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2024-06-01

カブトムシみたいに

カブトムシみたいに美しくなりたい。

写真には写らない美しさがあるから

 

カブトムシの角や光沢、見た目の力強さと儚さのコントラストは、実際に手に取ってみないと分からないものだ。その美しさは、表面的なものだけではなく、存在のものにあるのだと思う。私はそんな内面から滲み出る美しさを手に入れたいと願っている。(美談

日常生活の中で、私たちはどうしても見た目や表面的な部分に囚われがちだ。スマホカメラに収まる範囲自分評価しがちだが、実際にはそこに写らない部分こそが本当の価値を持つ。人間関係も同じだ。見た目や表面的なやり取りだけでなく、その奥にある感情や思いが重要なのだ。でしょ?

ところで、私は彼氏が正し過ぎて別れたことはありません。

多くの場合、人は自分価値観や考え方が正しいと信じてる。でも、正しさだけで人を惹きつけることはできない。むしろ完璧すぎる正しさは、時として距離を生む原因にもなる。人間らしい弱さや不完全さが、逆に魅力となることもあるから。そう、カブトムシみたいに。(?)

過去恋愛を振り返るとき、私は彼の正しさに圧倒され、息苦しさを感じることがあった。それは、彼が悪いというわけではなく、私がその正しさに対して自分を見失ってしまたからだ。カブトムシのような自然な美しさとは、無理に完璧を目指すのではなく、自分らしくいることにあるのだろう。どや?

日々の中で、自分を偽らず、本当の自分でいることの難しさを感じることもある。それでも、自分自身を大切にし、自分らしく生きることが、最終的には最も美しい生き方だと信じている。写真に写らない美しさを追求すること、それが私の目指すべき道だ。

 

今日も頑張リンダ。

ドラマセクシー田中さん調査報告書全文を読んだ

前提としてこれは日テレ反省文ではない。

依頼された弁護士グループと社内コンプラが社内また小学館側への調査をした報告書をそのまま公開している、という話だ。もちろん調査側は問題点改善策も挙げられているが、これは日テレ結論ではない

なのでこれが日テレ結論かぁ!怒と言ってる人はそもそもこの調査報告書が何なのかは分かっていないし読解力がないにもほどがある。

要約ではなく全文、長いが、クソ長いが全文を「無責任言及した人」は読むべきであろうし、当時あの作者の「長文」ブログを読まずに好き放題言った人は数倍になってさらなる「長文(続報もあるのでまだ終わらない)」を受け取ることになったのだと理解してほしい。

本文は何月何日に誰と誰がこのようなやりとりをした。

ということをメールLINE、消してしまった分は周囲の聞き取り含めて集めて記載しているので、わりと生々しい。

勿論明らかな問題点ははっきりと明記されている。しかしすんなり誰が何をしてこうなったのだ!と言えるものでもない。

実際、多くの場合問題はいろんな要素が重なってくる。

人が一人亡くなるともなれば、AだからBになって人が亡くなった。などという簡単な図式ではないだろう。整理しながら読んでほしい。

調査報告書にはこれまで大きく取り上げられていなかった脚本家クレジット問題についてしっかり触れられているのだが、ここはおそらく当事者(達)にとってはかなり辛くなる、追い打ちをかける状況だったと思わざるを得ない。

もちろんそうなる前になんとかしろと言う話だが。

頭を抱えたのが、今回の調査報告書と照らし合わせると「アクマゲーム」で起きていることも予想できてしまうし、果たしてこの改善策だけでアクマゲームは良作になれたのだろうかということだ。

色々と触れたい部分はあるのだが、とりあえずあと一点。

個人的日テレの気になる点なのだが、よくバラエティあがりの経験のない監督プロデューサーにいきなり人気枠のドラマを任せており、演技経験のない芸人が多数登場するような低品質実写化しょっちゅう見る(ドラマファンの間では日テレドラマにかける制作費がかなり低いと言われている)

この人事についてはこの報告書にも触れられている。

サポートクレジットされているようなベテランプロデューサー等が結局参加できるようなスケジュールではなく、業界人で同じ局というだけの、ほぼ素人制作ドラマが乱雑に作られたという話だ。

この乱雑さは「人間関係の構築」部分であると読んでいて認識した。サラリーマンも頭が痛くなる内容だ。

日テレも素晴らしいドラマはあるのだが、キャストスタッフ原作関係良好の場合が多い。丁寧にすれば作れないわけではないのだ。

日テレは、いやテレビ業界は、あまりにも雑に仕事をこなしていないだろうかと思ってしまう。結果跳ね返ってくる。

それはおそらく小学館である

小学館はたしか立ち位置としては一貫して作者側だったようだ。作者のための対応をしていたとは思うが、足りない。全く足りていなかった。

でもどうだろうか。例えば集英社講談社契約書を絶対に作らせていたなんて話は聞かないわけで…。

業界ルール自体が物凄く曖昧でかつ「頭が悪い

人を守る側の無知は罪である

この罪が跳ね返った先にあるのが会社の体面であればいいのだが、人が命を込めて作ったものであるということを忘れてはならない。

台湾もまた、10年後には成長率が下がって治安不安定化して、中国軍駐留し始めて

日米英は共同で中国経済制裁するぞ!ってなるんかね

今、自衛隊に入隊するのどうなのだろう

The Chinese force which was sent to support the anti-foreign and unprogressive policy of the Min family, proceeded to take up permanent quarters in extensive camps within the walls of Seoul.

1882年に日朝の済物浦条約が締結されたので)閔氏政権排外主義と非進歩主義を維持するために派遣されてきていた中国軍は、ソウル漢城)の城壁内の広々した陣営地に恒久的な居住区を確保し始めた(日清戦争12年前)

大学生 男性 彼女出来ない つらい 死にたい

大学3年生で今まで彼女が欲しいと思い行動を起こしてきたが恋人が全くできそうもなくつらい。外で歩いている恋人を見ると羨ましくて悶絶しそうになる。

いつか読んだ本で彼女は本当は必要ないのではないか周りの影響でほしがっているだけなのではないかと読者に問いかけるような内容を読んだことがあるが、全く持って私の場合これは当てはまらない。純粋に周りの影響関係なく彼女が欲しいのだ。

アイドルマスターが好きでライブにも言っているのだが、そこで声優さん出会い女の子の可愛さと2次元とは違った奥深さ(例えば、いわゆる”ゆるふわ”な女の子でも掘ってみると”ゆるふわ”という一言では表せない多面的な要素が複雑に絡まり合って人格形成しており、2次元とは異なる、性格一言で表せない奥深さを感じる)に気づきそこから彼女がいてくれたらと思うようになったのだがいまだできたことがない。

大学1年の頃から試行錯誤しており、主にファッションスキンケアについて転がり立ち上がりようやく様になってきたが女性からの反応はいまだない。髪もセットしているのであるが、フィードバックを求められるおしゃれな友人もおらず、これでいいのかと不安ながら通学をしている。私を不安にさせているのが女性からの反応が全くもらえないことであり、ファッションについては人気のファッションユーチューバーを参考にしているので間違いないと思うがヘアセットやその他の要素(例えば猫背、肌など)についてどう思われているか不安である

最近パーマをかけたのだがセットしてもいわゆるチー牛顔にしかならず本当にショックだ。やはりヘアセット初心者の私にパーマは早かったのか。しかし、マッシュ等の髪型には惹かれず一番パーマがよさそうとインスタを見て思ったのだが、私には似合いそうもない(誰からフィードバックもない)。

今まで女性に何度か話しかたことがあるがその話しかけた女性から自分は話しかけられることがないのできもがられているのではないかと感じ、それが私を悲しい気持ちにさせる。今となっては黒歴史であるが、以前ひげ脱毛のダウンタイム関係もあり大学にひげを生やしていったことがあった。相当な変化であるがだれからも反応をもらえず、なぜ誰もフィードバックをくれないのだろうと怒りすら感じる。

いままで大学に入って好きな女の子が3人で来たのだが初めて好きになった子にも次に好きになった子にも彼氏がおりそれが本当にやるせない。女性簡単彼女ができるというが(ネット受け売りだが)その受け身でも彼女が出来るのは本当にうらやましい。前述した私の見ているファッションyoutuberでは「街中で好きな男性服装女性に聞く」という企画があるのだが、そこで偉そうに男性服装意見している女性を見ると非常に憎たらしく感じる。私は拒絶され(女性からしかけられないことを私は拒絶ととらえている)ているのに、世の中の女性男性アプローチケチをつけ、アプローチをもらったことで自信を高め、さらにそのひとをけなすことで快感を得る。なんて偉そうな立場にいるのだろうと嫌悪感を感じる。私が初めて好きになった女の子はあまりいけていない子であったので(性格が悪い言い方であると思うが誰しもこれくらいの性格の悪さは持ち合わせていると思う)私自身と同一視している部分もあるのだが、なぜ私は恋人ができず受け身彼女恋人ができるのだろう→彼女が女だからだ という論理ネットでみた女性から受け身でいいという言説を鵜呑みにして(実際自分確認したわけではないので本当に受け身でいいのかはわからないが)受け身なくせに女性のほうが恋愛うまいという論理破綻しているように感じる世の中の言説も合わせて、近頃は女性に憎しみを感じている。

私がそのうち彼女が出来ればいいのような楽観的な思想になれないのは結婚相談所マッチングアプリでの恋愛をしたくないという点がある。マッチングアプリ結婚相談所男性が多く払うという制度があるのだと思うがこの男性が多くというのが結婚相手とは平等関係を築きたい私にとっては拒否感があり、今恋人がほしいのだ。

恋愛死ぬというのはバカであると感じる人も多いと思うが、最近は本当に自殺を考える原因になっている。女性の可愛さを認めている私にとって女性が周りにいる環境女性相手にされないというのは非常に自己肯定感を失う体験連続であるし、目の前異性がいるのに、ネット等で誰でも頑張れば恋人ができるという言説があるのにも関わらず恋人ができないのは、自分ニンジンを目の前にぶら下げられた馬であり、手に入らないのにそれ求め続ける、しかし手に入らないことを薄々は感じていているのに求め続けるむなしさを感じる。私は人一倍無能であり、バイトでも何回も無能扱いされてきた、将来仕事でも成功は納められないだろう。そういった自身無能さを勝手女性の目を借り自分を下げ、自身の首を絞めているのかもしれない。今、バイト先ですごく素敵な女性出会い、この人と一緒にいられたらと思っているがどうせこの人にも彼氏はいるのだろうと思い、どうしていいのかわからず心がかき乱される。そして簡単恋人ができる女性へのヘイトを考えてしま自分がいる。

私が恋人になってもいいと思っている女性がいるなら何か合図が欲しい。こういう部分に拒否感があるのような女性側の意見もわからアプローチをするのはつらい。女性からの愛に餓えているのかもしれない。私のことを愛してくれる女性なら誰でも好きになる自信がある。女性も異性からの愛を求めていて、お互いが空回りしている状態だったらどんなに良いだろう。女性は私が話しかけてうれしいのだろうかそれとも嫌悪感を感じるのだろうか。女性は基本自分から異性に対して話しかけないのだという情報ネットでみた。私も女性に何度か話しかたことがあるがその女性から以後話しかけかえしてもらえることはなかった。話しかけてもらったら次にお礼で自分からしかけるという考えを持っている自分にとっては無礼行為であり、怒りを感じるがこれが私が彼女から嫌われているからではないかという悲観的な考えもある。どうせ彼氏いるから私に話しかけてこないのだろうという 女性=誰しも彼氏がいる というネットで見たことと私の経験から作った法則に当てはめ、恋人簡単にできる女性への憎しみも感じる。

↓ここからは私の日ごろためている女性ヘイトについて書こうと思う。

正直女性はかなり優遇されていると感じる。恋愛面に関しては男性が寄ってきてそれを見定める立場であるバイト先でも男性女性よりきつい仕事を任されることが多い(女性より時給300円くらい多くもらっても良いのではないかと感じるくらいハードな仕事を同じ職場でも求められることがあるし、それで今日仕事きつかったねと話しているところを見るときつい仕事男性がして当たり前なのかと殺意がわく。バイト自動車学校等でもネット女性のほうが優しくされるという言説を意識して見てみると大事にされているというのを感じる)大学女性がやたらとジェンダーと関連付けたレポートを書きたがるのは憎たらしい。今の待遇に不満があると言いたげなその姿勢は本当に憎たらしい。

ここまで長々と書いてきたが私は結局女性のせいにしたいだけなのだろう。女性にも興味がない男性拒否する権利はあるし私が女性でもそうしていただろう。私は軽度の障害もあるし、仕事もできないので未来がない。文系なので女性が多い職場女性の目を借り自身を傷つけながらこれからも生きていくのだろう。もともと私は理系だったのだが、理系でも女性が少ないと不満を言っていたと思うので、結局私は身の回りに常に不満を感じるような人物なのだろうと感じる。今、バイト先で好きな女の子がいるがこのような歪んだジェンダー感と他責思考を持つ私が彼女に話しかけていいのかと感じる。本当に久しぶりに出会った素敵な人なので彼女から拒絶されたり、彼女にすでに彼氏がいたりしたらリミッターが外れこれまで以上の女性ヘイト思考になり私の感情はぐちゃぐちゃになりどう変貌してしまうか(おそらくモンスターになってしまう)は想像ができず非常に怖い。しかし、私の課題を先に終わらせたい思考から彼女との関係をどうにか帰着させたい一心だ。

大学生 男性 彼女出来ない つらい 死にたい

大学3年生で今まで彼女が欲しいと思い行動を起こしてきたが恋人が全くできそうもなくつらい。外で歩いている恋人を見ると羨ましくて悶絶しそうになる。

いつか読んだ本で彼女は本当は必要ないのではないか周りの影響でほしがっているだけなのではないかと読者に問いかけるような内容を読んだことがあるが、全く持って私の場合これは当てはまらない。純粋に周りの影響関係なく彼女が欲しいのだ。

アイドルマスターが好きでライブにも言っているのだが、そこで声優さん出会い女の子の可愛さと2次元とは違った奥深さ(例えば、いわゆる”ゆるふわ”な女の子でも掘ってみると”ゆるふわ”という一言では表せない多面的な要素が複雑に絡まり合って人格形成しており、2次元とは異なる、性格一言で表せない奥深さを感じる)に気づきそこから彼女がいてくれたらと思うようになったのだがいまだできたことがない。

大学1年の頃から試行錯誤しており、主にファッションスキンケアについて転がり立ち上がりようやく様になってきたが女性からの反応はいまだない。髪もセットしているのであるが、フィードバックを求められるおしゃれな友人もおらず、これでいいのかと不安ながら通学をしている。私を不安にさせているのが女性からの反応が全くもらえないことであり、ファッションについては人気のファッションユーチューバーを参考にしているので間違いないと思うがヘアセットやその他の要素(例えば猫背、肌など)についてどう思われているか不安である

最近パーマをかけたのだがセットしてもいわゆるチー牛顔にしかならず本当にショックだ。やはりヘアセット初心者の私にパーマは早かったのか。しかし、マッシュ等の髪型には惹かれず一番パーマがよさそうとインスタを見て思ったのだが、私には似合いそうもない(誰からフィードバックもない)。

今まで女性に何度か話しかたことがあるがその話しかけた女性から自分は話しかけられることがないのできもがられているのではないかと感じ、それが私を悲しい気持ちにさせる。今となっては黒歴史であるが、以前ひげ脱毛のダウンタイム関係もあり大学にひげを生やしていったことがあった。相当な変化であるがだれからも反応をもらえず、なぜ誰もフィードバックをくれないのだろうと怒りすら感じる。

いままで大学に入って好きな女の子が3人で来たのだが初めて好きになった子にも次に好きになった子にも彼氏がおりそれが本当にやるせない。女性簡単彼女ができるというが(ネット受け売りだが)その受け身でも彼女が出来るのは本当にうらやましい。前述した私の見ているファッションyoutuberでは「街中で好きな男性服装女性に聞く」という企画があるのだが、そこで偉そうに男性服装意見している女性を見ると非常に憎たらしく感じる。私は拒絶され(女性からしかけられないことを私は拒絶ととらえている)ているのに、世の中の女性男性アプローチケチをつけ、アプローチをもらったことで自信を高め、さらにそのひとをけなすことで快感を得る。なんて偉そうな立場にいるのだろうと嫌悪感を感じる。私が初めて好きになった女の子はあまりいけていない子であったので(性格が悪い言い方であると思うが誰しもこれくらいの性格の悪さは持ち合わせていると思う)私自身と同一視している部分もあるのだが、なぜ私は恋人ができず受け身彼女恋人ができるのだろう→彼女が女だからだ という論理ネットでみた女性から受け身でいいという言説を鵜呑みにして(実際自分確認したわけではないので本当に受け身でいいのかはわからないが)受け身なくせに女性のほうが恋愛うまいという論理破綻しているように感じる世の中の言説も合わせて、近頃は女性に憎しみを感じている。

私がそのうち彼女が出来ればいいのような楽観的な思想になれないのは結婚相談所マッチングアプリでの恋愛をしたくないという点がある。マッチングアプリ結婚相談所男性が多く払うという制度があるのだと思うがこの男性が多くというのが結婚相手とは平等関係を築きたい私にとっては拒否感があり、今恋人がほしいのだ。

恋愛死ぬというのはバカであると感じる人も多いと思うが、最近は本当に自殺を考える原因になっている。女性の可愛さを認めている私にとって女性が周りにいる環境女性相手にされないというのは非常に自己肯定感を失う体験連続であるし、目の前異性がいるのに、ネット等で誰でも頑張れば恋人ができるという言説があるのにも関わらず恋人ができないのは、自分ニンジンを目の前にぶら下げられた馬であり、手に入らないのにそれ求め続ける、しかし手に入らないことを薄々は感じていているのに求め続けるむなしさを感じる。私は人一倍無能であり、バイトでも何回も無能扱いされてきた、将来仕事でも成功は納められないだろう。そういった自身無能さを勝手女性の目を借り自分を下げ、自身の首を絞めているのかもしれない。今、バイト先ですごく素敵な女性出会い、この人と一緒にいられたらと思っているがどうせこの人にも彼氏はいるのだろうと思い、どうしていいのかわからず心がかき乱される。そして簡単恋人ができる女性へのヘイトを考えてしま自分がいる。

私が恋人になってもいいと思っている女性がいるなら何か合図が欲しい。こういう部分に拒否感があるのような女性側の意見もわからアプローチをするのはつらい。女性からの愛に餓えているのかもしれない。私のことを愛してくれる女性なら誰でも好きになる自信がある。女性も異性からの愛を求めていて、お互いが空回りしている状態だったらどんなに良いだろう。女性は私が話しかけてうれしいのだろうかそれとも嫌悪感を感じるのだろうか。女性は基本自分から異性に対して話しかけないのだという情報ネットでみた。私も女性に何度か話しかたことがあるがその女性から以後話しかけかえしてもらえることはなかった。話しかけてもらったら次にお礼で自分からしかけるという考えを持っている自分にとっては無礼行為であり、怒りを感じるがこれが私が彼女から嫌われているからではないかという悲観的な考えもある。どうせ彼氏いるから私に話しかけてこないのだろうという 女性=誰しも彼氏がいる というネットで見たことと私の経験から作った法則に当てはめ、恋人簡単にできる女性への憎しみも感じる。

↓ここからは私の日ごろためている女性ヘイトについて書こうと思う。

正直女性はかなり優遇されていると感じる。恋愛面に関しては男性が寄ってきてそれを見定める立場であるバイト先でも男性女性よりきつい仕事を任されることが多い(女性より時給300円くらい多くもらっても良いのではないかと感じるくらいハードな仕事を同じ職場でも求められることがあるし、それで今日仕事きつかったねと話しているところを見るときつい仕事男性がして当たり前なのかと殺意がわく。バイト自動車学校等でもネット女性のほうが優しくされるという言説を意識して見てみると大事にされているというのを感じる)大学女性がやたらとジェンダーと関連付けたレポートを書きたがるのは憎たらしい。今の待遇に不満があると言いたげなその姿勢は本当に憎たらしい。

ここまで長々と書いてきたが私は結局女性のせいにしたいだけなのだろう。女性にも興味がない男性拒否する権利はあるし私が女性でもそうしていただろう。私は軽度の障害もあるし、仕事もできないので未来がない。文系なので女性が多い職場女性の目を借り自身を傷つけながらこれからも生きていくのだろう。もともと私は理系だったのだが、理系でも女性が少ないと不満を言っていたと思うので、結局私は身の回りに常に不満を感じるような人物なのだろうと感じる。今、バイト先で好きな女の子がいるがこのような歪んだジェンダー感と他責思考を持つ私が彼女に話しかけていいのかと感じる。本当に久しぶりに出会った素敵な人なので彼女から拒絶されたり、彼女にすでに彼氏がいたりしたらリミッターが外れこれまで以上の女性ヘイト思考になり私の感情はぐちゃぐちゃになりどう変貌してしまうか(おそらくモンスターになってしまう)は想像ができず非常に怖い。しかし、私の課題を先に終わらせたい思考から彼女との関係をどうにか帰着させたい一心だ。

2024-05-31

人生が続く限り、同じ性格、同じ対応

「俺はずっとこれだ。知ってんだろ。お前が俺の扱いを考えろ」

なんて傲慢な考えだ。阿呆か。

自分だけは変わらず、今まで許されて来たから、変わる必要がないとでも言うのか。

ふざけているだろう。いまだに昭和の気分か。

「間違えたら叩くしかない」「俺はこう育った」「怒鳴れば従って来た」「ヤクザにも怒鳴り返した」「犬の躾も同じだ」「そこに座れ」

武勇伝のつもりか?

「俺はこの家の大黒柱だ」「誰が食わせてると思ってる」「口答えするな」「いいから聞け」「黙ってろ」

親か

「この家は俺の物だ」「お前を住まわせてやってる」「同じ家に住んでるならそれ相応の態度があるだろ」

死ね」「殺すぞ」「殺したくなる」「殴るぞ」

親が?

物に当たらない、理不尽に殴らないだけが正しいとでも言ってるのか。

そんな普通のことを、誇ることでもないし、当たり前のことだ。今は令和だぞ。暴力が横行していたような昭和価値観か、

変わる時代の中で生きている人間なのだから、新しい環境感情普通だとなることも、その時代の流れによって変わる物なのに

自分だけは、そのままでいいとでも思っているのか。

口答えしないからと、黙って従ってるから相手我慢していることが、助長させていると思うだろうか?

誰もが戦っていけるとでも思っているのか。

関わらないようにして、言われたことだけをして、極力顔を合わせるという接触自体を拒んでいるのが、

助長しているとでも断じるか。

従ってるように見せて、それが、好意に似た良い感情からとでも、思っているのか。

殺すか自殺かの二択をずっと心の中で考え続けていることを知っているか

でも私は私が大切だから殺人なんてしない。周りの人がそれなりに好きだから迷惑かけたくないからと、私は死ぬことを選べることを忘れるな。

避妊の失敗だろ。育てたくないと言ったことがあると初めて知ったけれど、もうダメだろ、なんだそれ、それを今まで二十八年とか続けていたことは

我慢ずよいと賞賛できたとしても、元を正せばお前が悪いんだろ。出した物の責任を取れ、いや私の年齢から言うとそれもそれでまだおかしいのだけど、

カッとなって言った言葉は常に頭にあることだろ。酔っ払った時に出る言葉と一緒だ。勢いに任せてでたなど、どの口がいう。

常日頃考えていなければ、そんな言葉は出るはずがない。怒鳴ってれば、手を出せば、済むと思っているのか。

なんて憎い、親というか、親が、子供に対して、たとえ、何歳だとしても、言っていいことと悪いこと、他人に言っていいと悪いとわからいか

幾つになっても、親は親であるし、子供子供だろ。

親が、子供に、面と向かって言っていいことと悪いことがあるだろ。

親の神話も、子供神話も、ああ、検索かけたけど、あれか、母性神話、それもあるだろうが

作った責任を取れ、変われ、責任を持て、考えろ、子供の親とはそう言う物だろ、自分を大切にしてその子供も大切にしろよ、できないなら元から作るべきではないし

パターンも考えられるだろ、だってだって子供だっただろ。考えなかったのか。

まぁ私の場合避妊の失敗だろうが、そんな話をしてるんじゃないけど、いや、母親はとても良く頑張って、かなり理想的母親像だろうとは思う。

子供の心を思って泣くのは、本当のところの考えはわからなくとも、考えさせない言動をするだけで、それだけでとても良いとおもうが、

それは親だろ。

子供が長年自称行為してそれを知って怒って大泣きして、腕を強くにぎっった行為は、それは親として正しいことだろう、

だけど全部が全部と言うわけではないだろうけど、外聞が悪いとかもあったかもしれないけど、そう言うことがあっただろうとしても、その場限りは嘘ではないだろうと思わせるその態度が、素晴らしいと思う

家族に対してそれほど期待はできないけど、比較的それなりに良い、親、いや、母親が、良かったからそれくらいには思えるだろうなって

妹に対してお前のこと見てるとイライラして殺しそうとか殴りそうとか、言ってる父親

もしその言葉を私の前で言ってみろ、目の前で首掻っ切って死んでやるって思ってるけど、私はいい子で聞き分けがいい長女なので、そんなセリフはあまり聞かないのだけどね

親として失格の父親、血が繋がってると、思いたくない、親と言いたくないお前、おいお前

お前のどこが親なんだ、親の責任は、子供が成人したら、大人になったら、なくなるとでも思ってるのか、

なあ、ねえ、どうなのさ

ある程度大きくなって、口が上手くなって、いろんな人間と接して、知って、それで、それはおかしいと言い返せる強さを持った、子供に対して、

親の責任は、親ではなくなると、そう思って、お前は妹と怒鳴り合いの喧嘩をするのか。

怒鳴り合いの末、暴れるからと、殴りかかって来たからと、妹をベッドに押さえつけている場面を見た私のことを考えたことがあるのか、妹の気持ちを、何を思ったか、考えたことがあるか

虐待と言えない躾の範囲で、引っ叩くと言っているお前、暴力が、手足で振るわれるものだけだと思うか、

心というものがわからないのか、何を言って、何をして、それが、心という見えない物に傷を負わせる行為を、知らないというのか、

漫画映画や、見るに堪えない聞くに耐えない、でも自分の知らないところで怒ってる数々の暴力虐待も、知識として知っているけど、それがなかったということだけが、恵まれているというか

そんなことをしないことが当たり前だというか、

暴力など振るう物ではないし、振るっていい物でもないだろ、そんなことがわからいか、肉体に傷をつけていないからと、だからいいと言えるのか

親だと思ってない、自分の家だと思っていた場所が、お前に貸してるだけだ、お前を住まわせてやってるだけなんだから、それなりの態度をしろよと言ったお前、なあ

それじゃあ子供の家は、どこだ、自分で探して暮らせば、そこが自分の家か、帰る場所は、ないと。そういう砦となるであろう場所が、ないと言うか、そうかそうか。

そっかぁ、ここは私の家ではなかったか、二十数年住んでいたこの家は、私の家ではなかったか、と思った時が、お前を親だと思わなくなった日だよ。

素晴らしいね、死んでくれ

そしてとうとう言うこと書いて、やっぱり、この家は俺の家だ、俺の名義だ。お前が出ていけ。なんで俺が出て行くんだよ。もういい、部屋戻れよ。って妹に言ったお前はやっぱり、親じゃないんだろ。

親じゃなかった、一緒の家にいる、一緒の家に住んでる、ただのおっさんだった。

やっぱり思った通り、三十年も持たない父親の皮だったな。

子供が成人したら親じゃなくなるとでも思ったのか、すごいな、見通しが甘いね

自分の選んだ結果が、現在につながるものを知らなかったか

甘い甘い甘い、考えが甘いぞ

死んでくれ、やっぱりお前は親じゃない、親っていう理想押し付けるな?じゃあなんなんだよ。親みたいに振る舞ってるくせに

どれだけ嫌な事があろうが、満足している瞬間が少しでもあればそれだけで人生肯定出来る。それは自己実現の喜びであってもいいし町中で買える喜びであってもよくて、重みは問題ではない。

そもそも重みなどない。快不快勘定しようとする事自体ナンセンスだ。限界効用だのアドレナリンの分泌量だのと数字を持ち出してお茶を濁した所で、我々が常に瞬間的に感じている快不快とは定性的ものなのだから

こういう風に考えれば、生きることに対して割と無条件に近い状態希望を持てるような気がする。というよりは悲観に屈しないといった方が正確かもしれない。

こうありたいような気もする。安直ヒューマニズムとはまた違うと思う。リアリストを気取っていてその実単にペシミストしかない奴は嫌いだし。おれはニヒリストではあるけれど、ああいう連中はいけ好かない。

ただあんまり無闇矢鱈に人生は素晴らしいと考えるのも、それはそれでなんかなって思う。少しでも引っかかりがあるのなら、そこを無視して人生バンザイと言うのも自分に不誠実な気がする。

やっぱりなんとなく心の中に秤をイメージして、総体的に納得ある人生を送れているかを気にしてしまう。

自分の望む生き方を出来てる人はこういう考えでも別に問題無いんだろうけど、そうでなきゃ辛い。

辛さをバネに、とかそういう気にもあんまならんし。

不快気持ち特別意味見出したり、道具として支配してやろうってのもなんかなあって思う。嫌なことをただただ嫌なだなあと受け止めるのも大事に思えてならない。 まあ嫌なことは嫌だし、大して楽しくもないのに面倒臭さだったり不快さだったりを抑えながら生活に追われるくらいだったら死んだ方がマシだろ……

みたいな考えが頭の中をぐるぐるぐるぐる回ってる。

結婚でもするなりして他人への奉仕に生きよう、なんてのはありがちだけど、それを実践してる人が果たして幸せそうかというと微妙なところはある。他人な上に立場も違えばもちろん視点のものが違うし、そういう人らの人生のほんの一部しか見てないから何とも言えんのだけど。

セクシー田中さんの『契約の条件』

今回の調査結果が真実なら、オレは脚本家に謝らなくちゃならない。

オレは、

攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」

言葉を残して去った先生の遺志を組まず、脚本家らを批判してきた。

でも、それは、正義のためだった。『契約で定めた条件』を守らなかったドラマ制作サイドを誰かが勇気出して叱らなければ、と思っていた。

だけど・・・

この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係再確認し、文章の内容も小学館確認して書いています

...

ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原作変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

...「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244

小学館側の) C 氏、D 氏の書面回答では、条件として文書で明示しているわけではないが、漫画原作としてドラマ化する以上、「原作漫画ドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください」旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識であるということである

また、その後の...やりとりにおいても、「なるべく原作の流れを崩さないようにしてほしい」等の要望記載されていたが「必ず漫画に忠実に」という言葉ドラマ化の「条件」として出されてはいない。

...

D 氏から ...「ドラマオリジナル展開に関しては、本件原作者の方から脚本もしくは詳細プロット体裁でご提案

(中略)許諾の条件というほどではありませんが、はっきりとした要望としてご検討いただけますと幸いです」

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf


オレは個人的な思いとしては、

二次創作者というもの原作を利用させてもらってる立場なのだから、たとえ二次利用契約の条件ではなかったとしても、原作サイドの、あらゆる要望に従ってほしい、と願っている。

だがオレの一連の批判コメントでは、あくまで「『契約の条件』を守らなかったこと」を問題視していた。

原作改変自体は、リスペクトがあるべき、と思いつつも、批判では、ビジネス上の契約を破ったことを前提にしていた。

だけど調査結果を信じるなら・・・、何度も確認した条件、などなかった、としか読めない。

小学館側のアンサーを待ちたい。

クチャラーが大嫌いなんだけど

いわゆる、食べる時に咀嚼音がくちゃくちゃ聞こえる人。大っ嫌いでマジで殺意湧く。

が、よく考えると、猫がくちゃくちゃ言いながら食べてるのは、気にならない、というか大好き。

なので、くちゃくちゃという音そのものが嫌いなのではなく、「いい歳こいた人間が口閉じず汚らしく食ってる」が嫌いなのだとわかった。

新しい気づき。気付いたところで何も解決してないんだけど。

おまんことオチンコの問題なのだ

常にこの世はそれで問題が起きている。全人類去勢された世の中はひどく平和ものになるだろう。そして、時期に人類消滅するのだ。なんと、ビューティフルな世界なことだろうか。わっしょい!バンザイ

委託仲介中抜きとか言うアホ

自分商品展開しても売れないか委託販売したり仲介業者を使って売れやすくしてもらってんのに「中抜きが〜手数料が〜」とか言ってる奴いるけど、だったら自力で売れよ。

それが出来ないから頼んでるんだしその手間賃を払うのは当たり前だろ。

俺は委託利用者側だけど同じく利用者で払うべき料金に対して「中抜き」とか言ってる奴らの感覚理解できない。

知能指数が低いから払うべき料金も払えない貧困なのだろうな。

人の目に映る自分を見なければいけない。そうでなければ、自分というのは虚無になるから

日常の中で、僕はいつも他人視線意識している。仕事場での同僚の評価、友人たちの言葉の裏にある感情、そして通りすがりの見知らぬ人々の一瞬の視線。これら全てが、自分自身を形成する一部になっているのだ。鏡に映る自分の姿だけでは不十分であり、他者の目を通して初めて自分という存在確立される。

他者評価に頼ることで、僕は安心感を得る。承認されることで、自分価値確認する。だけど、その一方で他者の期待に応えようと無理をしてしまうこともある。自分が本当に望んでいることや、自分の考えがどんどん薄れていく感覚に襲われるのだ。自分自身を見失い、他人の目に映る理想像を演じ続けることに疲弊してしまう。

社会の中で生きていく以上、他者との関係は避けられない。しかし、それに溺れてしまうと、いつの間にか自分が本当に何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなる。自分自身を見つめ直す時間を持つことが大切だと思う。静かな場所で、他人の目を気にせずに、自分の心の声を聞く。それが、自己を取り戻すための第一なのだろう。

しかし、現実はそう簡単ではない。他者の目を意識しないで生きることは難しい。人間社会的な生き物であり、孤立することはできないからだ。結局のところ、他者の目に映る自分と、本当の自分とのバランスを保つことが求められるのだろう。

それでも、そのバランスを保つことは容易ではない。他者の期待に応え続けるうちに、自己本質が徐々に薄れ、やがて消えてしまうかもしれない。そうしていつの間にか、自分自身というものアイデンティティ社会霧散して二度と帰ってこなくなる。

火事ですか救急ですか?」

救急です」

「道にうずくまって吐いている人がいて、救急車を呼んでほしいそうです」

「話はできそうですか?」

「うーん、ちょっと難しそうです」

「え、でも救急車呼んでほしいって言ってたんですよねwww


はあ?うっさい死ね


(会話は難しそうだったが「救急車呼んだほうがいいですか」と声をかけたら頷いたので通報した状態なのだが、なんか急激に説明するのが面倒くさくなった)

そう遠くない未来天涯孤独になる予定なのだけど

賃貸借りる時に保証会社はつけるとして緊急連絡先どうしたらいいのだろうか

たぶんあと20年もすれば同じような人相当増えるんじゃないかと思う

anond:20240531152531

数学・・・・・関係なくね?

この説明だと

数学による社会進歩

現代人と野蛮人の違いは何か?

それは到達している抽象レベルではないか

昔は物々交換取引があった。

やがて、カネという抽象概念が生まれた。

この紙切れは特定価値意味し、商品サービスと交換できる。

現在さらに高い抽象レベルを扱っている。クレジットカードはカネをデータ化している。

クレジットカードはカネを運ぶ抽象存在になっている

今やカネは、ビットコイン台帳に表示されるコード行にすぎない。

これが抽象レベル進歩なのだ

新しい世界では抽象化が重要であり、その鍵は数学である

数学無知が減って理解が深まれば、より良い自由社会が実現する。

あるさぽのチラ裏

先週土曜日ホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかからない。

そして次節はその首位との対戦と相成っております

開幕前、現在首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。

はいいつつ、自分首位試合全然見ていない。

理由監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生とき担任黒田監督激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。

その担任メタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹のものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。

贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生ときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。

そんな担任と、黒田監督・・・似ている・・・・。

黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。

???あいつ今高校サッカー監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。

でも名前違うし、そもそも年齢も遥かに違う。

まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部試合は見られない。

そしてその黒田監督がJ倶楽部監督になった。

でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。

やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督一年目で昇格を決めた。

そして今首位だよすごいね

一方こちとら降格の危機だよ。

あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。

テクニカルコーチを持っていかたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています

だってそんなのは開幕する前にわかってた話なので

開幕して数試合移籍しまっすバイナラしたわけではないので

ああ、別に移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。

話を戻して

重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね

てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど

ルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。

ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。

なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後最後になんとか一矢を報いて終わる。

ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段しかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてから判断が遅い、悪いケースが多すぎる。

それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。

パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか

と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます

2003年11月23日の初昇格を決めたあの日からJ2降格経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。

上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と

ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と

そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。

でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。

大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。

いま、自分はどんな感情を抱いているのか、

たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。

そして、後発クラブにあっさり追い抜かれたことへの嫉妬

嫉妬とは、自分努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情

完全に壊れてはいないものを治すのは難しいね

J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督サッカー継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと

轟々と非難されるのもナンダカナとは思ってしまう。

結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷罵倒は論外ですが。

反町監督いたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果から判断は、やはり切り離して考える必要がある。

札幌京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。

今、チームに一番必要なのは勝利勝ち点なのだけれど、

去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども

すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。

そんなわけで明日首位との対戦だよ!ヤッタネ!

幸か不幸か仕事からリアルタイムでは見られない。帰ってからだぞんを見るかどうかは、まだ決めかねている。

三戸ちゃん代表選出おめでとう!

数学による社会進歩

現代人と野蛮人の違いは何か?

それは到達している抽象レベルではないか

昔は物々交換取引があった。

やがて、カネという抽象概念が生まれた。

この紙切れは特定価値意味し、商品サービスと交換できる。

現在さらに高い抽象レベルを扱っている。クレジットカードはカネをデータ化している。

クレジットカードはカネを運ぶ抽象存在になっている

今やカネは、ビットコイン台帳に表示されるコード行にすぎない。

これが抽象レベル進歩なのだ

新しい世界では抽象化が重要であり、その鍵は数学である

数学無知が減って理解が深まれば、より良い自由社会が実現する。

同級生だった男の子が好きだった

同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲーム部活からかいだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。

彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たち卒業してしまった。

卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。

成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然ポーズ自然距離感自然笑顔。この写真わたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。

彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真ほとんどだ。

私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。

戻れるならあの時代に戻ってずっとそこで暮らしたい。

何も要求されず私の欲望けが許されていたあのぬるま湯時代でずっと生きていきたい。

いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。

横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。

ASMRの良さがわからない

いうてVTuberのASMRを3,4回聞いた程度なんだけど

ASMRの売りであるはずの耳元で喋っているような感覚の良さがあんまりよくわからないんだよね

2万円ぐらいするヘッドホンで聞いてるし、ASMR用と言われてるなんか安いイヤホンも使ってみたけど

なんか逆に聞いててイライラしてくるんだよな

とは言え、需要は相当あるみたいなのでハマればいいものなのだろう

から俺も良さを知ってハマりたい気持ちがあるんだけど、よくわからないんだよねぇ

AI生成絵=冷凍食品

毎日オカズなんだから手作りだろうと手抜きだろうと美味しければそれでいい

毎日、好きなタイミング必要ものから質より値段を取る人が多いってだけ

作り手が機械だろうと人間だろうと消費者にはあまり関係ない

ただ、それだと本物に比べて物足りないと思った人が、偶に手の込んだものに対してお金を払うってだけ

プロの味は違うって思えばリピーターになるし

そんな変わらないって思えば出来合いでいいやっ人も出てくる

趣味ではなく商業として頑張る作り手からしたらいい迷惑なのだろうけど

一定の水準に満たない量産型は沙汰されるってのも難儀な話だな…

コーヒー豆再利用

自分は、毎日大量にコーヒーを飲む。

だいたい2リットル

淹れる方法はいろいろで、一番多いのはステンレス製フィルター

気分によっては、モカポット、フレンチプレス、紙フィルター有田焼フィルター、サイフォン。

試しにと煮出してみたり、急須を使ったこともある。

 

でね。

何の気なしに、使った後のドリッパーにお湯を足しておいたのよ。

リッパー自体は、マグカップの上に置いて。

で、後で見たら、当然ながら、マグカップコーヒー的なものが入っているわけ。

「薄いだろうなあ」と思いつつ見たら、案外真っ黒。

「飲めるかな?」と思うじゃん?

飲んだら、コーヒーの味がするわけよ。

おいしくはない、けど、まずいと言うほどでもない。

コーヒーの味はする。

俺は、コーヒーは好きだが味にはこだわりが無い、安上がりなコーヒー好きなのだ

ミルクでも入れて飲んでみるかな」と思ったけど、これは失敗。

薄いのに混ぜ物しちゃだめだね。

二番煎じブラックに限る。

落ちなんてないよ。

ここはダイアリーなんだから

化石のように眠った情報を求めて─バーチャルタレントアカデミー応援していたことへの意義とは─

バーチャルタレントアカデミーオタクって、なんなのだろうか。

私はかつてバーチャルタレントアカデミーオタクだった。

毎週30分の配信を見て、感想Twitterで呟いたり、FA投稿したりして、「VTAを応援」していた。

歌も禁止ゲーム原則禁止、毎週30分しか会えないか情報もあまりからない……そんな彼ら(※性別を問わない表現として彼らという代名詞使用する)のことを日々考えて生きていたし、その時は生き甲斐ひとつと断言できるほどだった。

私がVTAを見ていた時期、VTA界隈は大いに荒れていた。

サイレント退学が続き、いつまで待っても音沙汰がないために運営に問い合わせたりTwitterで訴えかける人が急に現れ始め、明確なソースがないのにも関わらずアカデミー生の名前ユーザー名になっているチャンネルTwitterアカウント一覧を流す人も現れ、アカデミー生とは名前の違うライバーデビューする度に誰々ではないかという憶測や誰々はまだなのかという声が広がった。

アカデミー生が養成機関所属人間にしては認知が広がりすぎたのは、VTA卒ライバーデビューだけによらないものだと感じている。荒れすぎたからか応援タグ消滅したしね。

このことが「化石のように眠った情報価値」を上げているんだろうなと思ったり思わなかったり。

化石のように眠った情報というのも、現在VTAのコンテンツは全て非公開となっている(オーディション活動はやたらと活発だが、アカデミーチャンネル活動をしていくのかもよくわからない状態である)。リアルタイムで見てきていなかった人たちが、今彼らの情報(本人が口にしたり発信しているもの)を得れるのは、ファン制作した切り抜き動画とVTA公式Twitterツイートのみである。その他の情報現在ソースがないため、間違っている可能性もあるものとして見るべきだと私は思っている。

アカデミー生がデビューした/していないに関わらずコンテンツ自体消滅した今、「VTAを見ていたオタク」というのは、確実な証拠(当時のツイート等)がない限り実証できない。

「VTAを応援」していた中にはもちろんROM専と呼ばれる人もいるだろうし、アカデミー生みんなが利用していたGoogleフォームにお便りを送ったことのない人もいるだろう。逆に配信コメントだけをしてTwitterでの発信はしていない人もいるだろう。

しかし、前述の通り切り抜きで情報を得れるし、「VTAから見ていたファン」による「VTA時代の彼ら」に関するツイートも多く出回っているため、今や誰もが「VTA時代の彼らを知っている」と言える状況になってしまっている気がする。まあよくバズってますよねそういうの。情報いか価値があるかの証拠すぎる。

個人的にはソースもないものが出回ってるの怖すぎるけど、インターネットリテラシーの違いかな?とか言うと角立ちますよね、すみません

バーチャルタレントアカデミーオタクって、なんなのだろうか。

VTA自体の、システム形態含めて概念から好きなオタクなのだろうか。デビューしたライバー現在もしくは過去を懐古するオタクなのだろうか。他所活動している人たちの現在もしくは過去を懐古するオタクなのだろうか。今どこで何をしているのかもわからない人たちの過去を懐古するオタクなのだろうか。

先日、現在活動名がアカデミー時代の名義と同じ(それがVTAの権利的にOKなのかはわからないが商標登録はされてないのでセーフなのかもしれない)人物がVTAにいたことを断言し、今と過去比較し今の状況に喜ぶ文面を見た。

個人的結構応援していた人物であったこともあり、VTAで得たある程度の知名度を利用しているようにしか思えず今のその人を応援する気は湧かなくなったし、応援していた過去を遠回しに否定された感覚にもなったが、まあ色々大変だったっぽいことも書いていたので、仕方ないのかもな……という考えに落ち着いた。

元々証拠のない限り実証するのも難しいような「過去応援」だ。その人に関しては、活動形式的別に過去発言や本人の趣向等を知っているからといって何にもならないと思ったのだが、デビューしたライバーアカデミー生としての過去がこんなにも重宝されているのは単にファンの母数の違いだけではないだろう。

当時を知らない人からすれば、「誰かが自分の知らないその人の過去を知っていること」はスタートダッシュに乗り遅れた感覚なのかもしれない。

あくまで私個人の考えだが、アカデミー時代公表した情報が「今も公表してもいいこと」なら、本人は既に公表しているだろうし、「公表していないこと」なら本人が今言う必要がない、あるいは言いたくない情報だと思っているため、わざわざ掘り起こすことか?と思っている。またメンバーシップにてアカデミー時代配信を公開しているライバーもいるし、公開していないライバーは何かしら理由があるのだろう。

これは「知っている側」「リアルタイムで見ていた側」だから言えることなのだろうか。

今を楽しむだけでは駄目なのだろうか。

一部のライバーに関しては頻繁にアカデミー時代の見た目の二次創作を見かけるが、過去と絡ませることで美味い消費をしてるんだろうなと思ってしまう。まあ二次創作って捏造であればあるほど美味いよね。さすがに冗談ですけど。

あと関係性くらい人間付き合い長ければ多少は変化あるし、本人たちの関係性って一部しか見えてないから、過去もクソもないと私は思います

VTAのオタクをしていると、「知っていること」に価値があると思われてしまいがちだが、別に知っていることに価値があるわけではなくて、「不安定で発展途上なコンテンツ応援し見守っていた事実経験」に価値があると思っている。

実際私がVTuberFAを描くようになったきっかけもVTAで、FAを描く敷居の低さを感じたかである

前途多難な時期を生き抜いたオタク情報を知っていること以外の強さがあると私は信じている。

[]性欲強き者なのだ

シコるのだ!シコるのだ!

 

射精回数の記録なのだ

1週目24 月1 火5 水3 木3 金2 土4 日6

2週目23 月4 火2 水4 木3 金2 土5 日3

3週目19 月1 火4 水1 木5 金3 土4 日1

4週目16 月3 火2 水2 木1 金3 土3 日2

5週目  月1 火3 水5 木3 金2

https://realsound.jp/tech/2024/05/post-1676581.html

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/realsound.jp/tech/2024/05/post-1676581.html

名前で会話をやろうとしている、それは対象外が入り込んでいる状態なのでは?

孤独孤立問題を抱えていない人が余裕ぶっこいている状態なのでは?

ディストピアみたい」大丈夫?そんな感想で。

システム的な課題:できるコミュニケーションを「封じられる」ストレス

裏返すと「できるコミュニケーションを求められるストレス」なのでは?

第三者プレイヤーの補助として名前になにか大事なことを記している、そういうのもあるだろう。

ただ「ガチ孤独です」みたいなのだとじゃあ他の人はそんなガチじゃないのかな?っていう感じもする。



例えば盲目向けのバースがあったとする(既にある気もする)。なんでか知らないけど音オンリー空間じゃなく「見て」もわかるようにできてたとする。弱視も受け入れようとしているのだろうか。半端に目で見て理解できるものから、そこに視覚に異常のない人がやってくる。

バース先住民は「この人は動物園でも来たつもりか」、そう思ったりしないだろうか。そして体験して投げかけられる感想、「ディストピアみたい」

やってられなくないかこんな扱い。

あいいか別に

コンビニレジで「あ」と口に出しそうになって止める。まただ。買った覚えのない飲み物レジ打ちされている。

買おうとしていた緑茶の横にあったのだろう、よく知らない健康によさそうで美味しくなさそうな飲料を、間違えて持ってきてしまったのだ。

もちろんそんなことを店員さんに言い出せるはずもなく、さも当然のように買ったものを受け取って、会計を済ませる。言い慣れた「アリガトウゴザイマス」は崩し過ぎのネイティブ発音よりよほど聞き取りやすい。緑茶よりも5割増しほどの値段だったその飲料は、不自然に苦かった。

この苦味と求めていた味の差が、つまりは私と世界のズレの距離なのだろう。物理的に冷蔵棚の隣に配置されていたのだろうからペットボトル一本分がそのズレと言えるのかもしれない。いずれにせよ、最近世界とピントが合わないことが増えてきた。

物を間違えて手に取る、通り抜けられると思った隙間で身体を強かぶつける、単に平地で躓く。視覚のズレだけではない。電車で聴こえる他人の話し声はもはや何の言語かわからない。日本語だったとしても外国語のように響く。

体感としては、自分という電球世界というソケット接続が悪くなったような、そんな表現がしっくりくる。もともと噛み合っていなかったものが、どんどんその齟齬を大きくしていっているような。

どん、と後ろから行人にぶつかられ、地面に膝と左手を強く打ち付ける。美味しくない飲料は全てこぼれ、アスファルトに小さな離島の絵を描く。私を倒した男はそのことに全く気づかなかったように前方に去っていく。自信に満ちた背中で。

あるいは私は、この世界から拒絶されて、消え去ろうとしているのかもしれない。それは、世界を拒絶し続けてきた私には相応しい末路のような気もするのだ。

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