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はてなキーワード: 私怨とは

2009-03-15

はてなアカウントしか持たない読者のための水伝案内

はじめに

ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。

人物(A・B・C・D)

論理派(A・B)、共感派(C・D)に袂を分かつ

現在共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。

四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。

水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法言葉存在する。

  o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ論理派)に入る。

  o B そのパートナー踊り子の軽快なステップ武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。

  o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルネット社会での応用を頑なに拒む。

  o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメント通読苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。

人物(E・F)

先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。

左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループ騎士団と呼ばれ、Fグループカルト信者)に喩えられたのは、EとFがシンボル祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。

E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャー資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。

背景

水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)

前者が退いた後もネットリテラシー主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。

渦中へ

G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。

  o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?

  o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?

  o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)

  o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?

  o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?

  o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?

  o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?

過去

ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。

関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。

「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。

おわりに 

嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo


※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。

共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。

2009-03-07

良く分からないけど有村さんは私怨粘着されてて大変だな。有村さんが何者なのか知らないけど。

2009-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20090226222929

問題なのは自分より強そうなものを攻撃することで

弱者の味方のふりをしているが、主因が私怨であるということ。

さらに自分より弱いものの意見は聞こうとせず鼻で笑う。

つまり自分が中心。自分より強いものには、弱者を虐めるな僕チンは弱いと

言いながら、自分より弱いものには、お前は馬鹿だから黙っとけという。

もちろん一般論です。

2009-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20090208224904

主題はタイトルにあると見せかけて、一部サークルdisるだけの文章。

私怨でもあるのかと勘繰ってしまうわw

そもそも東方キャラでどうしてもヌかなければならない事情でもあるのかw















ひまわりまんじぅのパチュこあ本おいしかったです

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222195924

→こちらに修正して転載すた。http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081222/

1.池田さんがいいこと言っているかどうか、というのは分野による。

2.経済学系の記述はおそらくかなりまだ信頼性の高い記述もおおい。というか、この分野はわたしがよく知らない。

3.技術系の記述は、まあ、主張を信じるのは話半分でよい。

4.哲学倫理系の記述は、だめだめでもないけどそれほどよくもない。まあ、こんなもんか。

5.上司とするには、やめてほしい。この点については、池田氏とこれまで仕事で関わってきた諸氏からの情報総合的に判断。私怨で人を困らせすぎる。暴れん坊。思い込みが激しい。

6.仕事人として付き合いたいかどうかはともかく、優秀な人ではあるだろう。

7.学者は間違ったことを言う、のは当然。間違ったことを言わない学者などいない。学問はそもそも常に仮説でしかない。学問とは、より妥当な議論を可能にする知識の継承、発展のフレームワークなのであって、間違ったことをいわないことが学問なのではない。

8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。(a)の部類の学者が嫌いな人もいれば、(b)の部類の学者が嫌いな人もいる。(b)の途を選び取った学者は、しばしば間違いを言う。しかし、そのことの是非は、「学者」の発言が社会的にどのように扱われるのかという文脈形成も込みで考えられなければならない。「学者A」の発言が即座に、社会的影響力を与え、間違いが甚大な被害を与える可能性をある場合には、(a)のような発言が推奨されるかもしれない。全国放送のTVカメラの前で、軽々しいことを言う学者は非難されてしかるべきである。しかし、「学者B」の発言が、リテラシーのある程度高い相手に向けて、「学者が常に正しいことをいうわけではない」ことを前提にしているようなコミュニケーションが成り立つ場合には、(b)のような態度が推奨されるかもしれない。池田氏ブログの影響力はかつて、リテラシーがある程度まで高い層に限定して書かれていた。しかし、有名になるにつれて、その影響力は変化しつつある。よって、(b)のような態度を諸手を挙げて推奨するわけにもいかない。しかし、(b)の立ち位置を担う学者ポジションをまったく評価しない、というのはありえない。

追記1 2008/12/23

上記「8」は次のように言い換えることも可能である。

上記の記述は多少よく書きすぎている、との意見はもちろん一定以上、妥当である。

間違いをしばしば発言するインテリは、そのような態度をとる自分をしばしば「今コレが間違いであるという以上に、発言していくこと自体の意味が裏に何かある」という別の合理性を担保している場合が多い。たとえば、コンスタティヴな価値に対する、パフォーマティヴな態度を称揚するといった合理性は代表的なもの。池田さんの基準がいかなるものであるかについては、わたしはあまり池田ウォチャーでもないので正確にはわからないし、評価できない。が、しかし、個別の発言の妥当性以外のなんらかの合理性を彼自身の中では担保しながらしゃべっていることはほぼ確かだと思う。

 ただし、そういった別の合理性が持ち出されるすぎると、個別の発言における「今言っていることのことが正しいかどうか」ということに対するチェックが甘くなる、という現象はしばしば起きる。学者の発言について、個別の発言の妥当性の高さだけが、学者を評価する基準だという思い込みは、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。だが、学者の発言が、非学者層の発言と同程度に妥当性の低い発言を連発してもよいという基準もまた、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。

 両者のバランスをどこでとるか、ということは難しい。

 池田さんが何をしたいのかは知らない。なので、池田さんの考える、個々の発言とは別の水準の合理性が何なのかがわからない限り、池田さんを評価しようとおもったとき、「とりあえず」個別の発言の妥当性という基準を適用することには一定の合理性がある。だが、その合理性が合理性の一部でしかないことを考えるべきである。それは「とりあえず」の一部の評価の合理性でしかない。

*この「追記」の記述は、東浩紀と、東批判者たちについても同様に適用可能。ただ、東さんは明確に自らの価値アジェンダ・セッティングという行為の中に見つけているとは思われるので、池田さんと比べると、「担保すべきだと考えている別の合理性」の水準が理解しやすい人だという印象はある。

追記2

fromはてぶ

「なんで支持者も不支持者も、人格人間性で主張の妥当性を判断しようとするのか。「人」を信頼してはいけない。面倒でも個々の主張についていちいち信用すべきか否かを検討すべき」

 もちろん、それも一つの合理的な態度だとは思う。しかし、「人」や「組織」をある程度まで、使い勝手のいい単位だとしておかないと成り立たないところもやっぱりある

 たとえば、わたしがよく知ってるor考えていることであれば、そのことについて「××さんが言った」「○○さんが言った」ではなく、主張の内容レベルでの判断はもちろん可能だし、できる。そういうときには「人」という単位はほとんど機能しない。単に主張Aを言っている人がいて、主張Bを言った人がいた、という程度の意味合いしかない。

 しかし、わたしが全く知らないことをはじめて知ろうと思ったら、まずは「人」「組織」「定評のある本」に対してある程度まで高い信頼を置いて、そこから情報を得るというのはとても効率的で、合理的な行動になってしまう。それは、わたしにとっては検討しようのないことなので、「人」や「組織」や「定評のある本」を採用するしかない。不案内な分野の入門書を読むときに、「ハーバード大学教授で、全般に頭良さそうな人が書いている最新の本」と、「三流大学教授の、いまひとつ何を言っているかわからない10年前の本」で対立している主張があり、わたし自身に、その対立を検討するための十分な情報がないのであれば、「へぇ、対立する議論もあるんだなぁ」というぐらいに思いはする。でも、とりあえずはハーバード大学教授の言っていることのほうが「たぶん、こっちのほうが妥当なんだろうな。よくわかんないけど」という形で、ある程度、組織とか評判を信じてしまうよね。

 我々は、出会った知識の全てを検討するだけの無限時間などは与えられていないので、誰がよりよいことをいってそうか、どの本が最も定評のある本か、ということは、「より、まっとうそうな知」を得ていくための効率性にかかわることになる。はじめて仕入れるたぐいの知識が、いままでの自分経験上/知識の上で整合性があるかどうか、ぐらいのことは考えられるけれども、分野が遠くなれば遠くなるほど、「とりあえず、たぶん、この人の言うことはかなりの度合いでレベルが高いはず」という情報はとても役に立つ。教える-学ぶ関係においては、そういう「権威」がもっている効率性の問題は避けて通れない。

 理想的には、おおざっぱなクオリティ選別の効率性を機能させるために存在している権威や評判のようなシステムよりも、一つ一つの主張の妥当性を検討できるような態度に至れることのほうが望ましいのは言うまでもない。だけれども、わたしたちは、能力にも知識にも限界があって、そういうことができない。だから、権威や評判のシステムをわたしは利用するし、今後も利用し続ける。

追記3

http://anond.hatelabo.jp/20081223163942

クルーグマン経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20081014

だそうです。

まあ、山岸俊男風?にいえば「信頼」性はともかく、誰かが池田の発言に対しては必ずレビューをしているという意味での「安心」の対象としては機能しやすいとか言ういいいかたはできるかもなぁ。それがインターネットというもののよさというか。手間かかるけどね。

追記4

池田ファン扱いされた…なんという微妙な気分。これが池田効果か。

わたしはそれほど熱心な池田読者ではない、…と自分ではおもっています。

実際、エントリ100個も読んでないんじゃないかな。

むしろ、池田被害者

追記5 

上記の記事に対してid:lets_skeptic氏から、よいコメントをいただいた。

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224

そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。

自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。

主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。

議論の建て方として「誠実さ」という別の軸を立てられる、というのはいい指摘だと思う。インター・ディシプリナリだからと言って許されるわけでない。ただ、わがままを言えば「追記1」に書いた部分についても一応目を通していただければ幸い。追記1、はこういう批判に対する防御線として書いたわけだけれども、かえって問題の建て方を曖昧にしてしまったようで反省。「インターディシプリナリ志向であれば、誠実でなくとも許される」として、確かに読めてしまう。

で、発言の「誠実さ」と、個別の発言の「信頼性」が別問題であり、問題を分けて考えるべきだ、というのも、その通りだとおもう。(その点については、上にちょこっと書いた、山岸俊男氏の「安心」と「信頼」の区分にも通じる問題系である)

そして、その基準でもって池田さんを論じることは、意味があるだろうと思う。

ただ、もちろん、だからといって、先に挙げたわたしの、区分そのものが<一般的な区分として>まったく無意味なものだ、ということを認めるわけではない。また、<池田さんに対して>わたしが挙げた基準で判断をすることが適当か、という点については、いくつかの基準のうちの一つとしては、やはり適当だと思う。論じる基準が、一つである必要はない。論じるべきは、どの基準が最も正しいか、ではなく、、基準A「誠実さ」の問題と、基準B「学者としてのアプローチの違い」の問題と、どちらが池田さんを論じる上でより重要な問題とすべきか、ということになる。その点は、どっちなんだろうなぁ。前者かもしれない。

それと、lets_skeptic氏は知っている話だとは思うが、さらにやっかいな話をもう一点してフォローしておくと、パフォーマティヴな発言の「誠実さ」というのはとても評価がめんどくさい。

議論のための議論のように聞こえてしまったら恐縮だが、

たとえば、

1.「XXがよりよいことなので、みんなで××にコミットすべきだ」と発言があり、

2.XXがぜんぜんダメでぽしゃった

3.しかし、原因はXXがそもそもへぼかったからではなく、みんながXXにコミットしなかったことが原因である可能性がある。(つまり、みんなが××をしていれば、××はほんとうによりよいことだった)

というようなことがあったとする。

このとき、「XXがよりよい」と発言していた人は、「間違ったことを言った」とどこまで言えるだろうか。

もちろん、「現時点の観測からすると、結果的には間違っていた」といえる。その限りで詫びてもよい。

しかし、「現時点の観測からすると、間違っているように見えるかもしれないが、やっぱり私の言っていたことは正しい。みんながコミットしなかったことにこそ原因がある。だから、わたしは、一時的に、結果的に間違っているかもしれないが、××はただしい、と言い続けるし、そのことについては謝らない」という人がいたとして、その人の「誠実さ」とはどのように評価可能だろうか。

わたしの知っている人のうち、この手のパフォーマティヴな価値に言及しようというようなタイプの人、(ネガティヴな言い方をすれば、自己成就予言的な性質のある話をしている人)というのは、議論するとやっかい、つーか、めんどくさい、つーか、並大抵のことでは謝らない。この手の人々に対して、「誠実さ」とか言い出すと、話がズレることが多い。

データみせても、「いや、現時点でのそういう結果を出されても、それはぼくの言っていることの根本的な反論にはまったくなってなくて…」といわれて議論にならないことが多い。かなり理論的なところで闘う以外に手がない場合が多い。人によっては、理論的なところですら闘えないような話をする人も多い……。これが、「ムー大陸が~」とかって言うタイプの人だったら、「DQN乙」で終わってよい場合も多いけれど、、ガチインテリの人でもこういう話はけっこうやる。こうなると、どこまでが謝ったりする範囲で、どこまでが謝らなくていい範囲なのかが、遠目にみると混迷を極めているように見え、エンドレス不毛な会話がなされる場合がけっこうある。

というわけで、結局何が言いたいのか、というと、

・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。

・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?

 まあ、自己成就予言的な話をするとき、それは社会科学者ではなく、批評家とか政治家とか呼ばれるたぐいのものになってしまう、という解釈もありうるんだろうけれど。政治的/批評的行為によって、理論の実証を目指してるんだ、という言い方もできるので、そういうことを言い始めると、社会科学における「科学的」と認められる発言の境界線はどこに引けるのか、ということになってくるので、わたしの手には扱いあぐねる。たぶん、科学哲学的にアツいところなのだろうけれど。そこらへんの話については、わたしはぜんぜん科学哲学についてフォローしているとは言えない人間なのでlets_skepticさんのような人から教えを請いたいぐらいの話です。

***

しかし、やっぱり、増田なんかで書くとどうしても脇の甘い書き方をガンガンとしてしまうなぁ。まあ、脇が甘くても、「たかが所詮は増田記述」だと思われ、その程度によまれればいい、ということを期待してしまっている自分がいるから、そういう書き方になるのだろうけれども。

それと、トラックバック先のskeptic氏へのはてブコメント

「豹変できないからこそ君子と呼ばれないのだ。誤字や言い間違いレベルの些細なことですら、ちょっと謝って訂正して感謝する程度のことが出来ない人が多い/ただ、誠実な人に限って「当たり前」以上の誠実さで潰れる」

もまた、的を得た指摘だと思われる。

結局、誠実…というか、ノイズを気にせずになんでもかんでも答えずにはおけないような人は、たとて、どんなに頭がよく、<知にたいして>誠実な人であったとしても、ウェブ上で活動するのはかなり負担がかかる。すくなくとも、学際的なひろがりのある人とかだと、ウェブ上で何かやろうとすると、潰れやすい。それをまた、「議論に負けだ」のなんだのとはやしたてる連中も発生すると、ごっそりとやる気をなくす。その結果、ウェブ上で「ちょうどいいぐらいの」コミュニケーションのできるインテリというのは、一定度以上にノイズを気にしないでいられるタイプか、ノイズがそもそも生まれないような振る舞いでいられるタイプインテリかということになる。実際には、ノイズが生まれないような振る舞いというのはそんなに簡単なことではない。はてブコメントのうちの5%ぐらいには文脈ぶっとばして、一読して偉そうなことを言う人、というのがいる。はてブ以外に、ブログであってもいるけれども。

 もちろん、「ノイズ」に類するようなどうでもいい話に対応する「誠実さ」と、重要な指摘に対して対応するような「誠実さ」は別種のものだ、というように理屈上の区分は付けるはできる。しかし、実質的に、外からの指摘に応答する当人にとって、指摘がノイズなのか重要な指摘なのかを判断する根拠は、曖昧であり、当人が、常に、「誠実に」悩み続けることによってしか、それらは区分できない。結果、在る一定以上まで有名になると、「誠実」な人であればあるほど、外部への応答コストの負担によって潰れることになる。

 ちなみにわたしは、わたしが実名で発言しているところに100ブックマーク以上ぐらい付けられると、うれしい反面、だいぶむかむかしてくる。「はてブ/2chの連中は全く…!」とは思わないけれども、はてブ2chのようなアーキテクチャが出てくると「ウェブ上でどの程度、冒険した発言がOKか」「ウェブ上では、どの程度外からの指摘を気にしないメンタリティがいいのか」といったことに対する「望ましいありよう」の最適さが変わる。これはつまり、政治家が演説でくだらない発言しかしなくなる、ということに似ている。政治家がバカなのではなく、現行の世論システム/投票システムとの相性を考えたときに「望ましい程度の発言」というもののバランスがどこに落ち着くのか、ということだ。ウェブ上が、学者コミュニティとして機能するクローズド空間(※学者の作法を全員が受け入れることによって成り立っている空間、という意味で。作法を受け入れる限りにおいてはもちろんオープンである)ではなく、現状のようなオープンな一つのプラットフォームになっている限りは、学者的な作法が、ウェブ上において必ずしも「ほどよい」ものとして機能するとは限らない。市場システムが、市場に課せられたルールアーキテクチャいかんによって均衡点のありようを変えるように、議論のシステムもまた、議論に課せられたルールアーキテクチャいかんによって、その均衡点のありようを変える。学問というのは、その均衡点のありようを「知の継承、発展」にとっても最も効率的になるように目指し、調整がなされている議論のルールシステム体系のことだと思っている。ウェブが一つのプラットフォームとしてではなく、複数のプラットフォームを切り分けるような(たとえばSNSシステムとしての発展可能性をみせれば、学問の作法がより効率的になるプラットフォームとしても機能しうるだろうと思う。ただ、今のウェブという空間が生み出す、議論の均衡点は、おそらく、かなり傍若無人な人のほうがやりやすいぐらいになってしまっている。理想的には、もっと「誠実」であってほしいとは思う。しかし、「誠実」であることによって、評判を生み出し、注目を浴びやすいようなアーキテクチャにはなっていない。そのことが、池田さんをめぐる最も、面倒な問題なのかもしれない、と思う。

2008-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20081124134852

彼にどういう恨みがあるのか知らんが、私怨なら他所でやってくれ

2008-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20081119152640

省庁の面接を書いているひとがいたのでハタとおもい至ったんだけどさ、

犯人30歳ぐらいって目撃されてるじゃない?

もしかしてこいつらが人事で面接したころに落とされた人間だったりしてな。

就職氷河期だからその後に苦労して、最近のしゃほうちょうの腐敗ぶりをみて暴走とか。

政治意図ではなく突き詰めたら私怨だったりして。

政治的な発言もないところでテロてするのもどうなのかなって思うんだ。

2008-11-12

金が無いから、会社休んだ。

金が無いから休むと、上司にも言った。納得してなさげだった。

わずかな資産を売却したけど、入金が1日分間に合わなかった。

貯金なんて、とうの昔に使いはたした。

既に借金ができる身分ではない。

交通費(定期代)は貰ってるから、定期で会社まではいける。

でも、朝食・昼食代がない。

過労による自律神経失調症治療の一環で、医者から定期的な食事を義務付けられてる。

なんでも食っていいわけじゃない。食事制限ってやつ。

弁当?そのための食材も既にない。

金が無いのは、会社責任でもあると考えてる。

深夜残業した後のタクシー代とか、一時期、出さなかったことがあって。

もちろん、明確には言わないけど。いやらしい圧力のかけかたしてきた。

これ以上、上司に追及されたら「タクシー代、出さなかったでしょ。」って言わないといけない。

業務に必要な資格試験でも、2回落ちて3回目からは自己負担みたいな社内規定は、違法じゃね?とか。

言いたくないけど。

言ってしまったら、労基署とか民事裁判とかまで一直線のような気がする。

既に時効になってる気もするけど。

それに、言ってしまったら、自分を抑えきれなくなって、何をしでかすかわからない。

不信感が溜まりに溜まってる。

てめえの自己責任じゃねえか馬鹿なだけじゃねえか逆切れじゃねーか甘えてんじゃねえとか言われそうだが、

誰もが納得してくれるような正当な理由で、犯罪なんか犯すわけが無い。


だから、私怨なんだ。これは。


とっとと転職すべきなんだろうが、転職に必要な金も体力もない。

今の会社を怨みながら、勤め続けるしかないんだ。

この先生きのこるには。




自分のブログに書いてもいいけど、

法的に何ができるのかちゃんと調べてないので、

増田に書きました。

自殺しろ?考えてはいるけど。

活路があるなら、そこに一手を打つべきだと思うので。

その手が有効だって思うなら、一手ささずにはいられないのが、

人間ってもんじゃね?

一手打つ元気も無くなったら、次が最期の一手になるのかなあ。

2008-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20081027025008

てか既にこの人が恣意的なんだよな…

例えば橋本知事高校生と対談した内容に対して、対談以前のレベル橋本知事を批判してる奴がいたり。

とかね。アホかと。まるっきり賛同側の穿った見方やん。

「いや違います。というかそういう見方をするのがまさしく私怨で」とかいいそうだが、それならソースひっぱってこいっつー話で。それもせずに、また「対談以前のレベル」とか抽象的な言葉で誤魔化し、公平な立場にいる振りしながらちゃっかり自分の意見からくる偏見で反対意見をこういう風にとらえて紹介する辺り、全く公平でない。「例えば」の話すら公平に持ってこれない人間ディベートを語られてもな(笑)

2008-09-28

相手に中核派とかレッテル貼るやつってさ

まぁ、人間のクズだよね。

でさ、id:plummet最近エントリがあるんだが。

http://d.hatena.ne.jp/plummet/20080921/p1

あれだけ散々、他人を批判する主張をしておいて今さら俺を信じるななんて調子のいいことを言うなと思うがね。

http://www.policejapan.com/contents/news/20080903/

こっちの記事は沢田か森本か知らないがアンチコミケ私怨厨が騒いでいるものだと言われている。

が、その情報のもととなったのは、id:plummetid:jsfの書いたことだ。

id:plumet中核派という呪いとか言っていたが、なんのことはない、その呪いをかけたのは、id:plummetid:JSF自身だ。散々、中核派関係がある、襲撃事件を起した((C72の事件でコミケ側の公式見解サークル間のトラブル警察は通報はあったと言っているが対応については回答していない。id:JSF氏は警察が警備していたと述べているが証拠は示していない))と煽っていたのは他ならない彼らだ。

この記事では、コミケ中核派関係して政治運動をくりひろげようとしていると結論しているが、常識的に考えればそんなことはない。だったとすれば、むしろアキバデモ主催id:furukatsu事実としての中核派との関係は認めるにせよ、かなり誇張されていたと解釈できる。

ま、id:JSFid:plummt針小棒大に問題を扱ってさんざん人を批判してきたわけだからな。魔王とか宗匠とか言ってキモイとしか言いようが無い。

id:plummet一派の髭の大尉だっけ? 自衛隊幹部らしいが、id:furukatsuの予備自衛官の訓練出頭状況を職務上の地位を利用して調べあげているからね。こっちのほうがよっぽどキモいしコワい。

ま、あいつらに何か期待するだけ無駄だと思うけどね。

2008-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20080926014500

「○○課長が誰某と不倫してるブラック企業」という爆撃レスがあったときは吹いた
お前それ確実に私怨だろう

まあランキングなんかじゃなく、レス内容で内情が見えるものをピックアップした上で信じるかどうか決めたほうがいいな
まとめる奴も他人事だから超てきとうだし

http://anond.hatelabo.jp/20080926001013

本当に転職就職を成功させたかったら、2ちゃんねるなんか見るな。

会社裏情報スレなんかもあるけど、不満を持って辞めたやつが私怨で書き込んでいる(それも連投)だけってパターンが多い。

相談スレなんかでいろんな書き込みに振り回されている人がいるけど、面接受けに行ってから判断すりゃあいいのに、って思う。

2ちゃんに書き込んでいるその内容を面接で聞いたほうが早いだろ、って。

2008-08-04

オレドコ - はてなダイアリー

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%aa%a5%ec%a5%c9%a5%b3

……なんだこれ。

たまに居るよなぁこういう人。気持ち悪ッ。コメント欄も腐ってやがる。

私怨はてなキーワード作られた人も知ってる人で何人か居るけど、こいつは何なの? きもいよ?

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ad%a1%bc%a5%ef%a1%bc%a5%c9%ba%ee%c0%ae%a5%ac%a5%a4%a5%c9%a5%e9%a5%a4%a5%f3

「そのキーワードは、あなた自身に関するものではありませんか?あなた自身の名前やあなた自身が管理しているサイト名などは、あなたの身内の範囲を超えて広く用いられる見込みがない限り、登録すべきではありません。そのような情報は、まずあなたのダイアリーaboutページに記されるべきです。 」ってあるのにねぇ。

「あなたの身内の範囲を超えて広く用いられる」つっても、TBとかリンクされたりとか、それが常識の範囲内ならやるべきじゃないと思うけど、どうなの?

……。

このキーワードを特定個人・組織誹謗中傷する内容に書き換えれば即削除うわ何をするy(ry

2008-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20080707143000

2chでやっても「私怨乙」でスルーされるだろうし。

ところがどっこい、2chにはパクリを晒すようなスレはちゃんとあるよ。

スレルールやら空気を読んでしれっと晒してみるのもありだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080706015059

いっそのこと増田で晒しちゃえば?

ここでいくら「パクられた私かわいそう」してても、

あなたももにょもにょ感取れないだろうし、

パク厨も何ら痛みも感じないよ。

まあ、ここで晒しても何にもならないとは思うけどね。

2chでやっても「私怨乙」でスルーされるだろうし。

2008-07-03

http://blog.livedoor.jp/increment/archives/51446894.html

徹夜組なんてダサいかしこい買い専はコレ、ダミー参加。

転売屋のみんなも、よりオトクな方法で早く入場しよう!

…ってか。

転売屋のサイトじゃなくて同人ニュースサイトにこんな記事が載ってることに衝撃を受けた。すさまじい意地汚さ。ケットコムにどれほど私怨があるのか知らないけど、ダミー率が高いイベントなんか行きたくない。カタログが数百円高いとそんなにムカつくんですかそうですか。

こういう下衆は、記事が話題になると「ネタネタry」とか言い出すんだよな。姑が嫁イジメの際に「悪気はなかったのよ」とか言うのと同じ。

2008-06-06

情報通信政策フォーラム理事長 林紘一郎様

 私は、インターネットはてなを中心に活動している増田というものです。最近情報通信政策フォーラム理事である上武大学池田信夫氏が彼自身のブログに書かれている記事を読んだところ、いくつか疑問を持ちましたのでここで質問します:

1.情報通信政策フォーラムの理事が常日頃から、他人を根拠なく非難し暴言をブログに書くことを、理事長としてどうお考えになりますか。

2.また彼のブログには、情報通信政策フォーラムホームページへのリンクが掲載されており、先日は私怨からでた個人的意見をICPFのセミナーで取り上げると息巻いておられます。これではICPFは彼の私怨を晴らすために存在する組織のような印象を与えかねないと私は考えますが、いかがでしょうか。

 この書簡は、はてな増田ブログで公開します。回答をお待ちしております。

2008-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20080529095046

全体の文脈から自分も似たような空気を感じたけどなあ

http://anond.hatelabo.jp/20080529004258

これが元増田の反応なら図星というか私怨っぽい

2008-04-23

光市事件、実はヤスティー軍団大勝利説」を唱えてみる

ケータイだから改行多くてすまん。

あと俺イナゴぶくまーだから、ダイアリに書いても読んでもらえない。

だから増田に書いた。後悔はしていない。

光市事件、実はヤスティー軍団大勝利説」

理由は、犯罪被害者保護/権利擁護について、全然もりあがってないから。

お茶の間ネットイナゴは、ヤスティー軍団バーカバーカ、

元少年Fバーカバーカ(→そしてぶっ殺せ)。そればっか。

社会正義ぶって、てめえらの無謬に酔いしれて

そのじつ、正気を失って顔を真っ赤にしてることに気付かない。

これ完璧ヤスティー軍団の思うつぼですから。

被害者問題からフレームをずらそうとする、左派のオモ坪ですから。

被害者権利が拡充されたら、容疑者さまが不利益をこうむられるから、

だからヤスティー軍団はじめ左派ヒールの演出に徹し、

元少年Fをヘイトターゲットに仕たて上げ、

本村さんや世間を挑発してる。

国民の関心を少年審判死刑の問題だけに矮小化させるために。

本村さんは、哀しいまでの冷静さで、その挑発を振り切ったけど、

世間や保守論壇は、みごとに釣られてしまった。

制度的に切り捨てられている被害者たちに目を向けさせまいとする、

ヤスティー軍団のもくろみはまんまと成功し、

上告してホニャホニャしても、支援集会なんかで世間を煽り

もちろん左巻きブロガーもあの手この手で煽りまくって、

Fの死刑が執行されるクライマックスまで盛り上げて盛り上げて・・・・

世間は溜飲を下げておしまい被害者なおざりのまんま。

おまえらそれじゃ困るんだよ。

世の被害者たちは、少年Fいいなーって思ってると思うよ(パラドクスじゃなくてマジで)。

たとえ党派性の権化だとしても、あんだけぞろぞろ守ってくれる人がいて、いいなーって。

それくらい、被害者って孤立してる。

犯罪被害者って、どんなんかっつーとね

たとえば、はい犯罪にあいました。

ショック受けたまま、取り調べ。

これ、めちゃんこツラい。

お巡りは、少しでもディティールを聞き出そうとする。

同じ質問を、何回も何回も。(それが仕事とは言え、最低限の配慮すらない奴大杉)

少しでも回答にブレがあったら、また何度も何度も。

この段階ですでにサポート人間が付き添ってくれる国もあるのに、

被害直後からお巡りとサシでアンケ拷問ってそれどうよ。

で、仕事は休まなきゃならないかもしれない。

事情聴取犯罪現場が家だったら片付けもある、

ケガがあったら通院、ヘタしたら入院かも。

最悪、被害者の老親がいきなり遺児の保育費ださなきゃとか、

被害で寝たきりになった配偶者介護費とか。

(裁判傍聴の場合も当てはまる。交通費とか)

被害者給付金あるじゃんって人。あれ、面倒な申請が必要だし

申請しても、1年くらい待たないと支給されない。

すぐ入り用なのに工面できないひとは、どうすればいいのさ。

(つーか額面じたい、一律でない部分の幅をふやしてほしい)

被害者サポートセンター経由で、グループカンセリングとか参加して、

被害者同士しか分かり合えない傷をなめあって

ようやっと立ち直りへの道を探している頃に、

犯人が捕まって、また記憶の傷を抉りかえされる。

(PTSDって、イラク馬鹿イメージ悪いけど、ホントしんどいよ)

ほいでやってくる裁判に、心の準備をしていると、

検事務がきて「なんか直接言いたいことあるですか?」

「え…、はあ…」「じゃ○月○日に意見陳述」「!!!」

──○月○日

検事「じゃ、今日法廷はいって」

おれ「え、は、はい…」

うわあ、courtの中あったかいナリ・・・って、俺なんの法知識もないし

つーかおめえら、検察資料なんも見せてくれねえじゃんw

今までだって、犯人のケツ眺めて、法律用語でいろどられたキャッチボール聞いてただけ。

「ブン屋にリークしたから記事でディティール追え」っておまwww

(地方面ベタ記事にすらならない事件だと、被害者はさらに置いてけぼりになる)

感情むき出しに意見しても、判事の心象を損ねそうだし、

かといってヘタに法律用語的なこと言って地雷ふんでも困るし、

当たり障りなく「被告の真摯な更正を望みたいと思います」なんて。

内心ぶっちゃけ、応報チャクラ殺意波動燃えたぎってるんだけどね。

でまあ、傍聴おわると、ブン屋がコメ獲りに囲んで来る。

あれ、数が多いと、裁判所から追い出されるのな。

他のかたのご迷惑って、おれがお招きしたお客でもないし、

そもそもこいつらが来た理由自体も、俺に直接由来じゃないんだがw

(こういう時は基本警察検察弁護士会も場所を貸してくれない

 特別視はできないんだそうだ。アホか)

正直、ブン屋が傍聴席にいたりカメラが待ってるの見るだけで、

心臓に鉛つっこまれてグッと掴まれたような気がして

裁判所から出られなくなることも。

傍聴だってさ、今は優先権があるけど、昔はなかったから、

デカい事件だと、ブン屋やテレビ屋のゴミバイトが並ぶから、

被害者サポセン職員や親戚に頼んで並んで貰って抽選確率増やして、

ってもう泣けてくる。ほんとに。今は優先権があるけど。

なんか私怨ぽくなってきたし、

俺自身特定されたらやだからやめる。

でも、ここまで書いてきた被害者って、

当事者以外にも、それで悲傷する家族恋人友人・・・

みんな不幸になってるのに、制度的に、

加害者より軽んじられてるのは否めないと思うからなんとかして欲しい。

でも昼間どこかのテレビ(キー局)の解説者が、

犯罪被害者も、支援法施行によりずいぶんと前進し・・・」

なんてのたくってたのベッドで思い出して

我慢できなくなってケータイタイピング

くわしい人とかには当たり前のことだったかもしれないけど、

当事者的に知ってることだけ書いてみました。

ここまで読んでくれた人、ありがとうね。

追記 (4/23 AM01:22)

これとかもっと報道されるべき。

http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/afb4fb2b74625c50c51e489f7369ebb4

>この数年間、心血を注いできたオウムテロ被害者救済特別措置法案を??

2008-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20080405170429

id:realiste私怨がある奴が、この人が増田で暴れているようにみせかけている陰謀なのかもな。

2008-04-02

誤った情報が一人歩きしている件

ネット上に、自分も関係した誤った情報がばらまかれていてイライラする。

wikipediaを見たら、そこでもやはり真実であるかのように記載されていた。

それを発信した人間が、実際真実を知っているような立場にあり

一見、信憑性のあるような書き方をしているから

惑わされる人がいるのは仕方がないだろう。

その情報をばらまいた張本人が

どれだけ信用するに足りない人間であるかということは

リアルで知っている人間にしかわからないことだし。

真実を知っている人間事実を並べて否定しても、

先に言ったもの勝ちであるかのように

最初の情報が間違っているはずがない、と思い込む人間の浅はかさよ。

ネットで調べましたがやっぱり先の情報のほうが正しいと思います」

ネットってなんだよ。

匿名掲示板に書かれた「????の知り合いがこう言ってました」

mixiの○○の日記にこう書いてあったらしい」

なんてソースのほうがずっと怪しいじゃねえか。

偽の情報を流した本人も

まじめに仕事をしないことを指摘されて逆切れした、なんて

私怨がきっかけなのに。

裁判になれば損害賠償も請求できるレベルだと弁護士は言った。

そこまで踏み切らなかったのは、その人が、既に借金まみれで、

たとえ裁判に勝っても払わないとわかっているからだ。

そもそも、信じるに足りる人間

ばらせば必ず今以上に傷つく人間が出ることがわかっている情報

不特定多数にばらまいたりするわけがない。

どこの世界にそんな正義ヒーローがいるんだよ。

2008-03-16

瀬名痛いなぁ

を、別の記事で書けばいいのに。全部ごっちゃに書くから全部私怨にしか思えない。そして、妙なことになっていく。科学者としてSFを書くのはいいし、パラサイト・イブは面白かったが、作品を笑われたくらいで人格否定されたように感じ、あまつさえ反論にでるのも痛々しいぞ。あれは論文ではなくて娯楽小説なんだから。「そうそう、こっけい話だよね」くらいに笑って流せないのか。

http://anond.hatelabo.jp/20080316103218

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