江戸時代初期の刀匠。
父親の名字である「森」を分解すると、
「大村」に「卜」を「加」えるかたちになるのでこう名乗ったともいう。
もとは外科医で、手術用のメスを自作するうちに、鍛刀の腕も磨かれていった。
最初は越後高田藩、のちに水戸藩の徳川光圀に召し抱えられた。
1704年、複数人から闇討ちを受けて片腕を切り落とされるが、
加卜は切り落とされた腕を相手の口に捩じ込んで殺し、
また他の数人を返り討ちにした上で自刃した。
Permalink | 記事への反応(0) | 17:49
ツイートシェア
クイニーアマンを作った人。
1828年に生まれ、フランスのブルターニュ地方でパン屋を営んだ。
1860年ごろ、ブルターニュ地方では小麦粉が不足していたので、
小麦粉を減らす代わりに特産の有塩バターを大量に入れて生地を作り、
それを何度も折りたたんでバターを馴染ませてから焼いたところ、
美味しいケーキが出来たので商品化したという。
クイニーアマンとはフランス語ではなくブルターニュ語(ブルトン語)でバター菓子という意味。
Permalink | 記事への反応(0) | 07:37
1926年5月9日に銀座・松屋デパートから飛び降りて死んだ、日本初の飛び降り自殺者。
享年38歳というから、生まれは1888年か。
遺書を残しており、自殺の原因は藤江という女性に振られたためだそう。
僕の身は死しても心霊は藤江の身を離れない。そして藤江の兄を恨む、母も恨む、終りに藤江も恨みたい気もする。しかし愛が勝っているようだ。お願いだから一緒の所に葬ってくれ。藤江もそう思ってくれ。僕は今酒を飲む。
Permalink | 記事への反応(1) | 09:06
近代ボディビルの父として知られている。
1867年にプロイセン王国のケーニヒスベルク(現在はロシア領)に生まれる。
少年時代からギリシャ彫刻の肉体に憧れ、それを目指して身体を鍛えていた。
天才興行師フローレンツ・ジーグフェルドと契約し、その肉体を披露して多くの興行を成功させた。
ジーグフェルドは、ご婦人方にサンドウの筋肉を触らせて好評を得たという。
名声を得たサンドウは「健康のための身体鍛錬」を提唱して、
トレーニング解説書、雑誌、健康器具、健康飲料などを売り出し、
また世界初のトレーニングジムを開設した。
ダンベルを初めて工場生産し、ダンベルを用いた体操を広めた。
留学中の夏目漱石も実践していたらしい。
世界初のボディビルコンテスト「グレート・コンペティション」を開催した。
審査員のひとりはアーサー・コナン・ドイルだった。
サンドウは1925年に亡くなった。
世界的なボディビル大会「ミスター・オリンピア」の優勝者にはサンドウ像が授与されている。
Permalink | 記事への反応(0) | 17:32
1984年にフランスで生まれる。
サッカー選手。ポジションは守備的ミッドフィルダー。
マルセイユでデビューし、アーセナル、ミランと名門を渡り歩き、
フランス代表にも選出されて活躍した。
現在は柴崎岳と同じFCヘタフェに所属している。
2008年に「GFバイオケミカルズ」という企業を秘密裏に立ち上げ、
2015年にその共同創業者であることを公表するとともに、
石油の代替燃料となる「レブリン酸」の量産に世界で初めて成功したことを発表した。
そのときに「我々は200億ポンド(4兆円)の市場に参入している」と発言したことが「資産4兆円」と誤解され、
「世界で最もリッチなサッカー選手」と呼ばれるようになってしまった。
Permalink | 記事への反応(0) | 18:16
「たかばおさむ」と読む。「乱を治む」に由来する当て字らしい。
1831年、福岡藩の藩医の家に生まれる。
男として育てられ、10歳で正式に元服するも、実のところ女性であった。
いちど結婚はしたが自ら離縁を申し出、学問を修めたあとに私塾・興志塾を開いた。
塾生の中には、後に自由民権運動の政治結社であり右翼団体の先駆けと言われる玄洋社を立ち上げる者たちが多くいた。
男の名で男装して帯刀までして乱暴者たちを従えていたのだから女傑だの何だの言われたが、彼女自身は華奢な容姿であったという。
教え子たちの過激な運動を見守りつつ、その後も教鞭を振るいつつ、後には医者として余生を過ごしつつ、1891年に亡くなった。
Permalink | 記事への反応(0) | 17:10
1781年に、クールラント公国(現在のラトビア)に生まれた。
最後のクールラント公ペーター・フォン・ビロンの四人の娘のうちの一人。
教養豊かで美貌も備えた彼女は社交界で奔放に振る舞い、
やがてオーストリア宰相メッテルニヒの愛人となった。
メッテルニヒが反ナポレオンに舵を切ったのはヴィルヘルミーネの影響だという。
ちなみにヴィルヘルミーネの妹ドロテアはフランスの大政治家タレーランの愛人。
貧しい子どもたちへの慈善活動の一環として、
チェコの国民的作家ボジェナ・ニェムツォヴァーにも援助をしており、
小説「おばあさん」にはヴィルヘルミーネをモデルとした公爵夫人が登場する。
英語版Wikipediaに載ってる肖像画がかわいい。
Permalink | 記事への反応(1) | 15:08
1703年にイギリスで生まれた。
外科医ウィリアム・チェゼルデンのもとで学び、各国を回って眼科医としての名声を高めた。
しかし、実際にジョン・テイラーが得意だったのは己の功績を誇大に喧伝することだけで、
次第にその手腕は疑われ、非難と嘲笑の対象にすらなっていった。
彼の手術によって音楽家バッハは完全に失明し、合併症でまもなく死去したという。
また同じく音楽家のヘンデルも彼の手術を受けたが失敗し、翌年に亡くなっている。
1772年に死没。晩年には彼自身が盲目だったという。
Permalink | 記事への反応(0) | 20:40