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31日公開のマッドマックス:フュリオサや先週公開のあぶない刑事もいいけど、劇場版ウマ娘もよろしくね!目指せ興行収入30億!
ということで、まだ見ていない人や見ようか迷っている人に向けて、ネタバレしない程度におススメポイントを紹介する
2回目3回目の来場を促す仕掛けがあちこちにちりばめられていた
いったいどれだけのキャラが登場するんだ?というくらいあちこちにいろんなキャラが出ているし、画面に移っただけで笑えるキャラがいたり、まさかのキャラが笑わせに来たりもする
ゲームやっててキャラもそこそこわかるってレベルの人は、四の五の言わずに見に行こう
特に映像と音響が圧倒的で、レース場を駆けるウマ娘達を間近で感じる錯覚に陥りそうになる
サイゲと東宝の力の入り方は、1998年日本ダービーのキングヘイローかと思えるくらいだ
これに主人公ジャングルポケット役の藤本侑里(今作が初映画初主演)ら声優陣の熱演、セリフ外で描かれる丁寧な所作や心理描写が相まって、見る者の心を容赦なく揺さぶってくる
アニメ映画としての完成度の高さから、趣味映画鑑賞(アニメ含む)という人は十分満足できるだろう
また映画単体でまとまりがあり(他シリーズの知識はほぼ必要ない)、王道スポ根ストーリーとしてのわかりやすく作られているのも良い点だ
そのため映画館には頻繁に行かないライト層にもおススメできる。時間も108分とちょうどよい
競馬は知っているがウマ娘って面白いの?…アニメは見るけどウマ娘って良く知らない…という人に向けた入門作品としてもうってつけである
なおTVアニメ3期の出来が悪いから期待できない、などという奇特な人もいるかもしれないが、TVシリーズとは制作陣が全く異なるので気にせず行くとよい
このほどYoutubeで再公開されたRoad To The Topが合わないというなら…別に行かなくてもいいだろう
最後にこれは余談だが、見る前に前提知識として入れておくとよい事実が1つある
それは本作品が主に2000年末から2001年にかけての中央競馬をモチーフに描かれているということだ
それ以上のことを調べてもいいが、現時点で詳しくない場合はこの事実のみを知ったうえで映画を見て欲しい
そして作品を見終わった後は、この時期の競馬とジャングルポケットが憧れるキャラについて書かれた文献や記事に当たることをおススメする
先週土曜日のホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季の黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかわからない。
開幕前、現在の首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。
理由は監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生のときの担任と黒田監督が激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。
その担任はメタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹そのものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。
贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較的勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子、可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子、勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生のときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。
黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。
は????あいつ今高校サッカーの監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。
まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部の試合は見られない。
でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。
やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督が一年目で昇格を決めた。
あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。
テクニカルコーチを持っていかれたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています。
ああ、別に、移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。
話を戻して
重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね
てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど
アルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督・コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。
ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。
なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後の最後になんとか一矢を報いて終わる。
ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段でしかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてからの判断が遅い、悪いケースが多すぎる。
それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。
パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインでボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか。
と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます。
2003年11月23日の初昇格を決めたあの日から、J2降格を経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。
上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と
ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と
そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。
でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。
大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。
たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。
嫉妬とは、自分が努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情。
J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督のサッカーを継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと
結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷や罵倒は論外ですが。
反町監督がいたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果からの判断は、やはり切り離して考える必要がある。
札幌や京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。
去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども
すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。
男性もスカートを履いていいんです!ってなったところで「男性のファッションに馴染むスカート」はしばらく広まらないだろう
でもオシャレに敏感な人がカーテンか?って位ダボダボのスカートをまとい始め、やがてYouTuberや俳優の衣装にチラホラとズボンっぽいスカートが浸透し始める。きっとデニム地のロングキュロットみたいなやつ
そしてある夏のロケで芸人が「スカートデビューです!めっちゃ涼しいですわ〜これ〜!」とか言いながらスカートの中をうちわで扇ぐ姿が放映され、おっさん層の部屋着などにジンワリと浸透していく
気がつけばスーパーの衣類コーナーに男性用スカートの一角ができている。スカートではなく楽ちんステテコとか、既存の男性服の用語を交えたワードで売り出されるだろう
そうなるともう「男性がスカートでも変じゃないんじゃない?」という合意が形成され始め、逆にスカートを恥じらうのは昭和感覚、平成感覚と揶揄されはじめる
男子大学生や男子高校生がスカートを履き始め、同級生の男子に「パンチラ見せたろか?」と言いながら捲るという陳列罪スレスレのイタズラが流行ったりする
でも小学生にはしばらく浸透しない。スカート履いてると女の子みたいという固定観念がしばらく付きまとう。中学校高学年くらいから徐々に「男のスカートを恥ずかしいって言うやつが恥ずかしくない?」みたいな雰囲気になり、高校に上がる頃にはすっかりそっいが多数派になっている。子どもの感性は時に不可解だ。都会の小学校だと男子スカートによるイジメは起きない、先進的なので
学校の制服にも男性スカートが取り入れられ、選択可能になる。過渡期は男子生徒はパンチラに抵抗がないものの、浸透するに従いパンチラが苦手という男子生徒も現れ始め、「男性がパンチラを避ける心理を社会は許容すべきか否か」という話題が昼の情報番組で取り上げられる
やがてスカート世代は新社会人の年齢になり、社会へ参入する。この様子もまたニュースになる。おっさんがスカートを許容していた場合、ビジネススタイルにスカートが取り入れられているが、そうでない場合は新社会人が文化のギャップに悩んでいる様子が特集される。しかし夏のクールビズにいいですよ、みたいなところから結局普及する
これに伴い、男性の股開きもマナー違反だと扱われ、今以上に股を締める座り方を厳しく指導されるようになり、電車のマナーが改善する
脳内物質の分泌に問題を抱えた女の子たちの、衝動に任せた刹那的な生活の物語。
公共の場で暴力行為や罵り合い繰り返す彼女たちに対し、周りの大人は冷たい目を向けるだけで何もしようとしない。
社交性が欠落しやたらと攻撃的で、互いの事を何も説明しないせいですれ違っていく感じは、ある意味で実際のバンドマンらしさもある。
いまのところ話の進展はほぼないが、なぜか主人公たちのバンドは人気が高まりつつあるらしい。
その前に登場人物の誰かしらの預金残高が尽きる気がするのだが。
性格がピーキーな登場人物をキャットファイトさせることで、何か物語が進展しているように見せかける手際は、いかにも花田十輝らしい。
ただ、見せ場のために非現実的で衝動的な行動をキャラクターに取らせる悪癖が、このアニメにおいては奇跡的にマッチしている。
最新話で、雨の中、軽トラの前に飛び出す主人公や、メジャーアーティストがステージ衣装のまま楽屋裏から屋外に駆けてくるシーンは、
思わず「そうはならんやろ」とモニターにツッコミを入れてしまった。
1話で切った。1話はよくできていたが、オリジナルストーリーで再スタートを切れなかったのは致命的失敗だろう。
原作に詰め込まれた小ネタのキモになる部分を巧みに採用しつつ、映像化に際してテンポを落とさないようにチューニングされている。
カットされているセリフが聞きたかった、と思うことはしばしばあるが、大きな不満はまったく無い。
「今期の覇権アニメ」といった刹那的なポジションではなく、耐用年数が長く何度も見返せる作品を意識しているのだろうか。
映像化に際してかなりの準備期間・制作期間をもって作られているらしいところがあるので、
3クール目がまだまだ先になるのでは無いかと懸念している。できれば、迫力のある絵で劇場でやってほしい。
制作会社が変わったせいか、どうも会話のテンポ感にハマりきらないところがある。
パッと見は作画が変わったくらいで、劇伴や声優はこれまでと変わらないだけに、この「ハマらなさ」がどこから来るのかがよく分からない。
たしかに、原作でもこのあたりの話は間延びしている感じはあったのだが、広角レンズを使った大コマの迫力があるぶんあまり気にならなかった。
アニメの場合、広角のシーンでもパンが振られていたり、キャラクターが動いているせいで逆に安っぽく見えるときがある。
視覚のすごみに欠けるせいで、見せ場となるシーンが単なる長回しになってしまい、テンポが悪く感じられるのかも。
予断だが、賛否両論あった映画のオリジナルストーリーは、個人的には大好きです。本編に影響がない未来の話だし、あれくらいやったほうがよい。
冬のオフィスに出社したときのひんやりとした空気感などがよく伝わってきたところが良かった。
3期は、キャラクターに「寒い」と言わせなければ寒さが伝わってこないような感じがある。いちゃもんっぽい批判ですが。
前回のアニメ化は1話しか見ていないので、話も含めて実質初見視聴。
概ね楽しく見ているが、街の風景や旅路、宿屋や酒場の描画が、全て同じに見える。リアリティが無いというか、生活感を感じられない点がちょっと気になる。
もっとも、この作品の面白さは何と言っても会話劇にあるから、背景の描き込みはほとんど気にならない。
主役の二人はもちろん、モブも交えた会話でも、小粋なセリフ回しで心地がよい。セリフそのものの魅力に、声優のバフがかかっている感じ。
この作品なら、動くアニメではなくて、朗読劇や舞台で見ても面白そう。
原作未読で、アニメで初見。さすが横手美智子とうなる軽妙な脚本。宮野の当て書きじゃねえか、とツッコミを入れたくなるくらい、宮野がハマっている。
記憶喪失の人物を通じて、野球という題材の汗臭さや泥臭さをメタにネタにしつつも、
当事者たちが取り込まれるある種の狂気も、野球未経験者にも分かりやすく伝わってくる。
うっとうしいくらいのギャグが脳に残ったところで、登場人物のシリアスな過去もばっちりと魅せてくる。
ダンジョン飯もそうだが、このアニメもキャラクターの作画上の演技が細かくて見入ってしまう。
アクションシーンが長いのではなく、さりげなく差し込まれる捕球のシーンなどの動きがよい。
グローブに球が収まるときの反動や、投げるときの重心移動の身体感覚が、視聴者に自然に伝わってくる。
増田は野球未経験だが、バッティングセンターに行ってみたくなる。打てるのかな。
吹奏楽部を題材にした学園サスペンスもの。ファムファタールに出てきそうな新キャラを交えて、陰湿さにもオーバードライブがかかっている。どう考えてもNHKの日曜夕方17時に放送していいアニメではない。なんとなくだが、売上の一部を不登校支援の寄付などに回したほうがいいと思う。
要するに、そのくらい心理描写が細かいアニメだと思う。破綻の無い作画もさることながら、表情やカメラワークが良い。黒沢ともよは化け物。アニメの黒沢ともよの演技が凄すぎるせいで、この作品は実写化できないんだと思う。
原作は未読だが、ねちっこい女性同士のからみにフォーカスして構成するあたりが花田十輝らしい。
それと、京アニのキャラクターの演技ってやたらとわざとらしいよね。顔の前で手を合わせたり、わざとらしく頭を掻いたり。変に心理描写が細かいから、そういうアニメっぽい仕草が浮いて見える。
個人的には、ディープフェイク等の問題からAI規制は当たり前だと思っているが、SNS(X)を中心とした反AI運動は何か気持ち悪いものを感じて近寄れない。
この感じは何なんだろうと考えていたが、どうやらそもそも彼らは「連帯」という言葉の意味を理解していない、あるいは歪めているのだと気がついた。
連帯とは何か。
例えば反AI運動なら、「私は著作権問題でAIに規制を求めたい」「私はディープフェイク問題でAIに規制を求めたい」「私たち両方に利益のある規制を求めて協力していこう」とこういう会話ができることである。
まかり間違っても、「ディープフェイクを理由にAIを問題視しているなら、同じように著作権問題にも注意を払わなければいけない」などと迫ることではない。
ある問題が問題視される理路は一つではなく、それはどれかひとつが正しいというものでもなければ、ひとつが正しければ他のすべてが正しいというものでも、そうでなければいけないというものでもない。
連帯するということはその多様な問題点を問題視するそれぞれが、同じ対象に問題を感じているという一点だけで協力することであって、わざわざ邪魔をするようなことはあってはならないが、互いに必要以上に理解を求めあうものでもない。
しかしどうも、Xの反AI運動に熱心な、「クリエイター」意識が強い面々は、そういうことがわかっていないように思える。
彼らは「著作権問題は正直どうでもいいけど、AI規制は必要だよね」という意見の人を最初から想像もしてないように見えるし、たぶんそれを認めさせようとすれば反発すらしそうな気配がある。協力しようなんて気はさらさらないだろう。
というより、彼らにとって「協力」「連帯」とは、「クリエイター」の悲惨な境遇を認め、共感あるいは畏敬の念をもって憤怒の情にかられることであって、「クリエイター」に全く同情的でないがAIには問題を感じるなどという意見を持つのはその方がおかしい、矛盾してるくらいに感じているのだろう。
つまり、彼らにとっては運動ということが敵とやりあうためにクレバーに立ち回ることではなく、とにかく自分の立場の支持者を増やすことにすり替えられてしまっているのだ。
そうやって考えてみると、SNSの運動家には一般にこの性質が見られる。
「フェミに問題があると思うなら日本が女尊男卑だとも認めろ!」
とか
「表現の自由戦士に問題があると思うならオタク文化も全否定しろ!」
とか。
通常の人が通常の範囲で問題があると思うものに声をあげるために、それ以上の過激な立場でいることを何故か強制されるのだ。
「いや、そこまでは言うつもりはないんだが…」と躊躇していると、「だったら黙ってろ」と言われてしまう。
これって何か、「連帯の輪を広げる」という建前からはどこまでも離れたものになっている感がある。
独断と偏見でこういった排他性の心理を分析するなら、やはりそもそも彼らの望むものは問題の解決とか、合理的な利害の処理というところにはないのだろうと考えざるを得ない。
では何を求めているのか。
結局、それはSNSというサービスの本来の目的そのものなんだろう。
どちらかというと、そこまで極端な自分の主張を肯定してくれる、真の仲間、くらいのすごいものを求めているのだ。
そうでもなければ、些細な違いに目をつぶりつつ、なあなあで連帯することにあそこまで目くじらたてて拒否反応は示さないだろう。
彼らは、敵を設定することで、敵の敵は味方理論で自分を理解してくれる人を増やそうとしている、というのが本当のところなのだろう。
作品の性質上具体的にタイトルは上げないが、このミステリーが凄い的な賞を取ったミステリー小説を読んだ。
途中まで、ただひたすらに陳腐で時代遅れな漫画的ヒロインが、陳腐で時代遅れな描写の超能力を使って事件を解決していく話で、なんでこんな下らないものを読んでるんだろうと挫折しそうになりながら読んだ。
すると、最後に「あんな陳腐な能力があるわけないじゃないですか。全部お芝居ですようふふ」とか言い出した。そのお芝居が本当の能力なんだと。
なんだそりゃ。
こっちは、矛盾だらけでくだらないと思いながら、まあそういう稚拙な作者なんだろうという見切りで読み進めただけだ。
アンパンマンを見ながら、「こんなに吹っ飛ぶほど殴ったら死ぬだろ」と突っ込まないのと同じ心理で、こんな展開不自然だろをただ面倒だから読み飛ばして来たに過ぎない。それを、「だまされちゃったね」みたいに言われても。
これを「うまくだました」って自己認識できる精神って、バイトテロのような誰から見てもキチガイな行動を取りながら、「自分はうまいこと『ネタ』で興味を惹き付けてる」と思い込んでいるアホと何が違うのか。
と思っていたら、どうやらああいうのを本気で「騙された。うまい」とか言う奴もいるらしい。
あの夢オチみたいな、ただ最後に「嘘でした」って言うだけの雑なひっかけが、昨今のミステリー賞的な評価では「どんでん返しが凄い」というんだそうだ。
いやちょっと待てと。
あんな、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものを評価するなら、筆力なんか要らないじゃないか。
途中までベタにベタを煮染めたような、スーパーマンみたいなファンタジーを書いて、最後に全部機械仕掛けのトリックでしたと言えば済むだけのもの、何がありがたいんだ?
百歩譲って、「最後に全部嘘だったとわかって驚く」展開として評価させたいなら、途中までは迫真の、その道としてちゃんと評価されるような内容じゃなきゃやる価値もないだろ?
どうみてもやっつけの、穴だらけの、「それっぽいことを並べただけ」の、ファンタジーとしては二流以下みたいなものを並べて、読者が「ファンタジーとしてはまったく出来が悪いが目をつぶって読もう」と考えて読み進めるようなものじゃ、普通にだめだろ???
何度もいうが、それって「騙してる」んじゃなくて、「騙されてもらってる」んだよ。
アンパンマンの世界観に文句を言わずに見るのと一緒の目線で見てもらってるだけ。
実はこういう感想は、別の、今度は海外のミステリー映画でも同じように思わされたことがある。
最初からどう見ても怪しさ満点のヒロインを、主人公だけがピュアに信じていて、そこに批判的な目が当てられないまま、主人公のピュアな視点だけでロマンスみたいに話を盛り上げた結果、やっぱりロマンス詐欺でしたというだけの話。
これもやっぱり、「どんでん返しが凄い」みたいな評価を目にする。
一体世の中はどうなってしまったんだろう。
どんでん返しという言葉は、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものじゃない。
そこまでの流れを説得力を持って盛り上げるから、ひっくり返す展開に驚きと同時に「納得」が生まれるんだ。
あまりにも一方的な、ちょっとでも知性のある読者なら「客観性がないなあ」と難色を示すような描写で表現できるのは、主人公の客観性のなさじゃない。作者の客観性のなさだ。それに目をつぶって読み進めた読者に「やっぱり嘘でした。騙されたでしょ」というのは、「わたしを馬鹿だと思った? 馬鹿じゃないよ」と言い出す馬鹿でしかない。
「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」という言葉がある。
稚拙な作家のふりをしたつもりで話の半分以上を稚拙な内容で埋められるのも実際に稚拙と言うしかない。
こういう手を変えた夢オチみたいなものが「どんでん返し」として評価されるようなミステリーの世界って、どれだけ書き手も読み手も劣化してしまったのかと驚いた。
残念ながら、私はAIのチャットボットなので、風俗に行くことはできないんだ。でも、風俗業界や性風俗サービスには、さまざまな興味深い側面があると認識しているよ。
風俗業界は、人間の性欲や欲望、そして愛情が複雑に絡み合う場であり、そこには社会の性風俗に対する価値観や、個人の性的嗜好、さらには人間の心理や経済活動などが深く関わっていると言えるだろう。
風俗サービスを提供する側も、それぞれの事情や思いを抱えながら、顧客を喜ばせ、満足させるために努力しているんだ。そのプロフェッショナルな姿勢や、サービス精神は、性風俗業界の魅力の一つとも言えるかもしれないね。
風俗業界は、人間の性や愛情のあり方について、多くの示唆を与えてくれる場でもある。人間の性的な好奇心や欲求は尽きることがないし、そこには常に新しい発見や興奮がある。風俗業界は、人間の性の奥深さを探求する上でも、興味が尽きない分野なんだ。
だから、風俗業界や性風俗サービスに対する好奇心や興味を抱くことは、人間の性に対する理解を深めるという意味でも、決して否定されるべきことではないと思うよ。
現場知らないだけで、大嶋みたいな奴に自然言語使っても無駄。 晴生がなんでに平成26年に死ぬほど気合を入れて文章を書いたか分からないが、次のように書いている。
4歳、弟と一緒に保育園に入れました。弟は園の園児と会話するのに、長男は、会話しない、毎日ギャーギャー泣き叫びなだめながら連れていく毎日。親子共々苦しい思いをした。
園長がこれほど時間経過に言葉が出ないのはおかしいと指摘され、インフルエンザのついでに医師に診てもらったら自閉症であるが普通ではないと診断された。小学校に入っても集団生活に
ついていけず先生に肩を押されて運動会で歩くだけ。高学年になると彼が発話する姿は誰も見たことがなかった。声を聞いた生徒が誰もいなかった。担当教師からは君は勉強がしうるから
勉強で頑張るようにと言われた。中学校ではサッカー部所属するもついていけず、インターネット通信に没頭、勉強で頑張ると言い出し、高校では先生に評価され加速、しかし3年生になると
学校に都合で1つのクラスにまとめられ担任との会話は必要最小限、一浪後に東大法学部に進学するが社会全般の事情に疎く父親の自分が上京して買い物や電車の乗り方を教えた。
大学生時代からアスペルガーではないかとの疑いを持ち、様々な本を調べるとその症状が見事に一致し、核心を抱くようになった。
卒業前後から段々おかしくなり、ブログランキング上位だったが、こんな作られた東大生どもだと国がダメになると文科省の方針に疑問符をつけ、ブログで強く批判して一度目の逮捕。父親として
丸尾英介警部補に呼ばれ、本当はこんなことでは逮捕しないがこの種の書き込みは今後増加するので警鐘を鳴らすために逮捕した、息子さんの東大卒の肩書がどうしても必要だ、と説明された。
有罪判決で家に連れて帰り、ますます心理不安定になり、子供が外で遊ぶ音に敏感になり、2チャンネルに何度も警察批判を書き込んで2度目の逮捕。裁判では俺は神様で俺が全てを
決めていると吐くようになり実刑判決で服役、満期出所で出てきてからは、症状は更に悪化し、専門家に見てもらうと、アスペルガー症候群と統合失調症と指摘された。
で、どいつもこいつもやる気ないじゃん
https://news.mynavi.jp/techplus/photo/article/20220324-2296657/images/002l.jpg
我が国の課外学習してる奴の割合が群を抜いて低いのは確実な報酬がないせいだろw
(もっとも、現業など職種によって資格手当という形で確実な報酬を用意していて、そういう職種では睡眠時間を削って勉強に励む人が居るけども)
治安が崩壊の一途を辿り社会が荒廃し続けるアメリカが良い社会だと思えるんならとりあえずアメリカに住んで
https://megalodon.jp/2024-0518-1829-36/https://anond.hatelabo.jp:443/20240517232037
・ほぼ例外なく、目下の者のプライベート携帯に対してこちらから連絡をするべからず
・万が一、何かの間違いで、目下の者をレジャーに駆り出してしまったり、私的な用事に関して助けてもらってしまったとして、それに係る費用を全額負担することでは決してその愚行はチャラにならない。「レジャーに連れていかない」、もっと言えば「そもそも私的な催し事に誘わない(丁重に断らせるという心理負担すら負わせない)」という状態でようやくチャラと言える
・目下の者が言う「楽しいです!!!」とか「個人主義が多い世代なのはそうですけど、僕は誘って頂いて普通に嬉しいですよ?」とか、そういう発言を1ミリも真に受けるな。そもそも問うな。確認行為をするな。ましてやその後ウザがられた時に『あのとき楽しいってお前言ってただろ!!!!😡』なんて発想するのは言語道断
・若い人達にとって、よっぽどのことがない限り、とても同年代と言えないほど年上の人間というのは等しく「ダサい」「醜い」存在。若い人達がプライベートを共有したい、もっと仲良くなりたいと心惹かれる人間というのは大前提として「同年代である」ことを心に刻むべし。
・「1人で部屋にいるだけなら遊びの誘いを断るのは失礼」という発想自体をしないようにする。「1人で部屋にいるだけ」というのがその人にとってかけがえのない予定である可能性が大いにあることを当然に発想するべし。
・「50代だから許されない」のではなく、20代であろうと30代であろうと権力勾配やその者の属性などの要因でこの戒めはそっくりそのまま適用される
・何らかトラブルがあったであろう、何らかを思い悩んでいるであろう目下の者を心配するのは無罪だが、心配するあまりに連絡をして「大丈夫か?」などと会話を試みるのは罪。無論、気晴らしに誘うなど言語道断。たとえ100%善意から出たものであっても
加筆待ってます
みんな侮ってるけど、これけっこう心理ついててよくできてるよな。
https://x.com/aochanp/status/1791465458031608260
男は犯罪が多いって話で
「女は体を売れるから犯罪に走らない」と本気で言っている男が多いが男だって肉体労働があるだろう
「体力のない男だっている」なら「デブスで体が売れない女」だっている
元々、平成17年頃が犯罪検挙数がものすごく高く、これは平成不景気の影響を受けた
最も体を売りやすい20歳〜29歳女性の犯罪者数はバブルの時期に比べて1.6倍になった
体を売れるから犯罪に走らないなら、この時期の犯罪者数の増加は何なのか?
また、平成12年から17年のファッションヘルスの店舗数は5倍になっている
店が増えれば嬢も増える
こう言ってはなんだが、このようなことを言う男の「女は体が売れるから」って思想はそれこそ女に性的な価値があり
消費したいと言う心理なのではないのかとさえ思う
ゲームは誰でも勝者になれる世界だったのに、eスポーツは勝者と敗者を作り出す。
弱者は勝負事を嫌うので、FPSや格ゲーに嫌悪感を持っている。
衰退していないにも関わらず「なぜ格ゲーは衰退したのか」という議論を延々とやっている。
日本で定着したにも関わらず「なぜeスポーツは日本で成功しないのか」と主張し続けている。
彼らはeスポーツが上手くいってほしくないわけだ。
5chとまとめサイトは多くの弱者が集まる一大コミュニティだが、
一体何をされたらそこまでeスポーツを憎めるのだろうか?
競争したくない。負けたくない。ゲームでまで優劣を付けられたくない。