はてなキーワード: 良心とは
3年か4年前、ほぼ同じ事例がうちのゼミでもあった。
Twitterじゃなくてmixiか、あるいは当人のブログか、その辺だったと思う。
それを直に目にした教授はどうしたかつーと、
教授は後日こう言った。
その場に居た(俺を含む)全員の背筋が冷たくなったのは言うまでもない。
「お前達もカンニングをしているのは知ってるんだぞ。留年したくなければ真面目に受験する事だな。」と、教授の細い眼が語っているのを感じたからだ。
いや、俺たち自身の良心の呵責が、そう言わせていたのかも知れない。
それのどこが嫌味として機能してんの? 意味わかんないんだけど。
で、"「苦痛に満ちた死」こそが死刑に求められている"のは、本来人を殺したりした後に良心の呵責とかで「苦痛」を感じなきゃいけないのに、そんなものを全然感じないでいる犯罪者が多いから。犯罪者が内から苦痛を生まないのなら、外から苦痛を与えるべきだ、でなければ被害と到底(形の上だけでも、だが)釣りあわない、とみんなは考えている。
良心の呵責を本当に感じ、せめてもの償いをまともで具体的な行動として積み重ねてる死刑囚がいたら、それに残虐な死刑こそふさわしいという人間は少なくなるはずだ。
以前、どこかの作家が、「自分には調査能力がない」ということを言いたくて
「90年代を境として、育児雑誌は「啓蒙型」から「ママ友」型に変遷した」という仮説を
その作家は建てていたのだが、それを立証しようとして、膨大な量の育児雑誌の前で挫折した、と
書いてあった。
で、その作家は「自分の調査能力の不甲斐なさ」を言いたいために日経夕刊コラムに書いていたのだが、
自分はこのコラムのおかげで「育児雑誌の路線変更」という仮説を知った。
そして、それは恐らく「事実」だと思う。
これはある意味暴論であるが、所謂「伝統的な名付け」(=女の子は「●子」)でなく
「現代風の、良く言えば個性的な、悪く言えばDQNな名付け」が普及していく過程と、
育児雑誌の路線変更とは、シンクロしているような気がしてならない。
で、一部の育児雑誌が、ホメオパシーを無批判に掲載している、とする批判がある。
http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10622636065.html
>ナチュラル・エコ・ロハスをテーマにした生活情報誌(育児情報誌含む)の流行は
>5年ほど前から始まったように思います。
>「クウネル」「リンカラン」「天然生活」「ナチュリラ」「かぞくのじかん」「tocotoco」
>「nina's」「クーヨン」・・・廃刊になったものもありますが、
>ちょっと今書き出してみてこんなにあったのかとビックリしました。
>ずっと昔の育児雑誌になると、4年ほど前に廃刊になった「ベビーエイジ」しかなかった気がします。
>主な記事は、赤ちゃんの皮膚病やうんちの症例写真、しつけの相談、ハイハイやタッチなどの
>発達について等、実用的な記事が中心でした。
>そういえばベビーエイジの終焉と入れ替わるかのように上記のナチュラル系育児雑誌の流行が
>始まってますね。しかし、ナチュラル系育児雑誌の記事は「お洒落な親子ファッション」
>「かわいい育児雑貨」「こどもにやさしいロハスなインテリア」が中心で
>実用情報はほとんど皆無のように見受けられます。
>(うんちの写真なんてとんでもない!)
もし20年前の「啓蒙型育児雑誌」が健在であれば、ホメオパシーはここまで普及したかどうか、
疑わしい。
どうなんだろう?
「タダだから見る」って人は違法配信がなくなっても、購入や、有料配信や有料レンタルを利用するとは思えないけど、
「違法だとは思っていなかった」人は、購入するんじゃない?
実際若い子ほど「違法だとは思って」いないんじゃないかな。
「じゃなんで簡単にDLできるの?アップされてるの?」って納得できんのでは。
簡単に万引きできて、怒られもしないで、周囲の子もみんな万引きするの当たり前
そんな状況で「お金を出す」って考えが出なくて当たり前だよ。
中の人発言は、こうした「違法だと思っていない(無知・無意識)」の人の中に
良心があると思っての呼びかけだと思う。
「タダでなきゃ見ない」「悪いの分かっててやってる」って人に何言っても無意味だし
そんな層を客としてターゲットにはしていないだろう。
ポーランドで、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を研究したところ、ナチスによる村への攻撃を恐れた村人がユダヤ人を虐殺していた事実が明らかにされた事例がある。
良心の呵責に耐えかねた当時の村人たちが、ナチスの命令により殺人を実行したと言う嘘の記憶を作り上げることで辛うじて正気を保ってきたものだった。
戦後五十年を経てこの事実を暴かれてから、村では精神を病む老人が続発し、誰も幸せにならなかった。
ドイツでは研究が許されないため、このような事例でもナチスが実行したという認定が歴史的事実となる。
事実関係を争わずすべてナチスの責任として引き受けるのがドイツの責任の取り方。
ドイツのやり方は歴史の歪曲でもあるし、ナチスを切断処理して加担者が罪を免れている。
岡崎市立図書館の事件と、それに対するネットの反応を見ていて思う。仮に自分があのソフトウェア制作会社の中の人で、当のプログラムの制作者だったとしたら、果たして正直に誤りを認めて公表することができていただろうか、と。
今回の件に限って言えば、私はWeb分野のプログラマだから、あのプログラムの設計が根本的に間違っていることを容易に理解できる。しかしもし会社の都合で全然知らない分野のプログラムを作ることになったとして、その分野における常識的な前提条件を見落としてしまったとしたら……同じような欠陥プログラムを作ってしまうかもしれない。
その欠陥が明るみに出た時、自分はどう対応するだろうか。少なくとも社内では正直に自分の誤りだと言うだろうが、取引先に対して、あるいは広く社会に対してはどうだろう。「ハードの性能が」「想定外のアクセスが」「攻撃を受けて」そんな言い訳を一切言わずに、こっそりと”闇改修”を行ったりせずに、全ては初歩的なミスだったと説明することができるだろうか。そうしたところで会社にとってプラスになることなど何もない、取引先の信頼は失うだろうしネット上では大いに叩かれるだろう、自分が職を失うかもしれないし会社の経営が傾くかもしれない。それでも言えるだろうか。猛反発する上司や同僚を説得し切ることができるだろうか。
できるとすれば、あるいはできないとすれば、何が理由だろうか。純粋な倫理観?良心の呵責?社会人としての責任?プロとしての自覚と覚悟?個人の資質によるものだろうか、あるいは社会的な制約の方が大きいだろうか。制度的にそれを可能にするインセンティブの設計は可能だろうか。
一番お金が欲しい時期だし。
さて、グッズを作ろうと画策している人は、高校生が作ったものだから、無料で使って当然と思ってる。
多分、何も深くは考えてないと思います。
元増田は、グッズをもらうだけでは不十分(不当な扱いを受けているかもしれない)と思っているわけですよね。
「元増田が頑張ったことに対する報酬」を、グッズ以外にも求めていくことになります。これは交渉次第です。
・現金で○万円もらう。(ココが現実的な落としどころでしょう)
・グッズを制作する際に「design by 元増田」などを入れてもらう。
・グッズの売上の10%をもらう。
「このキャラクターを作った生徒に対して報酬を与えたいと思うのですが、○万ぐらい出してくれませんか?」と
言ってもらうのが一番カドが立たずに良いと思います。高校生だとナメられちゃうしね。
もしくは、元増田が「ところで、いくらかお金もらえたりするんですか?!(期待の眼差し)」を言える人だったら、
そう言って相手の良心に訴える方法もあります。
(僕が高校生だったときに、映像作ったりしてお金を貰ったりする時は、このパターンで貰ってました。あんまり相場感とか交渉の仕方とか分かんなかったし…)
某猫がお金をもらっていて、元増田がもらえないということに疑問があるようですが、
残念ながら、元増田のキャラクターと、某猫は全く別のものです。
某猫は、作った企業がリスクとお金をつぎ込んで有名にしたものです。
どれだけグッズを作っても売れない可能性や、有名にならなかったり、一瞬で忘れ去られるかもしれません。
最初に全く認知されていないキャラクターをPRするのにもお金がかかります。
その結果として有名になったキャラクターは、ほとんど芸能人みたいなもんです。
「みんなが知ってる有名なウチの某猫ちゃん!これをおたくでイメージキャラクターとして使いませんか?
1年間だと○○○万円で、ポスターや冊子、共同で開発したグッズ(売上は折半ね!)に使えますよ」という売り方。
元増田の場合は、イラストレータさんに「キャラクター作ってくれない?」とお願いするのに近い。
これは幾らか払って、著作権ごと買い取る契約になっていて、価格の基準は【芸能人を使うギャラ】や
【著作権云々】ではなく【イラストレータさんの作業賃】なんです。
だから、仕事をお願いしたお客さんは、上がってきたキャラクターを、イラストレータを気にせずに
どんどん色々なところに使ったり、グッズを作ったり出来るわけです。
もしくは、よくある「街のイメージキャラクターを募集します!採用者には現金10万円!」という
公募キャンペーンの現金10万が、グッズになっているイメージ。
これも、キャラクターの反応が良くてグッズを作っても、原作者にはお金がいかないでしょう。
日本の法律だと、著作者人格権ていうのは、著作者以外に譲渡することが出来ません。
つまり、何があってもイラストレータさんの権利は守られるような気がするのですが
契約書で「著作権は譲渡し、著作者人格権は行使しない」という契約を作るので、
お客さんは何でも出来るわけです。
説明不足な感は否めませんが、なんとなく理解の手助けになったでしょうか。
つーか、地方のおっさんとかって、モノに対してはお金払うんだけど、
他人が一生懸命考えて作ったものとか、人がサービスすること等に対してびたいち払う気がない人が多いので
しっかり交渉して満足行くようにしたほうがいいです。
個人的にはグッズを100個ぐらいもらって、友だちや親戚に
「自分がつくったよー!!」って配りまくるのが一番いい気がするけど。
あと例えば理想的な形で「著作権は持ち続けてグッズを作る時は、契約内容によって都度許諾します」とか言うと
それなら、そもそも頼まないっていう話だと思うので。
ネグレクトにより2名の幼児が亡くなるという事件が起きた。痛ましい事件である。
いかに深く静かにサイレントテロを敢行してきた我々といえども、さすがに幼気な命の存否を前にしてはテロ継続の意志を揺るがされざるを得ない。
児童虐待防止のためにいささかの金銭負担に応じてもいいのではないか、もう少し地域で人付き合いを持ってもいいのではないか、と休戦を考えてしまう。子供を持てる恵まれたリア充は憎いが、子供の方に何ら恨みはないのだから。
だが、この事件にかこつけた子蟻の暴走が、あまりにもひどい。
「(児童虐待対策への無限の予算と人員投入に)反対する人はどうせ子供を育てたこともないんでしょ」
「お前らは子供を作らない権利を行使しているんだから口を聞く権利はない」
こんなナチュラルな蔑視を子蟻に投げ付けられてなお、虐げられた我々は休戦し、恵まれた者どもの安息に手を貸すべきか。育児疲れを癒すための風俗代まで出してやらねばならぬのか。
否。断じて否。
痛ましい死さえも利用してもっと金を寄越せと利益誘導する子蟻どもの要求を、断固として跳ね除けなければならない。
子宝という慈しき存在に恵まれた者が、その宝に決して手の届かぬ底辺の不可触賎民から愈々搾取しようというのか?
我々はそのような搾取とこそ戦ってきたのではなかったか。
奴らが卑劣にも亡くなった児童をカードに利用し、生ける児童を人質に取ったからとて、転向してよいはずがない。それは思考停止である。
負担増に応じなければ疲れて児童虐待を行ってしまうなどという唾棄すべき恫喝に、我々は決して屈してはならない!
公園を通り抜けた時、遊んでいた子供を母親が隠したその屈辱を忘れたか。迷子の親探しに付き合ってカウンターに連れて行った時、礼を言うどころか物凄い勢いで引き剥がした親の目を忘れられるか。
子供に近付くなと、近付いたら性犯罪者だと決め付けたその口が、手を貸さない社会の冷たさをなじるのか。ならば我々はその社会の外に犯罪予備軍と位置付けられた部外者だ。手を貸すことなど、求められても許されてもいないと知れ。
迂闊に良心に従いテロ破りに走った者の末路は火を見るよりも明らかだ。手が後ろに回るだけである。戦闘配置に戻り、テロを継続せよ。せっかく授かった子供を虐待するような馬鹿親には通報の鉄槌を下してやればよい。それ以上は決して望まず、潜行せよ。
悲劇を利用し感情に揺さぶりをかける卑劣なやり方など、許してはならない。
我々は戦いを続けなければならない。
戦線を離脱するのは自分が幸せになった時にせよ。情にほだされて離脱すると奴隷として搾取された挙句苦しんで野垂れ死ぬことになろう。
泣けた。→可哀想な赤ちゃんを思って泣ける私ちょう偉い。
行政は留保なき生の肯定を行い、いつでも即応する体制を整えるべき。→でも私の税金を使うのは許さない。
行政の権力を強化し、現場の判断で立ち入れるようにすべき。→私の家に来たら官憲の横暴だ、軍靴の足音が聞こえる。行政訴訟を起こしてやる。
住民は隣人と深く関わり温かい交流を持つべき。→私には絶対ウザい干渉しないで。
行政はどうすべき、近隣住民はどうすべき。なぜそうできなかったのか!
私は負担をしない傍観者。泣いて叩いてすっきり。
良心的な意見を吐いて済ませれば楽でいいよな。本当いらいらする。
亡くなった子供は可哀相だし、ノータイムで感情のままに心を痛めていい。そこまではいい。
でも社会批判に持っていく前にちったあ考えてから物言えよ。ああしろこうしろ思い付きで言う奴にそのコストを受け入れる覚悟があった試しがないじゃないか。で、逆ギレして「お金の問題じゃない!あなたには人間の心がない!」なんて叫び出すけど自分は税金上がると怒り狂うんだぜ?何なの。
同情する自分と義憤を暴走させる自分に今酔って、数日後にはブクマやレスしたことも忘れるならそれでいいだろう。悲劇的な死を遂げた子供達への同情と、その子供と母親を救えなかった社会へのいらだちを井戸端政談のコンテンツとして消費してしまうならそれで結構だ。
でも本当に救いたかったらどういった体制が必要でどの程度金銭的・精神的なコストがかかるか考えるべきだろ。
即応体制のために公務員を増員して税金上がっても無駄遣いと言わないか?それとも無駄は省いてピンポイントで救え、当たりくじだけ買ってこいと言い出す?映画のDVD見てたら助けを求める声が聞こえたと通報されて警官がドアぶち破って臨検に入ってきていいか?近隣住民が毎日入れ替わり立ち代わり家を覗きに来る関係、逆に行く関係に耐えられるか?
すぐに結論出さなくてもいいが、コストも考慮して現実的にどうすべきと考えるか、自分なりの着地点を用意しないと。二度と悲劇が起きないよう行政と誰かが現行のコストと最上級の対応で全部うまくやってくれるべき(キリッと言い放って終わらせることこそ無責任。
★★★☆☆☆☆☆☆☆
空回り感が否めないファンタジィ
気合が空回りしているのかとにかく冗長。この程度の内容で2時間超えはないだろう。
そのへんからして「子どものための」「良心的な」作品という皮をかぶった大人の慰みものの匂いもしなくはない。
テンプレ通りの「田舎の夏休み」「ピュアな子どもたち」もアレだが、特に脚本には問題が多く、中盤のダレはもちろん、
終盤の安っぽい説教も完全に足を引っ張っている。背伸びして児童文学気取る前に、アニメで非日常を構築することの意味を考え直すべき。
★★★☆☆☆☆☆☆☆
いろいろ不合格......
同じ舛成監督と倉田英之脚本による『かみちゅ!』では、神道的想像力とジュブナイルがスマートにミックスされていたのに対し、
最高の人材と手間暇と予算が投入された今回は、いまひとつ何を目指したのかがわからない。
主題として非常に似通っている『サマーウォーズ』が(成功しているかどうかはともかく)
SFとして、近未来のテクノロジーと人間の在り方を正面から扱っていたことに比較すれば、特筆すべき試みはひとつもなかった。
★★☆☆☆☆☆☆☆☆
これで「宇宙」はちょっとムリ
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還などで盛り上がった天文ブームと軌を一にして、異界としての宇宙の魅力を奔放なイメージで再生......し損ねた凡作。
少女への性欲ダダ漏れのキャラデザには目をつぶるにしても、擬似ディズニーランド級に宇宙を貶めた映像演出、
快楽を欠いた活劇、クソ寒い説教と、正しい"子供騙し"のお手本。これでは宇宙にロマンの復権を求めるメンタリティの退行性を疑わせるばかりでは?
★★★★★☆☆☆☆☆
ほほえましい独り相撲の記録
とにかく不用意な作品で、脚本も作画もぐだぐだ。いつもの陳腐なトラウマ
描写と、結局「男の子の生きがいのため、かわいそうな女の子が都合よく必
要です」的な弱めの肉食系ナルシシズム構築に回収しちゃう絶望的な底の浅
さは擁護しようがない(笑)。ウェルメイドな空気系の時代に、手持ちの古い武器(セカイ系センス)で戦いたかったのだろうが、
結果は独り相撲の挙げ句惨敗、むしろ敵の強大さを証明した作品だが、その稚拙な突撃はある意味ほほえましい。
★★★★★★★☆☆☆
あからさまに近年のヒットアニメを彷彿とさせる設定をふんだんに導入して
いるせいで、麻枝シナリオの要である家族愛やトラウマすら、ただのガジェッ
トのように見えてくる。が、それでも物語全体に漂う「ガチ」な空気は、さすがKey&麻枝准というべきか。
さらに、Key原作だというだけで制作のP.A.ワークスの演出が「京アニ化」している現象は非常に興味深い。真似られる
★★★★☆☆☆☆☆☆
説明台詞偏重のアンバランスな演出や超展開を、美少女ノベルゲーム的な文
脈へのリテラシーで深読みできるか否かで見方は変わるが、連続アニメとし
てはやはり破綻。それを割り引いても、終わりなき学園的日常への執着と生
の一回性との葛藤を描くゲーム発のコアなオタク文芸特有の主題に、何か新しい展開を示せたとも言い難い
(例えばゆりの抵抗にはもっと別の掘り下げができそうだが......)。美少女ゲーム的想像力の枠組み自体が、もはや限界か。
うむ、下働き時代の果てしない太郎さんミッキーさんとの苦闘のトラウマがね!
ノーガード戦法「いやなら来るな!」って店もあるけど。
ただねー、結局水なんだよね。ドライキッチンにしてもダメなんだからもー。
しかし、飲食店さんってのはそうもいかなくてねぇ。
「あの店ゴキブリデタノヨー」ってネットでやられると、ナチュラルに死ねるのが飲食店なので
こういう匿名の環境ではついついものもーしたくなる。店の人間としては口が裂けても言わんけどね。
結局、一店で頑張ってもダメなのよ。テナントの中に一戸アレなのがあるとそこから爆発的に増える。
薬剤何百個配置しようがどんどん供給される。しかも、池袋みたいな町だとそれはそれはもうね…。
もし、徹底回避したいのであればメシ食うときに都心部を避けることだね。あの辺りの密度は異常だから。
id:buyobuyoの件を見ていて思うんだが。
傍目には単なるブーメラン全弾命中だが、もしかしたらはてなでの罵倒がブヨなりの良心回路だったとか。
こんな良心的な俺が不当解雇をしているのは政治が悪いとかいって自分の中で正当化するための。
それを言ったら、はてサはみんなそうじゃねえのかな。現実の自分がいまいる状況が自分には非常に不満があるが、そこから抜け出すことは自分の経済的な困難を意味するので、ネットで反対の立場からそれを攻撃することで鬱憤を晴らす。
だから石蹴り遊びのような人から「所詮口だけじゃないか」とか批判されると、はてサの怒ること怒ること。それが一番弱味だからな。
しかしまあ、はてサを見てると、身を持ち崩した東大出身者がどれだけ社会を恨んでいるか、社会を見下すことで自己愛を見たそうとしているか、背筋が寒くなるわ。アカポス絶望のhokuxxx,ネカマのRomaxxx,ふて腐れきったfluxxx,あのへんもいずれbuyoのように外面的にも破綻するだろう。内面はもうぐちゃぐちゃだが。
http://anond.hatelabo.jp/20100701080357
不倫願望は、ある。
夫との夫婦仲は悪くないけれど、既に男と女ではなくて家族になってしまった感じ。
一方、私も働いているので、職場、習い事、飲み会など出会いは多い。
ドキドキするような素敵な男性と出会うこともある。
もちろん、それが恋愛に発展することは、ほとんどない。
普通の男性は、こっちが既婚者と聞くと、お友達モードに切り替えてしまう。
しかし、今まで一線を越える直前までいった人が2人いる。
2人とも、「結婚前提で付き合って欲しい」「旦那とは別れて欲しい」という内容の話をしてきた。
すごく惹かれていて、抱かれてみたいと思っていたけれど、その一言で冷めてしまって断った。
私は一夜のアバンチュールがしたいだけで、家庭を壊す気はないのだ。
本気になられてしまっては困る。ストーカーにでもなられたら、浮気が夫にバレてしまうではないか。
世の中、ヤリ捨て男に悩まされながら、誠実な男を渇望する女がたくさんいるというのに、そのヤリ捨て男はどうして私の前に現れてくれないのだろう。
「三十路の女に本気になる男なんていない、近寄ってくるのはみんな身体目当てなだけだ」が真理じゃなかったのか?
身体目当てで全然構わないのに。
きっとこのまま、不倫願望を悶々と抱きながら、結局実ることなく老いていくのだろうな、と思う。