はてなキーワード: こちとは
増産反対のマイティーストライクフリーダム、コンビニで売る必要ありますか?
(中略)
ガンプラは資産価値があり、注目されて今の人気を獲得しました。
つまり、我々セドラーが人気コンテンツとして育てた立役者と自負しています。
なのに、この仕打ちですか。
(中略)
中には会社で上手く行かず、パワーハラに追い詰められ働けなくなったセドラーもいます。
一発逆転を賭けてセドラーとして奮起したのに、その投資さえも無碍にするのでしょうか?
どう、生きていけば良いのでしょうか?
コンビニですら売ってる。
もし、そんな商品になった時、子供達はそのガンプラにありがたみを感じるでしょうか?
欲しくても買えない、品薄で出回らない、だから魅力があったはずです。
値段設定だって、ただ高く売れば良いわけじゃない。
子供のお小遣いでは買えないけど、親が買う価格設定だからこそ親子でコミュニケーションが生まれ、ネグレクトを根絶しつつ子供達を笑顔にできた。
中には会社で上手く行かず、パワーハラに追い詰められ働けなくなったセドラーもいます。
一発逆転を賭けてセドラーとして奮起したのに、その投資さえも無碍にするのでしょうか?
どう、生きていけば良いのでしょうか?
売るだけ売って、通販や小売店は客の損失は知らないフリですか?
前金まで払わせといて!
こちらだって無在庫の時から出品してるものが何十件とキャンセルされてます。
“日本人は特にいじわる”とデータが証明?行動経済学が明かす「スパイト行動」 | データで越境者に寄り添うメディア データのじかん
あと
日本人のマスク着用率の高さは、意地悪な性格の裏返し?スパイト行動とは(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
こちらの2ページには、韓・中・蒙それぞれの人にも同じ実験を行った、とある。
相手を出し抜こうとする行動が結果的に平等を担保するってのは面白い話だが、正直疑問もある。
「ゲーム仕立てにすれば相手に勝とうとするのはある種当然では?」と思ったし、最初の記事の1つめのゲームのセオリー
これが2つめのゲームでは
31日公開のマッドマックス:フュリオサや先週公開のあぶない刑事もいいけど、劇場版ウマ娘もよろしくね!目指せ興行収入30億!
ということで、まだ見ていない人や見ようか迷っている人に向けて、ネタバレしない程度におススメポイントを紹介する
2回目3回目の来場を促す仕掛けがあちこちにちりばめられていた
いったいどれだけのキャラが登場するんだ?というくらいあちこちにいろんなキャラが出ているし、画面に移っただけで笑えるキャラがいたり、まさかのキャラが笑わせに来たりもする
ゲームやっててキャラもそこそこわかるってレベルの人は、四の五の言わずに見に行こう
特に映像と音響が圧倒的で、レース場を駆けるウマ娘達を間近で感じる錯覚に陥りそうになる
サイゲと東宝の力の入り方は、1998年日本ダービーのキングヘイローかと思えるくらいだ
これに主人公ジャングルポケット役の藤本侑里(今作が初映画初主演)ら声優陣の熱演、セリフ外で描かれる丁寧な所作や心理描写が相まって、見る者の心を容赦なく揺さぶってくる
アニメ映画としての完成度の高さから、趣味映画鑑賞(アニメ含む)という人は十分満足できるだろう
また映画単体でまとまりがあり(他シリーズの知識はほぼ必要ない)、王道スポ根ストーリーとしてのわかりやすく作られているのも良い点だ
そのため映画館には頻繁に行かないライト層にもおススメできる。時間も108分とちょうどよい
競馬は知っているがウマ娘って面白いの?…アニメは見るけどウマ娘って良く知らない…という人に向けた入門作品としてもうってつけである
なおTVアニメ3期の出来が悪いから期待できない、などという奇特な人もいるかもしれないが、TVシリーズとは制作陣が全く異なるので気にせず行くとよい
このほどYoutubeで再公開されたRoad To The Topが合わないというなら…別に行かなくてもいいだろう
最後にこれは余談だが、見る前に前提知識として入れておくとよい事実が1つある
それは本作品が主に2000年末から2001年にかけての中央競馬をモチーフに描かれているということだ
それ以上のことを調べてもいいが、現時点で詳しくない場合はこの事実のみを知ったうえで映画を見て欲しい
そして作品を見終わった後は、この時期の競馬とジャングルポケットが憧れるキャラについて書かれた文献や記事に当たることをおススメする
だってその方が楽なんだもん。
仕事は俺と同等かそれ以上に出来るし、容姿も優劣はあるけど体型の維持やファッションセンス、あるいはメイクという点では努力してる。
俺みたいな年中スラックスとカットソーで生きてるような男とは人間としての生活水準が違う。
そんな相手ともし結婚なんてしたら、こちらが向こうの合わせなくちゃいけなくて苦労の連続だろう。家事や育児だってきっと対等に扱われるに違いない。
は別おばあちゃんだとして、増田はこの2おばあちゃん以外にもちょこちょこいろんな人を気にかけて女性を放置しており、蔑ろにされていると感じた女性が徘徊おばあちゃんをきっかけにもう無理となったと予想します。
https://anond.hatelabo.jp/20240531110922
これとブクマ読んで、昔ご近所さんの家に住んでた認知症の婆さんが徘徊しちゃって、家族があちこち探し回ったけど見つかった(警察に保護された)のは住んでる場所から20km以上離れた別の街だった話を思い出した
婆さんが見つかった話を聞いたのはいなくなった日より後のことだった
当時はそれを聞いて見つかってよかったなあと安堵したり、ヨボヨボの婆さんがよくそんなに移動できたなあと驚いたりしたものだが
それはさておき
ブクマでは増田とデート相手が待った時間を「たった15分」と言う人がいたけど、それは徘徊してた高齢者の杖にたまたま連絡先が記載されてて、たまたま家族とすぐ連絡がついて、たまたま短時間で迎えが来たから15分で済んだだけだよね
もし高齢者の持ち物に連絡先がなかったら?もしかなりの遠方から徘徊してきてて家族がすぐに来られなかったら?
でも増田の一方的な書き方(デート自体の予定などの中身には全く言及しない)でデート相手をクソ呼ばわりしたりするブクマカはちょっとないなと思うわ
感情のまま書き出しているので文章ぐちゃぐちゃで読みづらいと思う、申し訳ない
この前同伴したお客さんが本当にきつかった
いわゆる弱者男性ってこういうのを指すのか、というくらい清々しいくらいの弱者男性
まず自分が予約取った店なのに一向に先に入ろうとしない
私から誘ったなら私が先に入るべきだけど、こちらはあなたがどんな名前で予約したか知らないからあなたが入ってくれないと困るんだが?
行きましょーと行っても入らずイラついたので私が結局先に入ることに
普通に手でも挙げてすみません〜って声をかければいいのに、店員来ないねと挙動不審なくらいキョロキョロする始末
恥ずかしすぎる、頼むからやめてくれと思いこちらも私が手を挙げて店員さんを呼び、注文も私が済ませた
ここまでであればまだ我慢できたが、食事の時に音を立てて食べる 品がない、ありえない
その上店員さんについてボソボソネチネチと文句をつける 注文してないものが運ばれてきたことに対して奴はボソボソ文句を言い、これどうする?などと私に言った 直接店員さんに何かを言った訳では無いが、こんなもん頼んでないですと言って下げて貰えば良いだけだろ 面と向かって話すことはできないくせに裏でネチネチボソボソ文句を言う態度が心底気に食わなかった
もっと何かあった気がするが食事のときの話はこのくらい このあと私が勤務する店に行った訳だが、彼はここで高校時代の成績(現物)を見せてきた
40すぎの男が20代の女に30年ほど前の成績を見せてイキってる図が本当に惨めで仕方なかった、というよりものすごく引いた
つーか高校時代の定期テストの順位表なり模試の成績なりをまだ取っておいてるのかこいつは。そんなもん捨てるだろ。私に見せるためにせこせこ探したと思うと非常に哀れだった
これを見せる際に「中学時代の成績だと学年1位とかあるから嫌味になっちゃうと思って!」などと言われたが、なぜ私が40すぎのおっさんの中学時代の成績自慢を嫌味に感じなければならないのか甚だ不思議だった(見せてくれた成績はまあ四大行くならこのくらいは普通にあるよね、というくらい普通の成績だった 昔と今では教育内容も変わっていると思うのであくまでも私の物差しで見た主観だが)
私はこいつとこれまで関わってくる中で成績の話や学歴の話など1ミリも出したことは無い 一体何のアピールなのか。
こいつは人を見下しているのだとひしひしと感じ言い様の無い不快感があった
こいつと渋々フレンドになったゲームがあるのだが、それにログインしていないと「〇日ログインしてなかったね!忙しいのかな?」やら「〇時間前にオンラインになってたね!」やらメッセージを飛ばしてくる始末。恐ろしすぎて大好きだったそのゲームも離れがちになってしまった。許せない。早くオンライン非表示の機能を実装してほしい。
この他にも色々と哀れな要素はあるものの、あまりにも多すぎて書き出しきれないのでここまで。
どうしてこんなにコミュニケーション能力が欠如したプライドだけはバカみたいに高いモンスターが出来上がってしまったんだろうか
こいつは実家暮らしで友達もいないようだから、やはり人生の正しい段階で正しく人と関わることが出来ないとこのようになってしまうんだろうか
私も陰キャだが、仲良くしてくれる友達が一定数いて、それなりに辛くも楽しい学生時代を送れたことはとてもありがたいことだと思う
この増田本人では無いので尻馬に乗る感じで申し訳ないけど、ブコメとか見てると未だに理解があやしい人が多い気がする
まず元増田の内容を自分なりにまとめると、「文化資本」に該当するかどうかを計る条件として
の2つの条件が少なくともあり、はてなで言われている「文化資本」の多くはこれに該当しない(そのため、はてなの人達は「文化資本」の意味を理解せずに使っている疑いがある)
特に②についてはそもそも資本とは自己増殖するもので、文化「資本」というからには再生産の要素を含まないと変というのはその通りなんじゃないかなと思う
でその上で、なんだけど
いや美術館が無ければ美術館に行く文化も作れないので「文化を享受できる環境・子に文化を享受させる親の文化」は文化資本なんだが。みんな美術館(物理的な資本)の話じゃなくて美術館に行ける東京の話してるだろ。
例えばこの反応って、①の説明にはなってるけど、②の説明にはなって無くない?何が再生産されているの?
個人的には、文化「資本」を名乗るうえで②の方が重要な気がするので、そっちが片手落ちになっては意味が無いんじゃない?と思ってしまう
上は一例だけど、元増田への反論で②の再生産の部分まで言及できている人が少ないように見える
で、更に、そもそも「東京は文化資本が豊富」と言っている人は、どういう再生産を想定しているんだろう?
ただの資本の場合、単純に金持ちは投資等で更に資本を再生産できる、というよくある話で、これは分かりやすい
対して文化資本は、例えば親が教育の重要性をきちんと理解し、そのおかげで子は十分な教育を経て資産や社会的地位、権力を得られるようになり、それらが再生産される、といったシナリオになる
ただ、「東京は文化資本が豊富」と言ったり、その例が美術館(へのアクセス)だったりする場合、具体的にどういう継承から資産や社会的地位、権力の再生産に結び付く話をしているんだ?
例えば、近くに美術館があってよく通った場合、しかしそれが自身の給料や社会的地位や権力に特に結び付かない事はよくあるし、その場合②を満たさないので「文化資本」とは呼べないよね?
例えば美術に精通する事で上流階級の人とコネが生まれて立身出世の役に立つ、とかだと「文化資本」と呼べると思うけど、現代日本でそういう機会がそもそもある人は(東京内に限っても)何%だろう?
当然、その%が低ければ東京全体でならした時の美術館の「文化資本」寄与率は低くなって、他の寄与から比べると誤差以下になってしまう
という感じで多くの場合②を満たせない割合の多いと思うんだけど、どうだろうか?
具体的にどういう継承・再生産のシナリオで考えているんだろうか?
また、再生産という観点で見た時、そもそも「東京」で括る意味って何?とも思う
例えば「金持ちは文化資本が豊富」ではダメなんだろうか?こちらなら上流階級の振る舞いや教育の重要性の理解等々、再生産に関わる文化資本が豊富なのは頷ける
これに比べて「東京」だと、金持ちでない人も居るし、そういう人が美術館に通っても再生産に繋がらない事が多い
というのも、そもそも機会やノウハウなど、「美術」という文化的素養を資産や社会的地位、権力の再生産につなげるための回路こそ、資産家の親から子へ継承される貴重なものであり、ある意味それこそが「文化資本」だからだ
よって、「東京」という雑多なフレーミングは文化資本を持たないノイズの人達(言い方は悪いけど・・・)を多く含み本質的ではないのに対し、
「金持ち」というフレーミングは再生産に結び付く「文化資本」と本質的につながっているので、より適切なんじゃない?と思えるし、その上で「東京」で括る意味is何?と思えてしまう
「東京は金持ちが多いから、結局文化資本とも相関がある」という人も居るかも知れないけど、それってわざわざ要らない項を噛まして、分かりにくい疑似相関を作ってるだけじゃね?
地方でも金持ちなら教育もするだろうし振る舞いも継承したりコネも引き継いだりするだろうという事で、文化資本と言えるものが多そうだし
結局、文化的ななにかを資産や社会的地位、権力の再生産へとつなげられるかどうかって、住んでる場所より資産や社会的地位、権力に依存するんじゃないかなー、と思うし、それによる寄与と比べると「東京」要因の寄与って誤差に呑まれそうじゃね?と思う
もう一つ大きな、そして根本的な疑問として、元増田の言うように「文化資本」というものが資産や社会的地位、権力の再生産、つまりは格差の再生産を前提とするものだとして、
それが「東京に豊富だ」と言われる事は、その人達にとって嬉しいのか?というのがある
美術なり音楽なりの素養が格差の再生産となるという事は、それなりに差別的な論理が社会のなかに残存しているという事だけど、
そのおかげで得をしている格差の再生産の加担者or受益者と指さされているようなものなので、それ嬉しいか?胸張るような事なのか?と思う
なので、軽々しく「東京は文化資本が豊富」という人は、「文化資本」が前提とする資産や社会的地位、権力の再生産についてよく分かっておらず、つまり「文化資本」の意味をよく分からずに使っているのでは?と思えてくる
ある意味「東京には文化資本による格差の再生産を肯定or容認するような差別的な風潮が残存している」という事でもあるので、本当に意味を理解して使ってる?と疑問
CMとWEBサイトの実際撮った風の画像を比べてどうすんだ?CMは演出だし、解像度が違うだろ
先週土曜日のホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季の黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかわからない。
開幕前、現在の首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。
理由は監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生のときの担任と黒田監督が激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。
その担任はメタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹そのものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。
贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較的勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子、可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子、勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生のときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。
黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。
は????あいつ今高校サッカーの監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。
まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部の試合は見られない。
でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。
やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督が一年目で昇格を決めた。
あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。
テクニカルコーチを持っていかれたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています。
ああ、別に、移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。
話を戻して
重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね
てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど
アルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督・コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。
ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。
なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後の最後になんとか一矢を報いて終わる。
ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段でしかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてからの判断が遅い、悪いケースが多すぎる。
それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。
パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインでボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか。
と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます。
2003年11月23日の初昇格を決めたあの日から、J2降格を経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。
上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と
ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と
そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。
でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。
大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。
たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。
嫉妬とは、自分が努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情。
J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督のサッカーを継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと
結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷や罵倒は論外ですが。
反町監督がいたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果からの判断は、やはり切り離して考える必要がある。
札幌や京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。
去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども
すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。
同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子の競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲームの部活だからかいつだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。
彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たちは卒業してしまった。
卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元の大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学で彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。
成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然なポーズ、自然な距離感、自然な笑顔。この写真はわたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。
彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真がほとんどだ。
私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。
何も要求されず私の欲望だけが許されていたあのぬるま湯の時代でずっと生きていきたい。
いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホのロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行の暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。
横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。
結婚する前は社内の女性とどうこうって全然なかったんだけど、結婚してから急に増えた。こんな簡単にそんなノリで?と思うほどインスタントに関係が増えていく。俺の知らないところでもあの人もこの人も色々あるんだろうな。人間なんて結局アニマルなんだなって思った。
年を取るに連れて楽しいことが減っていると感じる
感性が鈍くなり、何を見てもあまり感動もしないし興味もひかれない。そして気力もわかない
健康面でも不安な項目がちらつきはじめた。なんとなく不調な身体を引きずって毎日生活している
今でこれだったら、更に年をとったらどうなるのだろう、と思って周りを見てみると、高齢者になって幸せそうな例が周りにない
気を付けて見ればあちこちで誰かに迷惑をかけてる老人ばかりが視界に入る
銀行や病院の窓口、レジ、どこかの店員にからんでいる年寄、そんなのばっかり
身体にガタがきて、病気と痛みを抱えて、頭もぼけて、誰にも相手にされなくなって、老齢者の生活のそんな面ばかり目に入るのだが
老人になってしまったらいいことってないのだろうか
そんなにしてまで自分は生きたいと思えない気がする
そんな簡単に言うなよ
恋人や友人なんて作れるわけねえだろ、こちとら生まれてからこのかた気持ち悪いを自認して生きているし
そんなやつが恋人を作ろうと人様によってみろ、うっすら気持ち悪がられて終わりだ。
パソコンの大先生だから、パソコンは好きだが、円高でパーツも高いよ!!あとまた一人だ!
カカクコムを見れば、毎日ジジイがレスバしているような限界集落なんだぞ
何をしたらいいんだよ。教えてくれよ
専攻医時代のこと
右半結腸切除において重要な上腸間膜静脈前面の主リンパ節に対するアプローチ
カンファレンスにて指導医や先輩たちは鈍的なアプローチにて郭清し抗がん剤で叩くべきという見解で一致
当時の僕は科長含め指導医や先輩たちを下に見ており、頼りのない医師であると感じていた
こいつらは大胆なアプローチが取れない度胸なしであり、すぐに抗がん剤に頼り消化器内科に患者を送りつけるクズだと
僕は筋層を越えていないT2止まりでそんな臆病な選択をするなど自分勝手な責任逃れだと指導医を非難した
いざ手術開始
順調に切除部位に到達
出血が始まる
ベテランのオペ看の「あ…」と言う声を皮切りに手術室内がざわめき出し、麻酔科医はずっと椅子から立ち上がりこちらを見ている。
途中で手術室に入ってきた指導医が周りを落ち着け「最後までいける?」と僕に聞いた
僕は至極冷静に「もちろんです」と答えた
さらに止血のため術野を確保しようとした結果スパーテルで血管を傷つけさらなる出血を起こした
ワーナーのが一番好き。ロゴ自体がかっこいいので印象的。ハリーポッターのも印象的だけど、マトリックスのやつが一番かっこいい。
コロンビアの女神はイジり映えする。MARVELのアレが続かないとちょっと違和感すらある。
ユニバーサルのはこれから映画だぁって感じがする。BGMがなんとなくBTTFっぽい。
東映のハイパースペースみたいな背景から無音でボォ……と浮かび上がってくんのも嫌いじゃない。ゴジラの鳴き声が聞こえてきそう。
でもパラマウントはなんかつまんない。
配給会社は印象的だけど、制作会社?は種類多いからあんまり覚えてない。
なんか三日月に乗ってるやつが釣り糸垂らしてるやつは割と覚えてる。
木に雷が落ちて葉っぱが生えるやつはかっこいい。
あと最近ジェットコースターが落っこちるやつもよく見る。アリババだっけ。中国かどっかのスタジオ。
エンドロールは長すぎるので嫌い。ポスクレがあった可能性にモヤモヤするのが嫌だから一応待機してるけど。エンディングの短さは大真面目に邦画の良い所の一つだと思う。