ですが。
いわゆる民放で広告主がいるということになると、広告料を定め広告効果を測定するということが、少なくとも現在の業界では行われています。定量的に測定不可能だと、広告主を説得することが難しくなります。いまどきの企業は大概は、広告効果がないとやらない、カネにならないとやらない、と言います。費用対効果が適当でなければ経営者の責任問題にもなりますし、広告を打つ担当者や管理職の責任問題にもなります。そういうショボい社会ですので、「視聴率やめるべきだ」といった主張はずっと有力でありながら現実化していません。端的にいえば、いわゆる「民放」をやめて、視聴者がスポンサーになり、さらに言えば後払い方式にすればよいのかもしれませんが、それで売上が確保されるのかどうかというと、ショボい社会(ぶっちゃけて言えばみんなバカ)ですのでボランタリーに視聴料が払われてビジネスモデルとして成りたたたせることは難しいでしょうね。(それができるんだったら、例えば、ソフトウェアもプロプライエタリである必要はなく、Windowsなんかがデファクトスタンダードではなくなっているでしょう。強制徴収制度にしないとビジネスモデルとして成りたたないわけですよ。)。
あと、地上波デジタルと双方向という話ですが、そもそも地上波デジタルと双方向化ということがもともと論理的必然性がないものです。地上波デジタル化という結論が先にありきで(剛力彩芽でもないが)ゴリ押しし、その言いわけとして「双方向性」を主張してきただけのことです。そしてなぜデジタルテレビのリモコンの四色ボタンなんかいまほとんど活用されていないかというと、そもそもテレビというのが受動的なメディアだから見られてきたということと、言いたいことがあってもそんなボタンじゃ使えねーということなのでしょう。だから、言いたいことはメールやツイートで送るわけでしょう。まあ昔から、テレビ番組の双方向といえば、電話、ファックス、ハガキでしたよね。
そもそも児童介護施設の内状を知らない人は私を含め大勢いるだろう。 知っている方々からすると 「こんなのありえない、でもドラマだからな・・・」 「こんなのありえない、ふざけ...
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テレビ局の商品は何か、客は誰か、視聴率は何のための数値かをもう一度考えましょう。
あと地デジに移行するとき「双方向」ってのが売りのひとつだった気がするがあまり活用されていないのでは?「ツイッター(疑似)連動」ってのが多い気がする。もったいない。 地デ...
テレビの双方向、活用されてるかどうかは見てる番組によるんじゃないか? 例えば、バラエティーとか、ドキュメントばっかり見てると利用してるケースは少ない。 自分が見てる範囲で...
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