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はてなキーワード: 戦場とは

2024-05-19

anond:20240519181038

ネットバトル用語の「ファンネルを飛ばす」は、犬笛を吹く、信者をけしかける、の意味で使われているけど

ファンネルとの類似性がないのでやや気になる点

本体から分離するものではないこと

常に勝手に飛び回っている僚機または味方機、あるいは敵の敵は味方程度の他人を好き勝手飛ばせない

本体コントロール下で攻撃するものではないこと

意図しなくても攻撃始めるし、やってほしいと思っても攻撃してくれるとは限らないし

撃ち方止めと言おうとも止まらないし、といって形勢が変われば一瞬で去ってしま他人ファンネルとは言えない

ファンネルとの類似性が認められなくもない点

・1対多の数的優位を戦場で構築できること

どこから来るとも知れない大量のレス対処するのは困難

本体に比して小物であること

大物ネットバトラー一言有象無象の小物が群がるという構図で、影響力の大小比較で言えば本体-ファンネル的構図が無くもない

・撃ち落されても本体被害がないこと

雑なレスで突っ込んだファンネル論破されても本体は痛くも痒くもない

高橋名人の教えは役に立たない

プロゲーマー元祖と言われる高橋名人

さまざまな教訓をゲーマーに示しているが、その教えは現代では通用しなくなってきている。

ゲームは1日1時間」では成功できない

最も有名な高橋名人言葉は「ゲームは1日1時間」だが、eスポーツゲーム実況が全盛のいま、もはや時代遅れとなっている。

専業のプロゲーマーフルタイムゲームをするのが仕事だ。

1日8時間練習が当然のように求められるし、アマチュアの時から常軌を逸した長時間ゲーム自発的にやってきたかプロになれる。

ゲーム実況を生業にする配信者(ストリーマー・VTuber)も同じだ。

ゲーム実況の主戦場であるTwitchでは、2時間以上の長時間配信必須と言っていい。

ずっと配信していないと目に入らず認知度が上がらない。

人気配信者を見てるとわかるが、夜7時からイベントで5時間ゲームした後、二次会で翌朝の7時までゲームするような鉄人だらけだ。

プロゲーマーしろ配信者にしろ成功するには長時間ゲームプレイに耐えられる「ゲーム体力」が大事

ゲームプレー生業にする職業は爆発的に増えたし、それを目指す若者も増えている。

令和は「ゲームは1日10時間」の時代というわけだ。

ゲーマー言葉遣いを綺麗にしてもリターンがない

ゲーマー規範となるように言葉遣いはクリーンにせよと高橋名人は言った。

ゲーマーの間で自然に使われている「人権」や「戦犯」などのスラング、そういう強い言葉の使い方に気をつけろ、と。

その提言に対しネットでは「プロゲーマー高橋名人を見習ってほしい」と称賛されていた。

だが、品行方正にしてもリターン(利益)がない。

結局ゲーム実況で求められるのはオーバーリアクション、仲間内で通じるスラング、強いセンシティブ言葉からだ。

視聴者配信者に求めるのは感情の爆発、豊かな喜怒哀楽で、それらを表現するのに言葉過激化する。

誇張した表現は刺激の強い調味料のようなもので、若い世代が多い配信世界では調味料バドバの実況が好まれる。

「品行方正で言葉遣いが綺麗なゲーム配信」というのは、いわばヘルシーなジャンクフードのようなもの

外野はそれが理想だとほめそやすが、現場の客はそれを口にしない。

補足すると、べつに差別発言面白がられてるわけじゃない。

言葉遣いをクリーンにすることは、差別発言による炎上を防ぐという意味で、マイナスを出さなメリットはある。

だが人気配信者になるには、品行方正であってもダメだということ。

2024-05-18

anond:20240518033328

IF 戦場修羅場渡り歩いて世界辛酸舐める

 IF 男:

  IF 生き残る:

   生きる 遺伝子を残す

  ELSE:

   死ぬ

 IF 女:

  死ぬ

ELSE:

 IF 男:

  遺伝子残せない

 IF 女:

  生きる 遺伝子を残す

男って「戦場修羅場渡り歩いて世界辛酸を舐めて、成長してきた俺」がかっこいいみたいな感性あるじゃん

男用ポルノというか

でもまあ実際の成長に繋がるから悪い点ばっかでもないと思う

んで、女がツイッターとかで「使えない旦那、可哀そうな私」とか「周囲は意地悪いけど耐える私」みたいな量産型テンプレ漫画上げまくってるじゃん

同じ種類の自己陶酔ポルノなんじゃないか

ただこちらは、最初から最後までひたすら他人下げ自分上げに終始してるから反感を買いやすい、当然

2024-05-16

anond:20240516132939

戦場にはやっぱ出てないのか

なら日本作品は一応忠実なのかな

2024-05-15

anond:20240515104506

半島は立地的に戦場にならない方が不思議レベル

いわゆる緩衝地帯から

まあ広い意味緩衝地帯と言えば日本もなんですが、、、、

anond:20240515104310

韓国で整備してた戦闘機日本でやるようにしたし、

半島戦場になってしまうのかな…

2024-05-13

LoLの(元含む)プロプレイヤーソロQ配信を見てて思ったこ

俺はLoLが好きだ。

プレイするのも、プロ試合を観戦するのも好きだ。

だが、その界隈に通じている人間は苦手だ。

ゲーム内外問わず暴言は当たり前のように飛び交うし、常に問題が起きている。

色々なゲームの界隈を見て回ったが、全体的なプレイヤーの素行はよくないように思える。

たとえそれがプロ、元プロプレイヤーであろうともである

TwitchソロQ配信を見ていると暴言や味方批判は息をするように飛び出し、コメントもそれに賛同するものが多い。

何十人、何百人、何千人と見ている場であろうとも「これが普通ですよ」といった感じだ。

もちろん暴言を吐かず楽しくゲームをしているプレイヤーも存在するが、非常に残念なことにそういったプレイヤーは少数派である

対戦ゲームである以上、血の気の多いことは結構である負けん気の強いプレイヤーが伸びやすいのは事実であろう。

しかし、それを一片も隠すことなネット配信で全世界に発信しているというのが本当に恐ろしい。

多少はオブラートに包んだり我慢したりといった、配慮というものが一切感じられない。

野良プレイヤーに向かって「はーこれだからこの日本サーバーバカはよー」とか「チームゲーム知らねえのかよ」

といった同じゲームプレイしている人間へのリスペクトの欠片もない発言が飛び出す。

この「日本サーバー」や「チームゲームを知らない」などは上位プレイヤー配信内での頻出単語の一部だ。

そのうちの「チームゲーム」について知らないことについて少し言いたい。

「当たり前だろ」と。

まず、LoLというゲームは5vs5のチームゲームとしてデザインされてはいるが、実際に高いレベルで5vs5のチームゲームとしてのLoLを何度も経験したプレイヤーはどれだけいるだろうか。

League of Legendsというゲームコミュニティ大会というものは非常に少ない。

LoL自体知名度や機材の確保、大会ノウハウを持つ者の少なさ、ガチガチ規約などなどで、開くのも一苦労だからだ。

大会が少ないということは、一般プレイヤーの目標はそういった大会での優勝ではなく、ソロQのランクマッチにほぼ集約される。

フレックスランクやClashというものもあるが、日本では活気があるとは言えない状況であろう。

まりLoLプレイヤーのほとんどはソロQが主戦場であり、ガチガチのチームゲームとは無縁のゲームプレイをしているのだ。

俺は日本プロや元プロが「日本では多少通用するが世界では全く通用しない程度の知識プレイング」を「そういった知識を得る機会がなかっただけの人を馬鹿にするため」に使っているというのが本当に見るに堪えない。

anond:20240512094103

遊戯王信者がいるとは知らんかった

すまんな

ただ、現在遊戯王は紙を買うほどの価値ほとんどないのは事実で、その隙間をいい感じに新規ゲームが掬い取ったのが今の形だと思う

俺が言ってるのはあくまでも紙のほうだから

市場としては今も遊戯王とかは活発だけど、では紙が売れているかというとそうでもない

ここ最近過去テーマ復権や再録を見れば新規層が全然入ってこないことが容易に想像できる

カード屋みればわかるけど、10年くらい前の遊戯王のほうがもっと品揃え豊富だった

いまは「臭い」ことしかトレンドに上がらない

デジタルが元気ってのはそれ以外がよくないってことでもある

しろデジタル戦場は紙のTCGとは明確に違っていて、遊ぶきっかけも理由プレイヤー層も違う

そして、デジタルがよくなればなるほど相対的に紙で遊ぶことの不自由さや面倒くささが勝つ

あんなに1ターンに何回もシャッフルしてるのを実際のテーブルトップでやるとか正気じゃない

よほど鍛錬を積んだ人しかやりたがらない

から新規がこなくなるし、紙で楽しみたい人は紙で楽しむのに向いたものを求める

カードゲーム遊戯王って構造はとっくになくなっているからね

イラストは原因の一端だけど、イラストだけ見ても遊戯王を集めるって要素はかなり薄いはずだ

2024-05-12

anond:20240512190312

それ何年も前から言われてるけど全く衰えてないよツイッターは。YouTubeとかTikTokとかで有名な人も結局、普段の主戦場ツイッター

anond:20240506164131

未婚者だけど、どうせ死ぬし守るもんもないんだから幼稚園とか襲撃して死刑になったほうがマシだな〜

ただでさえ既婚者のが恵まれてるのにさぁ 大人しく戦場なんかいかないよ 悪いけど

2024-05-09

anond:20240509214715

それでも同じでは?本来人が居ない場所だと何が変わるのかさっぱりわからない。

殺人心理的ハードルものすごいしな。戦場ですら8割の兵士が敵に向かって引き金を引けない、空打ちしていたのが米軍調査でわかって問題になったくらい。

2024-05-08

anond:20240506233546

俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念シマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人三橋鷹女の句を紹介したい。

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  鷹女

あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?

たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいから、この樹に登ったら全身火に包まれしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれ鬼女になる」というそ妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。

これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。

  白露や死んでゆく日も帯締めて  鷹女

ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。

和服着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。

死ぬはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダー内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念世界だと思う。

どうだろう、こういった情念個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。

そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、から俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。

2024-05-07

anond:20240507142648

これ見て思ったんだけど、こと戦時中においては障害持ちって戦場行かなくていいか生存に有利じゃね?

anond:20240506113712

いいえ。

ウクライナ女がいっこうに戦場に行こうとしない理由と同じでは。

2024-05-06

anond:20240506125919

うるせー、こっちはゴールデンウィーク全日返上して働いてるんや

座らなきゃ生きていけないような貧弱な家族連れが戦場踏み込むんじゃねー

2024-05-05

anond:20240505205750

骨太フェミさんは男だけが戦場に行くことに文句言うぞ

日本でそんなフェミニスト見たこと無い気もするけど

2024-05-04

戦争始まったら男は戦争行くとして、子無しの女は戦場後方支援に駆り出されるのかな?

2024-04-30

P.A.WORKSお仕事シリーズというものをはじめて知ったのは「白い砂のアクアトープ」だった。

あれから三年目になるいま、お仕事シリーズをぶっ通しで観ている。ストーリーに引き込まれ時間を忘れる。好みの問題かもしれないが、わたしはこういうストーリーが大好きなのだろう。

花咲くいろは」は最初はとびとびだったが途中からまらなくなり最終話まで一気に観てしまった。喜翠荘再建のものがたりもアニメになればと思っている。

SHIROBAKO」はおもしろすぎて残話数がへってゆくのがもったいなくなり20話あたりで一旦ストップしている。

サクラクエスト」も山場を迎えそうなところでいったん中断し、全然関係ない本を読み始めた。

サラエボ1992-1995 ぼくたちは戦場で育った」「NOMAD CENTURY」まあどちらも私のお仕事に関連する本ではある。

軽く消費できない本をよみながらP.A.WORKS作品について考えている。ボスニア紛争気候変動とくらべればP.A.WORKS作品は軽く消費できるように見える。だがそれがいったいなんだと言うのか。引き込まれ、楽しみ、元気をもらう。そんなストーリーひとつもない世界など想像したくもない。

あとなぜか主人公たちがとにかくみんなミニスカショートパンツで脚を見せている。一部やりすぎを感じる。厨房服装民子みたいな格好でいいわけがないし緑川真希ホットパンツは股下がなさすぎる。スタッフが脚フェチというよりはP.A.WORKS全体が脚フェチなのだろうか。まあ私も脚フェチからいいんだけども。駒田蒸留所へようこそはまだ観ていない。これもまたきれいな脚が観れるのだろうか。

2024-04-28

俺が戦争に反対する唯一の理由

このご時世だとアニソンみたいな歌で戦場に送られることになるかもしれないし

それはさすがにしょうもねえなって思うから

2024-04-27

0才児に投票権があるなら、小学生結婚しても許されないとおかし

一石投じてやったぜ

飛ぶ鳥落とす勢いの

俺はまるでブリューナク(ケルト神話の光の神ルーが持っていたとされる武器。投槍のような武器と考えられているが投石武器スリング)だったのではないかとも言われている。だが光の神ルーの持つ投石武器としてもう一つタスラムと呼ばれるものがある。これは宿敵であるバロールの魔眼を撃ち抜いたとされている。このことからブリューナクを投石武器とする説はタスラムと混ざっただけであるとも言われているが、同時にタスラムこそがブリューナクの投槍としての機能が投石武器として誤って伝わったものとも言われている。このように神話主人公複数神話的な武器を持ち神話的な逸話を作るが、これらの多くは戦場に出陣した兵を鼓舞する際、「お前たちの武器神話にも劣らない」と語った際に仲間外れになってしまう兵種が出てこないようにしている内に増えてしまたかであるとも言われている。神話とは現代においては単に娯楽として消費されるようなものになっているが、古代においては宗教的意味が強く、それはつまる所政治利用されるための道具であったわけである政治の道具であるということは、時の当事者達が都合によって何度も書き換えるためのインセンティブが働いてきたということである。王・将軍神官占い師などがそれぞれの都合により定期的に書き換えるわけだからして、そもそも正しい内容と呼べるもの存在しないとも言える。たとえば、ブラックジャックの例のセリフが「木の芽木の芽!」であったと語るものと「(検閲)」であったと語るもののどちらかが間違っているということではなく、どちらも正しくはあるのだ。もしもそこで正しさを問われるものがあるとすれば、それは自分の都合によって内容を書き換えてしまった者達の側だろう。そもそもをして政治利用意図がなければ神話の発展はなかったのだから、都合により好きに書き換えて良いという姿勢は好ましくないと私は考えている。それは親が子供に「お前は労働力として産んだのだから、お前の人生は俺達の所有物であるべきなんだ」と語るに等しいことだ。相手空想上のものであっても、生みの親の絶対的権限をふりかざしてその存在を歪めるのにも、どこかで限度というものがあるべきではないだろうか?)

anond:20240427120052

ならリベラルフェミニストも一緒に戦場に行けば話が早い

ただし若い弱者男性ダメ

まだもうちょっともがき苦しんでもらわないと

anond:20240427115618

男子の本懐って奴だな

ただし弱者男性はお前だけじゃねえよ俺や若者にもいる

俺もコイツらも弱者男性戦士から戦場に行くだろう

ただしリベラルフェミニスト血祭りに上げないと納得は出来ないが

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