2012-03-30

自明視されるセクシュアルな感情の面倒くささについて

中高、彼は男子校で過ごした。そんな環境でも人は学内で恋をしうる。もちろん同性愛者や両性愛だっているが、異性愛だって可愛い男の子というものを好きになる場合がある。それが機会的同性愛と批判されるものであろうと、それが個別の恋愛経験にとってどうだというのか。所詮安っぽい恋愛なんていくらでもある。

その恋は「セックスしたい」というものなのだろうか。性的意味合いをどこまで含んでいるのだろうか。友情との境界存在するのだろうか。おちんちんエロいというのは冗談として、実際、人それぞれで一概には言えないのだと思う。ただ、セクシュアルな感情存在自明であるということは決してない。

男性本位異性愛体制における「若い女性」の性的価値は今更喧伝するまでもないことで、実際彼自身、若い女性と近しい距離に至ると往々に何かしらの性的情動を抱く。それをセクハラという形で発露することを何とも思わない人もいる。「若い女性」としての特性は、多くの若い女性が備えている。もちろん彼女らがそのように見られるために苦労し、時にコンプレックスに苦しみ、といったことはあるだろうし、ここで書いていることがものを知らない男性目線であることは間違いない。それでもやはり、そうした特性は当たり前にありふれたものだとみなされてしまっている。

だいたい、なんで六年間連れ添った友人とセックスしなくて、大学で知り合った女性とすぐにセックスできるのか。たかだか彼氏彼女というだけの関係で。そんなに安っぽく人の体を求めてしまうのか。

はてさて、男性間の性的感情の抑圧をホモソーシャルと呼び批判することは適切だし、異性愛の裏返しとしてフェミニン男子に限って異性愛から性的目線を受ける構図は明らかに歪んでいる。分かっている、間違っているのは彼の側だ。そんなひねくれた恋は破綻をきたし人は幸せにならない。人は獣から進化しており生殖本能を持っているだなんて言葉は容易にマイノリティを傷つける似非科学になりうるとしても、その言葉が全くの間違いとも思えない。彼は異性愛者の若い男性であった。貫く側に生まれてしまった。

そうだとしても、想像力は経験に基づいている。女性とロクに喋ったことすら数えるほどで、男性との性的意味を持つ身体接触が存在しないわけではない。女性の良い匂いは頭の中のデータベースに見つからず、男子高校生の良い匂いならさっさと思いつく。どこまでも女性抽象的だ。

どうすれば良いのだろう。端的に、何とかして彼女を作ってしまえば良いのだろう。そうして彼女を作ることに意味生まれる。「交際したい」の意味がすり変わって不純になる。特定の女性と一緒にいたいから交際するのではなく、任意女性のうちの一人と一緒にいるという経験をしたいから交際するとなってしまった。不誠実が生まれ落ちる。

ただでさえ対人コミュニケーション能力の欠落が問題であるのに、そんな不誠実を自覚して何になる。無自覚に生きたくないというのは人生に多くを求めすぎであり、自身のことすら何も分かっていない。ヒーィズプレイヤー、祈りを捧げる。この祈りは特定の神様に向けたものではなく、twitterでいうと神へのメンションではなく単なるタイムラインに置き去った独り言だ。

まりこれが童貞めんどくさいということであり、タイトルに大した意味は無く、もはや人間がめんどくさいということであり、どうしてこうなったと言われれば返す言葉は思い浮かばず、それでも幸せに生きたい。

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