あるヒト疾患モデルにおける解析を行う基礎研究を教授に指導してもらい、様々な論文を読んだり実験したり、研究に関わっています。
「大学生なんて遊びしかしないでしょ」「隣の息子さんは部活ばっかやってても、社会人になったのに」「育て方を間違えたのかしらね」「研究なんて金にもならない」
「どうせあんたの代わり(の研究者)なんていくらでもいるんだからやめたらいいのに」「なんの役に立つの?」「稼ぎもしないで研究とか馬鹿のすること」
「一銭にもならない」「また学会いくの?参加費用、出してもらってもある程度はご飯代とか出費かかるじゃないの」「金食い虫が」
そう言われます。
卒業後は、臨床研究に役立つ基礎研究をするポスドクになりたいと思っていますが、親にはいつも反対されて馬鹿にされるので言えません。
そして、
自分の基礎研究が、人の病気の解明や治療に役立って貢献できる。
そして、自分が死んでも論文には私の名前が載っているからやっていることは無駄とは思ったことはありません。
すぐに目に見える形で基礎研究が病気の治療に役立つとか安直なことは考えていませんが、研究の蓄積でなにかの役に立てたら、貢献できたら・・・それを目指してやってきました。
子供の頃から、科学に憧れて人々の役に立つ科学者になろうと思い、ひたすら勉強して無我夢中で努力してきたんですが、身内には否定ばかりされます。
身内の誰かが、もし、自分の弟が今、私の研究している疾患にかかったら、いやがおうでも私はその治療に役立つために研究をもっとすると思います。
でも、気づきました。
科学を研究している者にとって、そして研究を目指す者にとって、人類の未来に貢献するという壮大な目標は結局、身近に利益を得ることがない(私の場合はお金を稼ぐことができない院生だから)行為にしか周囲はみなさないから見下されるんだと思いました。
私にとって研究は、様々な状況も待遇もありますが、子供のころに憧れた「プロ野球の監督になること、指揮者になること、最高の芸術家になること等」という凡人には、なかなか獲得できない遠い遠い世界の夢で妄想でしかないんだろうと思います。
でも、夢を捨てて生活費を稼ぐことのほうが世間一般的には価値があって、人類の未来に貢献する研究よりも自立するための給料をえることのほうが大事なんだと考えてしまいました。
私が今使っている電車も洗濯機も、電卓も、ペンもインクもパソコンも、全て科学や発明、創造性の蓄積からつくられた作品なんでしょう。
なら、私が今蓄積しようと携わっている基礎研究はいつか何かの役に立つような道につながるのか・・・と問われても、私ひとりでなしえるものではないでしょう。
当たり前のように使っている日常品が科学の産物で、はじめから存在しているのが当たり前のように母は洗濯機を使っているけれど、その洗濯機を作った人々の叡智や研究はなんだったんだろうなって今思います。
自分が価値があると思っていればそれでいい 他人(親)の価値観なんて気にするな
自分で稼いで研究をすれば何も言われん。 学振でもバイト(飲食業とかのクソしょうもないバイトのことじゃないぞ)でもなんでもいい。 まあ俺もそういう事実を教えてくれるような上等...
逆になんでそんな奴らにお前は潰されなきゃならないんだ? お前が今存在していることがすべての答えだ。 文句いうなら最初から子供なんて産むなぐらいのこと言ってやればいい。 子...