2010-08-03

サイレントテロリストに告ぐ。児童虐待ありとも戦いを継続せよ。

ネグレクトにより2名の幼児が亡くなるという事件が起きた。痛ましい事件である。

いかに深く静かにサイレントテロを敢行してきた我々といえども、さすがに幼気な命の存否を前にしてはテロ継続の意志を揺るがされざるを得ない。

児童虐待防止のためにいささかの金銭負担に応じてもいいのではないか、もう少し地域で人付き合いを持ってもいいのではないか、と休戦を考えてしまう。子供を持てる恵まれたリア充は憎いが、子供の方に何ら恨みはないのだから。

だが、この事件にかこつけた子蟻の暴走が、あまりにもひどい。

「(児童虐待対策への無限予算と人員投入に)反対する人はどうせ子供を育てたこともないんでしょ」

児童権利より性欲が大事な変態もいるんですね」

「お前らは子供を作らない権利を行使しているんだから口を聞く権利はない」

こんなナチュラルな蔑視を子蟻に投げ付けられてなお、虐げられた我々は休戦し、恵まれた者どもの安息に手を貸すべきか。育児疲れを癒すための風俗代まで出してやらねばならぬのか。

否。断じて否。

痛ましい死さえも利用してもっと金を寄越せと利益誘導する子蟻どもの要求を、断固として跳ね除けなければならない。

子宝という慈しき存在に恵まれた者が、その宝に決して手の届かぬ底辺の不可触賎民から愈々搾取しようというのか?

我々はそのような搾取とこそ戦ってきたのではなかったか。

奴らが卑劣にも亡くなった児童カードに利用し、生ける児童人質に取ったからとて、転向してよいはずがない。それは思考停止である。

負担増に応じなければ疲れて児童虐待を行ってしまうなどという唾棄すべき恫喝に、我々は決して屈してはならない!

公園を通り抜けた時、遊んでいた子供母親が隠したその屈辱を忘れたか。迷子の親探しに付き合ってカウンターに連れて行った時、礼を言うどころか物凄い勢いで引き剥がした親の目を忘れられるか。

子供に近付くなと、近付いたら性犯罪者だと決め付けたその口が、手を貸さない社会の冷たさをなじるのか。ならば我々はその社会の外に犯罪予備軍と位置付けられた部外者だ。手を貸すことなど、求められても許されてもいないと知れ。

迂闊に良心に従いテロ破りに走った者の末路は火を見るよりも明らかだ。手が後ろに回るだけである。戦闘配置に戻り、テロ継続せよ。せっかく授かった子供虐待するような馬鹿親には通報の鉄槌を下してやればよい。それ以上は決して望まず、潜行せよ。

悲劇を利用し感情に揺さぶりをかける卑劣なやり方など、許してはならない。

我々は戦いを続けなければならない。

戦線を離脱するのは自分幸せになった時にせよ。情にほだされて離脱すると奴隷として搾取された挙句苦しんで野垂れ死ぬことになろう。

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