はてなキーワード: 地方都市とは
私は上京組だ。地元は市内にライブハウスが2軒あるくらいの地方都市。
高校までを地元で、大学を別の地方都市で過ごし、就職で上京してきた。
私は予定がないとひたすらゴロゴロしてしまうタチなので普段はなるべく予定を詰め込んでいるのだが、その日は何もなかったので昼まで寝てご飯を食べてそのままダラダラしていたのだ。
ふと「ライブに行きたい」と思い立ち、ライブハウスのサイトを回ってみた。
東京には星の数ほどのライブハウスがあり、週末にはほぼ全てのライブハウスで何らかのライブが行われている。
何軒かのサイトを巡ると、ちょうどその日に私の好きなバンドのライブがあることを知った。
私はその場でライブの予約をし、電車に乗ってライブハウスに向かった。
ライブハウスに向かう道中、私は心から「ああ、これが東京か」と感じた。
ふと思い立った1時間後には好きなバンドのライブが見られる。常にどこかで数え切れないほどの人たちがライブをしている。
私の知っている地方都市ではそんなことはない。
ハコはせいぜい1~2軒、そこそこ名の知れたバンドでも回ってくるのは年に1回あればいいほう。それを何ヶ月も前から予約し行くものなのだ。
その気になれば毎週でも自分の好きな様々なバンドを見ることができる。というか、見ていた。
と言っても専門的な知識なんて何もなく、ターンテーブルの再生と切り替えとちょっとした調整くらいしか知らない。
知識をつけて本気でやる気もないし、集客を頑張るつもりもない。
音楽繋がりで会った友だち数人と企画して、身内を30人くらい集めて遊ぶ。そんな感じだ。
「ちょっと声をかければ数十人の趣味仲間が集まり、場を共有して楽しむことができる」
そこで一緒に遊んでいた友だちはイベント企画にハマり、ちょっとしたインディーズバンドを呼んで外部集客含め100人くらいのイベントをやるようになった。
こんなことができるんだな、と思った。
わからないなりに「綺麗だな」とか「すごいな」と思うことはある。
それよりは博物館や科学技術館みたいなところのほうが楽しいな。
どうやら私は物事の仕組みや分類みたいなもののほうが好きらしい。
あ、でも文化庁メディア芸術祭はとても楽しかった。終わっちゃったのが寂しいな。似たようなイベントってどこかでやっていたりするんだろうか。
そういう「自分は何が好きか」というのも、行ってみなければわからないみたいなところがあるよね。
なので、行ける機会がある人は知らないものにもどんどん触れてみるといいと思う。
現状
残業ほぼ無し、年休106日。
実家から車通勤(駐車場を借りている)毎月4万〜5万は貯金。ボーナスは5〜6割貯金。
実家に4万、その他毎月引き落としされる金額は1.5万は程度。残りで食費、医療費、被服費、交通費、交遊費を賄っている。
今後
3交代制で一番早い勤務の場合始発で通勤する必要あり。突発的な出勤や残業あり。年休120日以上。
北摂あたりの賃貸で家賃共益費込で5.5万。駐車場1万。水道光熱費1万。貯金、通信費、実家への仕送り含めて5万。と考えると純粋な生活費は5万前後。
食費、医療費、生活雑費など含めて暮らしていけるのか?と不安。
・車を手放せば余裕がありそうだけれど、帰省や今後(地元への転属願いを出し続ける予定)を考えたら、保持し続けたほうがよさそう。最悪今の駐車場を解約せずに置いたままにする予定。
・あと貯金は口座からダイレクト引き落としをしている(こうでもしないと貯まらないので)
・勤務の都合上、始発で出勤が間に合わなければ自転車通勤範囲で探すつもり。(ここらへんまだ確認中)
・いままでは、決まった金額と家事への労働力を提供すれば実家の機能を使いたい放題。な部分もあり、そこが甘えていたところもある。両親は今回の転職にいい顔をしておらず、今後明らかに生活水準が下がることを反対している。
・私もこんなものだろう、とざっと計算してみたが、今のような生活スタイルはまず無理。節約と無駄な出費を徹底的に省くしかない。賃貸契約や引っ越し準備、家具家電の購入などなど、今から憂鬱になっているので、できれば前向きな言葉やアドバイスをいただきたい。
・仕事自体は今までの経歴を活かせる業務かつ、(口コミなどは業務内容の割に給料が低い、評価基準がない、など散々だが)福利厚生も現職とほぼ変わらないので、仕事への意欲はある。
私自身は地方都市の大学院に進学し、研究室は学生が少ないこともあって比較的丁寧に教えてもらった記憶です。
返信の中で何人かが書いていますが、院生と社会人で求められるスキルは全く違うので、その教授の言うことは当てにならないと思います。
友人のなかには、大学院を休学して企業のインターンに参加したり、公務員の勉強をしている人もいました。
その友人たちは結果的にその友人は大学院を中退していますが、話を聞くとその選択を後悔しているようには思えません。
あなたのスキルや能力などはわかりませんが、その研究室だけが世界ではありません。何か行き詰ったら外の世界に目を向けてみてはいかがでしょうか?
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240527a.html
私は晴海フラッグのあの激烈な抽選倍率の中運良く当選し、暮らしている者である。
抽選に申し込んだ部屋は確か五十倍程度だったと記憶している。それでも私が申し込んだ販売期においては倍率としては中ぐらい程度であった。
確かに価格としては割安で一億の部屋が七千万から八千万程度で買えるものではあったのだが、それにしてもここまで人気になるほど住みたい人がいるものなのかと驚いた。
それはただ金を持った法人や投資家やらが札束を振りかざして応募をしまくっていたと言う訳だった。
何という倫理観の欠如だろうか。
確かにルール上、応募に関しては「当選したら購入が出来る範囲の件数であれば問題無い」とされていた。
故に投資家や不動産屋が、一般の個人では到底出来ない数の応募をすること自体はルールに反していない。
しかし、そこで立ち止まって考えてほしかったのだが、それは経済的には正しい行為だろうが、人間として正しい行いだろうか?
晴海に住みたい一般家庭、私のような庶民は一件しか応募出来ないわけである。二件入れて二件とも当たってしまったら生活が破綻するのだから当然だ。
そこをすぐ高値で転売する前提で、投資家や不動産屋が大量に札を入れてきたらまず当たる訳がないのだ。私が買えたのだって奇跡だと思う。
そうして、本当に買って住みたい一般庶民を金の力で押しのけて、手に入れたマンションを高値で売り抜けようと必死に今彼等は画策している。
マンションの付近には「晴海フラッグ○○円です! 御電話はこちらまで」のような、捨て看板が掃いて捨てる程置かれ、それの値段を見ると買値から四千万近く乗った金額なわけである。
まず捨て看板は行為として違法であり何という恥知らずだろうか。当然捨て看板には正式な法人名は書かれていない。電話番号も050と明らかに販売主体の法人に結びつかないような番号になっている。
本当に欲しくて使いたい人を金の力で押しのけたお前らは、金の亡者である事を自覚しろ。
ルールとして出来た事かもしれないが、倫理がある人間はいくらお金があってもこんな事はしない。
そうしてただ金だけがあり、人の気持ちを考える事をしなかった彼等のせいで、どうなったか。
街は寂れたのである。
晴海フラッグは今ほぼ誰も住んでいない。体感では2割程度しか住民がいない。
私が住む部屋の両隣は空き部屋である。上は住んでいる気配があるが下は分からない。
夜晴海フラッグを歩くと、マンションの明かりはぽつぽつとしかついていない。
新しくできたららテラスも常に活気が無い。客もまばらで平日夜の飲食店などどこもガラガラである。この近辺では他に飲食店は無いと言うのに。
ららテラスから試験的に運行されていたららぽーと行きの無料シャトルバスも廃止となった。乗客が少なかった事が原因だろう。当然だ人が住んでいないのだから。
いずれテナントも撤退を始めるだろう。そうなれば、晴海フラッグの近くには何もなくなる。本当に何もないのだ。
「まともな」商業施設と言えばららぽーと豊洲であるが、歩いて四十分近くかかる。頼みの綱のららぽーと行きのバスも、上述した通り無くなった。
BRT(使いやすいバス)は運行前にこそ増便が叫ばれていたが、実際始まってみればその声は無くなった。当たり前だ人が住んでいないのだから。
そして結果二十分に一本しかBRTが無い。どこの地方都市だろうか。
そうしてネットで晴海フラッグを検索すれば、賃貸やら売買でとんでもない件数が募集されているわけである。
全て金の力で庶民を押しのけ、ただ金が欲しいと言う感情だけで買った転売ヤー達の物件である。
そしてどれも呆れる程高い。
お前らの物件に人が住んだり、買うわけないだろ。だってお前らのせいでゴーストタウンになっている訳なのだから。晴海の魅力をお前らが消している訳だから。
こうして晴海フラッグは活気が無い、人の居ないゴーストタウンになった。
さて、こうして街を一つ殺した転売ヤー達、こいつらにこれからでも対抗、天罰を与える方法はある。
賃貸も売買も街が死んでいる以上全て割高なのだから、そもそも住むべきではないが。
彼等は高値での転売を目論んでいる。当然高値で買わなければその目論見は潰せる。
賃貸で出しているのは恐らく、税金対策だとかそんな所だと思うが、それも賃貸で借りなければ彼等の目論見は潰せる。
もし長期的にこの物件を空のまま持つ事になれば、バカ高い管理費・修繕積立金など(月十万近くする)で、彼等を大損させる事が出来る。
そうなれば彼等は安値でも売らざるを得ない。彼等は利益を求め晴海フラッグを買い漁ったのだから、買い手が付かなければどこかで諦めなくてはならなくなる。彼等の中には融資を受けて買っている者も少なくないだろう。管理費に加え金利も損失として膨らませる事が出来る。
そう、奴らに対抗すべく、買わない、借りない、つまりこの街に住まない。これをやるべきなのである。
じきに、彼等はギブアップをし始め、物件は売出し当初の価格、一般庶民でも住めるような価格へと戻るだろう。
そうすれば10年20年後ぐらいには住みやすい街になってるかもね。
売って引っ越したら?と心配のコメントをいただくが特に売るつもりは無い。今もそして将来もだ。
そしてもし仮に今売ったとしても、実は税金面(個人は不動産短期譲渡をすると40%の課税がされるし、取得に関する税金も払っている)や仲介手数料、短期返済違約金で、利益の大半が失われるからだ。
それに晴海フラッグを売ったところで次にどこへ引っ越せば良いという話である。マンションはすでにバカ高くなっている。
最初から転売するつもりのカス転売ヤーには無い問題が私達住民にはある。奴らは法人で買っていたり、賃貸で5年持つことで税金面の問題を回避し、実際に住まないのだから次の物件についてや家族について考える必要も無い。
そしてそいつらのせいで私たち住民は割を食っている。街の発展性が失われている。このままでは街が寂れ完全に死に絶えるかもしれない。
ならば死なば諸共だ。
『King&Prince出演の花火大会 終電が…新山口駅に帰宅困難者』https://mainichi.jp/articles/20240523/k00/00m/040/073000c
JR西日本の職員がとんだとばっちりで大変気の毒なのだが、そもそも何でそんな大勢の帰宅困難者が出たのか。山口きらら博公園にイベントのサイトがあったので見てみたが、公園の駐車場は開催日の前後数日から一般利用が禁止されていて、周辺の道路渋滞の予測も告知されている。まぁそもそも夜の開催なわけで一般車両とバッティングして渋滞したわけではなさそうな気がする(まあ現場にいたわけじゃないから断言はできないが)。
https://www.kirara-memorial-park.jp/event/2024021400454/
数万人のイベントの規模感って分からんなーと思ってちょっと考えてみた。計算や論理がおかしかったら誰か教えて。
動員は約3万人とあったので、全員をバスでどこかの鉄道駅に連れていくとしたら観光バス1台に補助席入れて60人乗ったとして延べ500台の車両が必要になる。路線バス用のバスを用意していたなら80~100人/1台程度で延べ300台だが、地方都市で100台単位の路線バスを1日手配都合できるとは思いにくいので、まぁ一般的には周辺の観光バス屋さんなどから貸し切りバスをかき集めるのだと想像する。
記事には『広島、博多、岡山、小倉行きのバスや、約10キロ離れた会場と新山口駅を結ぶシャトルバスを準備』とある。
会場から新山口駅までは、渋滞を考慮しないGoogleMapルートだと車で15~20分と出る。ところが渋滞考慮すると40分。この辺の読みが甘くてピストン輸送が間に合わなくなっていたのか?。そもそもピストン用バスの手配数が足りなかった可能性もあるかなぁという気もする。そもそもそんな数のバスが手配できるんだろうか。
広島、博多、岡山、小倉行のバスは高速バスだろう。博多、広島までは約2h、岡山は3.5h、小倉で1.5hぐらいだろうからピストンは難しい。手配するとしてせいぜい1か所あたり5~10台ぐらいだろうか。仮に4か所に10台ずつ手配をしたとして、と考えると、高速バス行先4か所×10台×50名=2千人で割と焼け石に水感がある・・・。
なのでまぁ希望的観測として、高速バス手配については、広島・博多30台、岡山20台、小倉50台=計100台で考えてみようと思う。高速バスの手配自体はおそらくそれぞれの行先のバス会社で手配するだろうから比較的何とかなりやすそうだ。
で、この場合でも「高速バスで脱出組」は5千人。うーんまだまだ焼石に水。
そしてこの仮説、5千人を運ぶ100台のバスが公園の駐車場から順番に連なっている、と考えるとすで駐車場を出るところでフン詰まりが起きてそうな気配もある。バスの全長12m、前後の車間考えて14m×100台=1.4kmだし。
気を取り直して、取りあえず「高速バスで脱出組」を5千人と仮置きして、残り2.5万人を新山口駅までピストン輸送する必要があった、と仮定する。
1便60名を輸送可能と考えた場合、必要な輸送便数は417となる。丸めて420便。
ピストンバスを100台用意したと仮定した場合、1台のバスが4.2往復する必要がある。まぁ切りよく5往復をノルマとする。
20:30の終演直後に第1便が出発して、戻ってくるまで往復30分(片道15分)の最短・無渋滞で行けたとして、最終の5便目が出発するのが23時なので、これは実際は終電に間に合わない人が確実に出そうな仕様である。
そこでピストンバスを200台用意したと仮定した場合だと、1台のバス往復ノルマは2往復なので、これなら余裕が出るが、そもそもピストンバス200台+高速バス100台の計300台が公園の駐車場から脱出するだけでも相当な時間がかかってそうである。公園の出口にはバイパスと交差する信号があり、公園から新山口駅に向かうには右折が必要になるのでこのルートだと更にBadである。
そもそも乗客はバスの乗降にどうせモタモタしやがるだろうからプラス10分ぐらいはあろうし、実際に片道15分でピストン輸送ができるわけがない。
更に、山口県のバス協会のHPで見ると、協会加盟企業の貸し切りバスの合計数は200に満たない。まぁこれは近隣のバス会社からかき集めれば何とかなるが、割高にはなるだろうしこの運転手不足のご時世にどこまで手配できただろうか、と考えると。うーん。
記事には『駅で警備に当たった男性は「自分が到着した午後11時にはすでに1000人くらいはいた。JRの職員が支援物資を全員に配り回っていた」」」」」 』とあって、そんなにこぼれるもんかねーと思ってたが、実際はもっといたんじゃないか…。現場の職員さんや警備員さんたちも本当にご苦労様でしかない。
イベント主催会社は中国地方のイベンターらしく、サイトを見てもそこそこ大規模なイベントをやっている。こなれてないわけでもなさそうではある。また、この花火イベント自体は幕張のZOZOマリンスタジアムでも開催済なのだがその時にパニックが起きたというニュースはないので(https://www.kingandprince5th.jp/fireworks2024/)今回は、もうとにかく「なんでそんな場所で、夜のイベントなんてやったんだよ」という話な気がしてくるが、まぁ病気とか怪我した人とか「パーナさん事件」みたいなパニックにならんくてよかったですね。
地方に移住しても、ワイくんのスキルでは、フルリモートでも、なんかあった時に顔出しすることがだいたい条件になっていて、
たまになんかあった時の対応に飛行機移動が必要な案件(当然向こう持ちで交通費は出る)もあるが、
まぁ基本的に電車or車で1時間以内に顔出しが出来る案件をうけている(行き先はデータセンターや社内のサーバールーム)
なので、目の前が山!田畑!みたいなところには今の所は住めていない(海はチャリで行けた)
父ちゃんは何故か東京が良かったらしく、高校は島からでなかった癖に、大学進学を理由にわざわざ東京に出てきた
母ちゃんも同様に何故か東京が良かったらしく、農家の実家のお手伝いやめてわざわざ東京に出てきたし、伯母たちも含めて『農家だけはアカン』と言っている
また父ちゃん母ちゃんの親族の中には、変わり映えしない日常と口さがない周囲の人間に参ってしまい、精神を病んで田舎落ち(地方都市へ移住)した人もいる
従兄弟から聞く山道を青年会で整備しているという話や、老人に部類される年齢の人(兄弟姉妹の曽孫もいる)が婦人会で若手でサポート役という話を聞いたりすると、
東京や大阪のような大都会特有の事情を聞いていると、なんだか怖くて面白い。
例えばある東京在住の人が、東京都心のトイレマップを頭に叩き込んでいると言うので理由を聞くと、気軽に入れる公衆トイレがほとんど全くないし、駅のトイレは汚すぎるからと言っていて目から鱗。トイレが見つからないままさまよい続ける可能性があるらしい。なんとも怖いが面白い。
また東京の人や大阪の人と遊ぶと、疲れたからカフェはないかと言う。甘いものがほしいの?と聞いたら座りたいというので、ベンチがあるけど座る?と聞くとちょっと驚かれる。聞くと大都会ではカフェでしか座って休めないらしい。な、なんということだ。
それから私が大阪に行った時、バス停でバスを待っていたら、近くの歩道を渡りながら大声で良くないことをたくさん叫んでいる中年の女性がいた。思わずみんなそちらを一瞬見たものの、次の瞬間にはもう元通りだった。怖いね、というと同行者は「これが大阪だから」と言っていた。バスに乗ると今度は年齢不詳の男性が甲高い声で独り言を言っていて、なるほどこれが大阪なのだと理解した。
そこまで大都会ではなく、かといって不便でもない地方都市に住む私は、こうした話を聞いて都会の大変さを学ぶ。それはもはや大都会を感じて大きな隔たりを感じる世界、縮めて隔界のようだと思う。しかし心の何処かではそれに憧れもする。大勢の人間の渦に混じって、私もその渦の一部となり、自我の輪郭をやんわりと失いながら、大きな流れに飲み込まれてしまいたいという憧れが。今住んでいる場所にもそんな流れはあるが、大都会のブラックホール的な強大さにはとても叶わない。憧れ、恐怖、そして好奇心。そこには確かに人々の日常があるはずなのに、私は大都会の話を聞くと、いつもそんな隔絶された世界を思い浮かべてしまうのだった。
逆に車移動に慣れてる俺からすると通勤電車なんて正気の沙汰じゃねえと思ってしまう。自分の半径2m以内に知らん人がいることにストレス感じない?
田舎の人というか一部の地域の人(名古屋とか)って電車とか人混みを異常に嫌うよね。
そりゃ人混みのストレスはもちろんあるけど、人がいっぱいいることによるメリットも多々あるわけで、そのバランスでどこを選ぶかって話でしょ。
人がいっぱいいることによるメリットをゼロと評価する方がおかしいと思うわ。
高速とか使ってガンガン遠出する奴は知らんが、通勤や買物の足として使うだけで、コンパクトカーなら駐車場代差っ引いた年間維持費20~40万くらいだろ。
まあガチの都心だと駐車場代が頭おかしい金額になるからそうもいかないとは思うが……。この増田じゃないが俺が住んでるのも月5万あれば2LDKに余裕で住める地方都市だからな。駐車場代はタダ笑
東京で車通勤なんてする/できるのはごく一部の企業オーナーとか役員とか超エリサラ(外資系投資銀行とかそういうの)だけだぞ。
車のメリットは駅からのルートを気にしないでいいとか概ね天候に左右されないで移動できるとか色々あるけど、俺が思うに、自家用車の最大のメリットは「移動式プライベートスペース」であることなんだよ。
体温調節のための上着やら読みかけのマンガやら折り畳みじゃない傘やら防災グッズやらベビーカーやら、ちょっとしたものからもしものときの備えまで入れておくロッカーになる。
イヤホンせずにYoutubeを観ようがデカい声で通話しようが誰も咎めない。
赤ん坊が金切り声上げて泣いてても肩身の狭い思いをせずにすむ。ヤニカスなら移動式喫煙所にもなるな。
この魅力が都会の人たちになぜ刺さらないのかがわかんないんだよな。若い頃から電車にギュウギュウ詰めになって移動するのがもはや当たり前だからなのか?
逆に車移動に慣れてる俺からすると通勤電車なんて正気の沙汰じゃねえと思ってしまう。自分の半径2m以内に知らん人がいることにストレス感じない?
そりゃはてなーは都会人が多そうだから渋滞やら駐車場代やらで自家用車の利便性が活かしきれないんだろうなってのは想像つくよ。
よく「車は維持費が高い」って聞くが、中古屋で5,60万も出せばそれなりにまともなのが見つかる(逆に軽のほうが中古車は高いんだよな)。
高速とか使ってガンガン遠出する奴は知らんが、通勤や買物の足として使うだけで、コンパクトカーなら駐車場代差っ引いた年間維持費20~40万くらいだろ。
まあガチの都心だと駐車場代が頭おかしい金額になるからそうもいかないとは思うが……。この増田じゃないが俺が住んでるのも月5万あれば2LDKに余裕で住める地方都市だからな。駐車場代はタダ笑
仰ることは尤もだとも思うんだが、人間死ぬときゃ死ぬんだから気にしすぎてもしゃーない。
なるべく事故を起こさない、巻き込まれないように安全運転して、あとは天命に任せようぜ。
まあこれは高校卒業した18歳の女の子から80過ぎの爺さんまでみんなハンドル握ってる町で暮らしてる人間の価値観なんだろうな。
つっても俺は車の機械的魅力は一切興味ないからどの車種がかっこいいとかパーツ交換しようとかは全然興味ないんだ。ただただ移動の足として好きなだけ。
通勤電車なんて正気の沙汰じゃねえとか書いといてなんだが、別に都会VS田舎で対立煽りがしたいわけじゃないんだ。いやマジで。
ただ「地方転勤になったけど東京と違いすぎる!周りになんにもない!」みたいなのたまに見て、そりゃ車移動が前提なんだから当たり前だよな~って思うんだ。
よっぽどの山奥じゃなきゃまあそれなりに小洒落た居酒屋も商業施設も銀行も病院もどっかにあるよ。徒歩じゃいけない距離にあるだけで。
でもたとえば東京で電車乗ったり歩いたりするのと車移動とじゃ総移動時間はたいして変わんないと思うんだよなあ。
これは俺だけかもしれんけど、車移動って小旅行でもなきゃだいたい10~20分くらいで30分以上だとそこそこ大移動って感覚だよ。
なにが言いたいのかとっ散らかってしまってあれだが、まあなんだ、車も結構良いもんだよってこと。
所有するのも手放すのももっと気軽に考えようぜ。
渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、
ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。
やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。
恵まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。
んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。
・オタク仲間がたくさんできる
思春期が90年代〜2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。
新宿の西スポのヴァンパイアハンターの大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、
秋葉のイエサブでMtGの中古カード買い漁ったり、国府田マリ子のラジオの公開収録行ったりと、
コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生の女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。
押切先生のハイスコアガールの世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、
ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。
ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルがAutomaticをクラブに歌いにきてたり、
ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。
当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。
高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム。
週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブは店員も友達になったりしてたので、
自分はTCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときはコンタクトに変えて
ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、
初めての彼女を作ったのもこの頃だった。
・東京のコミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。
東京で生まれるコミュニティは、基本的に新規参加者へ寛容である。
地縁や血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム。
逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。
なんなら、突然コミュニティ自体が簡単に霧散するなんてこともよくある。
とにかく、こういった人の集まりが無限に生まれて、どんどん消滅する。
自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。
ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても
普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。
逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。
隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。
人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。
逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ。
総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツの距離が近いこと。
ポケモンセンターでバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。
あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校の先生くらいで、
それ以外の大人や世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。
おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由に自分のやりたいことにハマれる。
そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。
自分はオタク系の趣味とクラブという趣味2つの全く異なる趣味にハマったけど、
こんなことを許容してくれたのは、東京という土地だからのように思う。
多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、
なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。
よく男性と女性の性差で議論になるとき「性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見に出会うことがある.同感である.
確かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.
東京 vs 地方の話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化や環境の議論をしているように思う.
そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.
異常値であると記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ,地方においても親が異常者であればこういう子育てが可能であるという例である.
先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京の国立大学卒である.二人とも博士号を有している.
仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.
私は仕事で住んだ地方都市よりもさらに人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元で暮らしていた.
まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.
子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台,美術館,博物館なんでもOKだったし,
公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.
連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域の情報や歴史を調べ,
車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.
中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家が設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.
半年に1度程度の頻度で東京や大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館,キッザニア,鉄博,USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)
にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博,地下鉄博物館,京王レールランドなどにも行った記憶がある.
体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏での子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.
それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.
上の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初は駄々を捏ねていたが,
1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.
私自身ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.
一方で,ゲームは面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)
そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.
習い事や勉強について.未就学期の習い事は上の子は水泳,ピアノ,造形教室,ダンス教室,下の子は水泳,造形教室だった.
通っていたお絵かき教室が県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,
我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生と中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元の新聞に載った.
公文は個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.
自宅で先取り学習は絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)
小学校(公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.
そのため,自宅では,首都圏の中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元の進学塾にも通っていた.
大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏と地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.
(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)
中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏の学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.
上の子は開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子は中学は地元の公立中学に進学した.下の子は後述.
上の子が開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.
が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来の目的に戻ろうということになった.
ただし合格は本人の自信になったようだ.
それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.
上の子は高校受験で開成に,下の子はちょうど引越しタイミングと受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.
子供達二人とも首都圏に引越してから,学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.
この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺の主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功例であるとは言わないが,
少なくとも人口数十万レベルの地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.
もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートやゲームセンターで休めて楽だけど,
妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.
ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしていたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,
過剰に,それこそ首都圏での子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う
その意味では,首都圏がどんなに文化や環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供を放置していた家庭よりは地方の我が家の方が多くの体験をしていただろうし,
かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味で狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う
よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.
「東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎の専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」
というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?
妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.
次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.
もしかして博士号のような生産性の高い人物が子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?
世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.
それに,君,働いたことある?会社の仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?
目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.
それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産を形成したら
うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦で20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.
3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか?
上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味で生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?
我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする