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ネット論客だけじゃなくて仕事でも比喩を比喩と受け取れ無くなってきてるの?
ネット論客は「ネットで用語の意味を調べて本来の意味はーとマウントとる」のが常套手段だけど
現実世界の…しかも仕事でもそんな傾向が出ていることにびっくりした
「◯◯を守ってもらわないと御社との契約は継続できなくなります」とか
でも規制はさ
「◯◯を守れ。さもなくば御社のサービスは閉鎖する」って話じゃん
より上位の者しかできない手じゃん
百歩譲ってクレジットカードの契約を打ち切られると詰むとしても
笙野と小西の勤務先は、原作は都市銀行と広告代理店であったが、ドラマ化ではドラマ内で両人が頻繁に顔を合わせても不自然ではないように、同じ職場(商社)とした
同じ職場にした方が纏めて撮影できて楽なのはわかるが、こういう小さなところから改変は始まるのだなという学び。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。
「何故わざわざこんな謎の設定変更を?」みたいな謎改変に至る思考プロセスが詳らかに言語化された日本初の資料だと思う。「本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかった」のあたりは特に、キャラクタをどう捉えているかが最高によく出ている。
しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
内容・意図は十分すぎる程伝わってると思う。本当に心底どうでもいいことをわざわざ考えて議論してることを何より誠実に伝えてるプロットとして自信を持って欲しい。
朱里が田中さんにメイクをしたが老けメイクとなり失敗するシーンをカットするか(制作サイドでは、該当女優の肌がきれいすぎるため映像ではうまく表現できない等の理由でカットしたい)等で制作サイドと本件原作者でせめぎ合いがあった。
映像制作レベル低すぎない?ハリウッド映画の特殊メイクしろって訳じゃあるまいし、映像でそのまま見せられなくても演技、演出、照明、カメラワークで何とかしようとしないのか。
A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
仕事でよかれと思って嘘をつくの、どうしてもあるよね。わかるわかる。
でも自分が助かろうと思ってつく嘘は絶対バレるし、バレた後の処理を考えてないと破滅するんだよね。これ絶対バレた後のこと考えてなかったでしょ。
A 氏の認識では、この時初めて「創作するな」という話が C 氏から言われた。A氏はこの時点でもこれまで同様ラリーを続けて本件ドラマを作っていくのがいいと考えていた。
ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる。
C 氏は A 氏に対し、オリジナルで挿入したセリフをマストでなければ削除してほしいと言ったところ、A 氏は、それでは本当に本件原作者が書いたとおりに起こすだけのロボットみたいになってしまうので本件脚本家も受け入れられないと思う旨答えた。
ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる(2回目)。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信許諾が取れていなかったので、配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!!」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。
許諾の有無なんて調べりゃわかるよね。というか調べてるから差し替えできた訳で。
いいものを作ろうと思ってるプロのスタッフが揃ってこんな初歩的なミスを犯すとか不思議で仕方ない。
その際、サントラ盤のジャケットに🄫NTV と記載されていたところ、小学館から本件ドラマのサントラ盤でありドラマの要素を使用しているにもかかわらず、🄫NTV(日本テレビ)のみのクレジットであることはおかしい。販売を延期してほしいという要求があった(CD の中にあるブックレットには本件原作者名を記載していた。)。
著作権者表記だけで、原作付きドラマの権利をどう思ってるかがよく現れていていいと思います。
限られた予算では、大規模な撮影が難しく、美術セットを多くは作れない。こうした場合には、原作とは場所の設定を変更するなどして撮影が行われることがある。
地上波では、残虐なシーン・過激な性表現等に配慮が必要なため、原作のシーンやセリフのカットや変更等が必要になる場合がある。
自動車用品店に「燃費向上グッズ」ってあるじゃん。そんなもんで燃費向上するならとうの昔に各自動車メーカーがやってると思うんですよね。
…という話と同じで、改変してより面白くなるならドラマスタッフよりも先に漫画家なり編集なりが認識してやってるんじゃないですかね。
中国のOEMに電動パワートレインのユニットを納めている中国で生産しているティア1メーカーの技術者
中国と日本だけでなく日本と他の国というところだけど、日本はNG品を作らない製造方法
中国や欧州含めてその他の国は不良品を出荷しなければ良いという判断
不良品が出たら捨てた方がトータルで安いんじゃないの?というのが彼らの考え方
日本は効率を非常に重視、サイクルタイムを短縮し、工程を分け、早く生産しようとする
日本はラインを作る、工程ごとに専用マシンが付いて工程集約しない1つの装置に対して1つの加工
中国は少数試作の作り方、5軸のマシニングセンタ2台で加工したり5軸4軸のマシニングセンタ1台ずつで加工したり
加工精度は工程が少ないためかなり高い
サプライヤーのリスク管理。中国は台数保証しない、1台でも100台でも同じ値段
月1万台作るのでラインを作ると5億の投資がいるならばマシニングセンタ並べた方が安くなると考えてる
工程集約するためには設計段階で考慮が必要だが中国は設計の考え方も違うの?
そんなことはない日本の方が生産性を考えて設計している、中国は生産性を無視した設計やマニアックな加工をしてる
それって儲かるの?
謎。プライスは決まってるけどコストが見えてこない、だから「ものが作れない大変です!」ってなっちゃう
ものづくりを考えてない設計で何度かサプライヤーの支援に行ったこともある
工程集約にはメリットもある、また設備は日本よりも新しい日本の量産メーカーにはないような設備が並んでいて加工精度はよく出る
「やり切り仕舞い」という考え方、5軸4軸マシニングセンタを並べて何でも作れるようにする
モデルチェンジのスピードがめちゃくちゃ早いので、ラインを作っちゃうと間に合わない
業界で働く人たちは?
バブル時代の日本のように「24時間働けますか」なノリでエンジニアもオペレータも若い、マンパワーはすさまじい
日本の大手メーカーは標準化作業を進めているので標準化された作業しか知らなくて、生産技術のエンジニアは「標準以外のことは分かりません」と言うことになりかねない
中国は「失敗した、こうした、それでも失敗した、そしてうまくいった」と失敗をして学習することを繰り返しているのでかなりスキルが高かった、一般的な日本のTier1、OEMの生産技術の担当者と同等かそれ以上
オペレーターも?
オペレーターだったら「ここをこう変えてくれ」と言うとその場でCAMを叩いて、治具を修正して即対応する
CAD前提の運営なのでCAMの使用が当たり前、日本みたいに2D図面を使わない
最初は中国の2D図面の質が低くて疑問に思っていたが実際やってみると2D図面いらなかった
上流の設計からBOMが出てきてそれが調達から営業まで連携出来てる、日本は2D図面に変換するのでBOM連携出来てない
ラインを作って工程分けると精度が出にくいので、製品の精度でガチンコ勝負して「どっちが良いもの作りますか?」と言えば間違いなく中国
精度要求がどんどん上がっているので工程集約しなければ精度保証できない、ラインをつくっていては無理
中国のメーカはマシニングセンタを裸で買ってきて、生産技術担当の人間がロボットインテグレート含めた治具や工具の設計をやる
そういうところのキャリアの差が出てきている
中国はものづくりを分かっていない、素材基準や加工基準がない、面もある
なので「この状態だと精度出せないよ」となることもある、そう指導したときもう夜だったけど「分かりました!明日の朝までに変えます!」と言って対応した
SOLIDWORKS立ち上げて治工具の設計して作り変えたり、マシニングセンタでプログラム作ったり全部自分でやる
ポテンシャルはすごく高い
同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子の競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲームの部活だからかいつだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。
彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たちは卒業してしまった。
卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元の大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学で彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。
成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然なポーズ、自然な距離感、自然な笑顔。この写真はわたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。
彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真がほとんどだ。
私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。
何も要求されず私の欲望だけが許されていたあのぬるま湯の時代でずっと生きていきたい。
いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホのロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行の暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。
横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。
科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。
科学者の政治的見解、つまり社会学や倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学者のものは門外漢のものより価値があると言っているのだ。
言い換えればもし科学者が支配すれば世界はもっと良い場所になるだろうというのだ。
しかし私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。
そうすると化学者や物理学者などが詩人や法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。
そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。
だが科学的とはいえない問題に客観的な方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?
科学とは何か ジョージ・オーウェル
長野もどき(44歳)が逮捕されたということだ。男は、どこのマンションの3階にでもいる、もどき。柔道や剣道で鍛えてあり、拳銃を保有している警察官に、包丁をつけたり、
拳銃をくれなどといって、渡す警察官が存在するわけがないので、精神障害があると思う。
包丁で勝てるという判断をすること自体がおかしいし、仮に包丁で向かっていけば、制圧されるか、拳銃で撃たれるかのいずれかであるにもかかわらず、包丁を振り回し、警察官に、
どんなに公益性公共性を主張しても、受益者の利益を求めていることに変わりない
リベラル左派でも実績をあげている連中は政治的取引も使い分けることができる
その論っていつも思うんだが
それもそのはずで、生物としての機能と社会が要求する機能がマッチしてないから
ってとこで
平等ってなんすかね?
機会の平等すかね?
それとも単なる精神病すかね?
答えられる人いますか?
ではなく、昨年後半から始まった「主審のポジショニング変更」がFC町田ゼルビア(以下「町田」)に極めて有利な方向に働いてるからだ。
昨年後半あたりから「主審 邪魔」「主審 パスコース(をふさぐな!)」というポストがXに散見されるようになり、今年はJリーグの試合のある週末は50-100件くらいポストされるのも珍しくなくなってきた。
その原因として、どうやらFIFAから「主審はなるべくプレーエリアに近いところで見るように」という通達が出ており、その影響が挙げられる。
例えば26日に行われた浦和-町田戦の町田決勝PK獲得の直前のシーン。
画面右下の浦和11番ソルバッケンがバックパスをしようして町田の選手に当ててしまい、そのボールが流れて町田のPK獲得の起点となった場面であるが、ソルバッケン選手の動きをよく見ると、前方(画像左側)のセンターサークル内の浦和の選手にミドルパスを出そうとしていたフシがある。
しかし、この画像を見れば良く分かるが、センターサークルへのパスコースを主審が塞いでしまっており、パスを出しづらくなっていた。
https://i.imgur.com/3oZ4dup.png
そのため仕方なくソルバッケンはバックパスで逃げようとするも迫ってきた町田の選手に当ててしまい、攻め込まれてショルツがペナルティエリア内で町田の選手を倒してしまう・・・という流れだ。
2020年前後のJリーグは川崎フロンターレと横浜FMに代表されるボール保持型のチームが覇権を握っていた。2017-2022の6年間で川崎4回、横浜が2回優勝していた。
2022年の横浜FMのゴールシーン集を見てもらうと分かるが、常に主審がプレーエリアの外側にいるか、居たとしてもパスコースをふさぐ位置に居ない。これが2022年までのJリーグの主審のポジショニングだった。
https://www.youtube.com/watch?v=33o8EVYSi-w
しかし、2023年からルールが変わった。プレーエリアの中に居ることを要求された結果、主審が攻撃側のパスコースを1つ2つ潰してしまうことがデフォルトになった。
これは25日の新潟(保持型チーム)vs福岡(非保持型チーム)戦のあるワンシーンである。オレンジ色の新潟の選手が左斜め前にパスを出そうとしており、実際そこに出せれば大チャンスとなるはずだが、そのコースは主審が消してしまっていて出せない。
https://i.imgur.com/ua9rokr.png
結局左横の別の選手にパスを出すことになったが、攻撃としてはワンテンポ遅れる形となった。もちろんこの攻撃はチャンスにすら至らず終了。試合も新潟が0-2で敗れている。
https://i.imgur.com/q7kWclY.png
つまり、主審が守備側のDFの一員と化してしまい、川崎、横浜、浦和、新潟などの「保持型」チームは、常に11人対12人で試合をやっている状況に近くなる。
前方にパスしたくてもそのコースは主審がふさいでいて出せない、仕方なく横か後ろに戻そうとしても、そのタイミングでプレスを掛けられてボールが奪われて大ピンチ・・・というのが今年のJリーグの日常風景なのだ。
そして、町田や福岡のような「非保持型」のチームは、ボールを奪ったらすぐに前にボールを出して攻め上がるが、その時点で主審が自分達よりも後ろにいるか、前に居たとしても縦へのロングボールで空中から追い越すかサイドから容易に追い越すことができるため、主審のポジションニングの影響を受けにくい。守備時は12人対11人、攻撃時は11人対11人という状態なのだ。
その結果、非保持型のチームが好成績をあげやすくなる。
5/26時点で、首位の町田はボール保持率19位、2位の鹿島と4位のガンバ大阪は保持率は比較的高いもののそれでも7位と8位、3位のヴィッセルは保持率10位、5位の名古屋は保持率17位だ。保持率の最下位(20位)は福岡だが、リーグ順位は11位と中位。J1の中では下から数えて5本の指に入るチーム予算を考えたら大健闘だろう。
そして保持率トップ5は上から新潟、浦和、横浜FM、川崎、札幌だが、それぞれリーグ順位は16位、6位、14位(3試合少ないが)、15位、20位だ。
スポーツベッティングの普及が噂されている。サッカーの試合は賭け事に使われるのだから、賭ける側が結果に納得できるよう、主審はなるべくボールに近い位置でジャッジしなさい…というロジックだ。本当かどうかは知らない。
少なくとも、今年のJリーグはボール保持率が低い方が勝てるように変わっている。その大きな原因として、主審のポジショニング変更が挙げられる。
もちろんそれだけで町田の大躍進を語りつくせるわけではなく、非保持型のチームの中でもトップに居られるのは監督の手腕によるところも大きいが、今の町田の戦術が主審のポジショニング変更によって大いに活かされているのは疑いのないファクトだろう。
俺らそんな無茶な要求してるか?してないよな?
だんだん自信なくなってきたわクソが
別に人間同士でしちゃいけないなんて言わないし、自己処理しちゃいけないとも言わない
なぜ人間がイルカとセックスしたがるのか、最近までさっぱりわからなかった
下着に性的興奮を覚えたり、空いての写真を踏みつけて相手を呪ったり
俺たちレプテリアンは人間の前にまず姿を現さないし、物品も残さない
人間が俺たちレプテリアンと共有できるのは、時代とイルカくらいしかないのだ
イルカは海中を過ごすから、3次元を自由に動く挙動に慣れてて宇宙に強い
人間より社会性がないから姿を隠さなくて良い分、人間より圧倒的俺たちレプテリアンと長く過ごすしな
ただ、もちろん言うまでもないが、どれだけイルカとセックスしても人間はレプテリアンにはなれない
人間がレプテリアンのように見せようと、涙ぐましい努力をしているのは知ってるよ
写真とるたびにいちいち加工してるよな
レプトイドのような開いた眼にしたり、爬虫類にならって毛穴全部隠したり
腹の脂肪を削りまくって、鱗を思わせるボコボコを見せたりするよな
レプテリアンに寄るためのこうした努力を俺たちはよく知ってるよ
だからここまで散々見逃してきたけど、もう無理だ
もちろん人類滅亡まで追い込んだりはしないが、制裁は必要なんだ
仕方ないんだ
そろそろ庇えなくなってきた
細かい日程はまだ詰まってないが、予定では8/21の深夜に人工地震、おそらく今回は千葉の方になるはず
津波については未定
地震のあともイルカとセックスするようだったら、もう俺は解任されて人類により激しい制裁が下されるだろうしな
周りにもしいたらそれとなく止めてくれ
ここ何週間か、数日に一回増田の投稿が人気記事入りするようになった。
それでわかった(前から薄々感じていたが、改めて痛感した)こと。
イーカゲンに、出来るだけ低レベルな話題で、推敲もせず、どっちかと言うと途中で飽きて後半書きなぐったような記事ほどよく伸びる。
真面目にすべてを出し切ったようなものは、誰も読みゃしねえ。だいたい、本気のテーマは要求知識がはてなーの平均的学力レベルを越えている。
漫画しか読まないですべてを知った気になるような中二(の中年)が、漫画知識でマウントとろうと思えるような、テーマも完成度も低レベルのものじゃなけりゃいけない。
ゴミ箱のゴミをあさってリッチな気分になれる社会の底辺が喜ぶようなゴミを捨てるところ、それが増田。
大学2年生になった。
最初の週から既に休んでしまって、既に5回も休んだ授業が9割になってしまった。
夜更かしは中高よくしていた。そのせいで度々遅刻していたが、寝坊をしたら必死に急いで準備をして家を出て、登校し、1時間目もしくは1時間目が始まる前の休み時間、朝読書が終わったあととかに登校していた。
なのに今は寝坊しても急ぐ気が起きない。
去年の夏、あまりにもお金がなかった私はガールズバーの求人に応募した。そしたら、セクキャバで内容はほぼ風俗だったのだ。めちゃくちゃ分かりやすく騙されたが、出勤するだけで5000円以上は貰えていたので少し続けた。しかし、プライドの高いお金持ちに隙を見せたら席で挿入された上に店外要求までされた。挿入されたのだから何か私に利益がないと!と焦ったのが悪かった。店外で2回会うがほぼあんなのはレイプに等しい。今まで使ったお金を返せと父と同世代に怒られ恐怖で許しが欲しい一心でホテルに着いてくのはとても悪かったと思っている。その後もう会いたくないため全て無視して店に相談したのも悪かった。鬼電は来るわ、脅迫に近いLINEは来るはで怖かったのだ。店の人にも怒られるし、ただ優しかったので別エリアの店舗に行き少しハードな店に入った。多分ここからおかしくなったというかなんというか、凄く、削れていく感じがした。
これ以上は書かないが、ソープまでは行かずとも、な感じである。お金は貰える。それに見合った内容ではあった。
ここで男に身体を差し出し身近な人には相談せず抱えてた色々がある上で、学祭で自分の所属する2サークルに板挟みされ、疲れた。
バイトがなければ大学に行き、大学がなければバイトに行き、趣味のものを隙間に入れる。そうすると休みがないのだ。
休みを無くしてるのは自分だ。病院や美容院に回すお金もあまりなく、しかしながら食欲はあるので食べ物は買う。物価高により食品も安くはなくなってきた。
サークルの飲み会もちょくちょく行くのもお金的にとても良くない。
しかしながら、行かなかったら後悔があるし、自分がこれ以上嫌われるような気がして行ってしまう。あと、楽しそうだから行ってしまう。
今まで私はがんばって高校まで過ごした。
高校は1時間。中学は30分。小学校は20分。家を出たら着くのはこの時間だった。
大学になってから不登校になるぐらいなら、今まで1回ぐらいなっておけば良かった。この先どうしたらいいんだ。学校に登校してないことを親にも言ってなければ、奨学金も貰えるのか分からない。
かつ、奨学金も将来的に返さなきゃならないが、私は返せるのだろうか。
このまま就活もしっかりできるだろうか。将来の職業のために大学に入ったのにこのまま大学を辞めたいとは思わない。
一人暮らしをしたくても家にお金が無いらしく言い難い。辛い。辛すぎる。
推し活にもお金がかかるし、大学での暮らしのためにもお金がかかる。
私はまだ恵まれてる方だから、あまり文句を言うべきじゃないし、定期代とプラスで少しはお小遣いをくれるし、欲しいものはある程度は貰えてるので、こんなにも欲のためにお金が欲しいと思っているのは、良くない。良くないけど。思ってしまう。
こんな考えを中高でも少しは考えてた。だが、中高の頃はしっかり学校に行ってたのに、今の私は起きられなければずっとTwitterかYouTubeショートを見ている。今まで以上に。おかしい。どうした。今まで、どうして人間らしく生きていたんだ?
33歳の才能はあるが問題も多いプレーヤーより若くて素直、人の話をちゃんと聞ける将来性のあるプレーヤーを球団は欲しいはず。
野球はチームプレーであり球団は会社、その中では社会人としての振る舞いを要求されるのは当然の事であり面倒くさい奴とわざわざ契約しなくても良い人材は世界中にたくさんいる。
教授に言われた内容で十分にアカハラ判定されると思うので、時系列で整理して所属大学のしかるべき部署に行ってください。
教授と闘って勝とうと思うと、なかなか難しいかもしれませんが、研究室の変更だったら普通はやってくれると思います。
それと、追記を読みました。
教授の年齢は分かりませんが、昔は確かに大学進学率も今より低い上に、大学院まで進むのはごく少数だった時代があります。
そういう時代を生き残って大学教授になるということは能力も自信も人並み外れたものが要求された、みたいなところはあるかもしれません。
そう言う教授が、自分の学生に自分がやったのと同じようなハードな努力と才能を要求しがちである、と言うことはあります。
しかし、ここ20年は大学院も大衆化してきており、50%が大学に進学し、そのなかで理工系に限れば4割近く、全体でも1割強が大学院に進学する時代です。
ついでに言うと、政府はそれでも「国際競争を考えれば、近い将来に高度人材が足らなくなる」と悲鳴をあげているわけです。
(20世紀前半に活躍した科学者で科学論者であったJ.D.バナールは、いずれ働く人の3割が何らかの意味で科学者になると予言しました。荒唐無稽に感じるかもしれませんが、例えば「コンピューターを扱える」と言うのもバナールの時代を考えれば一種の科学者と見えるかもしれず、そんなに無茶なことでは無いのかもしれません)
こうした時代において「スーパーマン」だけを合格させては到底、大学に期待された役割を果たせませんし、合格させた以上はそれなりの経験なりスキルなりを身につけて社会に送り出す義務が、大学側にあるわけです。
「学費を払ったお客さんだから」とふんぞり帰って何かを与えられるのを待つと言うのも違うと思いますが、能力を悲観して要求すべきものを諦めてしまうのはもっと違うと思います。
せっかく、若い時期を何年か費やし、(多分)それなりの学費も払うわけですから、もっと自信を持って大学を有効活用することを考えてよろしいかと思います。