考えてたら眠れなくなってしまったけど、吐き出すとこがないのでここに。
過干渉親に対抗する術が思いつかない。
母が過干渉で、大学入って一人暮らししてからはほぼ毎日電話が来ている。自分の時間は実家に暮らしていた頃よりも増えたけど、一人暮らししても干渉されるのかとうんざりした。電話は毎回1時間以上で、親の愚痴やら世間話やらなんやら。まあ自分も合わせてペラペラよく喋ってしまうから(あとで書くけどこれも実は嫌な点)、親には娘にとってもいい気晴らしになっていると思われてしまってるのかもしれない。でも毎日その一時間があればあれもこれもできるのにと、もどかしい思いをしている。特に今は忙しくてバスを待つ寸暇も惜しんで仕事をしているくらいなのに、電話で片手と思考がふさがって何も進まない。ちゃんと聞いてないと怒られるし。電話についてはもうかれこれ5年以上悩んでいる。一人暮らししている家にも頻繁に遊びに来るんで困る。
ここまで聞いてこう思う人が多いと思う。「なんで拒否しないのか」「抵抗すればいいのに」。自分もそう思ってこの数年間何度か試したが、惨敗だ。
「毎日電話されると困る」と言うと、「お母さんが嫌いになったのね?」と返される。そう言われると、まるで自分が親不孝者になったかのような気がしてきてついつい「そんなことないよ、でも…」といってしまう。そうしたらもう向こうの思う壺で、そのあとは言葉による猛攻撃だ。「そんな事言われるとは思ってなかった。お母さんは悲しいよ。」「お母さんはいつも〇〇のことを心配してるのに冷たいね。」「いつも〇〇はそういう冷たい態度だよね。そんな冷たい人間だと将来寂しくなるよ。」などなど…
もう何も抵抗する気がなくなってしまうのだ。抵抗しながら電話口で泣いていたら、何故か当の母親に「泣くな!頑張れ!」と励まされる始末。わけがわからないけど、頭がいっぱいで何といっていいのやら言葉が出てこない。
親不孝だと言われた時に思わず一度「塾も行かず、公立の学校ばかりに通って上位国立大学に入っただけでも親孝行じゃない?」と言ったら、「そんなことは自分で言うことじゃないでしょ?そこに至るまでも親のおかげなんだから」とますます加熱してしまった。たしかに、大学院に入るまでは奨学金も取っていなかったので金銭的に親に頼りきりで、高校の時は駅までの送り迎え(いくら歩いて行くといっても聞いてもらえない)、大学入学の時は引越の手伝いまでしてもらっていたのだからそのとおりなのだが…。押し売りをされたような気分が残る。いや、世の中には家庭の事情で大学に行けない人すらいるのだから、やはり贅沢なことを言っているのだ。一人暮らしできただけマシだ。でも残ったもやもやがどうにも消えない。
また、少しでも邪険に扱うと上で書いたような流れになる。または、私の機嫌が悪いということでその狭量さを怒られる。適当にあしらえない。
(着信拒否にしたらいいじゃないか?と思うかもしれない。そんなことをしたら、一週間以内には捜索願が出ているだろう。)
一時期は「これは自分に課された義務で、これをしている間は母がおとなしくなるのだから」と無理矢理自分を納得させることに成功したが、また行き場のない感情が湧いてきてしまった。自分がもうちょっと無関心になれたらいいのにと思う。自分自身が親離れできていないからだろう。でも、奨学金の書類にしたって授業料免除にしたって親の協力が必要で、もしそれを使わないとなるとただでさえてんてこ舞いなのにさらに余計な労力がいる。敵に回すのもなかなかリスクが高いから踏み切れない。金銭的に独立できるようになるまではこの呪縛を引きちぎるのは難しそうだ。自分にそんなものを使わなくてもやっていけるだけの体力と気概があればいいのにと思う。結局甘えか。そんな甘いこと言ってるから親から離れられないんだ。全部捨てる覚悟で、いままでの成果も捨てる覚悟でやらなくては。そう考えると悔しい。でも、本当に親から離れたかったらそうできたはずだ。自分のやりたいことのために親を使っている点では、同類だ。母を嫌うと同時に自分が嫌になるからたまらない。なんで生まれたんだろうと思ってしまう。
最近は更にもう一つ、一人暮らしする前からの母の呪縛が辛くなってきた。それは「なんでもお母さんに言ってね」ということ。つまるところ、なんでも報告しろということだ。特に男関係は小学生の頃から「彼氏ができたら絶対に言いなさいね」と言われていた。その報告を想像しただけで虫唾が走って、人を好きになることが齢23になるまでなかった。ドラマなんかでよくある母娘像を見ると、もしかして普通の母娘だったら抵抗なく報告できるのだろうか?とも思うが。「お母さんは〇〇に早く好きな人ができて欲しいんだよ、〇〇はどんな人を好きになるのか楽しみだわ」と心底私の幸せを願うような言葉を不穏に思った。
ところが最近なんでだか初めて好きな人ができて、めでたくお付き合いすることになった。当然のように私は母に報告した。できることなら言わないでおきたいと思っていたのに、言ってしまった。マインドコントロールってやつなんだろうか。その時は母はたいそう喜んで、人を好きになる大切さに関する有り難い講釈を賜った。胸焼けがするような話だとしか思わなかったが。
一度言ってしまうともう歯止めが効かない。何から何まで、どこに行った、何日間一緒にいた、どこに泊まった、いつ会う、どんなことを話した、何をもらった、どんなひとか、今どこにいて何をやってる,どこが好きで、いつ喧嘩したか、全部言ってしまう。できるなら言いたくないのに。相手の親に逐一自分の行動が報告されていたら、絶対にいい気分なんかしないのは簡単に想像できる。好きだからそんなことしたくないのに、電話が来ると気づいたらほとんどすべてを話してしまう。
とはいえ、彼氏ができて少し遠慮していたようでしばらくは電話が控えめになった。まあそれも数ヶ月の間だけでまた毎日のようにかかってくるようになったのだが。
母はあんなに私に彼氏ができたことを喜んでいたように見えていたのに、最近は批判を始めてきた。「(遠距離なので交代で行き来することについて)□□さんが〇〇のところに通えばいいじゃない、〇〇が行く必要ない」「行かないほうがいいよ、危ないから」「□□さんはどうして〇〇を両親に紹介しないの?〇〇に失礼だと思わないの?」「□□さんはそれほど〇〇の事好きじゃないんじゃない?」「□□さんは意気地がないね、お母さんそういうとこ気に入らない」「お父さんなら〜してくれる、そういうところは□□さんにはないね」「きっとそういう細かいところが気になって嫌いになるよ」「〇〇にとって□□さんは物足りなくなると思う」等々、ネガティブなことばかり言ってくる。火のないところになんとやらで全部が的はずれではないのかもしれないけど,まだ付き合って半年なのに両親に紹介しないのを責めるのはないだろう。たいていの男の人にとって、それは結婚の前段階の話じゃないのか?少なくとも彼と私の間ではそういう認識だ。
思えば、付き合ってから彼に関してポジティブなことは何一つ言われていない。ああ、一つだけあったか。母がインターネットで彼のことを検索しまくって個人サイトの小さな記事の中の写真を見つけ出した時だ。「結構可愛い顔してるじゃない」。そんなことをしている時間があるのなら忙しい忙しいと愚痴をはかないでほしい。
母に不穏な予言(「嫌いになる」「うまくいかない」「不満がたまる」等)をされるたびに、そのとおりになるような、無意識下でそう思わなければいけないと思ってしまうのではと不安にかられる。
良かったことは、自分の好きな人をけなされると嫌な気分になるということがわかったことだろうか。私自身は意気地がないなどとは思っていないのが唯一の救いだ。
そして母のことを考えていると、自分が母親になった時同じようになってしまうのではないかと怖い。子供を生むことが罪のように感じる。別にキリスト教徒ではないが、キリスト教の原罪の考えを倫理の授業で聞いた時、捻じ曲がった解釈で納得してしまった。「この世に生を受ける事自体が罪で、自分は罰を受けているから苦しいのだ。同じように苦しむ人間をこの世に生み出すのはたしかに罪だ。」
母を変えるのはできないと思うから自分を変えたいが、どうしたらこのことについて悩まずに済むんだろう。こんな事で悩んで外でスズメがチュンチュン言うまで寝れなくて悶々としたり、こんな長々と文章書くのなんて馬鹿らしい。親孝行っていいことのはずなのに、親孝行なんてクソ食らえだと思ってしまうのも人でなしみたいだ。
文章を読み返したら一体何が正当に主張していいことで、要求していいことなのかわからないみたいだ。
"敵に回すのもなかなかリスクが高いから踏み切れない。金銭的に独立できるようになるまではこの呪縛を引きちぎるのは難しそうだ。" 素朴な疑問としてバイトできないの? ”そして母...
ちょっと違うけれどまあ、母親に対するあれこれは似ているのでわかる。 中学、高校とそんな母を憎むことがすべての原動力になり 模試ではそこそこの大学に入れる頭だったが この人...
たぶん母は娘のあなたに自己投影してるんだと思うよ マンガやドラマなんかよりもずっと身近だし何しろ血を分けた間柄だしね つまり母は母=娘で一心同体って感じになってて、個々の...
同じような母親になっちゃうだろうな。
母じゃなく父だったけど、同じようなことで長年悩んでたな(今も時々悩んでる)。 しかし子供はどこかで親から独立しなきゃなんないし、そこで多少距離ができることは親不孝じゃな...
親に甘えられちゃってるんだねえ。 着信拒否、いいじゃん。そんで捜索願出させればいいじゃん。 いっぺん大ごとにして警察に「うちの母親ちょっとおかしいんです」って言っちゃえば...
母親からの干渉を煩わしいと感じだすということは一人前になりつつあるのだと思う。 子供の頃は微笑ましい母子間だったと窺えるし、お互いに歳を重ねて弱くなり強くなりしているの...