はてなキーワード: 能力とは
そういう話聞くとさ
身近な人のささやかな幸せも叶えられない奴が聖人なのかなって思うよ
自分がいい人やってるだけだよね
自分の能力以上のことをやろうとして、全ての人を幸せにはできないから
増田が悪いって所に落ち着かせる結末になってるわけじゃん
自分が「子供に譲らなかった」とか、そういう状況が耐えられないから
それを許す人が聖人なのかね、そんなに素晴らしいのか?
なんか違くね?っていつも思う
「全ての人が同じ利益を得られない」「欲しい人全員には配れない」
当たり前じゃんそんなの。この世界は誰かが割を食うんだわ。
哲学的に考えて、人間が認識できるのは、ものか概念のどちらかであるから、あまりにも高度なところにあるものであって、専門技術的に作ったものの場合、認識しようとする側に
そのもの全体を認識する能力がなければ、自然科学上当然に、そのものを認識することができないと解するのが相当である。人工知能の最先端のものは、Sicamoreという、
電気配線を連結させた超高速計算機だけが雑誌に公開されており、それ以外の装置は、どこに存在するかすら公開されていないのであるから、一般人がその存在場所を知る余地は
ない。また、仮に認識できたとしても、その意欲がなく、当人の行動上、見たくないから認識しないで行動しているとすれば、その行動中に、当人が、お前が理解しているものを理解しないで
行動している可能性は十分に存するというべきである。例えば、部屋から出て自転車に乗り、遠くの場所に言っている場合、当人は、その日のうちに食べたもののカロリーを消費したいがために、
自転車にまたがり、遠くにいったついでに、そこで遊んでいるだけかもしれない。しかし、当人が、その日のうちに食べたもののカロリーを消費するために、今から着替えて、駐輪場に設置した
大好きな自転車を車道に押し出し、それから乗車してこぎ出し、自転車並みの速度で北上しているときに、単に運動に出ているという認識で北上しているだけであろう。そして、その最中に
風景に入ってくるものに関しても、あまりにも高度に作っているので理解できないか、興味がないために、走行中に、無視しているかもしれないし、舟渡2丁目の場合、一定の場所に、志村署の
turanukimaru いや美術館が無ければ美術館に行く文化も作れないので「文化を享受できる環境・子に文化を享受させる親の文化」は文化資本なんだが。みんな美術館(物理的な資本)の話じゃなくて美術館に行ける東京の話してるだろ。
tick2tack オックスフォードの社会学辞典みるに文化資産へのアクセスが含まれる https://t.ly/xdJLQ 美術館へのアクセス能力が文化資本だという認識で問題ないと思う。
実家が太いとか、親ガチャとか、何かと自分の能力以外のどうしようもない要因のせいにして、自分から挑戦し続けることを諦めることこそが最大の不幸なのに、世の中は環境が全て的な諦め言説ばかりなのがクソよね
そうなんだ
はぐれ老人に話しかけられた事ある。なんか異常だったんだよな、帰ろうとして道を聞いている風なのは分かるんだが、何言ってるかわからなかったし、何をしようとしてるかもわからなかった。
自分が何なのか分かってない感じがあった。あーボケとんなこれ、はぐれた感じがあるな、と思って家の連絡先を聞いたが覚えていない。
その人はポケットからゴミとせんべいと一緒に電話番号出してきたからなんとかなったけど。
お婆ちゃんが詐欺師だったらどうするの?たぶんお人よしと考えてるのはあなた本人だけで、側から見ると平和ボケしてるというか、社会で生きていく能力が低そうだと感じた
そういうのを是とする価値観こそがってことでしょ。
個人の趣向や行動さえもっていう
(能力評価であるはずの学歴がしかし序列・学閥化するような難点が、「文化資本」がネガティブに評される理由かも。
地方の大学に行く程度の能力しかないのに卒業後はまた東京に帰ってこようとするんだぜ
あげくド底辺に生きてネットで愚痴と文句をばら撒いてネトウヨになって死んでくんだ
可哀想だよね
現代は金や競争や能力にフォーカスしてきたような人間以外まるっと憂き目に遭っていて、
異常な事態の異常性をただ嘆き散らかすか「自分」を切り捨ててあちら側に就くかの
実質二択を迫られているように感じる。
オタク文化とメイドとかガールズバーとか駆逐して工場建てるべき
ビジネス区画で設計して、3Dプリンターとかで出力、電子パーツはそのへんで買ってくる
工場にデータ持ち込んで試作を重ね、同じ工場にそのまま課金して量産化
結局、日本でイノベーションが生まれないのは、技術者とかイノベーターのせいではなくて、
警察官自体はその装備しているものからして、無線と拳銃を有し、更に柔道で鍛えている場合もあるから、それらを使用すればあらゆる犯罪事象に対して間違いなく対処できるように準備
していることが明らかである。最近の若者が言語による説得をきかず、それでも接近してくる場合がほとんどであるが、その場合は、殴る、投げる、相手が、凶器をもってきている場合は、
脚などに拳銃を撃ってその威勢を殺ぐことも予定されている。よって、巡査、巡査部長、警部補などが、あらかじめ最強であって、どのような犯人に対しても、完全、完璧に対処できる手段を
装備していることが明らかである。 精神遅滞の若者だけでなく、高齢者、中年などの大人にあっても、結局は、巡査が完全、完璧な能力や手段を有していることが分かっているため、
近づかないことが明らかである。 警察官による言語の説得がどのようなものであるかは分からないが、いわゆる話せばわかる式の考えとか、説得話術といったたぐいのものである。しかし、
最近の東京都民には理性がない者が多いから、説得術や話せばわかる式の言語技術が通用しない場合が多い。そのような場合は結局、投げられるか、撃たれるかということになり、
東京に潜伏している相当数の者も、投げられるか、撃たれるか、ということを想定しているため、巡査に接近しないものと思われる。
いや、おれも知らん。
文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。
wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC)
フランスの社会学者ピエール・ブルデュー,P.(Pierre Bourdieu, P.)とジャン=クロード・パスロン,J-C.(Jean-Claude Passeron, J-C.)が考案した概念で,人間の知識技能を資本として捉えたゲーリー・ベッカー,G.S.(Gary S. Becker, G.S.)の人的資本概念を文化領域に拡張し,貨幣や財の経済的側面のみならず,教育や文化の面において財が相続・生産・蓄積・投資される過程を説明する。文化資本は言葉遣いや立居振る舞いなどの身体化された様態,書物・絵画などの文化財所有による客体化された様態,学歴・資格によって制度化された様態からなり,それらを教育や就職など,経済的には「市場」となりうる「場=界(champ)」に投資することで,再生産戦略を可能にする物質的・象徴的な利益を引き出す。それは幼少期の家庭から相続継承され,学校教育を通じて中立的な能力証明へと変換され,社会的な地位や権力の再生産に結びつく。この概念によって,一見利害関係なく実践される文化慣習行動を,貨幣経済より広範な「象徴交換の経済」に取り込んで分析することが目指される。
コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC-377212)
小難しいがようするに、
という前提があって、
・金だけでなく、文化的素養や学歴、スキルなどの見えない資産も子に受け継いでいるんだ!
ということなんだな。
で、その受け継ぐ過程で使われる個人的資産(=投資のもとになるもの=資本)を文化資本というらしい。
てことは、美術館それ自体は文化資本ではないやんけ!(個人資産じゃないから)
おいおい、「文化資本」という言葉もまた、はてなーたちの反知性主義によって意味が捻じ曲げられているじゃないか。
「なんか語感がかっこいいから、意味はよくわからんけど使ってみました」じゃねーんだよ。
美術館そのものではなく、「親が美術館によく行く習慣がある」とか、そういう「家のなか」の話なんだよ、文化資本てのは。
しかも資産や社会的地位の再生産に結びついていることが前提なのであって
庶民が「お、、おれはモネの展覧会とかよく行くし?」とか「いやー、声優の舞台挨拶が家から近くていいっすわ!」とかホクホクしてるのは文化資本じゃないんだよ。単なるエンタメ消費だそれは。アホか。
「親父が社長やってたんで、起業は自分にとって自然な選択肢でしたね」ってやつだよ。
あれこそ文化資本だよな。
・・・と、こうやって知らない言葉の意味の確認すら行わない、知的誠実さ皆無のお前らが親からたいした文化資本を受け継いでいないのは明白。
地方民は「美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」とかなんとか自慢してるスノッブどもを見下していいぞ。
・適当に調べたり考えたりしてみる感じ、居住地域に美術館だとかいい学校があるだとかは社会資本の話な気がするわ
・文化資本て、「親の語彙の豊富さ」とか「親同士の会話の知的水準の高さ」とか「親が教育資格を保有していて、知的水準の高いフィードバックが日常的に得られる」とか、「社会的地位の高いオトナとの会話機会の豊富さ」とか、そういうものなんじゃねーかな
・「文化資本の定義を都市や地域に援用」とか言ってるやつ、文化資本て社会階層の再生産を説明するロジックで生まれた言葉らしいから、「都民=殿上人、地方民=下層民!」的な東京の選民思想を前提に生きてるってことになると思うんだが、大丈夫そ?
・つーか、東京のなかでも当然ながら格差や階層があるわけで、そのなかでざっくり「もとの定義は家の話だけどぉ、都市に援用すればぁ」っつってるやつは、東京の内側で生まれている格差にはどう説明をつけるんだ?東京にいるだけで文化資本の恩恵を享受できるなら、東京の内側の社会格差はその他の地域と比べて小さくないといけないはずだろう。まずはそれを示してくれ
・いい学校とか文化施設へのアクセスを高めるために東京に住む、はたしかに「その判断能力があったり意思決定をする家庭である」という意味で文化資本があるといえそう。ただ、その意思決定の内実が本当にそうなのか?というのは問いたいところではあるな。なんとなく東京で就職したとか、職場が東京だからそのまま住んでますとか、そっちが主要因なやつも多いんじゃないの?
・いくつかブコメ読んで、格差を批判する文脈でなら都市間に援用してもいい気がしてきたが・・・仮に「都市の文化資本」という概念が成り立つ場合、以下が疑問。詳しい人おしえて
1.文化資本の枠組みだけで考えると、いい学校、いい美術館などは「客体化された形態の文化資本」に分類されるはずだが、そもそもこれらは社会資本ではないか?どう整理するのか?「ハビトゥスを形成しやすい環境が東京の文化資本」と言ってるやつもいるが、わざわざ"援用"せずとも「東京は社会資本が充実してますなー」で済むんじゃないか?
2.もとの定義に照らすかぎり、文化資本=経済的な格差・階層の再生産に結びつくものなので、「他地域よりも東京を経済的・社会的に特権的地位たらしめている、東京に特異的な文化慣習行動」が「東京の文化資本」ということになる。それってなに?そんなんある?
3.ここまで考えて、いわゆる「ユダヤの商法(ほんとにあるのかしらんが)」はユダヤ人の文化資本といえそう、つまり都市という地理的な要素よりは特定の価値観を共有する集団内においてなら、文化資本という概念は家を超えて援用できそうと思ったんだけど、どうなん?
太陽光パネルも不正ダンピングも含めて、日本は韓国に負けて、韓国は中国に負けたけど、量産の力が圧倒的だな
数億円、数千万する機器を数百万、数十万レベルに下げるのがうまい
クルマとか、好景気、高度経済成長期のときに立ち上げたものを維持することはできてるけど、国が入ると駄目だったり、原発の運用とか杜撰だしな
勤労というより怠け者になってる、無駄なところで全力疾走してない?という感じ
中国はこれから電磁カタパルト式で原子力空母を作る方向に向かうのだろう、着実にアメリカに近付いてる
やたらに領空侵犯で中国の無人機がニュースに出るけど、日本の自衛隊はアメリカから無人機貸与されたり、ロボット貸与されてはしゃいでるレベル
原発事故のときも、アメリカのロボット導入するまで、日本のロボットは役に立たなかった
あれから十年以上経っても、まだイノベーションとかニュースで言ってる
仮に日本で0→1が起こせたとしても、1→10000みたいなことはきっとできるようにならない
深センのような、研究開発から量産までを実現する水平統合型の環境の都市とか多分この国は永遠に作れないと思う
イノベーションが起こせても、そこから大量に量産することにスムーズに移行できないのだから、日本は益々ソフトウェア産業になると思う
そして、消去法でソフトウェア産業を選ぶことで、結果的にハードウェアに益々弱い国になるのだろう
日本でハードウェア産業は、基本的に自動車メーカーのような企業が主導でしか起こせない
そこからイノベーションが起こるか、もしくは海外のイノベーションを遅れてパクるしかなくなる
しかし、パクってリバースエンジニアリングして量産する能力が中国に勝てるようにも思えない