はてなキーワード: ボードゲームとは
同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子の競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲームの部活だからかいつだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。
彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たちは卒業してしまった。
卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元の大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学で彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。
成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然なポーズ、自然な距離感、自然な笑顔。この写真はわたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。
彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真がほとんどだ。
私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。
何も要求されず私の欲望だけが許されていたあのぬるま湯の時代でずっと生きていきたい。
いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホのロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行の暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。
横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。
そういうのが好きな知り合いで「この人本当に良い人だな」と思う人いる?
ああいうボードゲームが好きな人ってどこかで負けず嫌いだったり頑固だったりするでしょ?
そういう人間になるようにゲームの側がプレイヤーを洗脳していく仕組みがあるからなんだよね。
だって囲碁や将棋って、格ゲーやFPSの前世みたいなもんだもん。
自分の手先だけバチバチやりながら、勝った負けた潰した殺したで身体もロクに動かさないままアドレナリンドバドバになる。
健康にいいはずがないんだよ。
ちゃんとした友達を作りたいなら体を動かす趣味を見つけたほうがいい。
ヨガや旅行みたいな「特に何をしたら勝ちとかはなくて、あえて言うなら今を楽しんだもの勝ち」みたいなのがいいかな。
食べ歩きとかもオススメなんだけど、「俺はこの店が繁盛するのを予言してた!」とか「めっちゃコスパがいい店を知ってる俺は情報通!」みたいになるととたんに頭がおかしくなるから気をつけて。
内閣府が孤独・孤立対策強化月間である5月のあいだ開設する仮想空間<メタバース> 「ぷらっとば~す」 というのが、はてなにあがってきた。
https://www.notalone-cao.go.jp/category/monthly/metaverse/
このメタバース、すごいのが、誹謗中傷防止のためか、「ユーザー同士のコミュニケーションはすべて禁止」」ということ。
チャットはできないし、ログインすると、すぐに「けいびのひと」というアバターが、静音モードにしろと近寄ってくる。絶対にユーザー同士が会話を交わさないように見張っているらしい。
これ…なにもできなくね…?? なんか内閣関連のリンクに飛ぶくらいしかできないみたいだ。 なにそれ?
そもそも、孤独感をもつひとのためのメタバースなのに、誰ともコミュニケーションできなければ、より孤独感を感じるだけなんじゃないだろうか。
ツイッターで古市も指摘してたけど、これ、税金でやってることだからねぇ…(呆れ)
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孤独な人は、将棋(か囲碁か、健康マージャン)を趣味にするべき。
将棋はルールさえ知ってればできる対人コミュニケーションゲームなので、一生できる。年齢に関係なくでき、幅広い年齢層がいる。競技の場も整備されていて、オープンチャットとかのSNSコミュニティに所属したり、将棋道場(碁会所)の常連になって顔なじみになったりすれば、そこですぐに友人ができる。
いろんな年齢の人と同卓でゲームする、という対人コミュニケーションゲームがもたらす「人と仲良くなる」効果って、ボードゲーム好きな人はわかると思うけど、本当に大きい。
こういうゲームという入り口から顔なじみになって、次第に(親友とは言わないまでも)友人になっていくのが、一番自然な「孤独の解消方法」だと思う。少なくとも、こういう顔見知りを作っておけば、孤独・孤立感にさいなまれることはなくなるはず。
政府は孤独問題に本気で取り組む気があるのなら、「将棋や囲碁で、世代にかかわらず交流しよう!」みたいなキャッチフレーズをかかげて囲碁将棋を推奨し、初心者のイベントを発足し充実させて、全国の将棋道場や碁会所に、投資とはいわないまでも盛り上げてくれたなら、孤独な人が日本から1割は減るのではないかと本気で思う。
今の時代、将棋や囲碁の道場はどこも運営がかつかつなので、政府からの支援があればありがたいので、将棋界にとってもwin-winだ。
逆に言えば、囲碁将棋界(あとは麻雀界も)は、孤独強化をかかげる内閣府に、「ゲームを入り口に孤独を解消できます!予算ください!」と自ら売り込みに行くべきなのだとも思う。業界には大きな、競技人口拡大のビジネスチャンスなんじゃないのか。
長々と書いたけど、私が言いたいことは、「将棋面白いよ!友達もできるよ!みんな将棋覚えて、将棋道場に行ってくれ!」ということだけだ。
パパ活という言葉が流行り始めたのは2015年頃かららしい。今回はその前の2013年、地方でパパ活のようなものに出会ったときの話をしたいと思う。
2013年、大学を卒業し、地元で就職した私は友達に飢えていた。小学と中学は不登校だったので、いわゆる「地元の友達」が居なかったのだ。
Twitterを見ていると、東京に住んでいるフォロワーがそのフォロワーとオフ会をしたり、さらにそこから親交を深めて友達になっている様子がたくさん流れてきた。
家と会社の行き来ばかりで親しい関係の人も居なかった私はそれを見てさらに孤独感を深めていった。
そこで、私もインターネットで友達を探すことにした。mixiに登録して、地元のコミュニティを探して「友達を募集している」という旨を書き込んだのだ。
そこで、一人の男性とメッセージのやり取りをした。その男性は42歳だった。友達になりましょうと言ってくれて、まずは会いませんか?と誘われた。
アラサーの終盤を迎え、いろいろと世の中のことが分かってきた今の私では決してその誘いには応じなかっただろうが、その時の私は応じた。
理由としてはあまりにも「友達」という関係性に飢えていたことと、地元のボードゲームをする集会の中で一回りや二回りくらい年上の男性と純粋に楽しくボードゲームできていたから、「この人も純粋に私と友達になりたくてメッセージしてきてくれたんだ!」と思ったからである。ボードゲームの人と友達になればええやん!とツッコミを入れられるかもしれないが、当時の私にはその発想が無かった。
というわけで、地方の中でも一番大きい駅で待ち合わせして会うことにした。電車に揺られる中、「友達になれるかな……?」ととても緊張していたことを覚えている。
実際に会ったその男性の姿は、白髪交じりで小太りだった。そのことは特になんとも思わなかった。容姿なんかより友達になってくれるかが私にとっては重要だったのである。
挨拶を交わしたあとは、そのまま男性と駅ビルにある中華料理店に入った。そこでいろいろと話をした。
男性は既婚者であるらしい。最近出会って数ヶ月で結婚したスピード結婚らしい。「そんなに早く結婚することもあるんですね〜」と私が驚いて言ったら、「大人はそういうこともあるんだよ」と言われたのが印象に残っている。
「俺、月収いくらだと思う?」と聞かれたので、当時の私にとってはとても大金である30万ですか?と答えたところ、「もっと多いよ……」とちょっと不機嫌な顔をされたのを覚えている。女性の「私、いくつに見える?」の男性バージョンは「俺、月収いくらだと思う?」なのだなあと感じたものである。
「そのうちホテルにも行きたいね〜」とも言われた。さすがの私でもホテルに行きたいの意味はその時知っていたので「友達とはちょっと違うな……?」とそこで思った。
料理も食べ終わり、その後、解散する流れとなった。男性は食事を奢ってくれて、私に家族の分も含めたケーキの詰め合わせも買ってくれて、帰りの電車賃も出してくれた。「そこまでしてくれていいんですか?」と聞くと、「出したいから出してるの」と言われた。「そういうものなんだ……」と思った記憶がある。
家に帰ってからその後は、「ホテルに行きたい」という言葉からしてこれって友達じゃないなと思って連絡はしなかった。相手からメッセージは来たが無視をすることにした。
エピソードはここで終わりである。「お金を自ら出したがる人」がいるんだな〜って思ってたけど、これってもしかしたら無自覚にパパ活しかけた話なのではないかといま振り返ると思う。今の人は自覚的にこれをやってるんだな〜と思うとなんだかすごいなあと思うのであった。
ちなみにその後、友達募集掲示板で同世代の友達を募集して300人くらいとLINEのやり取りをしたが、交友関係ができたことは全く無く、しばらくやり取りをするうちに切れてしまった。
Twitterでフォローしてる人たちとはなんとなく関係が長く続いて、会ってくれたり、遊んでくれたり、友達になってくれた人も複数人いる。
そんな話なのであった。
精神科に5回か6回ぐらいは入院したが、その時の自分の行動の傾向についてメモする。
暇で発狂するレベルなので、やたらとアクティブになる。将棋や卓球をやる相手を探してひたすら声をかけたがる。
どういうわけか、コミュ症ではなくなる。女性とも平気で会話する。病院患者内のコミュニケーションを支配することもある。
投薬量が増え、頭が急激に悪くなる。IQテストみたいなのをやらされるが、全くわからなくなる。
これは妄想の可能性があるが、保護室に入れられたときに、絨毯よ重くなれと念じたら持ち上げられないほど重くなった。
他人のいびきが俺に伝染する。その結果、呼吸ができなくて眠れなくなり、睡眠薬が必要になる。
患者をオナニーのおかずにすることよりも、看護師をおかずにすることが多い。たまに便秘になると、看護師がお腹をスリスリマッサージしてくれるので、それがネタになる。
被害妄想を持った患者が一定数いて、俺の会話内容を横で聞いて誤解して喧嘩をふっかけてきたり、テレビの前を歩いたことに因縁をつけてきたりする。
殴られそうになったことが一回だけあるが、そいつは俺の個室に勝手に入ろうとしてきた。
入院患者にはゲイがいて、一度いきなり抱きしめられたことがあった。看護師は「それは、友情の証なのか、それとも性志向なのか」とそいつに問いただしていた。
見られていないので、壁を思いっきりぶん殴る。ストレス発散になる。
保護室は殺風景な部屋なので、どんどん狭くなっているように見えてくる。部屋の空間の大きさを歩幅で確認するが、精神が異常なので歩幅の数を記憶できない。
時間をカウントするために、トイレットペーパーを丸め始める。時間が本当に流れているのか疑う。
母がいなければ入院期間はもっと長引いていることだろう。電話を使う機会があるが、そのときに母に頼んで退院を早めるよう交渉してもらう。
一部重複あり。
「成功難度が低い」なんて一言も書いてなくて「流行っていない」としか書いていない。作品数が少ないからブルーオーシャンだけど、客が少ないからブルーオーシャンとも言える。
姉:頭が良い、剣道2段、空手3段、仕事が出来る。たぶん年収も良い。厳しいけど優しい。可愛くてかっこいい。男嫌い(本人は自覚なし)
増田:姉の2歳年下、オタク、姉のお陰でブラック企業からホワイト企業に転職。独身貴族。姉が大好き。
3年前に姉が結婚してしまった。聞いた時は泣いた。家族の顔合わせでも号泣してしまった。親が毒親気味だったのに自分がわりとマトモなのは姉が子供の頃から母親役をしてくれたからだと思う。
勉強も見てくれたし、自分が間違った方向に進みそうな時は泣いて怒って止めてくれた。いま思い出してもあのまま突き進んでいたら自分も周りも不幸になったと思う。
姉は可愛くてかっこいいので、結構モテる。ただ非婚主義だったので社会人になってから付き合ったのは多分現夫だけ。付き合うときも「結婚しないけどいい?」と言ったらしい。現夫もその時は問題ないと思ったらしいが、付き合っていくうちに絶対結婚したい!と思って色々画策して最後に「君がいない人生なんてこの先考えられない。こんなふうにした責任とって(意訳)」と言って泣き落としたらしい。姉は真面目なので「責任」という言葉に弱い。姉をよく知っているな、と腹も立つが感心した。
当初、姉の夫のことは増田にとって間男だったし、正直憎んでいた。
ただ、知り合っていくうちにめちゃくちゃ趣味が合うことが明らかになった。
ゲーム全般(将棋、ボードゲーム、洋ゲー、ゲーセンのリズムゲーム、でもソシャゲはやらない)好きなこと、クラシック好きなこと、これまで観ているアニメもほぼ被った。最近読んだ本まで被る。
一方姉は私に付き合ってボードゲーム会やコンサートには来てくれるが、好きという感じではない。嫌じゃないって感じ。
以前、一人で映画館に行ったら、姉の夫も一人で観に来ていて驚いた。
映画を観終わって、姉の夫は姉の待つ家に帰るんだと思ったら羨ましくてトイレで泣いた。
もう本当に羨ましくて妬ましくて憎いんだけど、姉を大事にしてほしいと思う。もし少しでも傷つけたら許さない。
姉が選んだ相手だし、結婚して3年経っても姉は幸せそうなので姉の夫は多分良い人間なんだということは分かってはいる。
二人に子供が生まれたら、自分はどう思うんだろう。ライバルが増えたと思うのか、可愛がれるのか。
姉に似てたらデレデレになる気もする。
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
銀髪イケメンチュパカブラに恋する運動万能女子高生のボーイミーツガールの0話
「お隠れした人間を詮索するのはやめなさい」
人がお隠れすると、人ならざるものになるという
でも、久しぶりに会ったお姉ちゃんが、なんか変…?
昔のボードゲーム人気ボードゲーム「大将軍するめ」の話題をふる少女
誘ったのは大浴場、そこで少女は寝湯と断頭台を合わせたような場所にうつ伏せになる
という夢を見た
なかなか設定が奥深そうで面白かったが続きは見れなそう
他の要素をできるだけ書くと
チュパカブラっつーか蚊にお隠れしてた
「そのキスの仕方やめてほしい」(チュパカブラの長い舌で舌だけを吸うキス)
あと蚊がいっぱいいる湿地帯で超人テニスワールドカップとかもあったけど、その辺の話の筋は分からなかったので断念
お姉さんは元々嫌なやつ、ほんでお隠れする前の銀髪イケメンチュパカブラに憧れてた
でも久々にあったら雰囲気がだいぶ違ってたんだよな
よく覚えてないけど女子高生はあるラッパーにそのことを詳しく聞くってところで話は切れた
供養
自分がされたら嫌なことは、逆に相手にする側になったら相手も嫌がること。
自分がされて嬉しいことは、逆の立場になったら相手も嬉しいこと。
TCGをやればこのことがすぐに学べる。
フィニッシュカードを通す直前に出した釣りに相手が反応して、手札を0にしてくれたら凄く嬉しい。
逆に自分が相手にフィニッシュカードを通されそうになったら、その直前に出した大したことがないカード相手に過剰反応せず、手札が1枚以上の状態を温存したほうが、相手に苦しい状態を続けさせられる。
もし相手に1枚でも手札が残っていたら、それが打ち消し呪文だったらと想像するだけで下手な動きが出来なくなる。
だから、終盤に弱いモンスターを引いたときは、それを雑に出すよりも、「手札が1枚ある」という状態を維持するのに使ったほうが、結果的に強くなる。
「もしも自分が相手の立場だったらどう考えるか……」を意識することによって、相手の気持ちを想像する能力が次第に養われていく。
カードゲームやボードゲームをやることでその感覚を養うことが出来る。
俺はそのことを盲信していた。
相手の気持が分かることと、人に対して親切に出来ることがイコールで結ばれると思っていた。
だが違ったんだ。
カードショップには相手の気持ちがわかった上で、「相手が痛くても俺は痛くないから」と考えるサイコパスが大勢潜んでいる。
言葉巧みに初心者を騙してカードを巻き上げるシャークトレーダーや、風呂にも入らず平然と暮らす発酵チー牛共がその代表だ。
彼らはカードゲームを通して他人の気持ちを理解する訓練を続けるうちに「相手の気持ちと自分の気持ちは独立している」という事を学ぶことに成功した。
これは単体で言えば喜ばしいとで、いわゆるサリーアン問題を攻略することを可能にし、人間関係構築において多くの人が躓くポイントを突破していると言える。
だがその先で得た結論が「つまり、相手がどんなに苦しんでいても、それを意に介さなければ、俺は何も損はしないんだ」になってしまえばサイコパスが誕生する。
人の気持ちはわかるが、人が傷つこうが苦しもうが、それは自分とは無関係なのでどうでもいいと考えてしまうようになるのだ。
人の気持ちが分かれば、他人を不当に傷つけない人間になるなんてのは平和ボケした幻想だ。
本当に恐ろしいのは社会不適合者じゃない。