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2024-06-01

カブトムシみたいに

カブトムシみたいに美しくなりたい。

写真には写らない美しさがあるから

 

カブトムシの角や光沢、見た目の力強さと儚さのコントラストは、実際に手に取ってみないと分からないものだ。その美しさは、表面的なものだけではなく、存在のものにあるのだと思う。私はそんな内面から滲み出る美しさを手に入れたいと願っている。(美談

日常生活の中で、私たちはどうしても見た目や表面的な部分に囚われがちだ。スマホカメラに収まる範囲自分評価しがちだが、実際にはそこに写らない部分こそが本当の価値を持つ。人間関係も同じだ。見た目や表面的なやり取りだけでなく、その奥にある感情や思いが重要なのだ。でしょ?

ところで、私は彼氏が正し過ぎて別れたことはありません。

多くの場合、人は自分価値観や考え方が正しいと信じてる。でも、正しさだけで人を惹きつけることはできない。むしろ完璧すぎる正しさは、時として距離を生む原因にもなる。人間らしい弱さや不完全さが、逆に魅力となることもあるから。そう、カブトムシみたいに。(?)

過去恋愛を振り返るとき、私は彼の正しさに圧倒され、息苦しさを感じることがあった。それは、彼が悪いというわけではなく、私がその正しさに対して自分を見失ってしまたからだ。カブトムシのような自然な美しさとは、無理に完璧を目指すのではなく、自分らしくいることにあるのだろう。どや?

日々の中で、自分を偽らず、本当の自分でいることの難しさを感じることもある。それでも、自分自身を大切にし、自分らしく生きることが、最終的には最も美しい生き方だと信じている。写真に写らない美しさを追求すること、それが私の目指すべき道だ。

 

今日も頑張リンダ。

彼氏が正しすぎて別れたことある

anond:20240531110922

これを読んで昔の彼氏のことを思い出したのでちょっと書く。この増田の話と私の話が同じとか言うつもりはない思い出しの書き散らしだ。

私の元彼優先席でなくても電車でお年寄り子供連れを見つけたら速攻で立って譲るとか、ゲームセンターで取れたぬいぐるみ子供にあげるとか、街中で迷ってるぽい人がいたら声かけて道案内するとか、お年寄り荷物持ってあげるとか、フィクション登場人物か?ってくらい人助けをする人で、それは別にデート中とか関係なく行われる超正しい人であった。そういうところが好きだったんだけど、そういうところが原因で別れた。

ひとつのことが原因というより積み重ねだったのだけれど、一番決定的だったのは彼と私が好きだったキャラクターショップ限定商品を求めて並んだときのことだ。この手の行列にしては短いのかもしれないけど、一時間半くらい外で並んで整理券を手に入れた。一人一枚なので彼と私で二枚。

記載時間までかなり時間があるからどうしようか、って歩いているところで整理券が終了したこと店員に告げられて泣いている子供と慌てている親がいた。正直に言って超嫌な予感がした。案の定彼氏はその場で店員に一枚で親子が入れるか確認したうえで自分の分の整理券を譲った。二人分の個数制限分ほど買わないからこれでいいよね、外で待ってるから俺の欲しいものもお願い、と言われた。

彼氏の行動は今考えても間違ってはいないと思う。一人分の購入制限で欲しいものは足りるのも、子供がメインターゲットに含まれているようなコンテンツだったので、子供を優先する態度を取るのも正しい。

でも綺麗にかわいくラッピングされたりオブジェが置かれた店内を一人で回って、なんで私は今これを一人で見ていて、かわいい素敵だなって彼氏と言い合えていないんだろう?と思った。それを彼氏に伝えた。でも子供優先じゃん。俺が見られなくても、その分あの子たちは楽しんだと思うからよかったよと言われた。喧嘩した。たぶん幻滅された。別れた。

よく女は感情(笑)って言うけど、そうなんだろうなーと思う。結果だけ理性的に見れば、彼氏の行動は超正しい。むしろ利益を生み出している。私たちは欲しいものを全て買うことができた。譲られた親子も欲しいものを買うことができただろう。私が一緒に店内を見たかったとか、買い物がしたかったっていうのは感情の話だ。彼氏にとってその感情他人のために我慢できる範囲であった。皮肉でもなんでもなく素敵な価値観だと思う。

でも私はそうなれないなと思った。テーマパークで一日遊んだあと、足が痛くて疲れてるのに優先席でもない席でお年寄りに席を譲れるほど、美味しそうって事前に言ってたのに後ろの人が食べたがってるからってビュッフェで残り少ないケーキ我慢できるほど、頑張って朝から並んで手に入れた整理券を知らない子供に譲れちゃうほど、他人のために我慢できないのである。それが当たり前だって言えない。

彼氏は当然私にもその飛び抜けた善性を期待するが、私は利己的な人間のため、電車を一本見送ったら座りたいし、自分の順で食べられるものは食べたいし、ゲームセンターで二人でとったぬいぐるみは思い出に持って帰りたかったし、朝から並んだら一緒に店内を見て回りたい。それも伝えたがわかりあえず、私は彼氏の当たり前の基準値の高さについていけなかった。

たぶん人によって他人のためにどこまでリソースを払えるか、損を許容できるかってちがって、それがずば抜けて広い人と私みたいな狭いカスが付き合うと破綻する。

私はおばあちゃんの迎えが来るまで待ちながらイライラしてしまった彼女さんの気持ちがわかってしまう。好きな相手との初めてのデートで、二人で楽しく過ごす時間というリソースがどんどん他人のために払われていくことが辛くて、辛く思ってしま自分の心の狭さを感じてさらに辛くなったのだと思う。私もそうだった。聖人カスは付き合えない。

2024-05-31

育児家事も一人で抱える父親本音

私は三歳の子供を育てていますが、妻は家事育児をあまり行うことができません。もともと不器用な面があり、少しのことで疲れてしまうため、責任感を失ってふさぎ込むことが多いのです。妻は「子供の世話は自分にはできない」と言うので、産後の子供の世話もほとんど私が行ってきました。

夜は、妻を先に寝室に行かせてドアを閉め、私は子供リビングで寝かしつけています子供が寝たら、私も寝室のベッドに移動します。ミルクをあげるのも、夜中の対応も、ほとんど私がやってきました。妻が子供と二人で出かけたことは一度もありませんし、家で妻と子供が二人で留守番することも年に数回しかありません。その際も、私が床屋に行く時やどうしても外せない用事がある時くらいです。

妻はシフト制の仕事をしているため、土日はどちらかあるいは両方が出勤日になることが多く、私は土日に一人で育児をすることが多いです。私は、妻が育児できないため、育児休業を1年と1ヶ月取得して子供の世話をしていました。妻も1年育児休業をとっていましたが、産後の不調が長引いており、基本的に何もしないで過ごしていました。

妻ができるのは洗濯です。子供が1歳になる頃から洗濯をして干して畳んでしまうことができるようになりました。また、保育園リュックに着替えとおむつを入れるのも妻の仕事です。しかし、食事の支度や日用品の買い物はできません。医者によると、妻は鬱状態であるとのことです。とはいえ、同じ鬱状態でも家事育児をこなす人もいるので、少しはできるのではないかと思ってしまます

妻はもともと不器用家事があまり得意ではなく、育児にも自信がありませんでした。子供が欲しかったものの、いざ子供ができると育児ができず、自信を失って他責的な思考に陥りがちです。二人で散歩をしていた頃は楽しく過ごしていましたが、今では責任を持って育児をしない妻をあまり尊敬できなくなってしまいました。

私にとっては子供が最優先なので、子供の世話と家事仕事で手一杯です。そのため、妻に気を使ったり慰めたりする時間や余裕がなくなってきました。たまに、父子家庭の方が楽かなと思うこともありますが、妻が多少は洗濯をしてくれる分、まだ父子家庭よりはマシかなと考えてしまます

ただ、妻も辛い状況にあることは理解しています。私も妻のサポートをしながら、少しずつお互いの負担を減らしていけるように努力していきたいと思います私たちが協力し合って、子供にとって最良の環境提供できるように、日々頑張っていきたいです。

同級生だった男の子が好きだった

同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲーム部活からかいだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。

彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たち卒業してしまった。

卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。

成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然ポーズ自然距離感自然笑顔。この写真わたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。

彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真ほとんどだ。

私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。

戻れるならあの時代に戻ってずっとそこで暮らしたい。

何も要求されず私の欲望けが許されていたあのぬるま湯時代でずっと生きていきたい。

いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。

横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。

2024-05-30

(ChatGPT)以下の冒頭から続く文章を、文体の特徴を揃えて1,000字程度で作成してください。

東京地方のどっちが住みやすいとか、文化資本がどうとか言われても、まったくピンとこない。

自分にとっては、東京ゴミ溜めであり、故郷は雪に埋もれた死体だった。

そんな俺が今、どういうわけか、20歳も年下の彼女結婚している。このこと自体が信じられない。俺の人生において、こんなに若い人間と一緒にいることなんて想像もしていなかった。

彼女、名は美里と言う。都会育ちの美里は、デジタルネイティブ世代で、SNSの使い方が俺とはまるで違う。俺がスマホの使い方に四苦八苦している間に、彼女はインスタで新しいカフェを探し出し、サクッと予約まで済ませてしまう。俺はそれを見て、正直感心することもあれば、呆れてしまうこともある。

「ねぇ、これ見て!また新しいフォロワーが増えたよ!」と美里が嬉しそうにスマホを見せてくるたびに、俺は一瞬、彼女世界についていけないと感じる。そんな時は、世代間のギャップを痛感せざるを得ない。彼女はどんどん前に進んでいるのに、俺はまるで止まったままのような気がする。

そんなある日、俺たちは彼女実家に招かれた。彼女の両親は、初めて会った時から俺たちの年の差について心配しているのが明らかだった。食事の席で、彼女父親が静かに言った。「美里幸せにできるのか?」その問いかけに、俺は一瞬言葉を失ったが、「もちろんです」と答えた。

しかし、心の中では自信がなかった。俺と美里関係が、この世代間のギャップを乗り越えられるのかどうか。それでも、彼女の明るい笑顔と、彼女が俺に対して見せる無邪気な信頼が、俺に少しの勇気を与えてくれる。

ある晩、俺は彼女に尋ねた。「美里、本当にこのままでいいのか?俺たちの年の差、時々不安になるんだ。」すると彼女は笑って、「そんなこと気にしないで。私たち、いいチームじゃない」と言った。その言葉に、俺は救われた気がした。

そして、俺たちは互いに歩み寄る努力を始めた。美里は俺の好きな古い映画を一緒に観て、俺は彼女が教えてくれる最新のトレンドに耳を傾けた。俺たちの間には確かに世代の壁があったが、それを超えるための橋を一つ一つ架けていくことに決めた。

ある日、美里が言った。「あなたといると、なんだか落ち着くの。今までの人生とは全然違うけど、それがすごく新鮮で好き。」その言葉を聞いて、俺は少し照れくさくなりながらも、心の底からしかった。

それからも、俺たちの生活は続いていった。彼女が新しいアプリを教えてくれたり、俺が彼女に昔の音楽を聞かせたり。世代間のギャップは完全には消えなかったが、それを補うための工夫と努力を重ねていくうちに、俺たちの絆は確かに強くなっていった。

最終的に、俺たちは互いの違いを尊重し、補い合うことで、より良い関係を築くことができた。そして、そんな日々が続く中で、俺はふと気づいた。東京ゴミ溜めだとか、故郷死体だとか感じていた俺の心に、少しずつ温かい光が差し込んできていることに。

それは、美里との結婚がもたらした変化だった。俺たちの世代間のギャップを乗り越える過程で、俺自身も変わっていった。そして、そんな俺たちの未来に対して、今は少しずつ希望を持つことができるようになったのだ。

ハッピーエンドそうかもしれない。俺たちはまだ道半ばかもしれないけれど、少なくとも今は、互いに寄り添い、支え合いながら歩んでいく決意がある。それだけで、十分だと思う。

anond:20240530154607

ほんならヴァルハラについて機械翻訳からコピペ

イギリスノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます

西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けていますユービーアイソフト歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg

しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベル歴史研究では、ウィキペディアのような一般的知識サイトは不十分です。

他の歴史家が詳細を知りたい場合は、お気軽にお気軽に。

一般

または、フォーラムの南にあるCandelwic Strætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路パターン:

Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondon Stone(Candelwic StrætのPraetoriumゲート)まで

Wæcelinga Stræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで

Earninga Straete (Ermyn/Ermine street a.k.a.オールドノースロード)は、Wæcelinga Stræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました

ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります

フォーラムの東:

フォーラムの西:

クリップルゲート:

ルンデンウィッチ:

ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。

現代ウェストミンスター(ルンドンウィッチの南)

他のいくつかの観察:

  • 服は歴史的な、間違った色ではありません(青は純粋に黒い衣服と同様に、非常に高価な衣服の色でした)。ほとんど誰もそれらを持っていないだろう。ほとんどの北欧衣装は、茶色、赤、黄色、緑の優勢な色を持っていただろう。かなりカラフルです。彼らはすべて同じ制服を持っているわけではありませんが、Ubisoftがそのように描くことを選んだ理由は明らかです。
  • ノルウェーの季節はすべてめちゃくちゃです。深い冬のように地面に雪がありますが、栄養屋台は新鮮な夏の作物でいっぱいです。昼と夜のサイクルは季節などと一致しません。些細なこと。
  • 襲撃中に奴隷を取ることができない。これはバイキングの襲撃の大きな利益でした。誘拐された奴隷を売り返す。
続きを読む:**イングランドのこの期間に興味がある場合は、ここでさらに読むことができます

科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。

科学者の政治的見解、つまり社会学倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学のもの門外漢のものより価値があると言っているのだ。

言い換えればもし科学者が支配すれば世界もっと良い場所になるだろうというのだ。

しか私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。

そうすると化学者物理学者などが詩人法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。

そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。

だが科学とはいえない問題客観的方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?

そのように考える理由はあまりない。

科学とは何か ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/WhatIsScience/chapter1.html

anond:20240429184400

親族(両親の兄弟姉妹)に障がいを持っていた経験のあるアラサーです。

あなたの言いたいことはよく分かる。

おそらく、おそらくだけれども、昭和中期ごろまでは

知的障碍は多くのコミュニティ嬰児殺の対象とされてきたのではないかと思う。

実際に、優生保護法によって手術は行われていたし、周囲に隠すのも当たり前な時代

今夏出るであろう最高裁判決には注目している。

私の場合当人身体的な部分であったので周囲の介助で何とかなりました。

自分も幼少のころから喜んで介助していました。

昭和前半生まれにしては裕福な家庭だったようで大学まで行って、家業経理担当をしていたそうです。

ただ祖父母の話を聞くに、当人兄弟姉妹たちの縁談では非常に苦労したと語っていたのを思い出します。

自分地域では多少人権意識が進んでいたのか、いわゆる特別学級が隣だったこともあり

当人が生まれた当時、幼少時代を考えると非常に大変な思いをしたのだろうと感じていました。

身体的な障がいに関しては、古くから按摩さんに始まり社会の中で活躍する場があるし用意できるでしょう。

ただ、知的な面においては、勿論憲法規定されているということは理解しているつもりでも

当人の為にも、周囲の為にも、社会の為にもならないのではないか、というのは個人的感情では思います

自分も半出生主義とまではいきませんがパートナーと子作りに消極的なのはそこが大きい気がします。

それを、一家族、一個人に任せていいのか、という思いがあります

行政支援があるとか、そういう話ではないのです。産んだ責任、とされるのが怖いのです。

なぜ子供ガチャを許してくれないのですか。

人権人権人権、って、私たちにも子供普通にコミュニケーションがとらせて下さい。

から私たち子供を産まないと思います

そのくらいの覚悟を持って子供を産めということなのであれば、私の遺伝子はここで途絶えるのがいいのでしょう。

anond:20240529220823

そういう親って脳内改変が大好きだから

「私は〇〇って言われたのが嫌だった」

っていったら

「そんなことはいってない」とかいうし

 

「私は〇〇が1番辛かった」っていったら

「それはあんたが好きでやってたんでしょ」っていうし

 

何なら家族の仲の良さも過去改変して

「お前が文句言い出すまで私たちは仲のいい家族だったのにお前のせいで関係が壊れた」

 

ぐらいまでいう

ワイはいわれたので絶縁したやで

 

あいつらに脳内改変能力すごいわ

まるでこっちが嘘つきみたいな気分になってくる

 

あいつらいまだに改変した妄想の中で暮らしてるんだろうな知らんけど

2024-05-29

「なんで私たちがお嫁になれないんだ」子どもに泣かれた施設職員の苦悩「人生が終わりです」不妊手術強制された女性絶望 “旧優生保護法”巡り最高裁で審理開始

https://news.yahoo.co.jp/articles/50b9aa0df9e87ac93175b8cd555c1169e80f785f

フェミの人はこの人のところにいって「「普通に結婚して、子どもがいて、孫がいて、幸せな家庭。友だちのところに行くと、いつもうらやましいと思う。もう本当に旧優生保護法のことだけで、人生が終わりです。とても残念です」なんて、お仕着せの価値観だ、女性もっと自由だ、と説得したりしないの?

なんで弱者男性ばかりいじめてるの?

言語化に自信がありません。言語化の魅力?

言語化スキル言語化能力を上げるのは難しく身につけることは不可能です。

身につけることは可能です。

頭の中の **もやもや** を言葉にする力のこと

言語化能力は、自己表現問題解決に不可欠です。インターネット上の成功した人々の情報自己肯定感を低下させることもあります自分の望む人生言葉にすることで、私たち自己反省を促進します。AIの台頭により、エンジニアビジネスサイドやマネージャーとのコミュニケーション効率化する必要があります。これは、開発時間圧縮するためのコミュニケーションスキル重要であることを意味します。将来的には、技術力だけでなく、ビジネス側とのコミュニケーション能力を持つ人材が求められます。ChatGPTのようなプロンプト作成スキル需要が高まっており、これも言語化能力の一部です。エンジニアにとって、言語化は常に重要スキルでした。言語化により、複雑な概念プロジェクトを適切に伝え、不明点をスムーズ解決できます言語化価値は増していますが、その重要性は変わりません。言語化能力を向上させるには、実際にアウトプットを通じて訓練することが必要です。経験や考えを書く訓練は時間がかかりますが、それによって言語化能力が向上します。アウトプットが難しい人は、このプロセスに不快感を感じることが多いですが、それは能力が向上している証拠です。言語化能力を測る指標は、実際にアウトプットを通じて訓練することです。

2024-05-28

モテ男性に慣れちゃった

大学でよく話す男子グループがいる

正確に言うとよく話しかけてくる男子グループ

全体的にパッとしない。いかにもな感じの人たち。(ごめんね)

じゃあ話しかけられる私たちは魅力的なのかと言うとそんなこともなく。よくて二軍といったところである

ではなぜ話しかけてくるのかと言うと、おそらく最初に話した時、愛想良くしたのが悪かったんだと思う。

彼らはそれが気に入ってしまったようだ。

でもそんな彼らも目でおったり話題に上げたりするのは、ミスコンかに出ている上位の女の子たちだ。

本来はああいった子たちと仲良くなりたいのだろう。

だが明らかに身分が違うのでしっかりとわきまえている。そこは共感が持てる。

そして、妥協して私たちのところへ来るのだ。

だが悲しいかな、

女性には仲良くなるだけならとモテ男性とも関係を築く事は可能だ。

ある程度身体を許してしまえば、お前らより上位の男たちに相手をしてもらえるのである

要は男女を5段階で分けるとしたら(数字が大きいほど非モテ)1の男が1〜3の女を独占することができるのだ。

から弱者男性妥協してわきまえた上でお近づきになろうとする女も、自分よりずっといい男に慣れてしまっているパターンがある。

なので非モテ男性にはもっと妥協しないと彼女ができないかも。

それも本来はもうちょっとマシな女でも見合うのにそれは上位男の元にあるといった悲しい状況に耐えながらの恋愛

まあそんな恋愛若いうちだけ、ある程度の年齢になると穴モテすらしなくなったアルファオス使用済み中古女が君たちのもとにやってくる。

どうかそれまで虚しい状況に耐えて欲しい。

anond:20240527193342

この問題イスラエルパレスチナ問題と同じだと思っている。

かつて強力な国家であったイスラム国家と虐げられてきたイスラエルは、近代以降の欧米という後ろ盾と自らの軍事力によって形勢逆転したが、今現在でもイスラエル被害者ヅラしてやりたい放題だ。

翻って男女の関係も同様であり、かつて腕力社会的地位で優っていた男性その男性に保護・あるいは虐げられてきた女性が、近代以降の国家人権という後ろ盾、力の不要労働形態によって形勢逆転しつつあるが、今現在私たち男性より不利な状況にある」とする主張を繰り返し、男性権利蹂躙し続けている。

イスラエル問題解決できない事と同様に、本件も解決困難な重大な事象であると皆が認識すべきなのだ

anond:20240528070509

「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」

そもそも、誰かがそう主張すること自体自由です。その主張を議論俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権保障するために1人の人権犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活犠牲にすることによる解決は、少数意見尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見封殺することは非民主的な行いです。

従って、

そんな主張なんか知ったこっちゃねえよとしかならんのだよな

という態度は望ましくありません。意見荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢必要です。もちろん、相手がマサカリ武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権民主主義尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。

差別主義とは何か。それは、社会に、本来存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合しかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナー提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるもの実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇引き起こします。「文化伝統」「宗教信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来信仰の守り手として受益者であるはずの行為宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。

ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。

同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的利益権力を得る、そんな行いだからです。人権民主主義も、この社会構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。

私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分民主的人権尊重する人間であると自負していたとしても、私たち不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか再確認する必要があるでしょう。人権民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。

anond:20240527193342

知ってた。女だけど同性には「私たち大事にしない男などどうなっても知らない」と高笑いできる強さがある。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240527a.html

私たちは作ったリストをもとに、法人代表たちに接触を試みることにしました。まず当たったのは、38戸所有していた福岡市投資会社。この会社ホームページを見ると、晴海フラッグについて「価値上昇を予想し、分譲初期から積極的に参加。安定的投資収益を確保」と記載していました。

「」の中で検索したら会社わかっちゃうじゃん。

福岡会社でもCEOは・・・

anond:20240528113338

まるでテイカーがエサを与えられるのを待ってるひな鳥みたいじゃないですかー!

私たち自分から奪いに行けるんです!

あなた方とは違うんです!

晴海フラッグ、こんな所に住むな!!!!!!(追記)

転売ヤーのせいで人が居ない街晴海フラッグ


晴海フラッグ住民です。

4月からこの街に住み始め、感じた怒りをここに記録する。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240527a.html

この記事を読んであまりに腹が立った。

晴海フラッグ複数応募した奴らは倫理観が欠如している。

私は晴海フラッグのあの激烈な抽選倍率の中運良く当選し、暮らしている者である

抽選に申し込んだ部屋は確か五十倍程度だったと記憶している。それでも私が申し込んだ販売期においては倍率としては中ぐらい程度であった。

かに価格としては割安で一億の部屋が七千万から千万程度で買えるものではあったのだが、それにしてもここまで人気になるほど住みたい人がいるものなのかと驚いた。

それはただ金を持った法人投資家やらが札束を振りかざして応募をしまくっていたと言う訳だった。

何という倫理観の欠如だろうか。

かにルール上、応募に関しては「当選したら購入が出来る範囲件数であれば問題無い」とされていた。

故に投資家不動産屋が、一般個人では到底出来ない数の応募をすること自体ルールに反していない。

しかし、そこで立ち止まって考えてほしかったのだが、それは経済的には正しい行為だろうが、人間として正しい行いだろうか?

晴海に住みたい一般家庭、私のような庶民は一件しか応募出来ないわけである。二件入れて二件とも当たってしまったら生活破綻するのだから当然だ。

そこをすぐ高値転売する前提で、投資家不動産屋が大量に札を入れてきたらまず当たる訳がないのだ。私が買えたのだって奇跡だと思う。

そうして、本当に買って住みたい一般庶民を金の力で押しのけて、手に入れたマンション高値で売り抜けようと必死に今彼等は画策している。

マンション付近には「晴海フラッグ○○円です! 御電話こちらまで」のような、捨て看板が掃いて捨てる程置かれ、それの値段を見ると買値から千万近く乗った金額なわけである

まず捨て看板行為として違法であり何という恥知らずだろうか。当然捨て看板には正式法人名は書かれていない。電話番号も050と明らかに販売主体法人に結びつかないような番号になっている。

本当に欲しくて使いたい人を金の力で押しのけたお前らは、金の亡者である事を自覚しろ

ルールとして出来た事かもしれないが、倫理がある人間はいくらお金があってもこんな事はしない。

そうしてただ金だけがあり、人の気持ちを考える事をしなかった彼等のせいで、どうなったか

街は寂れたのである

晴海フラッグは今ほぼ誰も住んでいない。体感では2割程度しか住民がいない。

私が住む部屋の両隣は空き部屋である。上は住んでいる気配があるが下は分からない。

晴海フラッグを歩くと、マンションの明かりはぽつぽつとしかついていない。

新しくできたららテラスも常に活気が無い。客もまばらで平日夜の飲食店などどこもガラガラである。この近辺では他に飲食店は無いと言うのに。

ららテラスから試験的に運行されていたららぽーと行きの無料シャトルバス廃止となった。乗客が少なかった事が原因だろう。当然だ人が住んでいないのだから

いずれテナント撤退を始めるだろう。そうなれば、晴海フラッグの近くには何もなくなる。本当に何もないのだ。

「まともな」商業施設と言えばららぽーと豊洲であるが、歩いて四十分近くかかる。頼みの綱のららぽーと行きのバスも、上述した通り無くなった。

BRT(使いやすバス)は運行前にこそ増便が叫ばれていたが、実際始まってみればその声は無くなった。当たり前だ人が住んでいないのだから

そして結果二十分に一本しかBRTが無い。どこの地方都市だろうか。

そうしてネット晴海フラッグ検索すれば、賃貸やら売買でとんでもない件数募集されているわけである

全て金の力で庶民を押しのけ、ただ金が欲しいと言う感情だけで買った転売ヤー達の物件である

そしてどれも呆れる程高い。

お前らの物件に人が住んだり、買うわけないだろ。だってお前らのせいでゴーストタウンになっている訳なのだから晴海の魅力をお前らが消している訳だから

こうして晴海フラッグは活気が無い、人の居ないゴーストタウンになった。

転売ヤーに対抗する一つの方法

さて、こうして街を一つ殺した転売ヤー達、こいつらにこれからでも対抗、天罰を与える方法はある。

それはこの街に住まない事である

賃貸も売買も街が死んでいる以上全て割高なのだからそもそも住むべきではないが。

彼等は高値での転売を目論んでいる。当然高値で買わなければその目論見は潰せる。

賃貸で出しているのは恐らく、税金対策だとかそんな所だと思うが、それも賃貸で借りなければ彼等の目論見は潰せる。

もし長期的にこの物件を空のまま持つ事になれば、バカ高い管理費修繕積立金など(月十万近くする)で、彼等を大損させる事が出来る。

そうなれば彼等は安値でも売らざるを得ない。彼等は利益を求め晴海フラッグを買い漁ったのだから、買い手が付かなければどこかで諦めなくてはならなくなる。彼等の中には融資を受けて買っている者も少なくないだろう。管理費に加え金利も損失として膨らませる事が出来る。

そう、奴らに対抗すべく、買わない、借りない、つまりこの街に住まない。これをやるべきなのである

じきに、彼等はギブアップをし始め、物件は売出し当初の価格一般庶民でも住めるような価格へと戻るだろう。

住むな!!!!!

まり晴海フラッグ、こんな所に住むな!!!!!

そうすれば1020年後ぐらいには住みやすい街になってるかもね。

追記

売って引っ越したら?と心配コメントをいただくが特に売るつもりは無い。今もそして将来もだ。

そしてもし仮に今売ったとしても、実は税金面(個人不動産短期譲渡をすると40%の課税がされるし、取得に関する税金も払っている)や仲介手数料短期返済違約金で、利益の大半が失われるからだ。

それに晴海フラッグを売ったところで次にどこへ引っ越せば良いという話であるマンションはすでにバカ高くなっている。

家族だっている。そんな気軽に引越は出来ないのだ。

最初から転売するつもりのカス転売ヤーには無い問題が私達住民にはある。奴らは法人で買っていたり、賃貸で5年持つことで税金面の問題回避し、実際に住まないのだから次の物件についてや家族について考える必要も無い。

そしてそいつらのせいで私たち住民は割を食っている。街の発展性が失われている。このままでは街が寂れ完全に死に絶えるかもしれない。

ならば死なば諸共だ。

anond:20240528101238

政治資金パーティー悪用し続けてたのがバレたのでめちゃくちゃ怒られてるけど禁止されるまではパーティー続けます」の自民党擁護するけど

パーティー悪用するアホがいるか全面禁止しないといけないけどそのアホがパーティーを続けてるので私たちも続けざるを得ない(もちろん悪用はしないよ)」の立民は批判ちゃう

私が反ワクや地球平面論者を馬鹿にできない理由

ワクチン効果否定する「反ワクチン」の人々や、地球が平面だと主張する「地球平面論者」は、科学的な常識を知らないとして馬鹿にされている。

私は反ワクチンでも地球平面論者でもないが、彼らのことを馬鹿にする気にはなれない。

なぜなら、私たちが知っている一般常識は、先人たちが発見した、現時点でおそらく正しいと思われている事実にすぎないからだ。

一般常識には、先人たちが発見し、その知見が多くの人に知られた結果常識になったものが多い。知見の発見は一部の賢人の功績であって、他の人はその恩恵に与っているだけだ。

私は今までの生活ワクチン効果について実験したことはないし、地球が球体であることを確認したこともない。(地平線は丸みを帯びて見えるが、球体かどうかまでは分からない。)

自ら実証せず、盲目的に常識を信じているだけの状況なので、「その常識は正しいのか?」と問われても「正しいと聞いたから正しいと思う」としか答えられない。

また、常識と言われていることも、必ずしも正しいとは限らない。あくまで、ある時点で最も正しそうに見えるもの常識といわれているだけである

水銀不老不死の薬として飲んだ中国皇帝天動説を信じた中世ヨーロッパの人々は、おそらくそれが最も正しいと思ったのだろう。私たちが正しいと信じているワクチン接種も、もしかしたら未来世界では有害性が指摘されているかもしれない。ある時代常識が、後の時代否定されることもある。

私は一般常識を信じている側の人間だが、常識を聞いたことがあるだけで自分実証したわけではないし、その常識が正しいとも言い切れない。「自分科学という権威盲目的に受け入れているだけの凡人だ」という自覚があるので、自分一般常識を信じていない人よりも優れているとは思えず、彼らを馬鹿にする気にはなれない。

宮城県仙台市宿泊税に反対する理由

ティーポット@減税会

@libre_y0ssy

5月24日

ちょっと真面目な話をすると、宿泊税って小さく見える人もいるかもしれないけど、これは役所権限を拡大する自動装置であって、目的なんて後からつけるということの一形態なんですよね。

最も悲惨な例が先の大戦。聞かれるたびに戦争目的が代わっていった。

草香(くさか)潤一@みやぎ減税会

@kusaka_j1

仙台市宿泊税導入、最後検討会議事録で岩松委員(岩松旅館経営者@作並温泉)の発言です。的を射ていると思います

午後3:43 · 2024年5月25日

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https://x.com/kusaka_j1/status/1794257945389395969

ティーポット@減税会

@libre_y0ssy

5月25日

この発言はすごく重いですね。ちゃん記憶しておかないといけませんね。議員さんに話をする時も紹介してみます

https://x.com/libre_y0ssy/status/1794258531379777710

草香(くさか)潤一@みやぎ減税会

@kusaka_j1

5月25日

宮城県仙台市で税収を分け合う算段をしています。今後県議会市議会がどうするのか…できるだけ調べたいと思います。私はこの岩松さんと面識ありませんが、高校同級生なのです。接点取ってみたいなと思います

https://x.com/kusaka_j1/status/1794260389959750075

岩松委員

今日最後だということを先ほど聞って驚いている。あと5~6回やれば0円にできると期待して今日も臨んだが、残念ながら今日最後という事である事務局にも後でも構わないのでお答えいただきたいのが、第7回までは300円に徹していたのが、なぜ第8回で200円になったのか、理由がわかりません。それから入湯税の使途明細についても、前回吉田会長から岩松さんが胸をはって徴収できるような資料を準備していただくようにお願いしたい」とお話いただいたが、何ら説明資料はいただいていない。

 さて、トラウマが非常にある。2011年4月上旬作並温泉旅館組合の森脇組合長他数名で、仙台市本庁舎裏の水道局レベル内の経済局長をお訪ねした。

 松島町にならって、入湯税の当分の間の免除をお願いしたいと申し上げたが、「経済局の手を離れており税務当局問題なので、自分たちには何もできない」との答えだった。

 その間、私たち暖房も切って震えながら作業して、お客様がお出になったときだけ暖房をつけるようにしてやっていたのに、経済局はぬくぬく暖房ガンガン効いており、職員パソコングラフ一生懸命作っていた。我々は死ぬ覚悟で訪ねていったがそういう状態であった。

 宿泊事業者徴収義務者とする新税が導入されれば、そしてそれが定着すれば、同じような扱いになるのではないか文化観光局は知りませんが、税務当局からそちらにいってくれとなってしまうのではないか

 使い道に関しても、入湯税もそうだが、どんどん拡大解釈され、すなわち、交流人口拡大のため、来仙者の利便向上のため、といったように曖昧になって、旧来の観光地の振興という事からどんどん離れていくでしょう。

 例えば、旧商店街アーケードを造り替えようとか、国分町交番に隣接した公園トイレ改修工事をしようとか、そういったことに使われてしまうのです。我々のところには一切こない。選挙人の多い地域バックアップに費やすだけで、我々のような過疎地は取り残されて、雲霧消散となって、不公平に扱われてしまうのではないか

 加えて、観光公害も無く、従前の年間15億円の観光費を検証もしない中、インバウンドも含めてあるが、それ入湯税の総括もない中、新しい税の導入は時期尚早であり、全く反対である記載のてある施策も非常に抽象的で全く具体的なものは見えない。こんな様なやり取りの中で、新税がごり押しするのでは無く、奈良時代から脈々と湯治文化をつないで来た先人たちに大変申し訳なく、私が絶対反対だと表明してきたことを含めの議事録、並びに市政だよりに記載してほしい。私はこれを冥途の土産として持ってまいりたい。

 このような目的がはっきりせず、なんの働きも実績もなく存在する異議が全くない社会活動家かいう連中だけがもうかる税金公明党創価学会はたくさん作っています

 国民はこのように搾取され、いくら反対しても全く無視されます

2024-05-27

AIに見るSNS運動家排他性と矛盾

 個人的には、ディープフェイク等の問題からAI規制は当たり前だと思っているが、SNS(X)を中心とした反AI運動は何か気持ち悪いものを感じて近寄れない。

 この感じは何なんだろうと考えていたが、どうやらそもそも彼らは「連帯」という言葉意味理解していない、あるいは歪めているのだと気がついた。

 

連帯とは、敵の敵であること以上のことではない

 連帯とは何か。

 例えば反AI運動なら、「私は著作権問題AI規制を求めたい」「私はディープフェイ問題AI規制を求めたい」「私たち両方に利益のある規制を求めて協力していこう」とこういう会話ができることである

 まかり間違っても、「ディープフェイクを理由AI問題視しているなら、同じように著作権問題にも注意を払わなければいけない」などと迫ることではない。

 ある問題問題視される理路は一つではなく、それはどれかひとつが正しいというものでもなければ、ひとつが正しければ他のすべてが正しいというものでも、そうでなければいけないというものでもない。

 連帯するということはその多様な問題点を問題視するそれぞれが、同じ対象問題を感じているという一点だけで協力することであって、わざわざ邪魔をするようなことはあってはならないが、互いに必要以上に理解を求めあうものでもない。

 

クリエイター」への同情ありきな奇妙さ

 しかしどうも、Xの反AI運動に熱心な、「クリエイター意識が強い面々は、そういうことがわかっていないように思える。

 彼らは「著作権問題は正直どうでもいいけど、AI規制必要だよね」という意見の人を最初から想像もしてないように見えるし、たぶんそれを認めさせようとすれば反発すらしそうな気配がある。協力しようなんて気はさらさらないだろう。

 というより、彼らにとって「協力」「連帯」とは、「クリエイター」の悲惨境遇を認め、共感あるいは畏敬の念をもって憤怒の情にかられることであって、「クリエイター」に全く同情的でないがAIには問題を感じるなどという意見を持つのはその方がおかしい、矛盾してるくらいに感じているのだろう。

 つまり、彼らにとっては運動ということが敵とやりあうためにクレバーに立ち回ることではなく、とにかく自分立場の支持者を増やすことにすり替えられてしまっているのだ。

 

SNS運動一般に見られる類似性

 そうやって考えてみると、SNS運動家には一般にこの性質が見られる。

 「フェミ問題があると思うなら日本女尊男卑だとも認めろ!」

 とか

 「表現の自由戦士問題があると思うならオタク文化全否定しろ!」

 とか。

 通常の人が通常の範囲問題があると思うものに声をあげるために、それ以上の過激立場でいることを何故か強制されるのだ。

 「いや、そこまでは言うつもりはないんだが…」と躊躇していると、「だったら黙ってろ」と言われてしまう。

 これって何か、「連帯の輪を広げる」という建前からはどこまでも離れたものになっている感がある。

 

結局彼らは何を求めているのか?

 独断偏見でこういった排他性の心理分析するなら、やはりそもそも彼らの望むもの問題解決とか、合理的な利害の処理というところにはないのだろうと考えざるを得ない。

 では何を求めているのか。

 結局、それはSNSというサービス本来目的のものなんだろう。

 つまり友達がほしいだけなのだ

 友達というとちょっといかもしれない。

 どちらかというと、そこまで極端な自分の主張を肯定してくれる、真の仲間、くらいのすごいものを求めているのだ。

 そうでもなければ、些細な違いに目をつぶりつつ、なあなあで連帯することにあそこまで目くじらたてて拒否反応は示さないだろう。

 彼らは、敵を設定することで、敵の敵は味方理論自分理解してくれる人を増やそうとしている、というのが本当のところなのだろう。

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