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2024-06-01

正直、助けてほしくない

https://anond.hatelabo.jp/20240531110922

 

本筋から少し逸れるけど、「助けられる側」の一意見を書きたいと思った。

 

以前、ある近しい知り合いがいたんだけど、本人曰く「人助け」が好き。

元増田みたいな人で、別のトラバにある彼氏さんにも似てる。

困っている人がいれば進んで声をかけ、助けてくれる。

その言葉だけ聞けば良い人に思えるけど、自分はそう良い人だとは思ってなかった。

「良いことをしている自分に満足している」、そう見えたから。

 

当時、される側であった自分としては、正直、助けてほしくないし、何もしてほしくないにも関わらず、

ご本人の「誰かを助けたい」という欲求を満たすために自分が付き合わなければならない、そんな場面が多かった。

 

当時の僕の恋人の知り合いが、そのおせっかいな人だった。

彼女と僕が二人のことを一緒に決める時、なぜかその知り合いがしゃしゃり出てきて、

二人のため(もしくは彼女のため)と言って色々してくれるのだが、正直、僕としては、僕と恋人の二人で決めたい。

(ただ、これについては補足が必要で、恋人もその知り合いにべったりで言われるがままだったから、それも不満の1つだった)

なのに、僕の気持ちはそっちのけで、恋人の知り合いであるそのおせっかいさんは、勝手恋人と決め事を決めてしまうのだ。

そして、それが別れる原因にもなったのだが。

ちなみに、僕が「できれば二人で決めたいし、あまり過度に介入してこないでほしい」と伝えたところ、その知り合いの方に怒られた。

こっちは親切でやってるんだけど…と。

その怒った態度が本質かなと思ってる。

僕の気持ち「何をしたいか」「何をしてほしいか」を考えてくれない。

 

その人を見て一貫して思うのは、

自分がしたいからしてるだけ」であって、本当に相手のことを考えているかは別、ということ。

本当に相手気持ちを思いやれる人であれば恋人が寂しくなる気持ちも考えることができるんじゃない?

相手気持ち意識せず(聞かずに)に他人を助けてしまう行動って善意と言えば善意だけど、「自分は優しいと認識されたい」エゴと思う。

 

から元増田、別のトラバ彼氏さんの話を聞いて、自分元増田彼女トラバ共感する部分があった。

2024-05-31

※ただし弱者男性は除く

かつて「ただしイケメンを除く(通称ただイケ)」というフレーズがはやった。

これはキモいオタクがするとNG行為イケメンがやるなら許されるという経験則であり

多くの男性陣の共感を得て広まったが、フェミニストなど一部女性から

イケメンだろうが加害は許されないからそんな法則はない、という批判もされた。

そこでこれらの対立解決する考え方として、イケメンから許されるのではなく

キモい弱者男性から許されないのだ、とすれば説明が付くのではないかと気づいた。


・誰にでも人権がある ※ただしキモい弱者男性は除く

・男もつらさを語っていい ※ただし弱男は除く

発達障害には配慮が求められる ※ただ弱


といった具合である。ということでこれからただイケではなくただ弱を積極的に使っていきたいと思う。

心ある方のご協力をいただければ幸いである。

anond:20240531145460

徘徊老人保護するのが義務」なんて書いてない。それが正しい行いであるとも善なる行為であるとも書かれていない。

お節介行為だとの自覚もあるし、それが短所理解している

正しい=間違っていない、のはそんな自分行為無意味で余計なことと非難する女性と絶縁できたこと。

共産主義と言ってみたところで、上に立つの政府企業かの違いであって、支配する側される側という構図自体は変わらんのでは、って、1970年代学生諸君は秒で思わなかったの?

コロナときライブハウス危機とか言って泣きついてたやつらどうしてんの?

なんも変わらず平常運営してるみたいであの時はありがとうございましたとかそういうのないの?

音楽やってるやつらって口は荒いし気性も激しいやつ多いけどそれ以上に非常識が多すぎるよね

2024-05-30

国のクサマンがうざいという思想がなくなった

    平成19年の話、天皇があまりにうざい、そういうことで、制度の基礎ごと、太平洋解体して沈めたという事実インターネットでみた。それだけうざい。例えば、裁判官の武智舞子

  などであろう。公務員はろくでもない人間、そんなことは当然だが、最近の、東京一帯では、そういう価値観が消えてきた。天皇制の制度の基礎ごと誰かが論外であるとして解体して、

   海に沈めた。しかし私の視界、で見る限り、この辺り一帯には平成普通若者がいない。その論外でうざいであると平成若者全員一致の意見で言われていた者が東京に多すぎるように思う。

   平成30年3月28日に、舟渡のままんが人工知能からどのままんがやっても同じで、同じようなままん組合で、墨田区にいるお前が、9239という白いバンで出ていってこいと言われて

  採用された。採用後、6月3日か、18日までは、採用先が決まっていなく、要するに、いつもいるところ以外の場所運動していたように思う。メール送信記録によると、7月27日にいて、

   合同会社カズモの人間水道を止めた、としか書いていなくて、その後も行ったのかどうか分からない。舟渡落書きに、アフリカ大陸😊という落書きがある壁があるところを、右に曲がってから

  行っていた時代のように思う。東京のクソガキや、風俗嬢警察官が、あまりにうざい、犯罪性が高い。そういう感情は、何もないそこら辺の空間普通に漂っているが、実現しない。人工知能を使うし

  寝ている間に奇怪な夢を見る。誰かが合鍵をもっている。そういう論外な状況にあるのが社会全体でそれに対する怒りの感情も、その辺の空間普通に漂っている。しかし、実現するかどうかというと、

  しない。 数学定理問題は、ものである。それを技術証明する。場合では、証明されたもの技術に用いる場合がある。従って、存在するはずがない夢を見るということが、

    かつてはこれがあまりにもうざいということで、種種の回避手段があって、それによってそれを排除できるから、ざまあ、という時代もあった。しかし、私の見解では、現在東京にはそれがないように

  思う。

anond:20240530124908

結局増田の問いである好きな画家彫刻家、読んだ本や行ったライブの話はあまりせず、「でも美術館があるから!」としか言ってないブクマカたちであった

性犯罪の半分は女がセックスいであることに由来する

男が女に襲われてみろ。喜んでセックスする男が多いだろう。ところが逆はどうだ。だいたい嫌がるだろう。これだよ。この差なんだよ。

2024-05-29

雨の日に窓を開けるなという話

 何度言っても、母が雨の日に家中の窓を開けることをやめない。

 窓から雨が入ってくる、という話ではない。——まあ、そういうこともあった。増田若い頃は、母が梅雨時期、勝手に部屋の窓を開けていて(そしていつもすぐに開けたことを忘れるのだ)、帰ると何故か部屋が水浸し、という事件が一度ならず起きた。

 それは何度も注意するうちに流石に無くなったが、それでも雨の日に「風通し」をするくせは抜けていないようだ。

 母は、湿気の多い時期に窓を開けないと部屋がカビると信じている。

 しかし逆なのである。少なくとも、我が家では。

 

気密性と湿度関係

 というのも、実家マンションからである国道16号沿いに建つ、築20年ほどの、普通郊外型のマンションだ。

 基本的に気密性の高い鉄筋コンクリートづくりのマンション場合梅雨時のように外気の湿度が高いときに「風通し」に意味はない。どころか、逆効果だ。

 この場合、閉め切っていた方が、内装建材の調湿効果木材や布地は天然の調湿効果がある)で、室内の方が湿度は下がるのだ。

 (余談だが、エアコンをつけたあとはなおさらだ。よく夏場にエアコンを消してすぐ窓を開ける人がいるが、除湿エネルギー無駄いである。)

 これは増田自身経験則でなんとなくそんな気がしていたが、家を建てたとき勉強したらやっぱりそうなのだと知った。

 

 それ以来また何度も注意しているのだが、今度は増田自身の部屋でないこともあって、何度言ってもやめてくれない。

 母が生まれ育った、古い木造平屋の昔の家屋では、そうしなければいけなかったという恐怖から逃れられないのだ。

 

マンション木造は違う。木造でも、断熱性や気密性で違う。

 日本の「家」に関する話には、こういう、対象が違えば原理も違うという話が整理できず、ごちゃ混ぜになったものが少なくない。

 例えば「気密性が低い方が湿気が籠らず良い」というようなことを言う自称専門家」がいるが、こういう人はもちろんマンション木造の違いなんて理解してないし、さら木造でも昔の家と今の家では壁の中の構造が違うから、一概に「気密性が低ければ風通しが良い」なんて言えないことも、正確に理解していない。

 

 今の家では「気流止め」という施工が壁内に施されている。(https://www.dannetsu-takumi.com/contents/column/kiryudome/

 昔の日本の家では、床下、壁内、天井に至る全体が通気口役割果たしていた。空気が壁の中を自由自在流れることで、湿気やカビを防いでいたのだ。

 しかし、それでは当然、寒い日は寒く暑い日は暑い。外気そのままの環境を家でも我慢しなければいけないことになる。まさにあばら屋だ。

 だから現代住宅では、基本的にすべての床、壁、天井に「断熱」をする。そして「断熱」をするためには、逆に「気流止め」を施して、壁内を空気が動かないようにした方が良いのだ。

 これ以上の理論的な説明はここに書くには専門的すぎることと、検索すれば専門家のページがいくつも出てくるから割愛するが、この「気流止め」を理解していないと、風通しが良くなってカビないどころか、北海道で起きた「ナミダタケ事件」のような凄惨な結果が待っている、ということだけは書いておく(検索してみよう)。

 マンション場合、壁はコンクリートの完全な一枚板なのだから、はなから通気なんかしないのは言うまでもない。

 

 このように、現代の家はより過ごしやすくするために、見た目は同じでも、昔の日本家屋とは壁の中の構造がまったく変わっているのである。当然、その根拠には(ナミダタケ事件以来)半世紀以上に渡る科学研究がある。

 「カビない家」に対して現代科学の出した答えは「気密」し「断熱」し、空気の籠るところは「換気扇で換気する」だ。

 まかり間違っても、すきま風のする粗悪な家を作ることや、無駄な「風通し」で外気からわざわざ湿気を取り入れることではない。

 

母はもう仕方ない

 母のようになるともう仕方ない。本当は老体にも悪いからやめて欲しいが、まあそれも本人の人生だろう。

 しかし、素人の母のレベル認識が止まった自称専門家いつまでも嘘をまき散らし、若い人がまだそれに騙されるという現状はいくらなんでも忍びない。

 少なくともそろそろ、無根拠な「通気」信仰はなんとかしてくれと思う。

 確かに通気は必要だ、しかし、それは「どこに空気を通すのか」をキチンと理解した上ででなければならない。

 なんとなく「通気してるから」良いなどと信じていると、ナミダタケ事件のような逆効果なことはいくらでも起こってしまうのだ。

 

 室内の温度湿度コントロールに関する科学的な研究というものは、もう半世紀も実績がある。

 というのも半世紀前、オイルショックを景気に、世界中暖房エネルギー削減の研究を始めたからだ。

 現代は、アテカンや習慣で家をつくる時代ではない。

 もう少し、科学言葉に耳を貸そうよと言いたい。

 

2024-05-28

伝説科学哲学ソーカルさん、トランス批判してしま

https://thecritic.co.uk/woke-invades-the-sciences/

性に関する事実単純明快であり、高校生物学の授業で習うようなことである。ほぼすべての動物や多くの植物有性生殖を行う。ほとんどすべての有性生殖を行う多細胞種では、卵子と呼ばれる大きな配偶子精子と呼ばれる小さな配偶子が結合することによって生殖が行われる。植物動物の中には卵子精子の両方を産む「両性具有」の種もあるが、哺乳類には両性具有の種はない。哺乳類では、各個体は1種類の配偶子しか産まない。比較的少数の)卵子を産む個体は雌と呼ばれ、(多数の)精子を産む個体は雄と呼ばれる。哺乳類の胚が雄になるか雌になるかは、(少なくともうまくいった場合、つまりほとんどすべての場合)一対の性染色体によって決まる: メスはXX、オスはXYである

赤ちゃん名前は出生時に決定される。 しかし、赤ちゃん性別は「割り当てられる」のではなく、受胎時に決定され、出生時にまず外性器検査によって観察され、疑わしい場合には染色体分析によって観察される。もちろん、どのような観察にも誤りはありうるし、まれ出生証明書に報告された性別不正確で、その後修正される必要がある場合もある。しかし、観察が誤りやすいからといって、観察されているもの、つまり人の性別が、血液型指紋パターンと同じように、客観的生物学現実であり、「割り当てられる」ものではないという事実は変わらない。

冷静な心を持った科学者たちが、このような簡単反論できる見解を唱えざるを得なかったのはなぜだろうか?その原因は明らかに政治的ものである医学界の権威が、生物学現実について正直に語りたがらないこと、そしてそれを不誠実に語ることに無頓着であることは、トランスジェンダー人権を守りたいという称賛に値する願望からきているのだろう。 しかし、その目的は称賛に値するが、選択した方法は見当違いである。 トランスジェンダーの人々を差別ハラスメントから守るためには、性別が単に「割り当てられたものであるかのように装う必要はない。

anond:20240528070509

「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」

そもそも、誰かがそう主張すること自体自由です。その主張を議論俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権保障するために1人の人権犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活犠牲にすることによる解決は、少数意見尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見封殺することは非民主的な行いです。

従って、

そんな主張なんか知ったこっちゃねえよとしかならんのだよな

という態度は望ましくありません。意見荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢必要です。もちろん、相手がマサカリ武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権民主主義尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。

差別主義とは何か。それは、社会に、本来存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合しかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナー提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるもの実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇引き起こします。「文化伝統」「宗教信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来信仰の守り手として受益者であるはずの行為宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。

ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。

同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的利益権力を得る、そんな行いだからです。人権民主主義も、この社会構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。

私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分民主的人権尊重する人間であると自負していたとしても、私たち不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか再確認する必要があるでしょう。人権民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。

2024-05-27

anond:20240527134446

元増田守護霊です。元増田くんのことをいじめいであげてください。元増田くんは根はとても優しい子だと小学生くらいまではそう言われていた子なんです。

弱者男性問題差別ではなく排除」について

弱者男性」は「差別」されているのか? 社会から排除”されてきた「低学歴中年男性」の支援必要視点

そもそも男性に生じている問題を「排除」ではなく「差別」の文脈で語ることは間違っています差別とは、歴史的構造のなかで、ある特定属性を持ってきた人たちに対して社会不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。

https://ben54.jp/news/1171


kakaku01 家父長制への回帰を求める声は聞いたことがない。差別ではなく排除というのもよくわからん。むしろこの記事のように「お前たちの問題は優先度が低い」とする態度が問題の根幹では。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.ben54.jp/news/1171


伊藤氏には間違っている点と、批判側が理解していない点の両方がある。

まず間違っている点については、弱者男性への「差別」と言うべき事態は確実に存在しているのに、差別ではないと言い切ってしまっていること。一番わかりやすい例としては、婚活パーティ年収足切りされていることや、女性から年収で値踏みされていることなど、「稼ぐ能力の低い男」への差別的な視線や扱いである。ほかにも、同じ「40歳非正規独身」に対する世間イメージについても、女性では「そう言う人も普通だよね」となるのに、男性だと「この人やばくね?大丈夫?」と見られるだろう。これを「差別」と表現していけない、ということはないはずだが、伊藤氏は差別ではないと言い切ってしまっている。

他方で、批判側がきちんと理解していないのは、「排除」という言葉意味いである。伊藤氏が言っているのは、「弱者男性」とは、世間的に一般に期待されている「男性」の社会的地位から落ちこぼれしまったという問題であって、「男性」という属性のもの蔑視されているわけではないということである。つまり、「女のくせに」は女性全般へ見下しがあるので差別だが、「男のくせに」はむしろ男性社会的地位が高いことを前提にしているので差別ではない、ということになる。

社会学や社会政策とか学んでいれば、「排除」と「差別」を慎重に使い分けるべきことを理解できるけど、普通の人には伝わりにくく、言葉遊びに見えることも確かで、一般素人向けとしては伊藤氏の書き方は適切ではなかったと思う。

追記

婚活パーティ年収足切りは「排除」ではないか、という突っ込み複数あったが、厳密に「排除」「差別」を定義すれば全くその通り。ここで言いたいのは、年収でその個人の全人格評価することを「差別」という言葉で訴えたくなる人がいるのは、別に当たり前ことで、「差別ではない」と切り捨てたら反発する男性もそりゃいるだろう、ということ。


女性非正規労働が多く、社会全体の構造として差別を受けていることは確かだが、非正規低所得であること自体による蔑視を受けることは少ない。低所得であること自体で、異性のパートナーを見つけることが難しくなるということも基本的にはない。男性社会全体の構造としては優遇されている面があることは確かだが、そのために低所得であることで受ける蔑視は強くなる。そして低所得であること自体が、異性のパートナーを見つけることを困難にしている最大の原因ともなっている。


そのように、男性低所得であることで全人格を下に評価されてしま構造は確実にあり、そのことを「差別」と表現したくなる人が出てきても、それは全く不思議でも何でもでもない。伊藤氏の根本的な間違いは、言葉定義を共有させることな不可能匿名ネット言論対象にしているにもかかわらず、学者の「排除」「差別」という定義を持ち込んで、「弱者男性差別ではなく排除問題」と言い切ってしまたことにある。



追記2)

差別絡みの話って全部、「差別」って言葉各自オリジナル定義で使ってるだけすぎてマジで関わる価値がない。

anond:20240527103100

これはアウトだろう。「差別って言うけど、しょせんはあなた主観ですよね」という、ひろゆき冷笑主義しかない。

ともかく差別の話は、以下の原則をきちんと踏まえること。

(1)他者の「差別」の定義用法については、ネット素人匿名議論であろうが決して頭ごなしに否定しないこと。

(2)その上で、専門家が積み重ねてきた定義議論は、納得できないにせよ必ず尊重すべきこと。

(3)そして最後大事なのは差別を許さないという姿勢については常に明確なこと。

英語に馴れたら日本語が変になってきた

 増田はこの14年ほど、海外情勢に強い関心を抱くようになり、毎日ストリーム配信海外ニュースをチェックすることと、ニュース記事などを乱読することを続けている。(もちろん、新しい単語表現勉強も欠かしていない)

 その成果あってかなり英語スムーズに読み、聞き、また喋れるようになって来たのだが、困ったことに、次に上げるような弊害が出てきた。

 

漢字を気にしなくなった

 写真をとる to take a picture を「撮る」に変換する考え方とかが凄くめんどくさいと感じるようになった。音で聞いても文脈で聞き分けられるものに、いちいち違う漢字を当てる意味とは? とどうしても思ってしまう。

 

英語の直訳みたいな言い回しが出てくるようになった

 「何故ならば」「というのも」みたいに、日本語表現だと持って回ったものとしてあまり多用されないargumentation(理由付け)をいちいちつける癖がついてしまったり、翻訳調の言い回しにどうしてもなってしまう。

 

長文、複文のイントネーションがわからなくなった

 英語場合、「文が切れてないことを示すために抑揚を上げたままにする」というルールがない、あるいはそこまで重視されない。

 ↑という文を、例えば日本語

 英語場合、「文が切れてないことを示すために抑揚を上げたままにする」というルールがない。あるいはそこまで重視されない。

と二文にわけたときの読み方は、違ってくるのが普通だと思う。

 しかし、英語では元々、口語でも後付けで which is など関係代名詞の複文を継ぎ足していくことが出来るような構造をしているため、短文の連続ひとつに連なった複文で、イントネーションをしっかり変えるというルールがない。だから英語スムーズに読む訓練をするときは、日本語と逆に、「,」だから音を上げたままにする、「.」だから音を下げる、などのルールに拘らず、「,」でも適当に音を下げてしまう。「.」でも音を上げっぱなしにしてしまうというイントネーションになれる方が良い。そうしないと、ネイティブニュースリーダーなどのイントネーションで文の切れ目に変な先入観が入って上手く聴き取れない。

 これになれてくると、今度は日本語の「、」と「。」のイントネーションコントロールが難しくなってくる。

 書いていても、なんとなく複文の途中で音を切ってしま感覚で「。」を入れたり、日本語としては読みにくい句読点の使い方が出てきてしまったりする。

 

 増田学生時代小説など書いていて、「、」「。」の使い方にまで結構拘る方だったのだが、最近はこのせいであまり日本小説などの味わいもよくわからない感覚にとらわれ始めている。翻訳で失われるものってどれだけ重要なのか、と考えて自己正当化を図ろうという衝動も起こりさえする。

 言語の隔たりって、難しい。

2024-05-26

今すぐ覚えるべき英語「聖なるうんこ

英語話者がよく叫ぶ言葉に「聖なるうんこ」というものがあります。これはやらかしときや、やらかしを見たとき、とにかくビックリした時に叫ぶ言葉です。日本に来た外国人が「聖なるうんこ!」と叫んでも気にしないであげてください。

カフェを格付けする(チェーン店編) その2

お待たせした。(待っていた人もそういないと思うが)

anond:20240407174237 カフェを格付けする(チェーン店編)の続きだ

老若男女カフェに惹かれるものの期待はずれになるときもままある

そんなカフェを引き続き私の独断偏見で格付けしている

スターバックス

満を持しての登場である

実はスタバをどのように評価すればよいのかかなり悩んだ

しかし反発を覚悟のうえであえて言おう。もはやスタバカフェではない

客層:ネオサイタマ

日本進出の初期こそ、シアトルダークロースコーヒー先駆者として名をはせたスターバックスではあるが、長い時を経てスタバ名前はそのままにその実態を変貌させた

メニュートップを見てみるがいい。そこに鎮座するのはコーヒーではなく、〇〇〇〇フラペチーノというクリームが上に盛られコーヒーが1mgも入っていないような代物であったり、〇〇〇〇モカという名前クリームが上に盛られコーヒーが1mgも入っていないような代物である。そしてそれらを購入しているのはうら若き女性(のように見える物体である。観察していると、彼女らは5秒と直立できず体を不安定にゆらゆらさせ、「カワイイ!!」「ヤバクネ!!」「ギャハハ!!」「ウケル!!」など人語とは言い難き音声を発し、購入した〇〇〇〇フラペチーノ自分撮影し、SNS投稿するのだ。

そう、これが近年の日本が開発した恐怖の生体兵器バイオJCバイオJKであるバイオJCバイオJK製造から時間が経過していないため脳が未発達であり、いくつかの定型語(のような信号しか発することができず、彼女らの生体活動を維持するための特殊アミノ酸が含まれているのがスタバ提供する〇〇〇〇フラペチーノというわけである。強力な依存物質が含まれており、彼女らの体が揺れ動くのは〇〇〇〇フラペチーノ切れによる禁断症状であり、購入後の発狂状態を経て行われるSNSへの投稿開発者企業)への薬物接種報告である。オタッシャ重点!!

このスキーム大成功をおさめ、日本の全都道府県進出を果たし、いずれすべての日本人がバイオJCバイオJKに入れ替わる見込みだ。フランクルーカスブルーマジックも真っ青のマッポ所業であるナムサン!!

しか法治国家日本でこのような違法状態を今のところおおっぴらにするわけにはいかない。従ってスタバでは、バイオJCバイオJK以外の、何かの間違いでスタバ喫茶店である勘違いした、脆弱遺伝子を持つ哀れなレガシージャパニーズのためのメニューも用意されている。

コーヒーフード:イマジナリーシアトル

そもそもスタバはもはやカフェではないと上で述べた。従ってコーヒーの質を論ずるのも意味のない話である。実際に購入して飲んでみよう。何かをローストしたような煙のような芳香とともにひどく苦い液体を飲むことになるだろう。これがシアトルダークローストなのかと思い込む人も多いであろう。しかし立ち止まって自分に問いかけてほしい。あなたはそれを検証したのか?実際にシアトルに行って飲み比べたことはあるのか?

ここまで言えばお分かりであろう。スターバックスが哀れなレガシージャパニーズ提供するコーヒーのような液体は彼らが日本営業を続けるための方便である。接種後あなたの体に変調は起きないはずである・・・何かの手違いがない限り。あなたはそれを喜ぶべきだ。

ヴェローチェ

客層:あの世からの呼びかけを待つ後期高齢者

前回のドトールと双璧を成すカフェ界の最底辺ヴェローチェである

まず入店した時の異様な空気を真っ先に感じ取る。・・・なんだこのなんともいえない閑散とした空気は。ここではすべての人間があまりに ”軽い” 。存在空虚なのだ。まるで映画アヴァロンに登場する、全く動くことのないモブのような人間である人間生気というものが全くないそれらの客は、ヴェローチェを出た後にそのまま墓場に行くのではないか、ここの1杯は自らの墓場に赴く前の最後の1杯なのではないかという気分にさせられる。

ここの客はそれほどまでに存在が軽く、薄い。店の雰囲気もどこか薄暗く、まるで火葬場の前室で自分が燃やされる順番を待つような・・・しんみりとした絶望感に襲われる。

増田の各位におかれてましは、人生に行き詰まりを感じたらヴェローチェに行くことをおすすめしたい。いずれあなたも自らの人生を終わらせるところへ向かうのだと再認識することになる。

コーヒーフード:中の下

カフェクリエと同じチェーンがやっていると思えないほど、メニュー淡白であり特徴がない。コーヒーも取り立ててうまいわけではないが、前回のコメダほどの絶望感はない。人によってはコーヒーリーを好むという場合もあるようだが、その程度である。値段はお手頃であり、無駄な金を使ったということにはあまりならないはずだ。

全てが空気のように薄く、虚無への導線を感じる。そうここは緩慢な死へのゲートウェイなのである

続きはまたこんど

https://anond.hatelabo.jp/20240526145340


   増田システム停めるのが最大の狙いであ知的快楽なんだから止めるわけねえじゃん。お前の会社計算か光かのどっちかが停止すれば、人々が自然に暮らすことができるんだから

アノノブナガめいたアトモスフィア蔑称啼き喚きぞ

https://mynameistaboo.livedoor.blog/archives/26282925.html

子供達に所詮明かせないであろう、

無敵の蔑称啼き喚きのバーゲンセールぶりを…

この5ヶ月「ケンモメンさん」とやらが「事件」を起こしてない日があったのか?

ずっと破滅元凶のくせにかゆえにか

犠牲者の決意をまたも踏みにじり続けとるんだなあこれが…

「悪の帝国」の尻尾しぐさだとでも言うのだろうか?

2024-05-25

Sankakuアプリ改悪度合いがガチヤバ

→大半のプラットフォームで使い慣れた操作を封じられ、使ったこともない縦読み漫画アプリくらいでしか使わないであろう操作を強いられる。ピクシブのは全画像を一画面に表示してあるから例外ね。

クソ。


→というか拡大縮小自体封じられた。ピンチアウト操作でもできていたことが完全にできなくなった。

ちなみにお気に入りからの削除はダブルタップではなく削除ボタンを押す必要がある。

下痢クソうんちっち。



今まではパソコンで見るよりスマホタブレットで見るほうがずっと快適だったのだが逆転してしまった

無能な働き者に仕事をさせないでくれ

2024-05-24

成人映画館行ってきた話していい?するね(2024.5.28追記

上野にも行ってきたよ!

anond:20240528202441

追記したよ!

追記したら表示文字制限があったのか、本分がぶつ切りになってしまったので記事を分けたよ。

追記部分はここを見てくれ!

anond:20240524195441

ここから本編

というわけで、タイトル通り成人映画館ポルノ映画館)に足を運んでみたのでその話をする。まったく知らなかった人、行ったことないけど行ってみたかったり興味がある人、行く気はないけど中身が気になる人、そんな人たちに少しでも足しになる話になれば幸いである。

ちなみに当方20代半ばの女である女性から見た成人映画館体験記として今からエロい話をするので、お好みの美女美少女脳内補完して楽しんでほしい。

そもそも成人映画館ってなに?

成人映画館とは、その名の通り成人向け映画をメインに上映している映画館であるポルノ映画館ピンク映画館とも呼ばれる。

通常の映画館とは違い、連続上映となっており一度入場券を買ってしまえば何時間でも見ていられる。料金も特別料金が上乗せされてめっちゃ高ぇ!なんてこともなく、劇場によって多少の差額はあるもの普通に映画を見るのと同じような値段で入ることができる。このシステムは成人映画館ならでは、というよりは昭和映画館運営から営業形態が変わっていないのだと思う。まぁネット検索のみの付け焼刃知識なので、話半分くらいに聞いておいてくれ。

当然18歳未満は入場禁止だが、学生禁止ではないので大学生からは入れることになる。

また、普通商業施設とは違いシアター内ではある程度のわいせつ行為お目こぼしされており(支配人やその時いるスタッフのさじ加減次第だが)、男性同士の出会いの場(いわゆるハッテン場)や特殊性癖のカップル、男女の集まる場所となっているらしい。そしてそういった行為についてもどうやら界隈内で一定ルールがあるらしく、アングラで非日常的な場所ではあるがそこまで無法地帯ではないと感じた。たまたま私の運がよかっただけかもしれないが。

なんでそんなとこに行こうと思ったの?

最近流れてきた昭和を懐かしむ系のツイートで、成人映画館の前で女の子写真を撮っているものがあった。それ自体普通に炎上したつまらツイートだったのだが、そこに付いたリプや引用が私の目を引いた。みんな揃って「そこ現役でやってるピンク映画館だから下手なこと言わない方がいいぞ」みたいな忠告をしているのだ。

その単語知識として知っていた私は思った。あれって実在するんだ、なんかおもしろそうだし現役でやってるなら行ってみよう、と。

めちゃめちゃしょうもない自語りをさせてもらうと、昔から興味が沸いたことは一回やってみないと気が済まないタイプ人間だった。扇風機に指を突っ込もうとしては親に叱られアチアチのヤカンを「それ熱いよ!」と注意されても自分の指で触って確かめ親にぶったたかれるクソガキだった。ペヤングが時々出しているトチ狂ったフレーバー焼きそばを食べずにはいられない人間だった。もうとにかく自分の興味が引かれたものに対しては自分体当たりせずにはいられなかったし、「さすがにマズイぞ」のラインを見極めるストッパー自分の中には無かった。あとシンプルエロいことが好きだった。未知のエロ体験せずにはいられないッ!

というわけで、好奇心の赴くまま、都内在住の私はこれ幸いと夜の街へ繰り出したのであった。こういう娯楽はだいたい東京にある。東京、私のような好奇心のかまたり人間には最高の土地だ。

どの成人映画館へ行くか

都内の成人映画館

シネロマン池袋

上野オークラ劇場

上野特選劇場

の3カ所である。このうち上野とついている劇場は同じビルにあるとのこと。

それぞれの劇場に特色があり

シネロマン池袋→わりと大人しい雰囲気らしい?初心者向けとか書いてあるブログも見た。

上野オークラ劇場日本一ポルノ映画館とも呼ばれている。一番お客が多いっぽい。

上野特選劇場ゲイの人が多く訪れるらしい。

ネット情報さらってみた感じはこういうことらしかった。

私の通勤経路的に上野まで行くのは骨が折れるのと、初心者向けとのたまうブログを信じて今回は池袋劇場セレクト。さていよいよ本番である

入場

シネロマン池袋池袋西口側に存在しており、出口にもよるが基本は徒歩3分からいくらい、一番近い出口からなら徒歩1分ほどとかなり駅近くにあった。今までかなりの回数、目の前を通っていたが全く気付いていなかった。人間とは意識の外にあるものをこうも認識できないものか。

施設自体は地下一階にあるが、地上の入り口部分にでっけー看板があるので目印を見失って迷子になる心配はまったくない。狭い路地秘密基地めいた場所入り口……とかでもなく、なんならめちゃくちゃ通りに面しているので本当に見つけやすい。いつもグーグルマップに惑わされるタイプ人間なので非常に助かった。

階段下りた目の前にチケット自動販売機と対面で購入できるスペースがあるが、私が行ったタイミングでは対面の購入スペースは既にカーテンで締め切られていたので大人しく券売機で購入。

ちなみに今、シネロマン池袋サービス価格で通常は男性ひとり1800円のところ一律1300円で入場可能だ。男性諸君行くなら今がチャンス!

券売機で買ったチケット左手側に進んだ受付のスタッフさんに手渡すのだが、女性ひとり客の場合ここで

・トナラー防止用の貸カバンを渡すので、自分カバンと貸カバンを両隣に置くといいこと

不審者がいた場合は受付に申し出ること

・中で何かあったら大声を出してもかまわないこと

など説明される。私が入った時のスタッフのニイサンはかなり親切な人で、非常に心配そうな顔で説明してくれた。私自身はここが「そういう場所であることは覚悟の上で来ているし、なんならハプニング的要素も楽しむつもりではあったのだが、痴女と思われるのも心外なので神妙な顔で頷きながらカバンを受け取っておいた。後述するがこれがシアター内での平穏を守る砦となってくれたので、この時の自分判断感謝である

さて、以下は余談だが。

ここで渡される貸カバンだが、中にしっかり重めの物体が入っていた。

もしこれを見て成人映画館というものに興味を持った貴女が、本当に見物だけを目的劇場を訪れたとき、触られたくないのに同意もとらず不埒を働く輩がいたらこカバンを思い切りぶん投げるか振り回してぶち当ててやればかなりのダメージが入るはずだ。少なくとも走って受付に行くまでの時間は稼げる。迷いなく全力で振りかぶろう。好奇心に駆られた貴女が心身を損なう事なくその心を満たせることを祈っている。

シアター内へ

受付からさら左手へ進むとシアターだ。ちなみにお手洗いは受付の後ろ側にあるので、シアター内でプレイを楽しみたい紳士諸兄は女性に触れる前にここで手を洗おう。女性客がいなかったとしても、自分ブツを触るならやはり清潔な方がいいので、どちらにしろここで手を洗おう。

シアターへ繋がる防音扉を開けると、普通映画館とは違いカーテンがかかっていたので最初ちょっとびっくりした。人間、目の前に急に何かしらが現れるとびっくりしちゃうよね。

レール等はなく動かないようだったのでのれんのようにめくって一歩中へ入ると、お客さんは結構まばらで20人くらいの男性が各々好きな席に座って見ている感じだった。仕事帰りに立ち寄っているのか大半がスーツ姿。仕事終わりにちょっとむらっとくることあるよな。うんうん。

上映中の画面前を横切ってうろうろするのは気が引けたので、とりあえず目の前にあった席(最前列の右端)に座って左隣に貸カバンを置いてひとまずは鑑賞することに。がら空きだったのでもうちょっと中心寄りに座ってもよかったのだが、いかんせん見知らぬ場所自分カバンを手放すのは盗難などのリスク的に怖かったので、貸カバンひとつ置けば済む一番端の席に座り、自分カバンはひたすら膝の上で抱えこんでいた。しか最前端はずっとスクリーンを見上げる体勢になってしまうので、最前列おすすめしない。単純に鑑賞を目的とするなら、中間列の端の席がベストだったかなーと思う。カバンを手放すのはオススメできないので、あくまで端の席だ。

ちなみにシアター内は独特のスメルがする(たぶん体液)ので、臭気に敏感なタイプの人はマスクを推奨する。私もけっこう気にする人間なので最後までにおいには慣れなかったし、最初10分くらいは鼻がキツすぎて帰りたかった。気合我慢したけど。

さて、上映していたのは昭和香り漂う作品で、「AV」じゃなくて「ポルノ」という感じだった。現在FANZADMMで見られるものとまったく違うテイストで、もちろんその人の感性によるが私は作品として普通に楽しく鑑賞した。1作品目は途中入場だったのだが、なんとなくメッセージ性のある作品で正直エロいものを見ている、というよりは性描写のある社会派風刺ドラマを見ているような感覚だった。

あと今の人と体型がぜんぜん違ったり(見る感じ、今どきの人はとても足が長いと思う。昭和女優さん、脱ぐと動体が長くのっぺりとした体型で、100年も経たないのに人類遺伝子ってこうも変わるのかと驚いた。)、ひたすら局部を隠すカメラワークで当時はポルノでも挿入はフリだけで撮っていたのかな?だったりといろいろ考えながら見られて興味深かった。コンテンツとしてポルノ映画にハマりそうなレベルで、なんか普通に3本映画見て帰ろうかな、と思ってしまうくらいだった。

守護神カバン

このようにアンダーグラウンドな成人映画館のんきにポルノ鑑賞を楽しむ私であったが、これには貸カバン恩恵が大きい。

というのも、どうやら「カバン等で隣席をブロックする」という行為は「コミュニケーション意思無し・私に触れるな」という意思表示と見做されるようで、貸カバンを置いた席の隣まで移動してくる人や横の通路まで来て顔を凝視する人、後ろの席から顔を覗き込んでくる人、映画の濡れ場ではなくこちらを凝視しながらシコる人等々はいたが、カバンを置いている間は一切触ったり声をかけたりという行動はなかった。無理にカバンを取り上げて隣に座ってきたり、というのもなかったので、基本は相手積極的OKを示すまでは触れるべからず、的な界隈ルールがあるのだろうと推測する。それが「成人映画館常連全体」なのか、「シネロマン池袋ローカルルール」なのかまではわかりかねるが……。

さて、ここで次の私の興味関心は「この場で貸カバンをどけてみたらどうなるのだろう?」である

いやさすがに始めてきたばっかりでそこまで試してみるのもなぁという気持ちと、せっかく来たなら気になるもん全部試した方が悔いはないという気持ち10分程度争った結果、好奇心に抗えなかった私は貸カバンを手に取り、通路側の手すりにかけてみた。これで私の真横の席が空くことになる。

架空のすけべ体験談みたいなことって本当に起こるんだなぁ

はいここからエロい話になります紳士諸兄はお好みの女性像を思い浮かべて読んで欲しい。

そしてエロエロく書くには文才がいるのだが、私にはそこまでの文才はないので起こったことをさらっと書いていく。最大限の脳内補完を頼んだ。

はてブでそういうつもりになろうなんざ思ってない?それはそうだ。そんな人はここは読まなくていい。長ったらしく書くが、私が言いたいのは「やろうと思えばすけべなことができる空間だったよ」、ということだ。結末に興味がある人は、ここを読み飛ばして下の総括を見てくれ。

さて隣席が空いた瞬間、すごい勢いで周りの席に男性が集まってきた。直前までは後ろに一人、カバンを挟んで一人、あとは全員離れた席にいたのだが、カバンをどけて一人が隣に移動してきたのを皮切りに周囲の空席が全部埋まった。なんなら隣の隣くらいまでは人が座ってこっちを覗き込んでいる。

成人映画館にはゲイが多いらしいとネットには書いてあったので、なんならシアター内の大半はそっちの嗜好の人なのでは?意外と私には誰も興味を示さないかも……と思っていたがどうやらそうでもなかったようで、気付けば通路側にも人がおり人生で初めてレベルの取り囲み方だった。

まずは左隣に座った男性が私の手を触っており、どうやらこれで接触に対する拒否がないか様子を見ているようだった。ひとまず黙ってそのままにしておくと次は太ももへ。これも黙って受け入れる。

このあたりで大丈夫な女だと判断され、あちこちから手を伸ばされ服の上から体をまさぐられた。普通に生きてて大人からまさぐられることなんてなかなかないので、私もちょっと楽しくなってくる。

この時後ろで立ってこちらを見ていた男性がいたらしく、別の男性が「おい、座れよ!」 「後ろの人も見てんだよ!」 「座れって!」 「なんだようるっせぇなぁ!」みたいな喧嘩が発生してておもしろかった。座れと言った男性は圧倒的に正しいのだが、片隅とはいえわらわらと集まってこんなことをしている時点で言えた義理ではないのでは?と思ってしまった。まぁここに見に来ている人はそれも織り込み済みなんだろうけど……。

抵抗しないでいるとあっという間に服をたくし上げられて直接胸を触られ、ズボンは前を開けられパンツの中に手が入ってくる。身をゆだねきっていれば徐々に快感が高まっていき、体が反応してピクっと動いたり声を漏らしたりするたびに周囲の男性も盛り上がっていく。

ちらっと周りを見ると、新しく入ってきた人も席につかずこちらの見物に混じってきていたようで3層くらいの人の壁ができていた。入り口ふさいですみませんでした。

ひとりの指がぬるっと中に入ってきて、すわガシマンされるか!?と警戒したが思ったよりゆっくり触られて少しずつ絶頂に近づいていく。ときおり激しくなりすぎて痛くなっても、「痛い…」とつぶやけば周囲の男性の中で誰かしらが拾ってくれて「痛いって!」 「優しくしてあげて!」と声をかけて調節してくれるので、けっこう安心して快感に集中できた。

口に指を突っ込まれ、うーんこれはちょっとやめて欲しいかも……と思いつつも絶頂を迎え体がひときわ大きく跳ねる。指でふさがれているので喋れなかったが、中を触っていた男性が「イっちゃったの?」と聞くので頷くと「じゃあ休憩しようか」と服を整えつつ壁になっていた男性解散させてくれた。この人おそらく界隈歴の長い常連だな。助かる。

なかなか味わうことのない感覚だったのでしばらく息を整え、好奇心も性欲も満たされた私は席を立った。

ネット記事ブログ風俗誘導系のアフィリエイトも含め)に、〇〇で起こったエッチ体験談!みたいなのが載っているのを見たことある人も多いと思う(成人映画館検索しても出てくる)。私は嘘を嘘と見抜ける人間なのでその手の体験談は基本、誘導するための架空記事だと思っている。しかし、実際に起こる場所もあるにはあるんだなぁと一つこの世の真実を知った気分になった。

以上が私の初・成人映画館体験である

賢者タイム、もとい総括

成人映画館性的行為抵抗がなく、ある程度自分の損害を納得できる人間にとっては非常に楽しい空間である

最初に書いた通り、アングラ空間ではあるが、場所も、そこにいる人も治安は悪くないと思う。

これはもちろん私が非常に幸運だった可能性もあるが、「全員料金を支払っている」という側面が大きいと思う。どんなものでも、身銭を切らずにタダで使ってやろうと思う人間と、金を支払うということを呑める人間治安レベルには大きな隔たりがある。特に成人映画館風俗店ではないので、その日女性客が訪れる・その女性客が接触できる人である可能性は低い。それを承知の上で支払えるという状況は、ひとつ安心材料たりえるのではないだろうか。

しかし、だとしても、私が言うのもなんだが女性が一人で行くのはあまりオススメしない。こういった場所に誘える友人なんているわけない、というのは確かにそうなのだが(私もそうだ。)、自分自身の身を守るためにも複数人、あるいは男性を連れて、最低でも2人で入場するのが好ましいだろう。

私はシネロマン池袋に単身乗り込むにあたり、最悪身ぐるみ剝がされてレイプされても泣き言は言わぬ覚悟だった。財布だけは死守したかったので、触られてる時も決して自分カバンから手も目も離さなかった。

結論杞憂に終わったわけだが、無責任なことは決して言えない。

……とまぁいろいろ書いたものの、私としては楽しかったので今後の人生でまた何度か行くと思う。次は絶対マスクをしていく。絶対にだ。

さて、そんな私の次の興味は

上野オークラ劇場ってどんな感じなんだろう? である

今回行ったのはシネロマン池袋。中にいた人の話を聞く限り、結構大人しい客が多い劇場らしい。それに私が行ったのは平日ど真ん中の夜。

では、人が多く集まるであろう金土曜夜の、日本一ポルノ映画館である上野オークラ劇場は一体どうなんだ?言ったら何が起こるんだろう?好奇心が止まらない!

というわけで、これを架空記事おっさんネカマして書いた記事だと思っているそこの貴方

上野オークラ劇場で僕と握手

anond:20240524162017

仮にそうだとすると性癖も開示されてないとおかし

結婚してから同性愛スカトロ好きって告白されても困る

よってお前のいうことは間違いであ

「〜の横暴」という言葉民主主義を表すが、支配者層が「民衆の横暴」ということはほとんどない

民衆が横暴になれるのは、開示請求暴動のあのときぐらいであ

2024-05-23

anond:20240523005958

結婚なんかするもんじゃねぇな

結局恋心なんて一時の気の迷いであ相手はどこまでいっても赤の他人

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